190、冒険者と顔合わせ 1(午前訓練とプレゼント購入)
後の休息日の城の訓練場。
今日の訓練は午前で終わりだ。
ローサと後輩が剣の打ち合いをしていたところ、訓練終了の合図が鳴った。
「ベヨス様、ありがとございました」
「こちらこそ。ありがとうございました」
ローサの相手はベッティーナだ。
年齢的にはローサの一個上の彼女は、見習い騎士歴でみればローサの後輩だった。
ローサは一年半前に入団し、ベッティーナは今年からの入団だ。
入った時期に差があるとはいえ、ベッティーナは家で剣の稽古もつけられていたようで、腕は中々の物だ。
(べヨス様……このままじゃ簡単に追い抜かれちゃう。頑張んないとな……)
「ローサー、お昼ー。お腹すいたぁー」
少し離れたところから友人の気の抜けた声が聞こえた。
ベッティーナがくすりと笑みをこぼし、ローサは恥ずかし気に「で、ではこれで。お疲れ様でした!」と頭を下げた。
「先輩、これから昼食に行くんですが良ければご一緒にいかがですか?」
「悪い。今日はこの後約束があるんだ。学園の考査が近いから」
(あっさりフラれた……)
ローサは笑顔のまま心の内で涙を流す。
(そっか。確かこの時期は去年も学園組は忙しそうだった)
「わあ。勉強会って奴ですね。楽しそ、う……」
(……ん?)
ローサの言葉が中途半端なところで切れる。
「どうした?」
「……あ、いえ。その」
「どちらとお約束なんですか? そういうのって、やっぱり誰かがお部屋に招いて開催されるんでしょうか? 良いですよね、学園での共同生活。お気軽に部屋に招いたり招かれたり」
(リサ……)
ひょこりと後ろから顔を覗かし、リサはずばりとローサが気になっていたことを言い当てる。
「ラツィラス殿下と、別の団の奴とな。部屋はそいつの部屋を使う予定だ。楽しいのは確かなんだけど、ああいうのってあんま頭に入ってこないんだよな」
別の団の奴とは、同級で騎士見習いのファルドとペールだ。
必要なら空き部屋を借りたりもできるのだが、今回はペールの部屋を使おうという話になっている。
(ギャッジさんが目光らせてるし、集中力きれたらどうせまたすぐ図書館に移されるな)
中等部の時の事を思い出し、ジーンは「今日はどれくらい部屋から追い出されずにいられるだろう」と考える。
「あ。団所属の方と何ですね」
ご令嬢とかに誘われてとかじゃないんだ、と安心しかけたローサの耳元に、リサが「見習いのご令嬢って可能性もあるわよ」と意地悪く囁いた。
そういえばそうだ、とローサの気持ちがまた不安に染まる。
「が、頑張ってください。皆さん、いい結果残せると良いですね」
「ああ。ありがとうな」
「ちなみにご一緒する団の方ってどなた何ですか?」
リサがさらりと尋ね、ジーンは「一の団のファルドと、五の団のペールだ。知ってるか?」と答えた。
「あら、ペール様は兄の友人です。リサ・テーピックがよろしく言っていたとお伝えください」
「分かった。じゃあ俺はこれで。声かけてくれてありがとな。お疲れ様」
彼が去った後、リサはちらりと友人の顔を覗く。
「良かったわね。男友達ですって」
「うるさいなぁ! ありがとう!!」
ローサの表情は何とも安心しきったように緩んでいた。
***
昼食を済ませ、防具や武器でも見に行こうと、二人は武器や鍛冶屋の多い通りへ出向くことにした。
ここには騎士だけでなく冒険者の姿も多い。
行きかう人たちから、身に着けた防具がぶつかり合う無骨な音が聞こえてくる。
(小さい頃はお姫様になるとか言っていた私が、まさか騎士見習いになって剣振ってるんだもんな……)
ローサは苦笑しながら小型防具屋のショウウィンドの中を眺めた。
「ねえ、あれ。あれ」
リサに袖を引かれ、ローサは「なに?」と振り返る。
「あれ、ディオール様じゃない?」
少し先の店の前、ラベンダー色の髪を緩く編んで、肩に乗せるように垂らしている女性が立っていた。彼女は熱心な様子で、店頭のガラス張りの中に並んだ商品を覗いていた。
色の地味な外套とロングブーツ。あの格好は、雪山での野外訓練の時と同じものだ。
「こういう場所に興味あるのかしら? 確か今日、ベッティーナ様あの方を褒めてたわよね。意外と腕が立つ方でびっくりした! って」とリサ。
「……ああ! 『生意気な平民を投げ飛ばした』って奴でしょ?」とローサは思い出したように声を上げる。
「……!」
「……!」
アルベラはふと人の声に顔をあげた。
だが、辺りには幾らでも人はいる。なんでそちらが気になったのだろうと自分でも不思議に思いつつ、視線をウィンドウの中に戻してその品々の説明書きに目を通す。
ローサとリサは咄嗟に、都合よくあった足元の木箱の影に身を潜めていた。
「ローサ……何で隠れたの」
「つい……。リサだって隠れてるじゃない」
「そりゃあ、あなたにつられて……」
通りの方から「なあなあ、こっちに面白いのあるぜ。見てみろよ」という声が聞こえた。
二人が木箱から顔を覗かせると、冒険者っぽい軽装の青年が隣の店から出てくるところだった。
(冒険者なら首とか腕とか腰とか……所属や名前が書かれたプレートがあるはず……。ここからじゃ見える訳ないか)
ローサは目を凝らすが、そんな細かい所まで見える距離ではなかった。
彼は公爵ご令嬢の隣に並ぶと、「何見てんだ?」と言った様子でガラスの中の品を見る。
二人は品を見ながら楽しそうに笑うと、隣りの店へと入っていった。
「仲良さそうね。ご友人……それか恋人……」
リサは楽し気に冗談を口にする。
「……冒険者と、公爵家のお嬢様が?」
「あら。物語でなら良くある話じゃない。『身分違いの恋』。まだまだ私達だって寄り道できる歳だもの。それに、冒険者の稼ぎだってなかなか馬鹿にできないでしょう?」
「そ、それはそうかもだけど」
頷き、ローサは気になって立ち上がる。
先ほど公爵ご令嬢の見ていたショウウィンドウの前に行き、中を見て「……あ」と驚いたような声を上げた。
リサも隣で覗き込み、「キャー! やっぱりー!!」とボリュームを抑えつつ、嬉しそうに高い声を上げた。
ショウウィンドウの中央。
そこには、値札にゼロが幾つもついたお洒落なペアリングが置かれていた。
***
お昼時。
学園の門から、七人でぞろぞろと外へ出かける生徒達の姿があった。
「昨日の社交の授業、二コーラとヒフマスは流石だったね」
ユリの言葉に、「でしょー?」と運動神経に自信のあるヒフマスがご機嫌に笑う。
「私はできないと不味いから」と中等部から上がってきた二コーラは苦笑した。
「それに比べて男子共ときたら。もっと素敵にエスコートしてくれなくて?」
口に手を当ててにやけるヒフマスに、ゴルゴンがふてくされたように「悪かったな!」と返す。
「にしても、ミーヴァもジュロも流石だったよねぇ。やっぱり中等部組は違うわ」とリド。
「ジュロは貴族の友達に気に入られてるしな。あいつ、もう卒業後の働き口決まってるんだろ?」とナナー。
この日、新入生の特待生組は時間の合う者達で集まって、友人の誕生日プレゼント購入目的で街へ出ていた。
「社交の授業」とは、彼等のために設けられた必修科目だ。
平民の生まれの彼らが貴族同士の交流マナーを知るため、慣れるため、この授業が週三回、六時間目に組み込まれている。
一年時は週三。二年になると、問題なければ週一に減らされる予定だ。
ちなみに社交の授業は、貴族の一般学生も一年時は週一で組み込まれている。
貴族出身者の場合、殆どが家で十分に教え込まれているため、平民特待生と異なり二年時からの履修は自由だ。
先週は本来なら、男女共「貴族間でのお茶会について」を学ぶはずだったのだが、第三王子の誕生日会が来月の末に決まったことで、急遽ダンスの練習へ変更されたのだ。
担当教員の言い分的には、早めに基礎を教えておく事で、自主練の時間を多めに確保しておきたかったらしい。
「ドレスの貸しだしまでしてくれるなんて流石だよね~。選ぶのは先輩優先だけど、思ってたより沢山あったし全然問題ないよね~。自分の買いたかったけど、自分で買うよりよっぽど良い質だったから文句のつけようもないわ」
とリドのご機嫌な言葉に、ユリはここ最近の自身の授業を思い出して眉を下げる。
「だねぇ。……けど、ちょっと怖いなぁ。汚せば減点でしょ? 正直不安だよ」
「何言ってんの。『汚した相手にも厳重注意!』だって言ってたじゃん? 不注意で汚したらそりゃ不味いだろうけど、授業の感じだと皆問題ないって。大丈夫大丈夫。当日は私達一人ひとりに学園のスタッフがつくって言ってたし、監視の目も多いって言ってたし。……ね! 楽しもう!」
励ますように拳を握る友人へ、ユリは「そ、そうだね!」と気持ちにこたえるように拳を握り返した。
しかし不安はぬぐい去ることができず、「ダンス、沢山練習しよう……!!」と心の中で誓う。
五人は楽し気な会話を交わしつつ、学園近くの噴水のある広場まで行くと二人と二人と三人に分かれて店を探索し始めた。
特待生達の門限は二十一時と定められているが、今日はそんな時間まで外をふら付いて居るつもりは無い。夕食までには学園へ戻り、食堂で食事を済ませ、その後は試験勉強やダンス練習に勤しむ予定だ。
***
可愛いデザインが評判の、アクセサリー形の魔術具店に入り、女子三人は魅力的な品々に目を輝かせる。
ここに入ったのは主に自分たちが見たかったからだ。
安いものから高価なものまで、女性向けの商品が揃えられていたそこでミーヴァがもらって喜びそうなものは全くなさそうだ。
「あら。特待生の……」
「こんなもの見てる暇があるなら勉強をなさったらいいのに……」
くすくすと聞こえてきた笑い声に、ニコーラの肩がピクリと揺れる。
ヒフマスは表情を冷たくしてその言葉を無視し、テンウィルは全く聞こえていないかのように一切表情や空気が変わることは無かった。
二人から見ても、ニコーラもそう大差なく、見た目には何も変わりなく店を楽しんでいるように見えた。
いつものように、穏やかに笑った「誰にでも優しいイチル・ニコーラ」。
だが彼女の内心は違った。
二コーラはふと蘇ってしまった嫌な思い出に、胸の前で拳を握った。
その心情が表に出ないよう、ため息をついて体から力を抜く。
(貴族……。あの人たちは、お金で何でもできると思ってる……)
実際そうだ。
彼らは金で人を買い、手を汚さずに何でもするのだ。
二コーラは胸の前に握った手をほどき、そっと爪を撫でた。
***
カーテンの開かれた薄暗い馬車の中、パチン、パチン、と音が鳴っていた。
『いっ……っ……っ…………』
正面に座った乞食の男は、少女の片手を取り『ごめんな、ごめんな』と言いながら爪を切るのだ。
パチン、パチン、と音が鳴るたびに、膝を抱えて座った少女の体に力が入る。
『おめぇさんも運が悪かったな……ここに入るまで頑張っただろうに……せっかく入ったってのに、こんなな………………もう少しだ。もう少しで終わる。もうちっとの辛抱だ……』
少女は膝に顔をうずめて痛みに耐える。
たまに小さく嗚咽を漏らし、早く終われと目を瞑った。
誰も自分をかばってくれなかった。
今まで、短いながらも共に笑ったはずのクラスメイトが目を逸らし、自分たちより上の地位の家の子供の言葉に首を縦に振るのだ。
パチン、パチン、と爪切りばさみの音が鳴った。
始めは震えていた男の手も、「五本目」を終えたころにはすっかり慣れていて、全部金を貰うための作業と割り切ったかのように、彼は黙々と、少女の爪を言われた通りの長さで切り落としていった。
***
中等部の入学までは違ったのだ。
ニコーラも今ほど心の中で貴族を嫌ってはいなかった。
ただ、関りには気を付けよう。
友人が出来たとしても、その間には地位という大きな溝があるのだという事だけは忘れないでおこう、と心に留めていた。
学園に入った初めの頃は、男爵や準伯、騎士のご令嬢たちと仲良くなることが出来た。
平民と距離が違い貴族というのは思っていたより多く、友人をつくる事は想像よりも容易かった。
しかし、入学して数ヶ月。
一人の貴族のご令息から猛烈なアピールを受け、断ってしまった日から楽しかった学園生活がかわってしまった。
以前から数人の令息から食事に誘われたりすることはあった。
彼らは皆こぞってニコーラを「可愛らしい」というのだ。
それが一部のご令嬢達の気に障っていたらしい。
フラれた令息も、その腹いせがしたかったのだろう。
ニコーラは自分が彼を振ったという事は周りに話していなかった。だから彼は調子に乗って、あたかも自分が振ったかのように周囲に言いふらしたのだ。
『私の家の地位に目がくらんで寄ってきた———』
『人に色目を使って、彼女の誘惑から逃れるのがどれほど大変だったことが―――』
『あれは平民らしく卑しい女だった。彼女が去った後、私の上着から金のボタンが一つ消えていたのだ。あの時は黙っておいてやったというのに―――』
更にそれをネタにご令嬢たちが面白おかしくニコーラを罵って、彼女の周囲からも友人達を奪っていった。
その時ニコーラを嫌うご令嬢達の中心に居たのは中伯のご令嬢だった。
ニコーラと仲良くなった友人達の家より、彼女の家は地位が高かった。
それをいいことに、自身ではできもしないような事をさもできるかのような口ぶりで言って、彼女はニコーラの周囲に圧をかけてその関りを絶たせたのだ。
今思えば、彼女の家が地位だけを武器に別領地の男爵家や準伯家からその領地だったり任されている仕事だったりを奪ったりなど出来る筈もないのだ。
だが、十二やそこらの年の子共達は、そんな彼女の出まかせを信じた。
友人たちはニコーラから離れて行き、たまに見る嫌がらせの光景も見て見ぬふりをして通り過ぎていった。
『だめ……それは……。返してください……!』
『いたっ』
『え……』
『いったぁ。あなた、私の顔に何てことしてくれたの?』
『す、すみません。わざとじゃ』
『爪』
『え?』
『爪、見せて。伸びてるんじゃない? 私が確認してあげる』
『……』
『ほら! さっさと見せて!!』
***
それからという物、彼女はニコーラに気に入らない事があれば馬車に閉じ込めた。
扉の外から中の音を聞き、爪切りが終わると、両手から血を流すニコーラを確認して満足そうに微笑むのだ。
爪切り後には、毎回かならず傷口に回復薬をかけられた。傷口はすぐにふさがり、彼女は出来立ての薄い皮膚を撫でて自分達の上下関係を実感し悦に入る。
「これでまた少しの間、貴女は誰も傷つけずに済むわね。感謝なさい」
顔の傷はとっくに癒えたというのに、家族の名を出しては「彼らを罪人にしてもいいのか」と脅してニコーラの抵抗を奪う。
教師たちの目を盗み、狡猾に執念深く。
彼女の苛めは一年の後半まで続いた。
最近絡まれなくなったな、と二コーラが気付き始めた頃には、それはいつの間にか終わっていたのだ。
呆気ないものだった。
何の前兆もなく、気付けば自分は彼女から解放されていた。
ただ飽きただけかもしれない。
その気まぐれがまた腹立たしかった。
人を弄んで、気がすんだら手放して。自分のことを、人を好き勝手に振り回して良い特別な存在だとでも思ってるのだろうか。
その精神が許せなかった。
直接彼女やその友人らに事情を聞くことは無かった。
ただ、その後関わらないで済むならそれで良いと自分に言い聞かせた。
その後二年に上がると彼女らとはクラスが変わり、顔を合わせる事自体がほとんどなくなった。
行事の際に姿を見るくらいで、その時の彼女は平然と友人たちと笑いあっていているのだ。……自分にした仕打ちの一切を忘れたかのように。
二年に上がってからは、一年の時に比べたら随分平和なものだった。
貴族の友人は出来ないし、ニコーラに近づこうとする女生徒もいないまま。
あの頃に広がった「男誑し」や「あばずれ」と言った噂のせいもあり、「関わらない方がいい者」というイメージがすっかり定着してしまっていたが、ニコーラはそれでいいと思った。
貴族から悪い噂のある平民に近づくことがなければ、貴族への不信感を植え付けられた平民が自ら貴族に近づくこともない。
どちらからも歩み寄ることは無いのだから、そこに以前のようなおかしな関係も生まれる事もない。
友情よりも、身の安全だ。
たまに、一人になった寂しさに漬け込むように、ニコーラに優しく微笑みかけるご令息というのも現れたが、ニコーラは以前よりうまく彼等から飽きられるように振舞うことができた。
ミーヴァやジュロを通して、数人の信頼できる知人もでき、それで十分だった。
中等部を女子のトップで卒業し、理事長の勧めで二人の友人と共に高等部に上がり、学園に居る生徒の顔ぶれも入れ替わったことで、当時ほど自分に向けて陰口をいう者はいなくなり………………彼女はあの頃のトラウマを、今も大事に抱いていた。
二コーラは人を使って、人を気付付ける「彼等」が嫌いだ。
人を傷つけて優越を味わう「彼等」が嫌いだ。
自分たちの家の地位だけを武器にふんぞり返る「彼等」が嫌いだ。
何を言われても、どんな目で見られようとも、気にせず「彼等」に笑いかける事はできるようになった。
そしてその心の内で、「お前らなんて大嫌いだ」と彼女は呟くのだ。
相手がどんなに偉かろうと、どんなに自分を「可愛らしい」と褒め称えてくれようと。
***
嫌な記憶にニコーラは表情を暗くする。
(外、出たいな……)
そう思って窓の外に目を向ければ、お気に入りのインク専門店の看板が見えた。
(……ミーヴァも、確かああいうの好きだったような)
何より、あちらの客層はこちらのそれよりマシなはず。
ニコーラは近くにいたテンウィルへ、「あそこのお店見てくるね」と声をかける。
テンウィルは黒い瞳をインク店へ向けると「了解、行ってらっしゃい」と手を振って彼女を見送った。





