187、学園の日々 16(食堂での謀 2/2)
エイプリル家と聞いて、アルベラは学園でこの間ご挨拶した、さらさらストレート水色髪のご令嬢を思い出す。
「へぇ、彼女が……」
アルベラは肘をつき、考えるように視線を落とした。
「とても気になるお話ですね。……お二人は、彼女の差し金で惚れ薬が食事に混ぜられたとお考えで?」
「うん、そうだね……。僕は彼女だと思ってる。……というか『彼女関係』かな。本人の指示か周りの指示かはわからないところだけど。どっちにしてもちゃんとした証拠はないんだ。実行犯は捕まえられてもその先が、ね……。エイプリル家は隠すのがうまいんだよ。だからこそ彼らは前の前の王に気に入られてた」
「前の王様と今の王様とは仲良くないんですか?」
ラツィラスは頷く。
「当時と頭首が変わってからね。彼等、前の代で王族の血を手に入れようと躍起になったんだ。そのせいで最盛期ほどの信頼は失った。……らいしいよ。僕も聞いた話。……ああ。けど信頼を失ったって言っても、別に信頼が地に落ちたわけではないから今でも普通位ではあるんだけど」
「なるほど……」
「今の頭首は先代の思想を色濃く受け継いでて、先代も、代替わりはしたけど図太く生き延びて一族の繁栄のため尽力を尽くしてるんだってさ。いやー。頑張り屋さんだよね」
何とも皮肉めいた言葉だ。
「クラリス様……というか、エイプリル家ですかね。殿下は彼らがお嫌いで?」
「ふふ。魔術があるとはいえ危ない発言だね」
公爵家と大伯家。
地位だけで言えば公爵家の方が上だが、積み重ねて来た歴史はエイプリル家の方が古く、貴族間から得る信頼で言えばディオール家はそれに劣っている。
彼らを差し置いて公爵となりあがったディオール家の今の発言は、それをよく思わない者達の耳に入ればそこそこ問題になるだろう。
アルベラもそれは重々承知していた。
「あなたの魔術だから口にできたんですよ」
肩をすくめる彼女に、「嬉しい事を言ってくれるね」とラツィラスは目を細めた。
「クラリス嬢の事はやっぱり知ってるか……。嫌いなんて事はないよ。飲み物やお菓子の味や風味をおかしくされちゃうのは嫌だけど。これは嫌いじゃなくてその時々のちょっとした恨みかな」
(そういうのが積もり積もって嫌いになるんだと思うけど、まだそこまでじゃないのか)
「そうですか」と呟くように返し、アルベラは自分の思考に意識を向ける。
―――母の言葉と、自分が実感できないエイプリル家の敵視。
(隠すのがうまいか……。にしてもお母様、どうやって彼らのディオール家嫌いを知ったんだか)
心半分ここにあらずなアルベラに、ラツィラスは「君も何か盛られでもした?」と軽い調子で尋ねる。
「いえ。……あ。エイプリル家については、過去に何度かお茶会をしたことがあるので分かりませんね。私の舌はあなた方ほど肥えておりませんので」
「尊敬しちゃう?」
「はいはい。しますします」
くすくす笑いに、二人分のため息が漏れた。
「もしかして馬車の件か?」とジーンが口を開く。
「ええ」
アルベラの馬車が爆破された話は、彼からラツィラスも聞いている。ラツィラスは「ああ。奇襲の」と柔らかく目を細めた。
腕輪の事が頭を過ったが、アルベラはそれを意識の外に捨て去って首を振る。
「雇い主も仲介もまだ分かってなくて。もしかしてって思ったけど。……あのお茶会、彼女は全く関係なかったし候補にも挙げてなかった。今のところ私と彼女は大した関りがないしね。……婚約者候補って事くらいしか」
「婚約者候補って繋がりはでかいだろ」
ジーンが当然とそう返す。
「そうかもだけど……あんなあからさまな奇襲かける? 大体、私が死んだって第一妃になれる保証はないのに。……ああ、なるほど。犯人は候補者を片っ端から始末していく気なのね」
「わぁ。その人凄い実行力だね」とラツィラスはクスクス笑い、「んなわけあるかよ」とジーンが冷めた突っ込みを入れる。
「馬鹿らしい話だけどな……やる奴はやるぞ。中等部の時、こいつ巡って一回大惨事起きてるから」
「そうなの……?」
「ご令嬢同士のお茶会の席でな。危うく伯爵家のご令嬢が男爵家のご令嬢を殺すところだったって。……色々もみ消されたらしいけど」
「えぇ……。何。喧嘩? 暗殺?」
「喧嘩だ。どっちの方がこいつと何回踊ったとか、お茶したとか、話したとか。そういう数の競い合いになったんだと。挙句に片方が感情的になって魔力が暴走。もともとタガが外れやすい体質だったみたいだ」
「な、なるほど。事故なら仕方ないわね……」
感情的になって魔力が暴走してしまう人間というのは一定数いる。最近だとそう言った人向けに魔力の流れを穏やかに抑え、感情の影響を受けなくする薬といのが出回り始めているのだが、まだまだ粗悪品も多いのだという。おまけに高価だ。
薬を買う余裕があったとしても、まだまだ信用が置けないと手を出さない者達もいる。
その魔力が暴走したご令嬢の家も、買えなかったか買わなかったかでそう言った薬は置いてなかったのだろう。
昔ながらの、意識的に感情をコントロールする訓練に重きを置いていたのかもしれない。と、アルベラは考えていたが……
「事故じゃない」
ジーンが呆れを乗せてた言葉を吐き出す。
「え?」
「その時お茶会にいたのは五人だ。そのうちの一人が伯爵家のご令嬢の体質を知っていて、席に置いていた錠剤入りの瓶を、自分の連れてきた使用人に指示して自前の物と入れ換えさせた」
「…………わざと煽って、相打ちを誘ったと……」
「そういう事だ。言い合いになった二人は婚約者候補で、瓶を入れ替えたのも婚約者候補だった」
ジーンは涼しい顔で紅茶を口に運んだ。
アルベラはさっと責めるような視線を王子様へと向ける。
「あなたのせいで私が殺されたら、きっと父が仇を取ってくれることでしょう」
「犯人じゃなくて、先ずは僕を片付けに来る感じの言い方だね。ラーゼンから逃げるのは大変そうだなぁ」と、ラツィラスは全く大変じゃなさそうに笑う。
(レースに落とし合いは付き物、か)
ラツィラスは手にした紅茶を見つめる。
そこには微笑みをたたえる自分の顔が浮かんでいた。
その顔が今頭に浮かべているのは「正直面倒くさいな……」という投げやりな感想だった。
「『婚約者候補』について、ご本人様は他人事のようでございますわね」
突き放すようなアルベラの言葉にラツィラスは苦笑した。実際の所正解だった。
「半分ね。……昔ながらの行事だし、僕がやりたくて始めた事じゃないからどうにも身が入らなくて。けど、『婚約者候補』っていうシステム自体はいい所も実感してるんだ。候補から外れたご令嬢は自分から身を引いてくれる。候補から外れて、恋仲でもないのに縋るような事をすれば一族の恥っていう風潮もあるしさ。……さっきみたいな潰し合いが裏で起きるっていうのは悪い点だよね。無駄に怪我人が増えるのはちょっとなぁ」
(そういう利点があったのか。……確かに、候補とかそういうのが無ければ、何回もアタックする人とか多くなりそう)
「そういえば、ご令嬢方を馬にして賭けに興じる者達もいるみたいだよ。それに比べたら多少他人事な位はマシじゃないかな。……あと、そういう君も随分他人事に思えるんだけど、僕の第一夫人の座のために頑張ってくれる気はないのかい?」
甘い笑みを向けられて、アルベラも負けじとうっとりと笑って見せる。それは相手がこの王子様や騎士様でなければ、顔を赤らめ見とれてしまうような、それはそれは艶やかな笑みだった。
「あら。今の私では殿下はご不満かしら?」
ラツィラスは一瞬目を丸くし、肩を揺らして笑った。
「滅相もない」
「そっか。君は今のままでいいや……十分だよ……十分……ふふふ、くくくっ……」と目に涙を浮かべ笑う。
(また置いてきぼりのやつ……)
「はいはい分かりました。殿下は今の私が十分お好きと。本当に有難うございます」
二人の姿と発言に、「こいつもこいつだけど、こいつもこいつなんだよな」とジーンは心の中呆れを呟く。
ラツィラスの笑いも収まり、爆笑していた王子様の姿に周囲の席の生徒達が稀有な目を向ける中、話は馬車の奇襲とエイプリル家についてに戻っていた。
「……まあ、もし黒幕が彼らだったとして、公爵家ご令嬢飲の殺人未遂をこのままずっと隠し通せたなら流石の手腕だよね。先々代が頼りにした気持ちが分かる」
(視点が立派に使う側でらっしゃる……)
アルベラは羨ましい物だと目を据わらせた。
「そりゃ従順でいてくれたら頼もしいだろうな。……お前なら力づくでできなくもないだろ」
ジーンも呆れの言葉を零した。「それで?」とジーンがアルベラへ先を促す。
「それでも何も、それ以上は何も。彼の素性やおい立ちなんかは簡単に分かったんですけどね……。刺客のそういう個人情報って、手に入れるのはもっと難しいと思ってました。まさか生まれた町や家族構成、友人関係まで分かるなんて思ってもみませんでしたよ。そこで手詰まりしてるみたいですけど」
答えて、アルベラは男の遺体の事を思い出す。食事中でなくてよかったと、口直しをするように冷めた紅茶を口に含んだ。
そこで「あ」と呟き、二人の顔を見る。
「彼?」とジーンは疑問符を浮かべ、「刺客のおい立ち……?」とラツィラスはふわりと微笑んだ。
(捕虜の件、話してない気がする)
妙な空気が流れるが、二人に隠すほどの事でも無いと、アルベラは何の抵抗もなく例の件を説明する。
「あの日、ガルカが実行犯から一人捕まえてくれてたんです。彼ら、誰かから依頼を受けていたみたいで。ちなみにそのお仲間はまだ捜索中です」
「へぇ」とジーン、「はー」とラツィラスから頷きのような呆れのような声が漏れた。
「初耳だな」
ジーンが息をつく。
「ええ。偶然ね。タイミングの問題で」
「そうだね。僕らは犯人じゃないから、話してくれて大丈夫」
「分かってますよ。なんの確認ですか?」
「ふふふ。別に。……で、その彼から色々調べたけど出てきたのは個人情報だけだったと……」
「はい……」
ラツィラスは笑みを薄めて考えるような顔で尋ねた。
「その彼、生きてる?」
彼の問いにアルベラは呆気にとられ、「は……。あ、いえ……」と呟く。
(わかるの?)
「何か聞く前に亡くなられてしまいました。口留めだろうと」
その言葉にジーンが軽く目を伏せた。
ラツィラスは考えるようにテーブルに肘をつき顎を乗せる。
「なるほど。死んだ人間から集めたなら妥当な情報だね。生きてたならもっと探れてないとだけど。少なくとも依頼を受けた場所や時間、その時の相手の身なり、声とかは分かったかもしれない。それが分かればもう少し依頼主について探れただろうね」
(これくらいの情報は簡単なのか……。まあ、城なら人の記憶に触れられる人材との繋がりなり道具なりあるか……)
「そう……なんですね。引き続きお仲間さんの捜索を続けてるそうなので、彼らに期待ですね」
「逞しいね」
「私は何もしてません。全部母に任せましたから」
(けど、そこら辺の知識、自分でもつけておかないとかな)
「そっか」とラツィラスは微笑む。
「生まれや仲間が分かったってあたり、ありあいの業者って感じだね。分からないところは分からないから。依頼主と関係が深ければ、遺体を残さない死に方になる事が多いんだ。もしかしたら、君を狙った側は君が死んでも死んでなくてもいいってノリで頼んだのかもね。『仕留められればいいや』くらいの軽い様子見。君が逃げ切ったことも、捕虜を捉えた事も、依頼した側にとっては全部貴重な情報だ。あと、今回の薬の件も」
「薬? お昼ご飯に薬を盛られた事ですか?」
「そう」
何のことかと思ったが、「ああ……」と心の中で納得して頷き、アルベラは王子様の赤い瞳を見つめる。
「でしょ?」と彼は目を細めた。
「もしもの話―――もしも仮に、今回の薬と馬車奇襲の件が君を狙った同一犯の犯行だとする。そしたら君は、今日一つ、彼らに『睡眠薬は効かない』って情報を与えたことになる。彼らがもし君をまだ狙ってるとしたら、次の手から睡眠薬は除外されて、犯行に一つ確実性が足されることになる」
アルベラは困惑を隠すような硬い視線をラツィラスに向ける。
彼は「ん?」とほほ笑みながら首を傾げた。そのなんでも見透かしてるかのような、知っているかのような顔が年相応に見えず末恐ろしい。
(本当侮れないな……。私の考え方が甘いのか、この子が上手なのか……)
今の話を聞いて、考えてみて、アルベラは薬を混ぜた人間にも感心してしまった。
(馬車を襲ったあれがあの一回限りの単発だったり、私個人でなく父母へ向けたものならってのは例外として……)
もし全く予想にもしていなかった誰かなら、薬を盛ったのがそいつなら……謀っても謀らずも、薬はこの後王子様とお茶会をするご令嬢のせいと思わせることができる。そのうえで自分に眠り薬が効かないことが確認できる。
……もしもこの後のご令嬢が薬を盛った犯人だとして、それが馬車を爆発した人間だとしたら。王子様に盛ったと見せかけて、それに巻き込んでしまったと見せかけて、いけ好かないご令嬢に薬を盛れると。そしてそれも、ここのスタッフに見届けさせる事ができる。
盛った側がそう謀ったとは限らなくても、こっちは幾らか翻弄されるわけだ。
アルベラはそう考えて、更に「前にもあった」というラツィラスの言葉が気になった。
エイプリル家が、前にも彼へ薬だか毒だかを盛っているのなら、この二人が異物にならされていることは知っているはずだ。先々代が王と仲良くしていたのなら、飲ませなくともそういう情報は持ってておかしくないだろう。
それでも飲ませたとしたら、この行為にどんな意味があるだろう。
まさか「王子様に盛ってと見せかけて実は共にいる者を……」という、誰かを仕留める手段の一つにしているわけじゃあるまいな、と思いアルベラは表情をゆがめる。
ひらひらと目の前で何かが動いていた。
アルベラがはっとし顔を上げると、ラツィラスが顔をのぞき込んできた。
「悩ませちゃったかな」と彼はクスリと笑う。
「いえ。……癪ですが勉強になりました」
「そう? なら良かった」
「けど、一ついいですか?」
「ん?」
アルベラはじとりと、恨みがましい目を王子様へ向ける。
「そこまでお考えでしたら、食べるの止めてくれても良かったのでは……?」
「それはね……今更仕方ないよ」
くすくすと笑う彼の隣、ジーンが補足する。
「お前、自分で盛られたか盛られてないかの判断がつかないんだろ?」
「あ。そういえば……」
「だから今更なんだよ。盛ったのがエイプリルだとしたら、すでにお前は知らずに薬や毒をあいつの目の前で飲んでるかもしれない。そしたら既にお前が大丈夫な薬の類は知られてるって事になる。催眠薬なんてありふれたの、始めの方に試されててもおかしくないし」
(い、言われてみれば……今までの茶会でリスト作られてる可能性だってあるよな……)
簡単な事なのに、あの頃の自分は何も考えずにお茶を飲み、出されたお菓子を口にしていた。
なんて浅はかなんだと、なぜそういう所に頭が回らなかったのかと、アルベラの胸に後悔がのしかかかる。
「だったとしたら、今回の食事についてはお前宛てじゃなくこいつ宛って事になる。毒は効かなくても栄養素は普通に摂取されるわけだし。催眠効果や思考力を奪う効果はもとから期待してなくても、精力剤って意味では期待できるわけだし。……けど、これだって『かもしれない』だ。あと、盛った誰かに『催眠薬が効かない』っていう情報を与えたって話。あれだって、こちらからすれば耐性のない種類の睡眠薬を盛られる可能性は減ったって事になる。相手が睡眠薬に固執してて、片っ端からいろんな種類を試そうとか変な意地を見せなければだけど、あんまないだろ」
「つまり……」と、ラツィラスは楽し気に一指し指を振った。
「ここで色々考えても、正解がどれかは分からないよね」
「は?」とアルベアの中で思考が止まる。
今までのやり取りすべてをぶん投げるような言葉ではないか。
「……もう……道化か何かですか? 勘弁してください」
アルベラは肩を落とし、疲れたばかりに椅子に体をもたれさせた。
「ごめんごめん。ついね。君の奇襲の話がなきゃ話はシンプルだったんだけどね。……あいにく、ここにいる三人はいつ誰に狙われてもおかしくないわけで、君は最近事が起きたばかり。何がどう繋がってるか分からない」
ラツィラスは随分忘れていた冷めた紅茶を持ち上げた。赤い瞳が見守る中、紅茶からは湯気が立ち始める。それを認めて、彼はカップに口をつけた。
「……僕らもさ、たまによく考え過ぎちゃうんだよね。で、散々考えた後に思いもよらない人が犯人として捕まったりする。あれだけ深く考えたのに、結局僕らの予想が全くの外れで、全部妄想で終わり、なんてこともしょっちゅうだ。けど、そういうのを繰り返して分かった事がある。…………こういう妄想は無駄にならない」
彼はニッと笑った。
「身を守るために想像力は大切だ。ここで話した妄想は、いつか何かの役に立つ……って僕は思うよ。……―――なーんて、君は十分分かってそうだけど。けどさ、今話した君の件に関する妄想。全部忘れず、出来れば全部、どれが事実だったとしても対応できるように備えてて欲しいな。―――僕はさ、つまらない誰かに君が潰されたり殺されたりなんてごめんだよ」
ラツィラスがそう言って浮かべる微笑みは、随分と温かく柔らかいものだった。
普段浮かべる優しそうなそれとは違い嫌らしい輝きはない。純粋に、友人に向ける思いやりや慈しみが込められていた。
正面からそんなものを受けてしまったアルベラは言葉を失う。
目が合ったまま動かない彼女に、ラツィラスは柔らかい笑みを浮かべたまま「ん?」と首を傾げた。
―――惨敗。
一瞬そんな言葉が頭を過った。
(純の十五歳の少年に思考を翻弄された挙句、諭されてしまった……)
伏せったアルベラの顔に困惑の色が浮かぶ。
(寵愛……じゃない。あれはもっと急に沸き上がって来る感じだ……。それで、空気から何から、全身が包み込まれる感じ……)
けど今回の物は違う。もっと素朴で自然な感覚だった。
アルベラは顔を伏せたまま深いため息をつく。
(はぁーあ……。私の方が精神的には大人のはずなんだけどな……)
いい年まで生きた一人の人間の記憶。些細ながらも、僅かながらも、自分のそれにアルベラは期待していたのだ。
幾ら聡い彼等とは言え、自分の持つであろう『大人の視点、考え方』的なものでマウントの一つでも取れないかと。だというのに、この様とは……。とアルベラは目を伏せる。
(………次元が違うんだよなぁ)
彼らが達観しているのは出会った頃から感じていた。だから将来、こういうショックを受ける事になるかも、という想像は容易かった。というか、既に当時から「聡い聡い」と思っていたわけで……。
(仕方ない。前の生で刺客だの捕虜だのは身近にない存在だった……。今回のが初の経験だったんだから、これからの糧にしていけばいい……)
「またそういうのがあったら相談なり愚痴なり言いに来てよ。手紙とかでもいいし。内容によっては僕らでも解決できるかもしれない………………って、ん? おーい……聞いてる?」
顔を伏せたまま何か深く考えているようなアルベラの姿に、ラツィラスは苦笑して手をひらひらと振って見せた。
反応がないので、ラツィラスが諦めて手を下げた頃、アルベラが顔をあげた。その表情はとても胡乱気だ。
「ふふ。なんで不機嫌になったの?」
単純にとても疲れた気がしたので、それを隠さず顔に出しただけだ。
「別に不機嫌なんかじゃありませんよ」と適当に返し、いつの間にか立ち上がっていた二人を見てアルベラは壁にかけた時計に視線を移す。
「あら……もうこんな」
「うん。僕らこれで失礼するよ」
「ええ。ご一緒していただきありがとうございました。美味しい紅茶とお菓子を頂けるといいですね」
「そうだね。お互い気を付けよう」
手元の印を消そうとしたラツィラスを、ジーンが「ちょっといいか?」と止める。
彼は暫し考えるようにテーブルを見つめ、アルベラへ視線を向けた。
「捕まえた奴、死んだって言ったよな」
「え? ええ」
「死体……見たのか」
何の話だろうと思いつつ、アルベラは「ええ」と答えた。
「そうか……。……ああいうのは巡り合わせだ。……ああいう奴らのああいう最期は、本人が受け入れて招いたようなもんだ。……間違っても自分のせいで死んだとか思うなよ。さっさと忘れろ」
ジーンはいつもの無表情で、言葉を探しながらといった様子で口を開いた。
アルベラはぽかんと彼を見上げていた。
ジーンは気まずそうに視線を逸らす。
「……は、い」
ラツィラスはとクスクス笑い、「じゃあ行こうか。またね」と印を消した。
二人が去り、テーブルに一人になったアルベラは呆然と気の抜けた息をついた。
(何を言うかと思えば……)
捕虜の死が自分のせいだとは、今は全く思ってなどいない。
死体を目の前にした時は「もしかして」とそんな考えが過りもしたが……。
きっと自分の性格がどこか少しでも違えば、自分のせいと背負い込んだり引きずることもあったのかもしれない。
(けど私は、そこまでの思いやりは持ち合わせていなかったわけで……)
そんな自分を卑下するかのように「薄情」だとも思えなかった。皆こんな物だろうと開き直ってさえいた。
彼の言った通りだ。
あの死は、本人の業が招いたもの。死んだ彼が生きているうちに、人生で積み上げてきた選択の結果。つまりは自業自得。
今の自分は、一人の人間の死を既に一つの事例として受け入れていた。微塵程も引きずってなどいない。
(なのに……あの王子様が話してる間、何を考えてるかと思えば…………………………人の……心配、とか………………)
アルベラは両手で顔を覆う。
こそばゆさと、それに続いてちょっとした敗北感が胸に広がる。
王子様から受けたダメージへの、見事な追い打ちとなっていた。
手の隙間から深いため息と共に「ズルい……」という小さな呟きが漏れる。
(………………………………さすが……化け物どもめ)
それは誹謗ではなく、むしろ感嘆と受容だった。





