180、学園の日々 10(彼女のお茶会イベ)
「え、ええと……」
メイに会いに来て通された客室。ユリは予想外の先客に困惑していた。
メイ(メイク・ヤグアクリーチェ)はユリに会うために修道服から生活用の一般の服に着替えていた。それでも王子様が客人としているので、以前に数回ユリと会った時よりは遥かに上等な衣類だ。
「お邪魔してますユリ嬢」
ラツィラスが微笑みかけ、隣りに座ったジーンが頭を下げる。
彼女が聖女候補である事、過去五人ほど聖女となった候補達を見てきたメイからしたらほぼ確定である事。ユリが来るまでに、ラツィラスとジーンはそういった説明をメイから受けていた。
『―――メイですね。分かりました』
ニコリとラツィラスが笑い、メイはうっとりと「もう一回、名前だけで」と彼を見つめお願いした。
ラツィラスはクスクス笑い「メイ」と呼びかける。
『はい……』
彼女はうっとりと、瞳を輝かせて返事をした。そして指をたて「もう一回」とねだる。
『メイ』
『はい……』
楽しそうにふざけ合っている二人を、ジーンは冷めた目で見ていた。
そしてメイはにやりと笑い、先ほどから他人事で内へはいってこようとしない騎士様に目を向けた。
『さあジーン』
『はい。メイ。これでいいですか』
『違う! 笑え!』
『……はい』
嫌そうに表情を動かす彼へ、メイは「何で嫌そうな感情は素直に出るのよ!!」と彼の額を指で叩いた。彼は叩かれた額をこすり息をついた。
(この人、こうなると面倒なんだよな……)
『こら! 面倒くさい顔しない!』
ジーンがそうやって遊ばれる事数回、隣りで笑いながら見ていたラツィラスがタイミングを見計らい尋ねる。
『けど、なぜメイはユリに聖女の事話さないんです?』
『あ、ユリとの時はため口でいいわよ。普段は勿論敬って欲しいけど』
『ではメイ。―――聖女の事は彼女には話さないの?』
メイは王子様の順応力に「良いわね」と笑う。
彼女は人差し指を立てて振った。
『サプライズよ、サプライズ。人生には驚きと感動が必要なの! 貴方方もご存じでしょう?』
「なるほど、サプライズか」と納得して笑うラツィラスの隣、ジーンは「感動?」といまいち納得できない表情を浮かべる。
『私が聖女様で、実は聖女様と親しくしてたのよ! 感動も感動でしょう。きっと事実を知った時、あの子は喜びに身を震わすわ』
『ああ……はい。……そうですね』
『ジーン、今の言葉をそのままため口にしなかったのは褒めてあげる』
ぴん、と少女がテーブルの上に置いていた手が、その場でデコピンをするように空を弾く。ジーンの額に小さな風が当たった。強めのデコピンをされたような力加減に、ジーンは軽く頭を仰け反らせ「っ……」と舌を鳴らすような声が漏れた。
彼は不服そうにじんじんと痛む額へ手を当てた。
『……?』
視界の端に、何やら真面目な表情で考えているラツィラスが見えた。その手元では、熱心に指を弾き離れた先の一点で風を弾かせる練習をしてる。
『……』
(何真似してる)
ジーンはそれをむっとした表情で眺める。
何となくこの王子様の企みが読めた気がした。
「ユリ。ほら、お茶しましょう。それでその後はお出かけ。行きたいところがあるの」
メイが開いている自分の隣をトントンと叩く。
「は、はい!」と声を上げるユリに「何緊張してるの?」とメイはクスクス笑った。
「失礼します……!」
ユリは席に着くと、斜め前に座るラツィラスと正面に座るジーンへ軽く頭を下げた。
よく見れば、王子様の額と騎士様の額が少し赤くなっていた。彼女は不思議そうに両者のそれを眺める。
ラツィラスはユリの視線に気づき、額を撫でて悪戯気に笑った。
「これはちょっとお遊びをしててね。お気にせず」
「は、はい」
「先に僕らが居て驚いたよね。ごめん」
「いえ、そんな謝っていただくような事では。とても驚きはしましたけど……。ええと、ラツィラス様とジェイシ様はメイちゃんのご友人なんですか?」
「うん。彼女にはたまに遊んでもらっててね」
「遊んでもらう?」
「そう、遊んであげてるの」
へへへ、と笑う少女にユリは首を傾げる。
(うむ! ちゃんとお茶会イベあったでござる!)
窓の外から八郎が堂々と中を覗き込んでいた。
魔術で周囲の風景に全身を擬態させているのだ。不審者全開の姿だがこの教会に彼の姿を見つけられるものはいないだろう。メイが何度か窓を見て首を傾げてもいたが幸い発見するには至っていない。
(ここでゲームなら選択肢が出て、三人の好感度の上下があるわけでござるが……。現状ユリ殿は王子と騎士殿に対し中立でござるな。聖女殿の好感度は王子と騎士殿どちらかに共有され、傾いてる方の情報をくれたりするわけでござるが……ムム。なるほど、今日は聖女殿と二人でのお勤めでござるか。……まあ原作シナリオはあくまで参考の存在。最悪、この世界のユリ殿は無理して在学中に恋愛をしなくとも、聖女ルートのみでのクリアでもその後が幾らでもあるわけでござるし……。けど万が一、ゲームシナリオのバッドエンドが忠実に存在しているなら……)
八郎はごくりと唾を飲む。
―――『聖女は破れ国王が倒れた。一つの国が闇に覆われその闇は各地に広がる。世界はゆっくりと衰亡の道を辿ることとなった』
これは原作バッドエンドの最後の一文だ。
アルベラのバッドエンドはあくまで個人的な物だが、原作ゲームの主人公のバッドエンドは、更に先に世界滅亡が控える事となる。
(賢者殿……これ、神的にOK通ったんでござるか? ……もしかして秘密にしてござらん? それともヒロインのバッドエンドは存在しない世界でござるか?)
ユリ殿の聖女化は確定でおk? と、八郎は冷や汗を浮かべる。
喧嘩で頭に来た腹いせ。反省したふりして足元を掬う算段をしているとしか思えないのだがいかがなものか。
(ま、まあ、そうならないために拙者が助けるわけで。アルベラ氏のクエストには拙者が手を出せない物もあるみたいでござるし、ユリ殿ならサポートしたい放題でござるよな。見届けるでござる……拙者、なんとしてもユリ殿の幸せを見届けるでござるよ……)
にたにたと笑みを浮かべ、八郎は窓に顔を張り付ける。
メイはこれからユリと出かけるという事で、ラツィラスとジーンはその前に退席するよう頼まれていた。
頼まれた通り先の退室をした二人は、教会に預けていた馬を受け取り手綱を引いて街中を歩く。
日中の活気に溢れた大通りを歩き、たまに気になる店を覗いたりとしているとふと思い出したようにラツィラスは苦笑した。
「凶災の実、処分の見学断られちゃったね」
「まさか断られるとは思ってなかったなぁ」とぼやく彼へ、ジーンは呆れた表情を浮かべる。
「お前の目がギラつき過ぎたんだろ。あの人色々知ってるんだし、お前に『似たような物』の処分見せるヘマするかよ……」
「『似たような物』かぁー……」
ラツィラスはぽつりと呟き、正面を見つめ目を細める。
ジーンはラツィラスが何を思い出したのか理解した。脳裏ではラツィラスが思い出したであろう聖女様の言葉が再生された。
『あの実同様、もし何かあったら私の所にいらっしゃい』
ラツィラスとジーンが先に退室し、その後メイとユリも外出した。
客間の使用が終わり部屋の掃除をしに来た一人のシスターが、窓を見て「ヒ?!」と小さな声を上げる。
誰もいなかったはずの室外から、気色悪い人の顔型と手形がべったりとついていたのだ。
その後教会では軽い「変出者又は幽霊」騒動が起き、一部の教会関係者を不安にさせた。
***
(疲れた……)
アルベラはげっそりと肩を落とし深く安心の息をついた。
馬車では夕食の時間の少し前に帰宅するようあちらを発ったが、多分今はその三十分は後ろに倒れ込んでる筈だ。
王都の中は夕食の香りが漂い、普段なら食欲を誘われたかもしれない。しかし今もまだ馬の背に居る事で体も精神も運動モードなため、料理の香りにはあまり鼻をくすぐられなかった。
ドレスで馬に跨るお嬢様と、その使用人の姿に通り過ぎる人々は好奇の目を向けた。
露店の気さくな店主等は「お嬢様、こちらの髪飾りお似合いですよ!」「こちら高級で珍しい美容品が揃ってますよ!」等と声をかけてくる。
人の灯す明かりや声に、自然とアルベラの表情が緩んだ。その目元が冷え切って、少し熱を帯びているように感じる。
ドレスや外套、襟巻などに防寒の魔術を施したお陰である程度の寒さ対策は出来ていたが、何も纏っていない目元や頬などは、馬を走らせている最中感覚が分からなくなるくらい冷え切っていた。
こういう時、ルーに貰ったような魔術具があったら便利だったんだろうなとそんな考えが過った。
(うう。ジンジンする……霜焼けになってそう……。帰ったら薬塗っておかなきゃ)
馬の機嫌が持つところまで、街の中をある程度馬に乗って進む。城も近くなり、もう少し頑張れば学園かと言う頃。ふと道の先に魔術具の露店が目に入った。
(ちょうどいい機会だし、気になっていた保温の魔術具があるか見てみようか……。よし)
エリーに声をかけようと口を開くが、突然ぐらりと重心がずれる。慌てて舌を噛まないよう口を閉じ、馬の手綱を軽く引く。
馬が飽きたのか、その場で地団駄を踏み始めた。暴れるというほどではないが、前に出ようとしたアルベラの意思を無視し、首を振って身を揺らす。やはり道中に多々起きた、駄々をこねる仕草だ。
「ええ……ちょっと、ここにきて……。……もう、分かった。十分頑張ってくれたってば」
アルベラは馬からズレ落ちないよう注意しながら「エリー、私ここで降りる!」と前を行く彼女に声を上げる。
エリーは振り向くと「わかりました」と、邪魔にならないよう数歩馬を進めさせ足を止めた。
周囲の人々が警戒するように馬から距離を取る。
「ほらほら、落ち着きなさーい……落ち着けー……」
宥める声をかけながらアルベラは馬の首や背中をなでた。しかしなぜか、馬は「やっぱ無理!! 本当ヤダ!!」と主張するように、本格的に体を大きく動かし始める。首を振り、後ろ脚を軽く跳ねさせ、背中に乗った人間が邪魔だと言わんばかりの動き方だ。
(ええ……! なんでぇ……!)
アルベラが馬から落ちないよう尽力する中、エリーが助けに入った方が良いと判断し足を踏み出す。しかし、その場に駆け付けた人物が目に入り、彼女は主への脚を止めた。
馬は急に駄々をこねたかと思えば、今度は急に大人しくなり始めた。
アルベラは前傾になりかけていた上体を起こし姿勢を整える。
ふと、馬の傍に誰かが来て銜あたりの手綱を掴み馬の首に手を当てているのが見えた。
馬の首に当てられた手は何度かタンタンと軽く叩き、馬の様子を見ながら撫でる動作に変わっていく。
「ブルルル!」と鼻を鳴らすような声を上げ、馬はすっかり大人しくなった。
「大丈夫か?」
外套を纏い腰に剣を下げ、訓練帰りであろうジーンがアルベラを見上げる。
「お、おぉ……」とすっかり大人しくなった馬の様子に、アルベラは感嘆の声を漏らす。
「ジーン様。有難うございます」と言いながら、エリーが馬を連れてやってくる。
「いえ。お疲れ様です」
エリーへ言葉を返し、二人を前にしたジーンは僅かに眉を寄せた。赤い瞳が二人の姿や馬を確認するように眺める。
人の邪魔にならない場所に移動し、アルベラは馬から降りようと身を動かす。
「手貸すか?」
「いいえ。ありがと」
魔法で足場を作りドレス姿で馬から降りるご令嬢の姿を見届け、ジーンは目を据わらせた。
「流石だな。そいうのもご収得済みか」
「ええ。我が母にぬかりはないの」
母の涼やかな笑みを思い浮かべ「……本当に恐ろしいんだから」とアルベラは遠い目をして呟く。
返答に困ったかのように「そ、そうか」とジーンは返す。
「……で、どうしたんだ? 馬車で奇襲でも受けたか?」
何の気なしに頷き、そのトーンのまま正解を言い当てた彼へアルベラは目を丸くした。
「すごいわね……。流石騎士様。なんでわかったの?」
「木の焼けた匂い。あとその恰好で馬に乗ってるし、馬は裸だし。どう見ても奇襲受けた貴族が馬車から馬外して乗ってきたって感じだろ」
「う、うそ。どう見ても奇襲帰り?」
「見る人によっては奇襲帰りだな」
(まじか……)
アルベラは「確か、」と、王都に入る前や入った後の事を思い出す。何度か冒険者っぽい者や、何かしらの戦士のような者達から好奇とも異なる訝しがるような目を向けられた気がした。親の権力を利用して並ばずに検問を通過したせいや、服装のせいかと思っていたが、もしかしたら彼等にはそういう風に見えていたのだろうか。アルベラは何ともいえない気持ちになる。
エリーはそんなやり取りを楽しそうに眺めていた。
(奇襲帰り……朝帰りみたいな言い方ね。……ていうかジーンちゃん。大抵の人にこの気温でこの匂いは拾えないと思うんだけど……流石ねぇ)
「今から学園に戻るのか?」
「ええ」
「なら俺の馬と交換してくか? こっちの方が乗りやすいだろ」
鞍を示し、ジーンはどうするとアルベラへ目を向ける。
彼女は肩をすくませた。
「……正直凄い助かる。そうさせていただくわ」
「そうか」
二人は互いの馬を交換する。
アルベラの馬の手綱を受け取ると、ジーンは馬の様子を見てその背へ乗せてもらうための準備をした。
アルベラはジーンの馬を撫でながら先ほど気になった露店へ目を向ける。
(また今度にするか)
「お嬢様」
「なに?」
呼びかけられアルベラはエリーを見る。
「もしかしてあの露店に行こうとしてました? 行きます?」
「え? ええ。ちょっと気になったけど、別にまた今度でもいいかなって」
「そうなのか」とジーンが二人を見た。
「なら馬預かってるから行ってくるか? その間に、良ければそこでこいつらに水飲ませておく」
「あら」
エリーがニコニコと片手を頬に当てて首を傾げた。
「でしたら私が馬を預かっているので、ジーン様に護衛をお願いしてもいいかしら。私、少し休憩したいと思っておりましたし、ジーン様なら安心ですし」
「……」
ジーンは無言でエリーを見上げた。
中等部の三年辺りで一気に伸びた彼の伸長は、今や女性姿の裸足のエリーに追いつこうとしていた。同じくらいの伸長でありながらジーンがエリーを見上げる形になったのは、エリーが普段からハイヒールを愛用しているからだ。
エリーは見下ろしたジーンの瞳に、僅かに躊躇いが浮かんだのを見逃さなかった。
心の中で彼女の意地悪い部分がテンションを上げる。
エリーはそっと笑みを深めた。
(おい……体力お化けのあんたが休憩何て必要ないでしょ。さっきだってあんなに悠々と馬を走らせてたじゃない)
アルベラはと言えば、こちらも普段の表情を保ってはいるが僅かに表情を歪めエリーを見上げていた。
ジーンから視線を逸らし、エリーはにこっとアルベラへ笑いかける。
「うっ」とアルベラは僅かにたじろいだ。
「お嬢様、いいかしら?」
「……なんで急に休みたいなんて」
「あら。ジーン様ではご不満ですか? それともそんなに私といたくて?」
「そうじゃなくて」
「あら? では私は休憩を頂いていいってことですね?」
「……え……ええ」
躊躇いがちの了承を得て、エリーは二っと口端を吊り上げた。
了承が聞こえ、視線を落としていたジーンは顔を上げる。
「分かりました。では馬をお願いします」
彼はいつも通りの、アルベラやエリーも聞き慣れた感情の読めない声で頷いた。





