179、学園の日々 9(奇襲、聖女様の客人)
(今思えば、妃様って立派な罪人だよな)
馬車の揺れを感じながら、アルベラはふとそんなことを考える。
禁忌の魔術で第二妃とその屋敷を村ごと燃やしたという話は、先週頭の茶会でラツィラスからある程度は聞いた。
幼い彼自身も、母と共にあの地で焼け死んでいてもおかしくなかったそうだ。大人たちが必死に魔法や魔術を展開しても払えなかった火だ。あの頃の彼には当然どうする事も出来なかったらしい。
だが、どういう訳か気づいた時には火の手は止まり、そこから遠く離れた城の敷地内の宮殿の一室では、六名の術者が潰れ、妃が呪いを受けた状態で息絶え絶えとなっていたそうだ。
彼は村の兵士達に救助され、数ヶ月別の地で暮らした後王の元へと引き取られた。
屋敷の周辺は今も黒い焦げが残っていて、草の一つも映える気配がないのだという。幸い村自体は全焼したわけではないので、火事に巻き込まれなかった者達は変わらない生活を送っているそうだ。
(あの王様、お父様から聞く感じだと優しいけど甘いわけじゃないみたいだし、どんなに愛した相手でも罪は公平に裁くタイプだと思うんだけど、このまま妃様の体調が良好になったらその後どうするんだろう。あの子が言うに、当時はほぼ死んだようなものだったから裁きようがなかったらしいけど……。うーん。どうするんだろう)
その話の際アルベラは流れで、その火災から更に数年前に起きた第三妃と妾とその子供の死の事も聞いていた。
第三妃は病。
妾と子供は事故死だそうだ。
妾の話は初耳だが、第三妃の事は少し覚えがあった。アルベラもまだ随分幼かった頃の話だ。当時を思い出しても、大人たちがやけにそわそわしていたなという印象しかない。
妾とその子供の事故死というのは、食事に山菜そっくりの有毒植物が入っていたというものらしい。
妾の彼女はどこかの貴族のご令嬢だったらしく、その自己の後、屋敷の調理人とその山菜を買ってきた使用人は処刑されたそうだ。
アルベラはあの時の、やけに真面目な王子様の表情を思い出す。顔から笑みが消えて、彼は何か考えるようにぽつりぽつりと言葉を発していた。
話を聞いていたアルベラが「恐ろし話ですね。殿下は、つまりその二人の死も第一妃様が関わってるとお考えで?」と尋ねた事で、彼ははっとし誤魔化すように微笑んだ。「そういう訳じゃないんだ。ごめん、話がそれたね」と言って、彼はその話をさっさと切り上げてしまった。
(第四妃様は第一妃とその子供達を恐れてずっと田舎に隠れていて、幼いお姫様が一緒。実子が計五人。何もなければ今頃は第三妃の腹の子も合わせて七人はいただろうと……。王様も確か、今は存命してるご兄弟が三人いる訳だけど、王座に就く前は五人だったんだっけ)
これから今いる王子王女五人の内から誰かが欠けるのだろうか、と考えアルベラは目を据わらせた。
(王族……恐ろしい……)
学園生活の二週目を終えた休息日の夕刻。
アルベラは今、とあるご令嬢の誕生日会からの帰宅中だ。
とあるご令嬢というのが王都の北隣に位置する地域を治める準伯の娘であり、今までアルベラ自身はそのご令嬢と全く関わりが無かった。年が四つ下なので、学園で知り合う事もない。
なぜ突然招待されたかと言うと、何かの社交の会で母同士が知り合い、その縁で招待されたのだ。
会には学園で目にする同級生や上級生が数人おり、主役や他の招待客達と挨拶を終えた後は彼等と話して和やかに過ごした。
夫人もご令嬢も、柔らかくどこかのんびりした空気がそっくりな、友好的な親子だった。
アルベラが二人の名前と、誕生会で会ったご令嬢ご令息の顔や名前を思い出していると、カツカツと御者席から爪で叩いたようなノックの音が聞こえた。
アルベラが御者席側の小窓を開くと、外から「出ろ」という何とも手短なガルカの声が聞こえた。
「出ろって……」
アルベラはカーテンを軽く閉じて外を覗く。
夕暮れ時の薄暗い林道が見えた。街灯などは無いので、道の両端に茂る木々の下は数本先の幹が見通せない位に真っ暗だ。
北側なおかげか準伯の領地は王都よりも積雪量が少なかったが、あちらの領地から離れて王都に近づいていていたので、先ほど見た時よりも道端の雪の厚みが倍となっていた。
王都付近は雪かきが行われており、この林道も幸い誰かが先に使用したのか、午前中にアルベラ達が通る頃には既に地面が出ていたので交通に困ることは無かった。王都付近は兵士たちが魔法で除雪し、その範囲外は、事情によっては兵士が要請され、個人から依頼があれば冒険者たちが駆り出されて除雪をする事もあるそうだ。勿論専門の業者というのも存在するので、どこに頼むかは依頼人次第である。
除雪を通して魔法の有難みを感じつつ、もっとよく辺りを探るため、アルベラはカーテンを閉じ切って窓を露わにする。
(特に何かがいるわけじゃない。なんだろう)
とりあえず、と彼女は従者の言葉に従い扉に手を掛けた。力を入れて「おやぁ?」と首を傾げ、再度扉に手を掛け押す。
「お嬢様、こちら早く出た方が良いですよ」
ニコニコと微笑みながらアルベラにコートや襟巻を着させ、エリーが促した。
「うん。そうしたいけど……」
何度か押し、体重をかけても開けない扉にアルベラは不安の表情を浮かべる。
「あの、エリーさん。開かないのですが……」
「あらあら、お嬢様ったら」
エリーは口に片手を当て「お茶目さんね」とでも言いたげに笑う。
アルベラと交代し、エリーの細い手が扉に当てられた。どこかからともなく、車内にミシリと木の軋む音が鳴る。
「良いですか、お嬢様。押戸は押せばいいんです、よ―――」
―――ミシミシ……バキン! バリン!
戸が抵抗するように僅かに軋んだが、すぐに金具はひしゃげられ木材は力任せに割られた。
破壊音がまるで悲鳴のようだ。
アルベラは、剝がし取られた扉にぶら下がり小さく揺れる蝶番へ憐みの目を向ける。
「へぇー。押戸ってこんな風に開くんだぁ……」
「たまにこういう開き方をするんです」
語尾にハートをつけて答えながら、エリーは剥がし取った扉を木々の中へ軽々と放り投げる。
「こらこら、不法投棄」とアルベラは言いかけたが、扉の投げられた先から「がはぁっ!」と人の悲鳴のようなものと「おい! 大丈夫か!」という男の声が聞こえて口を閉じる。
(……おおん? 声を上げるとか間抜けかな?)
仲間を気遣う優しさは評価したいが、彼らが今それをしていい立場でない事は確かだろう。
「察し……」
「良かったですわ」
エリーはアルベラの体を誘導して馬車から降ろすと、そのまま車に繋がれた二頭の馬を手際よく外していった。
「さあさあお嬢様。こちらをしっかり持って、こちらへ」
「ん? うん……」
彼女はアルベラへ一頭の馬の手綱を握らせ、空いた手を取り道の先へと引っ張っていく。
そして足を止め、馬車を振り向き、彼女は当然と微笑みながらこう言った。
「あちら、あと数十秒で爆発します。今から全力で走っても間に合いませんし、力一杯の壁を張って私達を守ってください。あ、今二十秒を切ったとこです」
「は? え、……は?」
頭の中が真っ白になった様子のアルベラに、エリーが変わらずの微笑みで彼女の片手を持ち上げさせる。アルベラは言われるがまま、いざなわれるがまま、とりあえず魔法を展開する。片手に握った手綱をエリーが一時的に預かり、アルベラは呆然と空いた片手も馬車に向けて翳す。
水の壁がアルベラとエリーと馬を覆うサイズに広げられぐんぐんと厚みを帯びていく。
「しっかり踏ん張ってくださいね。行きますよ、三……二……一」
「え? え?」
―――ドォォォン……!!!!!
爆発音。
水の壁に何か色々ぶつかっているのだろ。「パシャパシャ」と落ち着かない音を上げていた。
今自分にできる最大の強度の壁を保ったまま、アルベラは脚を踏ん張り爆風と圧に耐える。頭の中は無だった。後ろから怯えている様子の馬の嘶きが聞こえた。
「え……?」
「おみごと!」
エリーが拍手する。
アルベラは暫し黙って馬車の残骸を眺め、満足した頃に満面の笑みでエリーを振り返った。
「……ねえ、いつから知ってた?」
怒りの表情が馬の首に下げた日光石により暗がりに照らし出される。
近くの人間の感情を敏感に感じ取り、馬が怯えて大きく嘶いた。
「さあ、お嬢様。私が馬に乗るのを手伝ってあげますわ」
方頬に真っ赤な手跡をつけ、エリーがはぁはぁと両手を差し出す。
「そう。ありがとう」
アルベラは素っ気なく返し魔法で水の足場を作り馬に跨った。エリーは嬉しそうに「ああん!」という声を上げ自分の体を抱きしめる。
慣れたようにそれを意識から除外し、アルベラはポンポンと馬の首を撫でる。
「裸馬か……」
どういう気回しなのか、乗馬用の手綱と鞭は御者席に常備していたらしい。二頭の馬の手綱は付け替えられており、アルベラはエリーから鞭も受け取っていた。
「エリー。ここから学園の寮までどれくらい?」
「思いきり走れれば二十~三十分程度ですが……多分それより少しかかると思います」
「そう……」
(鞍なしで三十分以上。一時間でつけるか不安……)
裸馬は屋敷の授業で何度か経験していた。鞍がある時に比べ馬を前に進めるのが難しく、馬の気分で歩みが乱れやすい。ちゃんと王都まで操って行けるだろうかとアルベラは不安になる。
いつだか母が「時には裸馬に乗らなければいけない時もあるのです」と言っていたのを思い出した。
(『え? あるの?』って思ったけど、こういう事か……)
アルベラが馬の背で体の位置や馬の気分、鞭への反応等を見ていると、木々の中から音が聞こえた。
ガルカが何かを引きずりながら、背の低い針葉樹のような植物の茂みから出てきた所だった。
彼は「ほら」とそれをアルベラ達の前へ放る。
「見ていた奴らの一人だ。コイツに聞け」
それはどさりと地面に転がり「ぐがっ!」と苦しそうな声を上げた。
馬が驚き、怖がるように数歩後ろへ下がる。そのちょっとした挙動にもアルベラは冷や汗をかく。馬に隙を突かれないよう、手綱への力加減や重心のかけ方へ必死に意識を向ける。
首を振って身をもぞつかせる馬へ、「どうどう」「ほら、落ち着いて」等の声をかけ注意を引く。
馬が落ち着くと、アルベラはガルカを睨みつけた。彼は満足そうな笑みを浮かべていた。
(こいつ……)
馬車に仕組まれていた魔術か爆弾かに気付いていた事。周りの人間に気付いていた事。エリーと共に色々言いたい事はあるが、今はその余裕がない。
「ガルカ、この人の視界と耳は奪える?」
「目玉をくりぬいて鼓膜を破ればいいんだな。任せろ」
「ヒィ!」と体の自由が奪われている男が声を上げる。
「そう。じゃあ任せるから会話出来る状態で私の部屋にお招きしておいて。部屋を血で汚したりはしないでよ。よろしく。エリー、行きましょう」
アルベラに流されたガルカを、エリーがほくそ笑む。
乱れがちな馬の足音が遠ざかっていく中、ガルカは不服そうに目を据わらせていた。
(ちっ。縛りの魔術め)
目玉をくりぬく。鼓膜を破る。
遊び半分で人に危害を与えれば、自分に掛けられた縛りの魔術が作動する可能性がある。彼女もそれを見越して「どうせできやしない」と流したのだろう。
「つまらん」と零し、ガルカは地面に転がった男の元へ行き彼を足で仰向けにする。隙を突いて、彼には「動くな」という命令を下していた。
言葉での使役の効果には個人差があるのだが、この男の場合、先ほどの悲鳴のような類の声は上げられるようだ。
余計な妨げが無い様にと、ガルカは彼の口に雪を詰めた。
男の目が不安に涙を浮かべていた。「情けない。良い顔だ」とガルカは満足そうに笑う。
「『良いと言うまで声を出すな』『目を閉じろ』」
「……んんん! ……んんっ……!」
嫌だ、と言いたかったのだろうが、その言葉は雪に阻まれ形にならず、男はぴたりと声を出すのをやめた。そして瞼も固く閉じられる。
「後は耳か……ちっ」
ガルカは魔術で彼の耳を塞ぎ、辺りの視界から彼の姿を隠す。
準備が整うと大きな翼を広げ、目下に馬を歩かす二人を追い越し先に学園へと向かった。
***
アルベラが朝早く伯爵家ご令嬢の誕生日会に赴いた日の日中。
細かい装飾の施された白い聖堂服を身にまとい、十歳前半の少女が一人、教会の客間の中央に立っていた。ずっとそこに立っていたわけではない。客人達が近づいていたのを察し、つい先ほど席を立ったのだ。
扉は彼女の予想していたタイミングで開き、客人達が姿を現す。
彼女は両手を腰に当て胸を張り、威張る様なポーズで客人たちを向かい入れていた。
「きたわね、王子様。待ってたわ」
ニコリと笑み、自分の元へ来た二人を見上げる。
「ヤグアクリーチェ様、お久しぶりです。お変わりなく、お麗しい」
ラツィラスは彼女の前に膝をつくと、恭しく手を取ってその甲にキスをした。
「ふふ。ちゃんとご挨拶も忘れてないわね。偉いわ、王子様」
癒しの聖女「メイク・ヤグアクリーチェ」はお決まりの挨拶に満足そうに微笑む。
これは彼が城に来た頃、彼女が初めに仕組んだ動作だった。
「都では紳士はこうやって女性に挨拶するの」という言葉を信じ、五つのラツィラスがこの動作を実際に使ったのは数回。
他の紳士たちが聞いたほど頻繁には行っていない事で、彼女に揶揄われている事に気付いたのと、この少し後に寵愛の話を父から聞いのとがあり、寵愛の扱いがある程度つかめるようになった十の頃になるまで全く行わなくなっていた。
ヤグアクリーチェは手の甲を差し出し、無邪気な笑顔で首を傾げる。
「騎士様もいらっしゃい。貴方はこちらに挨拶してくださらないの?」
ジーンはニコリとほほ笑むと、無言で静かに頭を下げた。断りに余計な言葉を使うのは愚策だと、散々学んできたからだ。
「まあ、外行きの笑顔を覚えただけでも及第点ね。良いわ。二人共お座りなさいよ」
金光のシスターがお茶を注ぎ、少し多めのお菓子をワゴンに乗せてやってくる。その上段の物だけをテーブルに置くと、シスターは頭を下げて聖女の後ろへと下がる。
「随分と多いですね。他にもお客さんですか?」
「ええ。後でお二人にも紹介していいかしら? もしかしたらもうお友達かもしれませんけど」
「喜んで」とラツィラスは微笑む。
「僕らを招待したのはその人と合わすためですか?」
「まあ、それは序でね。ただ半年も空いてしまったから、お顔を見ておかないとと思って。寵愛の方はいかが。あとお義母様の御容態は」
「寵愛はお陰様で。先生もあとは対人を控えるのみだと」
「そう。頑張ったわね」
「ええ、お陰様で。もう貴女に貰ったお守りは必要なさそうです。有難うございました」
ラツィラスはそう言って苦笑し、ヤグアクリーチェはわざとらしく困ったようなため息を溢した。
「貴方が今はそう思っててもね。人の気持ちはいつ変わるとも知れないもの。あの子達は多分ずっと気が抜けないわ……」
彼女は瞼を伏せ、更にわざとらしく悲し気に首を振った。
ラツィラスが貰った「お守り」とは「言葉」だ。さらに言えば寵愛についての情報、手っ取り早い解決策だった。
『いい? ラツィラス。そんなに寵愛が煩わしいなら、過去に寵愛を失った王様の話を教えてあげる』
『そんな人がいるんですか?』
幼い彼は丸々と目を見開く。
『ええ。私が言う事に間違いは無いの』
彼女は胸を張り、期待する少年へ嘘偽りない過去の事例を告げる。
『聖女を殺したの』
『え?』
『大昔に寵愛を失った王様はね、事故で聖女を殺してしまったの。そこに悪意や彼の意思はなかったわ。事故だったし仕方ないと王様を攻める者はいなかった。けどね、自然と王様の周りからは人が居なくなっていったの。誰も自分の事を相手にしてくれない。誰にも言葉が届かない。彼は寂しさから寵愛に頼ろうとした。けど自分の中に前はあった感覚が、その時には綺麗さっぱり消えていたの。そこで彼はやっと自分が寵愛を失った事に気付いたわ。寵愛が無くなって、彼はもう自分が王ではいられないのだと感じ自らその座を降りた。一つの王の代が終わり誰も悲しむことなく、不思議に思う事なく仮の先導者が立ったけど、暫くすると同じ一族からその寵愛を持つ人間が現れ、いつの間にか彼が王の座についていた』
少年は分からない言葉が耳を通り抜けていくのを感じながら、兎に角良くない事が起こったのだという事は理解した。
『だからね、』
年上の少女は自信満々に、注目を誘うように人差し指を立てた。
『本当にその寵愛を手放したくなった時、清めの聖女様か、恵みの聖女様を手に掛けなさい』
ぽかんと見上げてくる少年へ、少女はさも当然と明るい笑みを向ける。
『いい? 清めか恵みよ? ね? 解決策があるって分かると、心が少し軽くならない?』
『あの……癒しの聖女様は……』
『駄目。絶対駄目……!』
彼女の剣幕に少年は圧される。
『ね? これはいざという時のお守り。忘れちゃダメよ? 辛くて、本当に駄目になったら清めか恵み。分かったわね?』
ラツィラスはクスクスと笑った。
「もうこの寵愛の事で、清めの聖女様にも恵みの聖女様にもご不安を与える事はありませんよ。ヤグアクリーチェ様も、あの方々を不安にさせるようなことは、もうおっしゃらないで下さいね」
「あら。私はそんな意地悪なことしないわよ」と、彼女は少しおどけたように返す。
そして紅茶に口をつけ、シアンの瞳は優しく細められた。
(寵愛は、もう本当に大丈夫そうね……。まあ、今のところは……)
その後、第一妃の最近の体調を伝え、ラツィラスは彼女へこの間山で採ってきたボクリの実を渡す。
細かい陣が描かれた小さな箱を受け取ったヤグアクリーチェは「なにこれ?」と首を傾げたが、陣の内容を見て「ああ、凶災の……」と残念そうに呟いた。
「ラツィラス。こういう色気ない物を持ってくる時は、次からお詫びとしてうんと色気のある物を持って来なさい」
「すみません。例えば、ネックレスだったり、指輪だったりでご満足いただけますか?」
「あら、分かってるじゃない。後は私に似合いそうなお洋服とか、靴とか鞄とか。あと、貴方が私に着て欲しいと思う物なんかでも良くてよ?」
「畏まりました」
彼は笑いながら返し、警戒もなく箱を開く彼女を見守る。
危険物の入れられたそれは、普通なら開くのに多少なりとも苦労が居る筈だが、彼女は開き方を心得ているように陣の一つの線を指で追いながら手の中で箱をくるくると回す。
見惚れてしまうような流れるような動作が終わり、中からボクリの実が取り出されるとラツィラスは「お見事」と手を叩いた。
「チョロい物ね。まあ、術としては悪くなかったわ。この実には厳重過ぎるくらい」
「それで、実の方は浄化できるんですか?」
「浄化? そんなの無いわ。処分よ。これは物からして異質なの。悪い気を払って元に戻すとか、そういう物じゃないのよ」
「そうですか。まあ、処分していただけるならそれでお願いして良いでしょうか?」
「そうね。少しめんどう……コホン。ほっといたらまずいもの。しかも十分私達が託されてる領域だし、無視したら使いから小突かれちゃう……」
嫌々と言う様子を露わにする彼女へ、ラツィラスは満面の笑みを向ける。どこかの公爵のご令嬢様が、毎回渋い顔をして頑なに拒む物だ。
「流石ヤグアクリーチェ様ですね。頼りになります」
ヤグアクリーチェはその笑顔を正面から受け入れ、ぱぁっと嬉し気に目を輝かせた。彼女の周りに光が差したかのような、誰から見ても悦喜した明るい表情を浮かべる。
「任せないラツィラス。そしてこれからも私を頼り続けなさいね、ラツィラス」
(この人、こいつの寵愛効いてるのか効いてないのかよく分かんないんだよな)
ジーンは蚊帳の外から二人へ呆れた目を向ける。
ボクリの実を箱に収め直し、その禍々しい気から彼女は祝福の日の事を思い出す。
「デイジ、これ私の部屋に」と金光のシスターへ箱を渡すと、金光の彼女は扉の前に控える別のシスターへその箱を渡し指示をする。
ヤグアクリーチェは二人へ向き直り、ニコリと控えめな笑みを浮かべた。
「そういえば、入学おめでとうございます。まだちゃんと顔を合わせて述べさせていただいてませんでしたわね。お二人とも」
「そういえばそうでしたね。有難うございます」とラツィラス。
「有難うございます」とジーンも頭を下げた。
「ねえラツィラス、ジーン」
彼女はそっと目を細める。
「聞きたい事があるのだけどいいかしら?」
「はい。何でしょう?」
名は呼ばれたが、主な受け答えはラツィラスに任せジーンは口を閉じたまま話を聞く。
「祝福の日、聖堂で貴方の二つ右隣に居たご令嬢ご存じ? ……ああ。貴方からは左ね。私から見て右。大きなご令息を挟んでお隣だったのだけど」
「ああ……アルベラですね。ディオール公爵のご令嬢です」
ラツィラスは朗らかな表情のまま答えた。
「そう。やっぱり彼女が」
ヤグアクリーチェは考えるように頬に手を当て、テーブルを見つめて独り言のように言葉を紡ぐ。
「お噂はかねがね、だもの……貴方方が仲いいって……。同い年のお友達で公爵家。ならこの年、行事の席で王族の一番近くに並ぶ女生徒と言えば彼女か恵みの聖女様の娘さんですものね……」
ラツィラスは「そうですね」とくすくす笑った。
「それであの子なんだけど、学園で変わったご様子とかなくて? 入学の前でもいいわ。貴方達と知り合ってから今に至るまででも」
「変わったご様子ですか? どういうのを言ったら良いか分かりませんが、多分普通だと思いますよ」
「普通? 『怖がり』な貴方が普通の子と小さい頃から仲良く?」
「ああ」とラツィラスは納得の声を出す。
「寵愛の心配がないって思えるのは確かです」
「へえ。あの子にそこまでの加護や恩恵は感じなかったけど。……むしろ逆ね。何もなさ過ぎて気味が悪い……」
後半の言葉は小声で呟き、寒気でも感じるような動作でヤグアクリーチェは自身の腕を抱きしめた。
「いいえ。そういうのじゃないです。多分性格的なもので……自分の感情や意識の変化に敏感なのか、単に警戒心が強いのか。あった頃とかはずっと僕の事警戒してるみたいでしたし」
「警戒? 警戒してる人と一緒に遊びたいかしら?」
「警戒してる人だから、あまり遊びたくないみたいでした」
ニコニコとそう告げる王子様に、ヤグアクリーチェは呆れたように「……あなた」と言って目を据わらせる。地位や権力を背に「遊ぼう」とほほ笑む彼の姿が容易に想像できた。
(まあ……使える物は使え、図太くなれと、そう教えたのも私なんだけど。……うん。そう思えばまあ……教えた事をちゃんと吸収して、素直ないい子に育ってくれたわよね。グッジョブ私)
ヤグアクリーチェは紅茶を口に運ぶ。
ラツィラスはくすくすと笑い、「けどそれ以外は特にですよ」と続けた。
「公爵のご令嬢として常識の範囲内の方かと。ちょっとした不正や、優位な立場を利用される事もありますが、人として常識の範囲かと」
「そう……。貴方達が悪い物に引っぱられる事は無いと思うけど……まあいいわ。あの実同様、もし何かあったら私の所にいらっしゃい」
「あの実同様?」
「ええ。『同様』」
ヤグアリーチェは真ん丸なシアンの瞳をラツィラスへ向け念を押す。その瞳の中心が、チラリと金色に輝いた。
(やっぱり気づいてたか……)
実の時に聞いた「処分」と言う言葉が不穏に頭の中に引っかかりながらも、ラツィラスはゆるりとほほ笑む。
「よく分かりませんが分かりました」
「ええ。お願いね」
癒しの聖女は安心した様に微笑み、穏やかな様子で紅茶を口に運んだ。





