173、学園の日々 3(特待生と貴族)
いつもの起床時間。
アルベラは身を起こし、寝ぼけ眼に窓の外を眺める。
「……何。また水なの?」と欠伸混じりにぼやいて、目覚めきっていない体を伸ばした。
外は天候のせいもあり薄暗い。
今日は外に出る気になれないのか、スーが翼に顔を隠して丸くなってぶら下がっていた。
***
朝、男子寮の扉がまばらに開き始め、食堂へ生徒達が向かい始める。
ジーンと二人の騎士見習いは騎士団の朝練を終えて学園へ戻ってきた所だった。朝食へと向かう人の流れに逆らって、彼等は汗を流し着替えるために自室へと向かう。
三人とも所属する団は異なるが、中等部からの同級だ。ジーン以外の二人は、高等部への進学を機に見習いへとなった。学園を卒業したらそのまま騎士になる予定だ。
「じゃあな二人共。また放課後」
一階に部屋がある鉄紺色の髪の少年、ペールが片手をあげる。
ジーンともう一人の騎士見習いファルドは「じゃあな」と返し、階段を上っていく。
「あ。俺今日の訓練遅れてくんだった」
階段をのぼりながらジーンが呟く。
「そうなのか? まあ別に待ち合わせて一緒に行くわけでもないし、気にしなくていいだろ。殿下のご用か?」
「ああ」
「へぇ。いいなぁ。俺も早く見習い卒業してー」
ファルドは中等部の頃、見習いに入ろうとして心配性の母に止められたのだ。騎士になりたいとは小さい頃から言っており、それに関しては親も了承していたのだが。実際の所属は十五になってから、と強く言われていたらしい。
「できるなら卒業までに一度、昇格試験受けてみようと思ってるんだ。だからジェイシ、魔法学の手合わせの時とかバンバンダメ出しとかアドバイスしてくれよ。やっと同じクラスになれたんだ。この機会を存分に使わせてもらわないとな」
「ああ。じゃあ俺にも色々言ってくれ」
「おう。けど俺からお前にアドバイスなんて、正直できる気しないけど。……ん? あ、ドヤナティ」
ファルドが食堂へ向かう生徒たちの中から目に付いた人物の名を呟く。
グレッタ・ドヤナティ。大伯の御令息だ。ファルドやペールと同じく、中等部からのジーンの同級である。
グレッダはジーンとファルドを見つけ、「げっ、ジェイシ……」と小さく呟いた。
(くっそ。なんで朝一で……)
彼はそっぽを向き、二人に気付かないふりをして通り過ぎようとする。そんな彼を後方から追いかけ「よおグレッダ」と声をかける者がいた。同級のランダニッセ・ズールシータだ。
ランダニッセはグレッタの元に追いつき「よう!」と声をかけると、ハッと気づいたようにジーンとファルドの顔を見る。
「げっ、ジェイシ……」
彼は本人にも聞こえる声でそう呟き、ハッと口を押える。
「め、飯行かないとな……。朝食、今日はさらっとした奴が良いな」
ははは、と彼は乾いた笑いを浮かべ、グレッタと共に食堂への足を速める。
それを、「おい」とジーンが呼び止めた。
二人はどきりと肩を揺らした。
「な、なんだよ?」
グレッダが嫌そうな顔で振り返る。その額には冷や汗が滲み出ていた。
「落とした」
ジーンが差し出したのはハンカチだ。
「はぁ?」とグレッダが肩眉を寄せ、「あ、」とランダニッセが自分の尻ポケットに手を当てる。彼は急ぎ早にジーンの手からハンカチを取り上げた。
ランダニッセは悔し気に表情を歪め視線を逸らす。変わりにと言った様子で、グレッタが荒々しく口を開いた。
「優しくするなクソが!! ありがとうな!!!」
彼等は速足でその場を立ち去っていく。
「あいつ等、お前に対してなんか複雑だよな。本当どうしたんだ」
三人の様子を見ていたファルドが零す。
グレッタとランダニッセが中等部の入学当初からジーンの事を馬鹿にして嫌っている様子なのは良く知っていた。だが、二年に上がったあたりからか、その少し前からか。彼らはジーンから大げさなくらいに距離を取る様になっていた。その距離の取り方が不自然なので、一体何があったのか聞いた事があるのだが。ジーンからもグレッタの取り巻きからも、「何もない」としか返ってこなかったのだ。
「もしかしてあいつ等、何かやらかして王族から圧でもかけたか?」
ファルドはジーンの表情をうかがう。だが、表情の変化が小さいジーンから、その内心を暴き出すのは彼には出来そうになかった。
「いや。何にもない」
ジーンはぽつりとそう返し、自室に向かい足を進める。
「うん? そうか。じゃあなんであいつら、あんなお前に怯えてんだろうなー。……怯えてるていうか、距離は取ってるけど本心から嫌えなくて困ってるっていうか、……惚れた相手に素直になれない女子の図みてぇだよな。あいつ等本当はジェイシの事すごい好きだったりして。ははは、ちょっとこれは気持ち悪いか」
―――だんっ
笑っていたファルドの顔の真正面を、ジーンの腕が通り過ぎる。
「は―――?」
ファルドは笑ったまま硬直した。
「おまえの部屋、ここだろ……?」
ジーンの手のひらが押さえる扉は、まさにファルドの部屋だった。
重苦しい空気を漂わせるジーンに恐怖心を抱きつつ、ファルドは震える声で「ほ、ほんとだー。おれのへやだー」と返した。
俯いているために、ジーンの両眼は前髪に隠れていた。だが、その瞳が爛々と赤く光っているように感じ、ファルドは顔を青くする。
「な、なになに? 俺何か逆鱗に触れた?」
「いや。お前のせいじゃない。あいつらのせいだ」
「は? あいつら―――?」
「じゃあな。朝練お疲れ」
「お、おう。じゃあな」
未だ怒りの空気を纏うジーンの背を見送りファルドが振り返ると、部屋から出て足を止めていたであろう隣人と目が合った。
隣人はファルドと目が合ったまま、信じられない、恐ろしいものを目にしてしまった、とでも言うような表情で呟く。
「ジェイシが……ファルドに壁ドン……」
「違う!!! どう見てもそういうあれじゃなかったっだろあの空気!!!」
「結構怖かったんだぞ?!」と声を上げ、ファルドは隣人の理解と説得に励む。
朝の支度が済み部屋を訪れた友人に、ラツィラスは笑いかけた。
「おはよう、ジーン」
「あ゛?」
「何で初っ端から不機嫌……」
ラツィラスは状況がつかめず苦笑する。
テーブルの上には二人分の軽い朝食が準備されており、その横で「お疲れ様です」とギャッジがほほ笑んでいる。その横には城に居た頃からギャッジの下でラツィラスに仕えてきた三人の使用人が待機していた。一人は男性、二人は女性だ。
城に居た頃はもっといたが、寮内でのラツィラスの身の回りの世話は中等部からこの四人のみで行われている。
「今日の放課後の件、僕の部屋で話すからよろしくね」
「へえ。話すのか」
朝食を食べながら二人はアルベラから送られてきた手紙について話していた。
「ベルルッティに話した辺りの事は最低限伝えておこうと思うよ。それでさ、これは主としての命令なんだけど。話が終わるまで、君は一切口出し禁止ね」
ジーンは食事の手を止め、赤い瞳を静かに主へ向ける。
「わかった」
「よろしく」とラツィラスはニコリと笑った。
「あとさ、今週末だけど久々のお誘いがあって」
「なんのだ?」
「お茶会。癒しの聖女様から」
「へえ。久しぶりだな」
「うん。もう半年以上あってなかったよね。それで、手土産にあのボクリの実を持っていこうかと思って」
「……? 解析もう済んだのか?」
「一応ね。解析が済んだというより、何かは分かったって感じで。で、教会に持っていった方が良いって言われちゃって。丁度いいから」
「聖女様に直接依頼か。流石王子様。……何かは分かったって事は、種はちゃんと取り出せたって事だよな。何だったんだ?」
「『凶災の実』って言うらしいよ。たまに自然物であるんだって。災いを招いたり、辺りを腐らせたり、その他効果は色々。今回は本当に『実』だったけど、石だったり生き物だったり花だったり。形は色々あって全部まとめて『凶災の実』って呼ぶらしよ。一応呪具に分類されてはいるみたい。『自然発生する天然の呪具』って認識だってさ。こういうのは記録のためにも、教会や専門家の元に持ち込んだ方が良いんだって」
「凶災の実。初めて聞いたな」
「珍しいものみたいだから。一時期結構見つかったらしいんだけど。……種はさ、ちゃんと取り出せたんだって。けどその工程で怪我人が出たらしくて。種を取り出して封をかけ直すちょっとした合間にね。今は魔術具で厳重に封印してるって。……研究室の一番大きなライトが落下したらしいよ。居合わせた三人の助手が下敷きになったって。不幸中の幸い、皆軽症で済んだらしいけど」
「凄い威力だな……」
「本当に」とラツィラスは苦笑した。
「持って行きましょうかって連絡来てたんだけど、丁度週末に行く事になったし自分で持って行きたいなーって。あと、こういうのの処理の仕方、聞けたら聞きたいし。いざという時のため、知っといて損はないよね」
(『いざという時のため』……)
「そうだな」
ジーンは軽く目を伏せる。朝食の最後の一口を口に運び、少し考えいるように息をつく。
ふと顔を上げるとラツィラスの斜め後ろに控えているギャッジと目が合い、思考を読まれているかのように笑いかけられた。
***
授業中、先生の言葉をノートに書き留め、ユリはふと昨日自室に届けられていた手紙のことを思い出す。
『後の休日、特別ゲストを迎えてお茶会にご招待! メイより』
「メイちゃん、私の参加は問答無用で決定なんだ……」と呆れに苦笑を漏らす。
(まあ、空いてるからいいんだけど)
今週は殆ど雪が降りっぱなしらしい。
週末には止んでると良いなと、ユリは窓の外に目をやる。
「お疲れ様、ユーリィ」
「お疲れ、ニコーラ」
午前の授業を終え、ユリは特待生仲間のイチル・ニコーラが座る席に同席させてもらう。
「えっと、そこがリド、そこがゴルゴンでそこがミーヴァ。あとそこがキリエ様」
ニコーラはミーヴァと同じく中等学部から上がってきている。
勉学も魔法も優秀で、魔法学の授業はミーヴァと同じ一級クラスだ。肩までのゆるりとした金髪に穏やかな空気は貴族たちに負けない位お嬢様な雰囲気をか持ち出しているが、実家は農家らしい。
「あ、ユり! おつかれ!」
リドが席に着き、後からゴルゴンがやってくる。
ゴルゴンは席に着くと、神妙な顔でユリへ尋ねた。
「聞いたか、ジャスティーア。ニコーラの奴伯爵家の御令息に目ぇ付けられちまったんだと。三年の長髪縦じま頭。分かるか?」
「え? 縦じま……ああ。あの薄い髪色の。眼鏡かけた優しそうな人? 最近よく見る……」
「そう! そいつ!」
リドが声を上げる。
「そいつって……」とユリは苦笑する。
「よく見るのも当然よ。あれストーカーだから。優しそうな顔して、やり方がネチネチしてえげつないの……」
声を潜めなおすリド。ユリは不安げな視線をニコーラへ向けた。
「ストーカー……。ニコーラ、もしかして何かされたの?」
ニコーラは笑みを浮かべるも、そこには明らかな困りの色があった。
「今はまだご飯誘われたりする程度。ただ、実家の事出されちゃて……。その人、私の故郷の領主の息子さんで」
だん、とリドがテーブルの上に身を乗り出した。声を潜めつつ、苛立ちをあらわにする。
「ね?! ひっどく無い?! しかも正妻に迎えたいだとかならまだしも、『妾にしてやる』だよ!」
「え……実家で脅して妾って……」
貴族にご飯を誘われたら、嫌でも断れないのがこちらの立場だというのに。
ユリは酷い話だと顔に出し、ニコーラへ目をやる。
ニコーラは苦笑し、「ねー。困ったよー」と零した。
「貴族の人たちって、やっぱりそういうの普通なのかな」
ユリはそう口にして、この間のベルルッティ家の御令息とのやり取りを思い出す。
―――年上だったらお礼にお茶でもって流れも良いかと思ったんだけどな。俺年下は好みじゃないんだわ。茶とか勘弁な。
思いだして少しムッとしてしまう。
少し離れた場所から、「おや」と言う声がした。
リドがそれに気づき、嫌そうな表情を浮かべた。「噂をすればだよ」と言う彼女の小声に、他の三人はまさかと表情を曇らせる。
「やあやあ。イチル」
穏やかな男性の声が聞こえた。
ユリがそちらを見ると、噂の御令息がにこやかな顔でこちらへ歩いてくるところだった。こちらのテーブルの前へと突然に方向転換してきたものだから、丁度横切ろうとしていた人影が彼と衝突してしまう。
ぶつかった人物は「なっ」と小さく声を漏らした。ご令息の方も「うわっ!」と声を上げ、続いてユリも「きゃ!」と声を上げる。
ユリの上に、ぶつかった誰かが持っていたであろうコップの水が降りかかったのだ。
通路側の席に座っていたための不運。ユリは呆然と、一呼吸遅れて頭の上にかざした自分の両腕を見あげる。その隙間から、良く知る顔が覗き見えて咄嗟に名を呼んでいた。
「……アルベ……ラ?」
「あらユリ。ごめんなさいね。この人が突然飛び出してきたものだから」
アルベラは心の中で「本当はもっとちゃんと盛大にかけるつもりだったのに!!」と悔しさに地団駄を踏んでいた。
「私のせいにするのか……?」
水を溢した後輩の言葉に、ご令息は不快そうに眉を寄せる。
彼はテーブルに座る面々が全て平民の特待生であることを知っていた。ニコーラの周辺は、数人の男子生徒を除いては平民の生徒しかいないと使用人の調べでついているからだ。そして、その特待生仲間の一人が、自分にぶつかった女生徒を「様」付でなく呼び捨てで呼んだ事を確かに聞いた。
(こいつも平民か)
彼の表情が、普段なら貴族相手には向けない見下した物へと変わる。目の前の知らぬ生徒を下から上へと見渡し、口端を吊り上げた。





