171、学園の日々 1(罰ゲーム)
「では、来週は野外授業となります。忘れず運動着で、運動場に来るようにしてください」
週頭、午前授業最後の魔法学を終え、アルベラはガタイのいい初老教師、「キビシ・ヘトルズ先生」から目を離す。
皆自然と先週と同じ席に座っており、隣りでウォーフが「やぁーっと外かぁ……」と体を伸ばしている。
ふと視線を感じ顔を上げると、ガーロンと目が合った。
軽く会釈すると、彼は「はっ」とした様に頭を下げ返す。ルーディンがガーロンの様子につられて顔を上げた。アルベラは取り合えずつつましく頭を下げておく。
「アルベラ譲……不用意に深入りすんなよ」
低い小声が隣から聞こえた。明かな忠告に、不自然でない様に表情を緩ませ、アルベラは隣へ顔を向ける。
ウォーフが小さく笑っていた。
「ええ。気を付けます……わ」
アルベラは薄く苦笑を浮かべて硬直した。
今いる席の周囲へ視線を向けると、其々が其々な表情を浮かべていたからだ。
先ずはキリエの、悲し気な子犬のような目が視界に入った。
ウェンディとスカートンは単に「お知り合いだったのね」という感じで「公爵家だし、知り合ってても不思議じゃない」と当然の様子だったが、テリアは、「流石公爵家……と言うかディオール家ですね」という意味深な事をぼやいていた。
ラツィラスはいつもと同じ微笑みを浮かべ、ジーンもいつも通りの無表情。だがなんとなく、どちらも共通して見なかったふりをしているように感じた。
「さて。お昼の間にいいかな?」
こんな空気知りません、と言わんばかりにラツィラスが声を上げる。
「皆に、罰ゲームのお知らせをしまーす」
ニコニコとほほ笑み、彼は食堂へと小魔合戦をしたメンバーを促した。
教室を出る前に、ジーンが教室の最前列に座っていたミーヴァへ声をかけに行く。
丁度、二人の特待生仲間とセーエンと話していた彼は、ジーンの声掛けに「罰ゲームについてはこの間言った通りで大丈夫です」と返した。
つまりは「全てお任せします」と言う意だ。
「ですが、……どうか、あいつだけはちゃんと罰してやってください……。他の方々は緩くていいので、本当にあいつだけは……自分の行いを心の底から後悔するような、そんなキツイ罰を……」
「悪いフォルゴート。あくまで罰『ゲーム』だ。そこまでガチの奴は出来ない」
熱いミーヴァの主張に、ジーンは冷静な言葉を返す。
共に話を聞いていた特待生は、ミーヴァの極度のディオールご令嬢嫌いを既に知っていたため苦笑を漏らす。
先程から自分をじっと見つめるセーエンへ、ジーンは視線を向ける。
彼は暫しの間、ただ静かにジーンを見続けていたが、やがて小さく首を傾げた。彼の白い髪がさらりと揺れる。
「君は彼女の事好き?」
「は?」と言う言葉を頭の中に、ジーンは固まった。
「……え、……は?」
一拍置いて、その言葉はようやく口から出た。
セーエンはまた首を傾げた。
隣でミーヴァが驚いたように、「スノーセツ、ジーン様があんな奴の事好きなわけない」と耳打ちする。
スノーセツは「そうなの?」とミーヴァを見て、ジーンを見る。
「好きでも無いような人間と、関わるべきじゃないと俺は思う。俺は彼女は嫌いだ。だから関わるべきではないと思う。一応、忠告」
「……なんだ。そういう意味か」
と言ったのはミーヴァだったが、ジーンも同じ心境だった。ついほっと息をついてしまう。
(忠告……)
初めてちゃんと顔を合わせた同級生の、初の言葉が忠告とは。ジーンは疑問を感じつつも「はい」と頷いて返す。
「ご忠告ありがとうございます。けど私は、別に彼女の事を嫌いなわけではないので」
「そう」
教室後ろから、「ジーン、先行ってるよ」とラツィラスから声をかけられ、ジーンは「頼む」と返す。
改めてセーエンや特待生達へと視線を向けなおす。
「挨拶が遅れてすみません。お名前だけ伺ってよろしいでしょうか。私は、ラツィラス殿下の護衛のジーン・ジェイシと申します。そちらは?」
「セーエン・スノーセツ。南西に領を持つ男爵家。そんな堅苦しくしないでいいよ」
「分かりました。スノーセツ様、よろしくお願いします」
特待生達も視線を向けられ、ぎくしゃくしながら挨拶をする。
「ゴルゴン・ロックです。よろしくお願いいたします」
「ナナー・ヤッツです。よろしくお願いします」
「ロック様、ヤッツ様、どうぞよろしくお願い致します」
様付けで呼ばれ、二人はぞわりと身震いをしミーヴァへもの言いたげな視線を向ける。
「ジーン様、二人共様付けと敬語は勘弁してくれだそうです。平民なんで、少しぞんざいに扱われる方が安心するんですよ」
「俺も」とセーエンが呟く反対側で、ロックがミーヴァを小突く。小声で「そこまでは言ってねーよ」と物言いをつけていた。
ジーンはくつりと笑う。
「じゃあ、スノーセツ、ロック、ヤッツ。よろしく。フォルゴート、呼び止めて悪かったな。お疲れ」
「いいえ。ジェイシ様もお疲れさまです」
去っていく彼の背を、セーエンは静かな視線で見送る。
(彼は強いから大丈夫か)
横ではジーンと初めて言葉を交わした特待生達が心臓の辺りを抑えて疲れた表情を浮かべていた。
「やべー……。緊張した……」
「ああ。目を向けられた時、結構怖かったな。殿下のお付きだし、名前覚えられるって得な反面、結構リスクデカいよな……」
「ジーン様は大丈夫だよ。悪い人じゃない。ちゃんと騎士って感じの人だ」
「元平民だし、俺達と同じような感覚も持ってる」と言いそうになり、ミーヴァは口を閉じる。きっと、今いる彼等は安心するだろうが、何が切っ掛けで人が人を甘んじるようになるかは分からない。今は言わないでいいだろう、と飲み込んだ。
(でなくてもあの人、瞳の事で中等部から弄られてるし。……あいつとも関わって、苦労絶えないよな)
ジーンは足早に歩き、食堂に着く前に皆の元へ追いつく。
「お前、スノーセツって奴分かるか?」
アルベラは振り向きながら「スノーセツ?」と返す。
「えーと。セーエン・スノウセツ? 白い髪の、美人な男子生徒の」
「そうだ。何かしたか?」
「前に一度挨拶したくらいで……あとは全然関わった事ないけど」
「そうか。ならいい」
「そう」
ならいい、と言いながらも自分を見下ろしている赤い目に、アルベラは「何?」と尋ねる。
「……あんま敵作るようなことするなよ」
「心に留めとくわ」
「軽いんだよな……」とジーンは小さく溢し、ラツィラスの元へ戻る。
(スノーセツか。さっきミーヴァと話してたっけ。ミーヴぁに会いに行った時何か悪口でも聞いたか? 初見から私の事嫌ってるみたいだったし。……多分匂いのせいだろうけど)
アルベラはエリーやガルカから、彼がエルフの混血であることを聞いていた。だから、ガルカやピリ同様、アスタッテの匂いとやらが分かるのかもしれないと思っていた。というかそれ以外の心当たりがない。もしかしたら、魔族であるガルカを連れていることも要因の一つかもとは思っているが。
(エルフは魔族嫌いっていうし。……まあ、魔族嫌いはどの種族も同じか。あちらから何もしてこないし別にいいか)
食堂に着くとジーンが先導し、カーテンで囲われた個室スペースが並ぶ、予約制のコーナーへと皆を案内した。幾つかあるうちの一つの前で、「こちらへどうぞ」と七人を招き入れる。
席に着き、注文を受けに来たスタッフに各々希望のメニューを伝え、「待っている間に」とラツィラスが皆の顔を見渡す。
「罰ゲームは『お片付け』です! 今日の放課後、騎士団の訓練場で!」
何の? とウォーフ以外の面々が疑問を浮かべる中、ジーンが言葉を付け足す。
「詳しく説明すると、先週末この王子様とそこの公爵のご令息が荒らした、騎士団の訓練場の整地です。騎士長と副団長の了承は得ています。馬車を出すので、来れる人は放課後、運動着等の汚れていい服装で寮のエントランスにてお待ちください。周りで騎士団が訓練してますが、片付ける訓練場の柵の中には、流れ弾とかは入ってこないから安心してください。ちなみに俺は訓練の方に合流させていただきます」
その説明には主への呆れがにじみ出ており、どこか投げやりだった。
「何それ……」とアルベラが呟き、その左隣りに座るウェンディとテリアが同じような表情を浮かべる。
「まさかそういう泥臭い方向で来るとは……」とテリアが零した。
アルベラの正面、キリエは「トレーニングだね!」と乗り気に拳を握る。
こうなる事を先に知っていたウォーフは、女性陣に向けて詫びるように片手を立てた。
「わりぃなお嬢様方! 途中までは片付けたんだけど、王子さんが大分序盤で『罰ゲームにしよう』って閃いちまって」
それはポーズと言葉だけで、表情的には全く悪いと思っていない。
皆の表情を見回し、ラツィラスは「程よく嫌がってもらえて嬉しいな」と満足そうに笑う。
「片付けが終わったら、皆で夕食食べに行って解散って感じで考えてるんだけどどうかな。食事はもちろん僕が奢るから」
ウォーフが分かりやすく冗談口調で「おお! じゃあ二次会にまた昨日の店行くか? バスチャランを連れて」と声を上げ、「やめとけ……」とすかさずジーンが反対する。
「はいはい!」と、テリアが楽しそうに片手を上げた。
「私、『昨日の』でも何でもいいですよ! どこだか知りませんが! でもでも、希望していいなら行ってみたいレストランがあります! 最近新しくできた所で気になってたんです!」
王子様への発言に最近遠慮が抜けてきた友人へ、ウェンディが「ちょっと、サリーナ」とたしなめる。
ラツィラスは「いいよ。じゃあそこにしよう」とくすくす笑った。そして、罰ゲームの内容を聞いた際にきょとんとして、今は皆の会話に微笑んでいるだけのスカートンへ目を向ける。
「スカートンはどう? お祈りの時間削っちゃうけど大丈夫かな?」
突然言葉をかけられた彼女はぎくりと肩を揺らした。一瞬アルベラへ助け船を求めてしまいそうになるも、なんとか堪える。彼女は唾をこくりと飲む。
「えと、……私は全然、大丈夫です。……騎士団の訓練が近くで見学できたり、皆で片付けたりって……ちょっと……楽しそうだなって、思いました」
スカートンは自分の前で指を合わせ、恥ずかしそうに微笑む。
ラツィラスは「良かった」と嬉しそうに目を細めた。
「だってさ、ジーン。皆気合い入れて訓練してね」
ウォーフが分かったような口調で付け足す。
「ご令嬢が皆の勇ましい訓練姿を期待して見学に行くって先に伝えといてやれ。大半はそれで普段より気合い入れるだろ。男なんてそんなもんだ」
ジーンは呆れたように「ソウカモナー」と棒読みで返す。
自分からラツィラスや他の皆からの注目が解けたのを感じ、スカートンはほっと息をつき体から力を抜いた。
軽く寄っかかってきた彼女を、アルベラは「えらいえらい」とねぎらった。
(婚約候補者になってから『殿下避け』が悪化したけど、最近ようやく落ち着いてきたよなぁ。……うーん……もう候補者の選別が始まってるっていうし、最後の方まで残った時、この子精神持つのかしら……。いや。けどスカートンはこう見えて、やる時は殺る子。ちょっとどうなるか楽しみかも……)
「ん? アルベラ?」
口元に弧を描く友人へ、スカートンは不思議そうな目を向ける。
「すみません。お食事の準備ができました」
カーテンの外から声がかかり、「どうぞ」とジーンが答える。
数人のスタッフが手際よく食事を運び込んでくる。「品数の多い、少し豪華なランチメニュー」といった印象のメニューが、あっという間に面々の前に並べられた。
「一体何の集まりかしら?」
「ベルルッティ様。やっぱり公爵家なだけあって、王子とは距離が近いのか?」
「見た? ディオール様とグラーネ様はよく見るけど、今回は大伯のご令嬢もいたわよ」
カーテンの外では、第五王子様が個室を使い同級達と食事をとっているという事で、好奇の目や噂話が飛び交っていた。
特に、その中に婚約者候補が三人も混ざっていた事が皆の興味を引いていた。
第五王子様が学食を使用することも、学園内をうろつくことも、特に珍しい事ではない。護衛のジーンが訓練へ行っている間は、一人で学園内を散歩していることもある。
「見えない護衛がもう一人付いている」「魔術で常に王子の周囲は監視されている」という噂もあるが、それはあくまでも噂だ。そのもう一人とやらを見た事がある者は誰もいないし、そいう誰かが活躍するような危険が、彼の周りで起きたことがなかった。
朝食や昼食や夕食など、彼が気まぐれに適当な席に混ぜてもらい食事を共にすることも、中等部からよくある事だ。
普段がそういう感じであるから、個室を使用するという事が逆に他の生徒たちの目を引いた。
ラツィラス的には、中等部では必要があれば何度か個室を使用したこともあり、高等部に上がってからは、まだ日が浅く使用の必要がなかったから使わないでいたに過ぎない。
今日の「これ」でようやく、この人数でまとまって座れる席が欲しかったからと、使用の必要が出来たのだ。
「皆新入生だったわね。ほとんど中等部の時に見たお顔だったわ」
「あの大きい方、ベルルッティ様よね。殿下に公爵家二家。なんて豪華な顔ぶれかしら」
「一対一とかじゃないから、普通にご交友ってところかしらね?」
その一つのテーブルでも、女生徒達が王子様の個室の使用をネタに話が盛り上がっていた。
彼女らは例の個室に目をやり、中でどんな話をしているのだろうと例を挙げいたが、「整地で使用する道具について話している」という正解を引き当てた者はいない。
一人の女生徒が話の流れとは関係なく、「そういえば」と声を上げた。
「ねえねえ、クラリス様も今度殿下とお茶会のご予定があるって言ってましたよね?」
テーブルの女子達の視線が一斉に中央に座る一人へと集まる。
艶やかな水色の髪の彼女は、友人達の視線を受けてゆるりと微笑んだ。
「そうなんです。緊張しますわ」
「凄いわね。流石クラリス様。私も候補者だった時に何度か殿下をお誘いした事あったんですけど、都合が合わなかったようで叶いませんでしたわ……」
彼女の正面で友人が笑う。
「あなた、『何度か』って、確かたったの二回じゃなかった? その言い方だともっとたくさん頼んでみたけど駄目だったみたいじゃない」
「そうよ。それに悲しい事なんてなかったじゃない。都合が合わなかったお詫びにって、殿下がランチご一緒してくれたでしょ?」
「そうよ! せっかくの殿下との学食ランチ! なのにあなた達まで同席して! せっかく殿下とゆっくりお話しできるチャンスだったのに……!」
率先して同席した友人が「ごめんなさいね」と悪びれた様子もなく笑う。
「それで、クラリス様はどちらでお茶をなさるの? 他に誰かをお招きしまして?」
「もしかして、都内にお持ちのあの豪邸かしら?」
友人たちから羨望の眼差しを向けられ、クラリスは優雅に微笑む。
そして少し困ったような顔を浮かべ、遠慮気味に口を開いた。
「場所は普通に学園内ですのよ。そんな格式張ったものでなく気軽な物なので……ですから、他にも誰かを招待してとかではなく、殿下とお二人で……」
「まあ」とテーブル内に華やかな声が上がる。
「二人っきりで気軽なお茶会だなんて、もっと凄いじゃないですか。流石エイプリル家」
「王の杖への信用かしらね。いつからそんなに親しくなられたんですか?」
「杖だなんて、先々代の話じゃないですか」とクラリスが苦笑する。
「お二人がお茶会……とても絵になりますわね」
「ぜひ後日、感想をお聞かせくださいませ!」
クラリスは友人たちの反応に満足そうに微笑み食事を再開した。食事を何度か口へ運び、うっすらと人のシルエットが透けて見えるカーテンへ視線を向ける。友人たちの話に耳を向けつつも、ついそちらに目が吸い寄せられてしまう。
シルエットだけではあの場の様子は全く分からないが、なぜか談笑している図ばかりが想像されてしまう。
そしてきっと、殿下の隣の席は「あの女」が当然の顔で陣取っているのだ。
過去に耳にした使用人や友人たちの噂話が断片的に蘇る。
―――『へぇ。殿下が公爵ご令嬢と?』
―――『まあ。殿下とアルベラ様が一緒に馬に乗って?』
―――『この間学園をご案内されてたんですってね』
―――『本当に仲がよろしいです事』
クラリスの表情が僅かに陰った。
(殿下のやさしさに付け込んで、擦り寄って……目障りな女……)





