163、お爺様の試験 3(前日準備)◆
「おーおー、やってるなぁ。ラツィラス様とベルルッティ様」
城の訓練場にて、騎士の一人が目の上に手を翳し隣のスペースを眺めた。
彼は柵の側まで行くと、先に来ていたギャラリーへ声をかける。
「まだ始まったばかりか?」
「ああ、ついさっきだ」
「へぇ。そりゃあ良かった」
見に来たばかりの騎士は、ラツィラスが氷の礫を連弾しているのを見て目を据わらせる。
ウォーフはそれを、発生源を軸に大きく弧を描くように駆けて避けていた。風の魔法を使用しているようで、彼の足元やその後に風の糸のようなものが軌跡を作っていた。
「なあ。殿下、剣の練習のために魔力抑えてるんじゃなかったっけ?」
「してるぞ、ほら腕だ」
彼は目を凝らして、ラツィラスの腕を見る。そこには訓練でよく使用する封魔力用の魔術具がはめられていた。
「ベルルッティ様相手に半分は流石にってことで、出力三分の二だと」
「へ、へぇ……」
「化け物だな」と不敬な言葉をこぼしそうになり、彼は急いで自分の手で口をふさいだ。
柵のなかでは、ラツィラスは剣を手に、ウォーフは槍を手に距離を取ったり縮めたりを繰り返していた。
ラツィラスは場所を動かず、動いているのは主にウォーフだ。距離を縮めると槍を大きく振り、それをラツィラスへと振り下ろし、ラツィラスはそれを剣で受け止め、風で弾き飛ばす。
ウォーフはまた、ラツィラスへと距離を縮め、槍を振り下ろした。ラツィラスはそれを剣で受け止める。
「王子様、結構やるな。魔力だけかと思ってたが、剣もよく動く」
「どうも。……ベルルッティ、僕の事甘く見てたの知ってたよ?」
「そりゃあとんだ非礼を! ……詫びさせていただかねぇとな!」
また先ほどのように風を放ったラツィラスだったが、ウォーフが背後の地面をせりあがらせ、片足でそれを踏みつけ踏ん張る。二人の間で剣と槍がおしあうが、腕力差で剣の方が小さく震えていた。
「王子さん、騎士長様に魔法ほどほどにって言われてたの忘れたか? 訓練の指示とその目的はちゃんと守んねぇとなぁ」
ウォーフの目がギラリと光る。
柵の外では、手合わせを見届ける騎士長のザリアスが、同じように目を光らせていた。
「は、ははは……。ちゃんと我慢してる方なんだけど、駄目かな……」
「駄目だ、なぁ!」
ウォーフは剣と押し合う槍を引く。そこに解放されたラツィラスの剣先が横なぎに走るが、ウォーフは身を低くして避けた。相手の背後を取るようにその横を抜け、その合間に、脚を取るべく槍の柄を低い位置で払う。
ラツィラスはその柄をジャンプして避け、更に風を使いくるりと宙で回転する。空中から後ろに回り込もうとしたウォーフを見下ろし、ウォーフは宙で剣をきらめかすラツィラスを見上げた。
ゆっくりとしたような時間が流れ、振り下ろされた剣が瞬時にその時間を終息させる。
二人の間に、ひゅんっと風を切る音が上がり、時間の流れが一気に早まる。直ぐにガツンと、固い音が上がった。
振り下ろした剣がウォーフに止められると、ラツィラスは着地して身を低くしたまま剣を突き出す。ウォーフは腹を引っ込めるのと地面を蹴るのとで剣先を避け、更にそれを追ってラツィラスが脚を大きく踏み出す。
先ほどまでずっとウォーフが攻めていたが、次はラツィラスの番となった。
「おぉ。殿下も結構やるなぁ」
柵の外で騎士がつぶやく。
ジーンも稽古の手を止め、ギャラリーの一人となり二人を観戦していた。
「ごめんな、アンラーク。手止めて」
彼は先ほどまで手合わせしていた、隣の後輩へと声をかける。
「いえ、私もこれは見ておきたいですし!」
この一週間、ラツィラスは休息日に行われる野外訓練参加のため、騎士団の訓練に参加していた。
野外や、少し手の込んだ訓練に参加したがる彼のそれは毎度のことで、こういった場合、参加したい訓練の内容によって、一週間からひと月、できる限り団の通常の訓練に参加することを条件づけれられていた。
ラツィラスは中等部の頃から、剣の稽古より魔法の稽古に時間を割きがちとなっていたため、それを考慮しての処置である。
ウォーフは、三日前に野外訓練の話を聞き参加を希望したのだ。なので彼はこの三日、毎日放課後は訓練場通いをしていた。
そして、二人が訓練場で顔を合わすたびにウォーフが勝負を挑んでいたのだ。
今日は野外訓練前の最終日。
昨日おとといと、ウォーフからの猛烈なアタックを受け、何とか交わしていたラツィラスだが、今日はついに捕まってしまったという事だ。
(あいつ、普段手合わせ自体はそんな嫌いじゃないはずなんだけどな……)
ウォーフがもう少し爽やかに誘っていれば、ラツィラスももっと早くそれに応えただろうに、とジーンは呆れる。
少しして勝敗が決まった。
ウォーフが勝ったのである。普段の訓練の差だった。
魔法では押されたが、剣の動きと体力はウォーフが勝っていたのだ。
今回は王子の剣の稽古の穴埋めもあったので、魔法より武器の使用を意識するように言われていた。その前提が勝敗を決めたといえる。
ウォーフは辺りの氷を見て、適当に槍でつつく。
「三分の二の出力でこれとかマジか……。本気の魔法じゃ勝てる気しねぇよ、王子さん」
辺りの氷は、もともとウォーフの放った炎った。
ラツィラスはそれを全て一瞬で凍らせてしまったのだ。
「ふふふ。でしょ? 僕は魔法でなら今のところ負けなしだよ」
ざくざくと、霜を踏む音が二人へ近づく。
「お疲れさん」
ザリアスだ。
彼は満足そうな顔で辺りを見回した。
「いやぁ、二人ともなかなかだった。ウォーフ殿、手合わせの最中、魔法に偏りかけた際、舵取りをしてくれてましたな。ありがとうございます」
「いいえ。王子さんも意識してたみたいでしたし。俺のは茶々みたいなものです」
「いやいや……。けど殿下も、魔法の練習ばかりかと思えば、思っていたよりも腕はなまっていなかったようですな」
「でしょ?」と言いたげにラツィラスは微笑む。
そんな二人へ、ザリアスはこれからが本番だ、と言わんばかりに嬉しそうな目を向けた。
「さて、お二方。後はここの整地をお願いいたします。これも大事なトレーニングです。わからない事があれば適当な者に声をかけて聞いてください」
「なっ……」とラツィラスは笑顔を固めた。
「ちぇっ、やっぱそうか……」とウォーフは苦笑する。
ローサとの手合わせに戻ってすぐ、ジーンは名を呼ばれ顔を上げる。
「おいジーン。今手離せるか?」
少し離れた場所から、黄色髪の同期の騎士が手を振っていた。
「なんです?」とジーンは声を張り上げて返す。
「殿下とベルルッティ様の整地、手伝って差し上げたらどうだ?」
「嫌です」
「はあ?!」
年上の同僚の声を聞き流し、ジーンは何もなかったかのような空気でローサへと向き直る。
「すまないアンラーク。もう大丈夫だ」
「え……、え? あの、良いんですか?」
「おーい! お前専属の騎士だろ!!」と同僚はまたジーンの背へ投げかける。
ジーンは胡乱気に振り返り「駄目です! 甘やかさないで下さい!」と返す。
「はあ?! ……ったく、本当にいいのかぁ?」
「大丈夫です! ご心配なく!」
「あ、あの。私も手伝いますが……?」
ローサが溜まらず申し出る。
「気にしないでくれ。自分たちの後始末は自分たちでさせる」
ジーンの瞳には確固たる意志があった。
その強い瞳にローサはごくりと固唾をのむ。
(これも、きっとジーン先輩が殿下のために定めた方針なんだ……。殿下にも手を抜かないなんて、流石先輩)
そこに個人的な恨みや嫌がらせの気持ちがあることなど疑いもせず、後輩が先輩に向ける尊敬の念はただただ強まった。
***
「抑制剤の完成品……それに紛れる、一粒の失敗品か。……いや。ある意味これはこれで完成しているのかな」
ラーゼンは手元の二つの瓶を眺める。
片方には四~五十錠の丸薬が入っていた。もう片方には、隣りの瓶に入っている丸薬と同じ見た目の物が一錠。瓶を持ち上げればコロコロと、障害のない瓶底を転がる。
「まるで『ロシアンルーレット』だな」
昔、ロシアンという名の貴族が「弾丸を一つ込めた銃を自身のこめかみに向けて撃つ」という根性試しをし、一発目に見事に弾丸を引き当て死亡するという事件があった。それからはこの国で、外れを一つ、または少数忍ばせたクジやルーレットゲームを「ロシアンルーレット」と呼ぶようになったわけだが……、今のラーゼンにはその言葉の歴史などどうでも良い話だ。
彼は「安全な方の完成品」を眺める。
(去年、または一昨年前からか。どこの誰だか知らんが、増幅の方ではなくこちらを進めるとは……)
飲み込んで一時間後から効果が現れ、それは半日持続する。副作用は、あるとすれば若干の倦怠感。その他には特にと言った害はない。
もう一方はおそらく、「危険な方の完成品」だ。
こちらも効果は飲んで一時間後。
体内で魔力が塞き止められ、その他いろいろと薬に入っているものが反応しあって、飲んだ人間は内側から派手に弾け飛ぶ。
同封された爆発シーンとその後の写真にを見て、ラーゼンは感慨深く呟く。
「ふむ……これはなかなか……良いセンスだな」
嫌味などではない。それは彼の素直な感想だった。
人体が爆発した際の光景は、一見とても美しかった。
「まるで一枚の絵画だ」
魔力と薬の成分と、それに精霊が反応しているのか、立ち上る色鮮やかな煙と周囲に舞う光り輝く粒子が、まるで可憐な一輪の花が咲く瞬間のように見える。
だが、その光が消えれば辺りは血と肉片の海だ。
『片づけが大変だから絶対飲まないでくださいね』と、ラーゼンの性格を知る送り主から注意書きが書かれていた。
ラーゼンは「流石に部屋をこうするわけにはいかんな」と言って二枚の写真を机に置く。
(さて、こちらとこちら。欲しいのはどっちだったんだろうね)
他国で見つかったこの高価な薬は、ラーゼンにとって見覚えのある品だった。
本来なら自分の治める地には全く関係のない問題で、知る事も出来ないはずだった。だが、数年前ストーレムで起きたちょっとした問題に関わった軍の者が、気を利かせて知らせを出してくれたのだ。
もっとも、「心当たりや思いつく事があればご一報を」と書かれているので、あちらも付き合いだけで送ってきたわけではないのだろう。
ラーゼンは南の大陸の地図を眺める。
自国から北にある、海に浮かぶ小さな島国。そして自国の西と東に隣接する国々を見る。
(見つかったのは西と北と北東。南ではまだ……。海を渡る商人が運んだか? 瓶は北の地のガラスだそうだが、それだけで判断するのは早計……。さてはて……これは知らせを出すべき……なのだろうな……)
彼の頭に、公爵となった際に自分に与えられた特権と義務が頭をかすめる。
(……はぁ。面倒なものだ)
義務を義務と理解した途端に萎えてしまう自身の悪癖を自覚しながら、ラーゼンはペンを取った。
(仕方がないか。……いつ何があるか分からん。これも交友を保つため……。ああ、いやいや……待てよ、確か……)
手紙を書き出して数行、ラーゼンは思い出したように自分の机の引き出しを開く。
一番下の段からファイルを取り出し、手紙を送る相手との以前のやり取りを思い出した。
最後に相手から来た手紙の末文を見て、ラーゼンは苦い顔をする。
『―――そろそろ可愛い娘とやらの顔を見せて欲しい物だ』
そしてその横に、学園から届いた娘の手紙を並べる。そこには東の国へ旅行に行きたいという旨が書かれていた。目的は以前我が家で保護したエンヴィー族の少女に会いに行くという物だ。
ならばあの少女を我が家に招待してはどうかと提案したのだが、娘からは「嫌です」と書かれた手紙が戻ってきた。そして次の説得内容を考え、「よし、これだ!」と決心した時、先回りしたかのようにこう書かれた手紙が届いた。
『人にお仕事を押し付けて同行しようなどと、聡明なお父様ならおっしゃらないと信じております』
この手紙を手にした時、ラーゼンは衝撃に打ち震えた。『アルベラ、君は父の考えをお見通しなのか……嬉しい……!!』と。
(……ああ、いやいや、今はそんな場合では)
またあの時の喜びが胸に広がり、ラーゼンは頭を振って思考を引き戻す。
(交友か……娘の安全か……。悩ましい……)
ラーゼンが白紙の便せんを前に頭を抱えていると、部屋にノックの音が響き渡る。
「旦那様。ブルガリー伯爵がいらっしゃいました」
「もうそんな時間か」と彼は呟く。
「分かった。今出るよ」
机に並べた手紙や便せんを仕舞い、ラーゼンは義理の父を迎えるべく席を立つ。
***
ストーレムの町。西門外の野営地にて、北の地から来た団体はテントを張っていた。係の者達は夕食の準備に取り掛かっており、肉の焼ける美味しそうな匂いがあたりに漂っていた。
(大体は終わったな……)
レミリアスの兄、ネロイ・ブルガリーは騎獣の横に吊るしたバインダーを見て声を上げる。
「ビーンズイ! お前の所人手必要か!」
「いえ! もう少しで終わるので大丈夫です!」と少し離れた場所から若い兵士の声が返る。
「……ネロイの伯父様?」
驚いたような少女の声。
ネロイは「誰だ?」と内心呟きつつ、この地で自分をそのように呼ぶ人物が一人しかいないことに思い当たる。
「まさか」とその声の方へ目を凝らした。
西門に続く道のある方から来たのであろう、少女が一人、周囲に点々と灯されたオレンジの明かりに斑に照らされて立っていた。
彼女は「やっぱり……」と呟く。
ネロイの表情は嬉し気にほころぶ。
「アルベラちゃん! 大きくなったな! いやぁ、大きくなった! 最後にあったの十年近く前だし、俺の事覚えててくれてたとは」
「は、ははは」
(正直自信はなかった……)
ネロイの明るい声に、周囲の騎士や兵士の視線が集まる。
近くの騎士が、「ああ。あれがお孫さん……」と零していた。
「伯父様、お久しぶりです。……あの、随分と大勢でいらしたんですね」
アルベラは周囲に張られた十個以上のテントに呆然と目を向ける。ネロイは苦笑した。
「ああ。親父がね……折角都が隣にあるんだから、城の騎士と訓練させたいって。ここに今日来るって決まって、あの人すぐに城の騎士団に申請出して。あっという間だったよ……」
「……流石……お爺様」
ネロイと共に呆れたように笑って、アルベラはハッとする。
「という事は、お爺様も今ここに?」
「ああ、親父は屋敷に行ったよ。ここは若い奴らの訓練も兼ねてね。……年寄りらしく客間で茶でもすすっててくれりゃ嬉しんだけど……多分庭で一汗かいてるんじゃない?」
「そうですか。お変わりないようで何よりですね」
アルベラは帰って早々に庭で訓練する祖父と出会ったら、どんな顔したら良いのだろうと考える。
「アルベラちゃん、大丈夫?」
「はい?」
「親父の事怖がってたろう。随分会ってないし、気まずいんじゃない?」
「は、ははは……。はい、実は……。けど、この通り私もあの頃より大きくなりましたし……覚悟は決めました」
「ええーと。凄い嫌そうな顔してるのは気のせいかな……」
気のせいなどではない。アルベラは周囲から見ても明かに嫌そうな顔をしていた。
アルベラと別れたネロイは、「レミリアスに似たなぁ」と彼女の顔を思い出す。だが、たまに浮かべる考えるような表情は義理の弟そっくりだった。
(まあ、俺は別に親父みたいにラーゼン君を毛嫌いしてないからいいけど)
「隊長、」
「なんだ?」
「さっきのが噂の姪っ子さんですか?」
「ああ。どうだった。俺に似て可愛いかったろう?」
「隊長を可愛いとは言い難いですが……血縁であるのは、なるほどと……」
「ん? 何がだ?」
「あの子、ウチのドベより上手くバイパーホース乗りこなしてましたよ。ていうかもう手慣れたもんでしたね」
「え?! そうなのか?!」
「はい、来た時とかすごい飛ばしてましたし」
「そう、か……」
ネロイは顎に手を当てる。
この場で言う「ドベ」とは、平民上がりの兵士たちの事だ。
彼らの教養や魔力制御は、学びの場を設けられる貴族に比べ個人差が激しい。まともに魔力の制御について学べない境遇にあった者達も多く、そういった者たちの大半は自己流だ。彼らは兵士となり本格的に学び始めることになる。
今回のこの遠出では、騎獣と魔力供給が可能な者達を選抜して連れ出してきたが、その中には彼らも混ざっていた。兵士になってから魔法を学び、早々に魔力供給ができるようになったという呑み込みの早いタイプだ。
その中で言う「ドベ」なので、いくら飲み込みが早く優秀とはいえ平民。教育を受けられる環境にある貴族とは、本来なら比べる対象として相応しくないのだが……。アルベラの祖父や叔父の記憶にある彼女の印象では、今彼女が馬に乗っていることさえ意外であり、更には魔力供給までできるようになっていることは予想外だ。自分達が鍛えている兵士と、乗馬の腕を比べる日がこようなどと思ってもいなかった。
(これは、親父が心配するような事は無いんじゃ……。もしかしたら姪っ子が泣かされるシーンを目撃することになるんじゃないかとも思っていたが……)
「いやぁ、見習わないとっすねぇ」
「ははは」と能天気に笑う若い騎士に、ネロイもニッと歯を見せて笑った。
「だな! ……あとお前晩飯抜き」
「何でですか?!」
「俺が可愛いと言い難いだ? 上司におべっかも使えないような奴に食わせる飯はねえよ」
「いやだってあなたどう見たってゴツイおっさん……」
「ああ?! だから事実だけを口にすりゃいいてもんじゃないつってんだよ」
「はぁ、はいい! ごめんなさい!!」
彼はこの後何とかネロイのご機嫌を取り直し、晩飯にありつけたのだった。





