155、ヒロインに水をかけよう! 4(ミッションコンプリート)
「なんて?」
アルベラの問いに、八郎は呆然とした顔のままアルベラを見返す。
とてもまじめな顔だ。
「……『結衣』、でござる」
「え?」
アルベラは、また八郎の視線が追い始めた少女へと目を向けた。
「いや。『ユリ』よ? ユリ。さっき話したでしょ。原作のヒロイン。聖女様の後継」
「いや、けどアルベラ氏。あれは、あの外見は、高校生時代の結衣でござる。髪色は違えども、拙者の可愛い娘でござる」
アルベラは顔を引きつらせる。その口から小さく「は」と零れ出た。
(まさか、……カスタマイズされてて原作と違う外見。賢者様は『その時になれば分かる』って……。これってそういう)
「ゆい……ゆい……結衣!!!!!」
八郎はガタリと立ち上がり駆けだしていた。
(くそあの樽め!! こんなことに俊敏さ発揮しないでよ!!)
アルベラの横を一瞬で通り抜け、あっという間に彼はユリの目の前へと現れていた。
「結衣---!!!! お父さん! お父さんでござるよー!!!!」
「え、ゆい?」
近づいてくる声にユリが振り向くと、見慣れない衣服をまとった、でっぷりとした男性が両手を広げこちらへ駆けてきていた。
「―――っえええええ?! ……んぐっ!」
何か来た! と思ったら、一瞬でその柔らかい肉塊に包み込まれていた。
(く、くる、くる……苦しく、ない?)
抱き着かれた。そう理解して一瞬は「ぎゅっ」という圧迫を感じたが、すぐに力は緩和されていた。
そしてやけに清潔なのか、徹底した体臭管理をしているのか、男性からは優しい石鹸の香りがした。
「結衣ー!!! 我が愛しの娘ええええ!!! お父さんでござる! お父さんでござるよ!!」
「え、あの、人違いです! 私『ユーリィ』です!」
聖女の祝福後で、中庭にはまばらに人が残っていた。教員やシスターたちがいないのは救いだが、目撃者が多い。
アルベラは二人の元へ行くと一先ず周りの者達へと声をかけた。
「あの不審者は私の客人よ! 警備やスタッフへの連絡は不要です! ……っていうか公爵家としての命令!! 見世物じゃないんだから用のない者はさっさとどっかに行きなさい!」
アルベラの言葉に、暫し驚いていた周囲の生徒達は、さっと目を逸らしたり、おずおずと立ち去ったりしだす。だが興味があるのは明らかで、少し離れた場所から様子を見ようとする者も少なくなかった。
まわりに気を取られてもいられない。アルベラは八郎の腕に手を伸ばす。
「おら、この! 馬鹿! 離れろ変態!!」
その言葉に、周囲の生徒たちは「やっぱあれ変態なんだ……」と心の中で呟いた。だが、公爵家のご令嬢である彼女の、先ほどの言葉に従って何もしない。
(くそ賢者様め。ユリの外見を八郎の娘に寄せたの? ていうかその物なの?! 何でそうした! っていうかだとしたらこの親子似て無さすぎ!!)
アルベラは必死に八郎とユリを引きはがそうとする。
「人違いです! お父さんって、あの、……私ユリです!」
「良いんでござる! 分かるでござる! ここに結衣がいるはずもない事! ユリ殿がユリ殿である事! けどユリ殿、気にせず拙者の事はお父さんと呼んでくれていいんでござる!!」
「ええ?!」
「良くないわ馬鹿!!」
「アルベラ! ……えっと、あのね、この人は私のお父さんじゃなくて……私、ユイって名前でも無くて人違いでね!! っていうかこの人誰?!!」
「ほら馬鹿!! ユリも混乱してるでしょ! やめなさい変態!! 事案!! 警備兵呼ぶわよ!!!」
「良いんでござる! 警備兵にひっとらえられようとも、そのまま処刑されようとも、もう悔いはないでござる!! こうして娘の生き写しと出会えただけで、この人生に一片の悔いなしでござる!!!」
八郎は感極まったのか、その腕に力が籠り「うぶ!」とユリから苦し気な声が上がった。
「もう! その娘の生き写しを窒息死させる気?! ……あ、そうだ」
アルベラの脳裏に、先ほどの八郎の言葉が過る。
『拙者、『お兄ちゃん』の一言で何でもするでござる』
(くそ……)
「お、『お兄ちゃん』。ほら、今は一旦落ち着いて?」
一瞬ぴたりと八郎の動きが止んだ。
アルベラをじっと見つめる。
直ぐに腕の中の、キョトンとしたユリへ目をやる。
そしてアルベラへと視線を戻す。
「チェンジ!!!!!!」
「くそがぁ!!!」
アルベラは力一杯八郎の横っ面をひっぱたく。が、八郎は動じない。頬に手形はついているものの、ダメージを与えられている気配は全くなかった。
「この豚野郎!!!!! 変態、事案、薬中オタク!! 恥を忍んで言った私が馬鹿じゃない!!!」
「でへへ、どれもご褒美にしか聞こえないでござるな」
「なんでよ!」
アルベラが八郎の胸倉を掴みがくがくとゆすっていると、突如頭の中にあの曲が流れる。
―――♪ タラララララーン、タララララン
(はあ?! 何!)
『 ヒロインに水を掛ける 』という言葉が意識の真ん中に現れる。
「どう いう 事 だあ!!!!」
アルベラは振り上げたこぶしで八郎を殴りつけた。拳は「ずぼり」と埋まり少しして「ぽよん」と弾かれた。
―――♪ タラララララーン、タララララン
頭の中では入店音。
「お父さんでござるよ、お父さんと呼んでくれていいでござるよ」
「いや、ですから私のお父さんは別にいて」
目の前では事案。
「あれ、本当に公爵ご令嬢の知り合いなの?」
「なんか大変そうよ、やっぱり騎士様を呼んだ方が……」
周囲に聞こえるざわめき。
―――♪ タラララララーン、タララララン
―――♪ タラララララーン、タララララン
―――♪ タラララララーン、タララララン
入店音、入店音、入店音……
「……う、うぐぐぐぅ」
混沌とした状況にアルベラは頭を抱えた。
「ああ! もう! いい加減に、しろ!!!!!」
彼女が投げやりに両腕を振り上げると、そこに滝のような水が降り注いだ。
ざばあ!! と降り注ぐ大量の水。
その水を受け、ユリと八郎は呆然と動きを止める。
ぴたりと動きを失った二人へ、アルベラは勢いのまま「パァン!」「パァン!」と連続してビンタをくらわせた。
ユリは「っひゃあ?!」と声を上げ我に返り、
八郎は「ありがとうございます!!!」と感謝の言葉を叫んだ。
「ほら、あんたはこっち!」
アルベラはぐいっと八郎を引っ張った。
「っていうかガルカ!!」
先ほどから、アルベラの視界の端に、庭のベンチに腰掛け、どこかのご令嬢と戯れるガルカの姿が入り込んでいた。
「この豚私の部屋に持って行きなさい!」
「はい、お嬢様。……マリアンナ様、素敵なお時間をありがとうございました」
共にいたご令嬢へ手を振り、ガルカが八郎を連れていく。片腕のみで、あの巨体をずるずると引っ張って去っていった。
一先ず一段落……だろうか。
辺りは静まり返る。
ユリはひりひりする頬を抑えながら、きょとんとアルベラを見上げる。
「ア、アルベラ。……あの、ありが、と?」
状況が掴みきれず、その語尾は疑問形だ。
「違う、そうじゃない!!!」
アルベラはずんっと項垂れた。
「ええ?!」
なぜかとても大きなショックを受けている彼女に、ユリは「えぇーと……」と、どうしたらいいか分からない声を上げる。
困って辺りを見回すと、目が合いそうになった生徒たちに素早く視線を逸らされた。
地面にへたり込むアルベラへ、ユリは優しく声をかける。
(助けてもらったのは私のはずなのに、私が慰める立場に……おかしいなぁ……)
「えーと……あの、今の人……アルベラの知り合い?」
「知らないわよあんな変態!! 変態なんだから私が知るわけないじゃない!!!」
「そ、そうよね! ごめんなさい!」
(あれ?! さっき『客人』って言ってなかった?!)
困り果てるユリ。
アルベラは地面を見つめ、小声で何やら喚いていた。
「クソ! あんなのに出鼻をくじかれるなんて! 最悪、最低! こんな形で消化することになるなんて……! 私の記念すべき第一歩だったのに!」
(ど、どうしよう。アルベラが酷く落ち込んでる。けど今私が声かけても何も届かなそう……)
それに、先ほどから大分体が冷えてきた。
体をさするユリの耳に、周りのひそひそ話しが聞こえ始める。
「え? 何? あの平民、ディオール様を泣かせたの?」
(え?! 違うのに! いや、でもこの図はそう見えて当然だし!)
「あ、アルベラ? 大丈夫? どうしたの? 私どうしたらいいの? とりあえず中に行きましょう。寒いし、ここでずっとこうしててもお互い風邪ひいちゃうよ」
そう言うとともに、ユリは小さくくしゃみをした。
そのくしゃみに、アルベラの頭がピクリと動く。彼女はふらりと立ち上がると、何かをユリに押し付ける。
(腕輪……?)
ユリは押し付けられるままに受け取ったそれを見て呆然とした。目の前から、「ふん!」という声が聞こえて顔を上げる。
「私を気にしてる場合? ……あなたこそ、そのみっともない恰好、部屋に戻って着替えた方が良いんじゃなくて?」
アルベラのせめてもの悪あがきだった。負け惜しみと八つ当たりの悪役面で、「愚図ね。さっさとソレ腕に嵌めなさいよ、」と言い、顎をくいっと動かして示す。
ユリは見るからに高価な品に困惑しつつ、言われた通り腕にはめる。同時に力が抜けるように肩が下がった。
彼女はほっと息をつく。
「……温かい……アルベラ」
「なに?」
アルベラはツンと返す。
「ありがとう!」
「お礼はヤメテ……!」
近くを通ったキリエが、興味深いうわさ話に足を止める。
「ディオール様が変出者を退治されたらしいぞ」
「……あの平民を助けるために。素敵ね」
「……聞いたか、あのオレンジ頭の平民の特待生、公爵ご令嬢を泣かせたって」
「え? 公爵ご令嬢が変態けしかけて水を被せてビンタして、平民いびり倒したんじゃないのか?」
「庭で一人の変出者めぐってキェットファイトだってよ。俺も見たかったなぁ」
(え?)
キリエは内容が異なる噂話に困惑する。
ひとまず、ちらちらと人の目が向けられる方向へと向かうと、疲れた様子で中庭から寮に入ろうとしている彼女の姿を見つけて駆けつけた。
「アルベラ、大丈夫? さっき変な話聞いたんだけど、ユリさんと何かあったの?」
「キリエ……。ああ、えーと。その話は今度。少し頭を整理させて」
(やっぱり何かあったんだ)
心配するキリエの前、アルベラが弾かれた様に顔を上げた。じっと自分を見つめる彼女に、キリエは恥ずかしそうに身じろぐ。
―――♪ タラララララーン、タララララン
『 筋肉集団を手名付ける 期間:二年生中期まで 』
キリエが見つめられて恥ずかしがっている中、アルベラの頭の中では入店音が響き渡っていた。
「だから……」
「……?」
「『筋肉集団』って何?!!」
「え?!」
***
自室に戻ると、幸せそうな顔の八郎の抜け殻が転がっていた。
アルベラはそれをつま先でつつき、反応が無いのを確認すると無遠慮にげしげし蹴りつけた。
無表情で、一心不乱に八郎を蹴りつける彼女の姿に、エリーが「ご乱心ねぇ」と呟いた。まるで「今日もいい天気ね」というようなノリである。
「お嬢様よ。その変態とユリって女の件も気になるのだが、貴様は貴様でどうした。いつにもまして面白い匂いがしているぞ」
「煩い。私が美味しそうな話ならさっきコントンに聞いた。良いからいったんこの馬鹿椅子に座らせて頂戴」
アルベラの言葉に、一瞬ガルカとエリーが顔を合わせる。そして「俺は知らん」というようにガルカがそっぽを向いたので、エリーが息をついて動いた。
八郎を担ぎ上げ、いともたやすく椅子に座らせる。
「ありがとう、エリー」
「いいえ」
「で、これはどうするか」
アルベラは蹴っても「アリガトウゴザイマス」しか返さなかった肉の塊を睨みつける。
「なんだ? その豚使えなくなったのか?」とガルカが嘲る。
「必要なら俺が処分してやろうか?」
いいといえばきっと実行するであろうその言葉に、頭の中空っぽになっている感じの八郎がぼそりと口を開いた。
「無理でござるよ」
「む?」
「拙者、最強すぎる故ガルカ殿じゃ無理でござるよ」
「おい、こいつムカツクな。殺して良いか?」
ガルカが片手で八郎を持ち上げ、窓の外へと吊るす。
「いいから、今は私と話させてくれる?」
アルベラの指示により、八郎は再度椅子に座り直された。
「八郎」
「……結衣」
「ユリね」
「……ユリ」
取り合えず、今は八郎の意思を知っておくべきだろう。と、アルベラはぼんやりしたままの彼へと言葉を投げかける。
「私を手伝う気ある?」
「……てつだう?」
舌足らずな喋り方に「脳みそ消滅したのか」とイラついた。
アルベラは「はあ」と息をつき、窓辺に揺れる青い貝殻を眺め、目を細めた。
「いい天気」と思考に一息つかせると、正面に向き直り、にっこりと微笑む。
「そう、手伝い。これから私はユリへ嫌がらせという嫌がらせをして苛め苛めに抜いて、王子や他のヒーローたちと恋におちようものならそれを邪魔して苦しむ姿にあざ笑って、たまに遠くから見守ったりなんかしながら陰湿でネチネチとした不条理な大人の社会をその身をもって教えてあげるの。時には手を抜かず徹底的に叩きのめしたりなんかして、卒業の頃には彼女が心身ともに強い聖女様になっているよう成長の手助けをしてあげるの。ね、素敵なお仕事でしょう?」
一気にまくし立て、アルベラは満足げに紅茶を口に運ぶ。
八郎の体がわなわなと震えた。
「ゆ、ゆ、ゆ……結衣いいいいい! 逃げるでござるーーー!!!! ゆいいいいいいいい!!!!」
「あら」
「お嬢様、言い方。……わざとですね。分かります」
エリーが困ったように微笑み、頬に片手を当てる。
錯乱する八郎を正面に、アルベラは深く息をついた。
あの賢者様が楽しそうに笑っている姿が脳裏によぎった。
(……私の『代用チート』、早速使えない件について)
「はぁぁ……」
眉間に手を当てるアルベラは、「もう一杯一杯です」と呟いた。
(この後の夕食、断って良いかな……)





