145、寮入り 2(彼女がヒロイン)
聖堂の中、ジャスティーアは椅子に座り、うつむきながら両手で顔を覆っていた。
(赤い瞳に、ワーウォルド………って………………………王子様………じゃん!)
柔らかい金髪の彼と、護衛の赤髪の彼を思いだし、「あの空気は王子で間違いない、そんな気がする、そうに違いない」と頭の中の自分が肯定する。
彼の周囲には、光が溢れ、常に白い羽が舞ってるように見えた。あの護衛の彼も、同い年とは思えないくらいしっかりした空気と落ち着きようだった。
(護衛って…………きっと騎士様だよね。はぁ…………王子様に騎士様………)
「私………失礼じゃなかった、かなぁ」
「はあぁぁぁ」と深いため息をつき、彼女は祈ることも忘れて暫し凹んでいた。
アルベラは寮周りを散策していた。
先ほどからちらほらと、自分と同じように寮の敷地内を散策する者達の姿があった。物珍しそうに辺りを見ながら歩いている様子から、彼等も新入生であることが窺える。「彼等からは自分もああ見えているのだろうな」と考えながら歩いていると、見知ったベージュ髪のひょろりとした姿が目に入った。
彼もこちらに気が付き、ニッと歯を見せて笑う。
「よう」
「あら、」
アルベラも、「ニッ」という感じの笑みを浮かべる。
「ルーね?」
「正解! 久しぶりだな、アルベラ。エリーさんもお久しぶり」
目の前に行って顔を見上げ、アルベラは彼の片目が赤いことに気づく。自分から見て、右が赤、左は髪より暗めのベージュだ。
(なるほど。王族の血。王族ってのは嘘ではないか。………まあ疑ってなかったけど)
「感想は?」
彼女の視線に、ルーはニヤリと笑う。
「………意外と、爽やか系だった」
「随分とぼやかした言い方だな。素直にかっこいいって言ってくれりゃ良いのに」
「あんた口で損してるわよ」
「お互い様じゃないか?」
「え?」
「え?」
妙な沈黙が流れ、ルーが肩をすくめてそれを破る。
「敷地はまだ回ってる途中か? どうだ、積もる話もあるだろ。俺が案内してやる」
「有難い申し出ね。けど今回はお断りしておきますわ。何も考えず、行き当たりばったりの散歩がしたいもので」
「そうか? 俺の誘いを断るなんて勿体ない奴だ」
「あら、けど積もる話があるのは否定しないわ。そっちは今度、ゆっくりお茶でも飲みながら」
「いいなそれ。じゃあその内連絡する。………おっと」
彼は思いだしたように片膝をつくと、アルベラの片手をそっと持ち上げた。
「お二人共、相変わらずお麗しい。どうぞこの学園生活、仲良くしてくださいませ」
そう言って、彼はアルベラの手の甲に軽く唇をつけた。
辺りを散策していた者達から、好奇心の目が集まる。ひそひそと、どちらを示しているかは知らないが「公爵家だ」とささやき合っている声が聞こえた。
「どうだ?」
ルーは唇に弧を描き顔をあげる。
「惚れたか?」
「………相変わらず」
アルベラは一瞬笑みを引き攣らせるが、小さく息をついて、右手を返してもらう。そのまま、右後ろに控えるエリーのエプロンに擦り付ける。そんなお嬢様の顔は、もう慣れたという様に、何もなかったかのようなあっさりしたものだ。
その仕打ちに、ルーはくつくつと笑う。
「王族ってのは人目を楽しむ気があるわね」
「まあな」
(何が『まあな』?)
膝を払い立ち上がると、ルーはくしゃりと笑った。
「お前とエリーさんと同じ学校ってのが嬉しいのは事実だ。ちゃんと俺と仲良くしろよ」
何とも呆れてしまう物言いだ。そしてどこか憎めないのも悔しい。
「はいはい。こちらこそよろしくお願いします、『先輩』」
「ん? ああ、そうだったな。けどその呼び方は色っぽくないな………今まで通りにしろよ」
「そう? じゃあ『ルー』、ごきげんよう」
「おう。ごきげんよう」
挨拶を交わすと、二人はあっさりと別れた。
どこに向かうでもなく、先ほどまで歩いていた方向へ、アルベラは足を進める。
(どうせ寮の説明会でまた会うんだろうなー)
今日の寮生の説明会は、高等学園からの新入生中心だ。中等学園から寮を使っていたものは、大まかなルールは変わらないため自由参加だ。説明を希望しない者達は晩餐会のみ参加する。
ルーは三学年への転入生。中等学園も別の学園へ行っていたため、説明会へは参加するだろう。
(スカートンやキリエ、殿下にジーンにミーヴァ。あの子たちは参加の必要ないものね。………ヒロイン………どんな子かな)
ルーと別れ少し歩いた先、校舎横の並木道で「おい」と後ろから声を掛けられる。
アルベラとエリーが脚を止めると、そこにはいつの間にか身内の姿があった。
「………え? あ、ガルカ」
「ちょっと来てみろ。………あ、エリーさんは先に部屋に戻っていてください」
エリーが笑顔のまま青筋を立てる。
「なんで? 何か用?」
エリーが尋ねる前にアルベラが口を開く。勿論、二人が言い合いに発展しては面倒だからだ。
「貴様、さっきから何か探してるだろ?」
「………あ。ああ、………そうか」
(確かに、無意識にじろじろと人の顔確認してたかも)
アルベラの反応を正解と取り、ガルカが「なら丁度いいだろう」と脚を踏み出す。
「エリーさん、時間までにはちゃんとお嬢様を戻らせますのでご安心を」
辺りに人目が無いことを確認し、ガルカはアルベラを脇に抱えて翼を広げる。物の数秒の出来事だった。
(あのクソ魔族………)
アルベラの身の安全については心配していない。だが、お嬢様を取られたのが不服なエリーは、ガルカの飛んでいった上空を睨みつける。
そこに散策中の生徒が通りがかったので、誤魔化すように頭を下げて寮へと歩き出した。
(あいつ、最近お嬢様に馴れ馴れしいというか、随分懐いてるというか………私の方が先なのに! ああ、駄目、全部気に入らない! クソ魔族!)
エリーは一人、闘争心を燃やす。
***
(………そろそろ行かないと)
ジャスティーアが聖堂から出ると、丁度そこに一人の人影があった。
自分より少し背が高い………少年、だろうか。
白い髪と白い肌が雪景色に溶け込んで、今にも消えてしまいそうな印象だ。
「………匂い」
「え?」
「君、聖職者志望かなにか? お祈りしてたんでしょ?」
「あ゛………ええ。お祈りは、まあ」
ジャスティーアは視線を逸らし、誤魔化しの笑みを浮かべる。
(………ほ、殆ど頭抱えてただけです)
「けど、特に聖職者を目指してるわけではないですよ?」
「そう? 向いてると思うよ」
彼はふっと笑う。冷たそうな印象だったが、その笑顔には意外な柔らかさがあった。
「そう、でしょうか………?」
(確かに、ちょっとした魔獣退治ができるくらいには、聖職系の魔法も使えるけど………)
城や領主元への就職のために、この学園に入学した彼女には、あまり実感の湧かない話だった。
城の官僚になれるとまでは思っていないが、せめて、どこかの領主の元について、その地の人々の生活に貢献できる仕事がしたい。それが彼女の考えだ。
地域の整備でも、魔獣退治の対策班でも、自分に出来そうな事を見つけ、それへの架け橋とするための入学だ。聖職系の事など全く頭に入れていなかった。
(確かに、教会に入って人助けも出来るだろうけど………教会で祈りを捧げて救済より、現地で体を動かしてあくせくする方が自分に向いてると思うんだけどな。………あ、この考えは後でゆっくり………)
「あなたも新入生、ですか?」
「うん。説明会あるでしょ。寮に戻ろうと思って」
「そうなんですね。実は私、も………」
(………誘って良いのかな。馴れ馴れしい、のかな。………舐めてたなぁ。『地位が違おうと何だろうと関係ない!』とか、来る前は強気だったのに………)
先ほどの王子様と騎士様とのやり取りも思い出し、ジャスティーアは一人気落ちする。
「ねえ」
「はい!」
「寮、君も行くんでしょ? 行かないの?」
「………え。………あ、はい! 行きます!」
どうやら彼は一緒になる事を前提としていたようだ。
(良い人………)
「あの、お名前は?」
「セーエン・スノーセツ」
「えと、私は」
***
学園寮の時計台。その屋根に降ろされ、アルベラは屋根の中心から突き出た棒にしがみ付いて地上を見下した。
(うわぁ、不法侵入)
冬の風が容赦なく吹き付ける。
「………ていうかガルカさん、普通に怖いんだけど。降ろして」
気分の問題だろうか、先ほどまで歩いてた道が随分小さく細く見える。下から見上げた時はもっと近く感じていたのだが。
「は? 貴様、人の厚意を無下にするのか」
「嘘つけ! 普通に悪意でしょ! ほら、屋上があるんだからそこに降ろしなさい!」
ぶつくさと言いながら、ガルカはアルベラを時計台の少し下にある寮の屋上へと下した。
「よしよし」
アルベラは乱れた髪を手櫛で整えながら、屋上の柵に軽く手を乗せる。
寮周りを見れば、説明会に向けて早めに部屋に戻ろうとしている生徒たちの姿が見えた。
「で? 探し物は高い所から、っていうあんたなりの気づかいなの?」
「ふん。まあそんな所だ。有難いだろう?」
時計台の出っ張りに腰を下ろしたガルカが、アルベラを見下ろし不敵に笑う。
「で、何を探してる?」
(『転生の話もろもろ、人に話すの禁止』『自分の役割の意味、行動の目的、話すの禁止』。つまり………)
アルベラは口を開きかけ、閉じる。改めて口を開き、「人をね」と返した。
「この間から、随分と柄にもない緊張の仕方をしているな。アスタッテ関係か?」
「さあ、どうかしら。………魔族って色々と敏感ね。精神状態筒抜けなんて」
「そこは個体差だ」
(質問の方は流したか。なら是だな)
「………ん? なんだ?」
お嬢様が神妙な顔で顎に手を当て自分を見上げていた。何かを深く考えている、覚悟を決めようとしている顔に、「何をカミングアウトしようとしている?」とガルカは興味を惹かれる。
待っていると、やがてお嬢様が緊張した面持ちで口を開いた。
「―――私、これから人を」
「殺すのか?」
「違う」
「違うのか」
「違う」
「………なんだ。随分な顔をしていたから………つまらん」
「ったく。殺しまでしないっての。………ただ、ちょっといじめようかと思うの」
さらりと自分の役目を口にでき、アルベラは「案外大丈夫だな」と安心する。やはり「悪役になる」という情報自体は「役割の意味、行動の目的」には含まれないのだ。
「なんだ。随分覚悟を決めたような顔をして、そんな事か。拍子抜けだな」
「ええ。そんな事」
もう一つの禁止事項の「転生のもろもろ」とやらも、多分だが「アルベラや八郎が転生者であること」「アスタッテ様とやらがアルベラと八郎を転生させた」という、主にこの二つを示してるのでは? というのがアルベラと八郎の認識だった。
(できればそこの所、本人に確認したいわけだけど………死なないといけないんだもんな………)
アルベラは喉元に手を振れ、ため息をつく。
「だから、そのターゲットを探してたの。納得いただけた?」
「まあ、貴様が挙動不審な理由は分かった。納得してやる」
「それでね。いざという時のためにガルカとエリーにお願いしておきたい事があったの。丁度いいからここで伝えさせてもらうわ」
「お願い?」
「そう。私がある子をいじめる上で、いざという時のお願い」
「ほう。なんだ言ってみろ」
「多分大丈夫だとは思うんだけど―――」
目の前を行く背が脚を止め、ジャスティーアもつられて立ち止まる。
「どうかしました?」
セーエンは寮の上、時計台の出っ張りに腰かける青年を見て目を細めた。
(魔族)
その魔族は十八歳前後の人の姿をし、どこかの使用人のような服を着ていた。
魔族と共に、紫の髪の少女が屋上から景色を眺めている。
(あれは? ………人間?)
臭い物から守る様に、セーエンは鼻に手を当て、目元を歪ませていた。彼の視線を追い、ジャスティーアも寮の屋上を見上げた。
(誰かいる。へぇ、屋上って出られたん、だ)
「………あ」
彼女は目を丸くし、小さく口を開いた。
***
「じゃあ行ってくるから」
「はい、行ってらっしゃいませ」
手を振るエリーを背に、アルベラは部屋からでる。
先ほど戻ってきたばかりで、部屋ではあまりのんびりすることができなかった。先ほどの話、ガルカはエリーにしておいてくれるだろうか。
(まあ、エリーには改めて私からもするつもりだけど)
寮のエントランスに向かうと、既に新入生たちが集まっていた。入学は百数十人。半数近くは中等部から上がってくるので、寮の説明に来るのは残りの半数だ。
(五十人前後、もうほとんど来てる感じね)
まだ私服の者の中に、制服の者もちらほらいた。
「公爵ご令嬢様、お久しぶりね」
「ん?」
呼びかけに振り向くと、見た事あるようでないような顔の少女がいた。随分と威嚇するような目をしている。彼女と共に、眼鏡をかけた藤色の髪の少女もいる。
アルベラは軽く首をひねり、いつ見た顔かと記憶を漁る。その記憶の中、一瞬、鮮やかなピンクのレースが揺れた。
「ああ! キティ!」
「誰よそれ!」
怒り交じりの否定。自信があったのだが違ったようだ。
(じゃあ誰だ)
アルベラはまた考え始める。
「ラビィ・ケイソルティよ」
「カメルーラ・アラレモスです」
「ああ、そうか。ケティ………」
(惜しい。一文字違いだったか)
「お久しぶりですわね、ケティ様」
アルベラは改めてキラキラとほほ笑んで見せたが、ケイソルティはそれが気に入らないようで「だから勝手に略さないでくださる?!」と噛みついた。
「アラレモス様もお久しぶりです。五年ぶりですわね」
「はい。その節はどうも。若気の至りで失礼いたしました」
ケイソルティとアラレモス。二人はラツィラスの十歳の誕生日の時に知り合ったご令嬢だ。まあ、顔を合わせたのは本当に少しの間だ。色々あり、二人はスカートンの逆鱗に触れて窒息死しかけたのである。
「あの時のもう一人の方はいらっしゃらないんですね?」
「ええ。彼女は中等学園に通っていて。私たちとは入れ違いなんです」
「そうでしたの。それは残念ですわ」
「ほほほほほ」と笑い合う二人を前に、ケイソルティは友人の服を引く。
「ルーラ、何仲良くしてるのよ?」
「あら、ラビィ。公爵様のご令嬢よ? どう考えても仲良くしておいた方が得策なお相手じゃない」
「そうよケティ。公爵様のご令嬢なんだから跪いて敬って良いのよ? ………『ルーラ』。随分と呼びやすいですわね。私もそう呼んでもいいかしら?」
「ええ。お好きにどうぞ」
「では、私の方も好きにお呼びになって、ルーラ」
「はい、アルベラ様」
「ルーラ………は、相変わらずだけど。あなたも随分歪んで育ったわね………」
まるで「貴族ごっこ」のような言葉のやり取り。
二人の紫髪の少女たちに気圧され、ケイソルティは後ろへ身を引く。
「ケティ、良いのよ。昔のことは水に流して、貴女も仲良くして良いのよ? 公爵ご令嬢様の、この私と、ほらぁ、」
随分と上から目線で、随分と高圧的な笑顔を浮かべて、アルベラが手を差し出してケイソルティへと歩み寄る。
「あなた、それわざとやってるわね………」
アルベラの楽しそうな様子に、ケイソルティは反発心しか沸き上がらず後退していく。
じりじりと迫るご令嬢と、それを退けるご令嬢。
周囲の目が二人に集まり始めた中、一人の少女がそこに加わった。
「あ、あの………アルベラ、………アルベラ、様!」
「………?」
ケイソルティ弄りの手を止め、アルベラは振り向いく。
そこには明るいオレンジ髪の少女が、緊張と嬉しさと不安の混ざり合った表情を浮かべ立っていた。
『おいあれ、平民の特待生だよな』
アルベラの耳に、どこかからそんな声が聞こえた。
平民が公爵家とどんな関係だろうか。周囲の目が、そんな好奇心を抱えたものへと変わる。
今まで絡んでいたケイソルティとルーラは、空気を読んでそっとアルベラから離れた。
「あの、………私の事、わか」
「分かる?」と言おうとして、ジャスティーアは言葉をきり、
「分かりますか?」と言い直した。
今しがたまで悪ふざけをしていたアルベラの頭の中が、一気に冷静になる。全ての感情の波が引いて、何かが、自分の中で大きく脈打ったのを感じた。
―――始まった。
ただ漠然と、そう感じた。
(この子がヒロイン。………間違いない)
切れ長の目が静かに細められ、オレンジ髪の少女を見据える。
今まで、「ヒロインに出会ったらどういう態度で行くか」散々いろんなパターンを考えてきた。
それらが頭の中で走馬灯のように流れ、無意味なものとなって消え去る。
(………そう来たか)
アルベラはゆるりとほほ笑んだ。
「―――久しぶりね。ユリ」
愛称であるその名を呼ばれ、ユーリィ・ジャスティーアは花が咲き誇るような笑みを浮かべる。
「………良かった、覚えててくれたんだ」
喜びを全身から滲ませながら、抱き着くのを堪えるように、彼女はアルベラの手を両手で包み込んだ。
「久しぶり、です! アルベラ様!」





