144、寮入り 1(彼女の出会い) ◆
「ジャスティーア様」
「はい!」
「あなた様のお部屋はこちらです。同室の方は、今は留守にしているようですね。あとでご挨拶できるでしょう」
「え、と。案内していただきありがとうございます!」
肩に触れる長さの真っすぐなオレンジ髪を揺らし、少女は寮のスタッフへと頭を下げる。平民上がりの彼女は、自分の名前に「様」を付けられ、さも丁寧に扱われることに慣れていなかった。
(なんかむず痒いな………)
「お気になさらず。寮生様がたにお仕えするのが私共の仕事です。また何かありましたら、お気軽にお声がけください」
寮専属の使用人は微笑んで頭を下げると、速やかに自分の業務へと戻っていった。
「さて」
ジャスティーアは室内を見る。備え付けの家具と、自分の大きな旅行鞄。同室者の、整理中であろう荷物。
(ちゃんと二人分ずつ家具がある。ありがたい)
本来、寮入りは明日からだ。だが、個人の都合などで、早めの寮入りが希望であれば申請をすることでそれが叶う。
彼女は自分のベッド横に置かれた荷物を開きながら、備え付けの家具へそれらを移していく。
(学園近くの宿はお高めだし、この雪で離れた宿に宿泊は、明日の登校が不安だものね。………申請簡単に済んで良かった。隣の子も、私と同じ平民かな)
旅商人である父と共に国内を渡り歩いていた彼女は、生活の中で自然と物を見る目が培われていた。
そんな彼女の目が見るに、同室者は貴族ではなさそうだ。
同室者の荷物をじっと見て、「いかんいかん」と頭を振る。
(こんなにじろじろと、言葉通りの品定めを………。失礼だよな。気を付けなきゃ)
「あ! ルームメイト!」
部屋の入口から声がして、ジャスティーアははじかれた様に顔をあげる。
「あ、あの、こんにちは………ええと、初めまして」
「初めまして初めまして! 良かった~。おっかない貴族様と同室だったらどうしようって思ってたの」
自分同様、相手も自分の平民の匂いを嗅ぎつけていたと分かり、ジャスティーアは苦笑する。
「あなたも特待生? 確か十人だっけ。お貴族様百数人に対して平民がたったの十人。肩身狭いよね~。あ、私はリードリー・ロイッタ。リドって呼んで。よろしくね」
ワインレッドのショートヘア―の彼女は、活発そうに笑いかけた。
「明日から、また賑やかになりますね」
新入生たちのリストを眺めていた理事長は、椅子を回して背後の窓へ目をやる。
理事長室から見える寮棟の一部には、もう幾つか明かりが灯っていた。
(王子様に聖女の卵、公爵家が三家………。今年は華やかなメンバーが多いわね)
もっとも、「聖女の卵」とやらの存在については、まだ自分にだけしか知らされていない。教会から、「断定はできないが」という前置き付きで知らされた秘密事項だ。
ノック音が聞こえ、「どうぞ」と彼女(理事長)は声を掛ける。
「失礼いたします。パテック理事」
「ルーディン様。もうお着きでしたか」
「はい。明日のお食事会は出席できず、僕は寮入りでもないので。運が良ければ今日ご挨拶をと思っていました」
「アポを入れといていただければよろしいのに」
「ふらりと立ち寄ったものでして。今日がダメならそうする予定だったんです」
「そうですか。時間が合って良かったですわ。学園内はもう回られたのでしょうか? どうです? 肌に合いそうですか?」
ルーディン・ワーウォルド。この国の第四王子。
中等学園は他国へ留学し、そのままその国の高等学園に上がると聞いていた彼が急にこちらに入学すると言い出したのは、つい先月の事。あちらの学園の卒業式を済ませ、荷をまとめて帰国した彼は面談の際「故郷が恋しくなった」のだと言っていた。
その理由に対し理事長は半信半疑の反応を示していた。
微笑みと共に真意を探るような目を向けられ、ルーディンはクスクス笑う。
「ええ、とても。やはり故郷の土地は足に馴染みますね。学園の中もとても居心地がよかった」
「それは良かったです」
理事長も微笑み返す。
「あ、けど、他人種の方々が居ないのは少し変な感じでした。外に行っていて思ったのですが、やっぱりこの国は少し変わっていますね。独自な発展や風習、隣国に与えた影響など、外からの目で学んで、とても興味深かったです。我が国は凄いのだなと、改めて思い知らされましたよ」
「素敵な発見があったようで何よりですわ。私も他国の学園へ伺うことがあるのですが、その感覚はとても良く分りますもの」
「良かった。やっぱりこれ、僕だけの感覚ではないんですね。この間兄に話したら、ちっとも分かってもらえなかったので。『俺たちが優秀なのは当然だ。知性の無い野蛮人と比べる意味などない』って………一蹴されてしまいました」
無邪気な笑顔を浮かべ、彼は「では、」と姿勢を改める。
「お顔も見せられたことですし、僕はこれで。明日、明後日は晴れるそうですね。入学式が楽しみです」
「ええ。殿下の入学、心より楽しみにしておりますわ」
頭を下げ、去っていくルーディンに、理事長は「ああそうですわ」と声を掛ける。
「学園生活。どうぞ、兄君弟君と仲良くなさってくださいね」
「ええ、もちろん」
ルーディンは柔らかく微笑み、再度一礼し扉を閉めた。
理事長は息をつく。
(時期王はラツィラス殿下………。陛下のその考えは今もぶれていないはず)
だが、当の本人はその件を保留にしているそうだ。陛下もそれを良しとした。まだもう少し自分がその座にいる事を見越して、その間に納得させるつもりで。
第二王子でも、第三王子でも、第四王子でもない。跡取りに選んだ、第二妃の息子。その理由は誰が見ても明らかだ。色濃い王族の血と、神からの寵愛。素質や器と言われる類の物。
パテック理事長も、それは自身で体感し良く分っていた。
(………どこかで誰かが、変な心変わりをしてなきゃいいのだけど)
「皆、仲良くして頂戴ね………」
新入生のリストをそっと撫で、彼女は小さく呟いた。
***
(アルベラ氏………確か今日から)
「どうした、ハチロー」
ツーファミリーのボス、ダン・ツーが机に向かい葉巻を咥えながら尋ねる。
今日八郎は、ちょっとした用事でファミリーを訪れていたのだが。偶然顔を合わせたツーにお茶に誘われ、彼の部屋へと来ていた。
扉と扉をつなぐ便利な魔術具があため、彼らの移動は楽なものだ。もっとも、その使用はツーとリュージにしか許されていないのだが。
「今日は、アルベラ氏が寮に入る日なんでござるよ。そろそろ学園につき、自室を堪能している頃かなと」
「ああ、そうか………嬢ちゃんが。あの子も随分大きくなったな。この間挨拶に来た時はびっくりしたよ」
六十を過ぎたファミリーの親玉は、一見優しそうなおじさまだ。だが、その目は笑っておらず、常に固く、鋭い光を宿している。その目元が、僅かに和らぐ。
「あの男より、まだましに育ってくれて良かったよ。―――あの子は素直だ」
その言葉に、隣に控えていたリュージの顔が歪む。
それに気づいたツーが、くつくつと笑った。
「今はまだ、な。―――あの年頃は、まだまだこれからだ」
***
学園の敷地内、寮棟前。
馬車を降りたアルベラは服を払う。
まだ入学式前なので私服だ。荷物は既に部屋に、あるべき場所に使用人たちの手で整理されているので殆ど手ぶらだ。
父と母との挨拶は家で充分に済ませてきた。
(昨日の夜は『共に寝ようと』とかお父様が言い出して大変だったけど、無事落ち着かせられてよかった。おかげでいつも通り安眠できたし………)
「お嬢様よ、本当に別室で良いのか? どうしてもというなら、共の部屋で世話をしてやるというのに」
―――パン!
すかさずエリーがガルカの頭を叩く。
(エリーだけでなく、ガルカもしっかり付けてくれて。色々と安心だけど、色々と不安ね………)
使用人の部屋は別棟に設けられており、アルベラが学園に通う三年間、エリーとガルカはそこで寝泊まりすることになっている。
学園生活中、常に一緒に行動するわけではないので、空いている時間の過ごし方は主人の指示次第だ。
「ありがとう、ヴォンルペ」
お嬢様に声を掛けられ、御者は一瞬目を丸くし、ニコリとほほ笑み頭を下げた。
「いえいえ。………お嬢様、どうかお元気で」
「あら、何しんみりしてるのよ。今週末また帰るっていうのに」
(………正直、あんま気乗りしない帰郷だけど)
「ははは。そうでしたね」
「隣町だっていうのに大袈裟ね。それに」
アルベラは言葉を切り、深いため息をつく。
「………お父様、仕事で王都に良く来てるでしょ。どうせ隙あらば立ち寄るわ」
「よ、よくわかってらっしゃる」
ヴォンルペは苦笑する。
「だからまたね。あなたも年なんだから、体に気を付けるのよ」
「ええ。ありがとうございます。お嬢様もご自愛を。では、」
馬車がゆっくりと進みだし、アルベラは寮棟へと向き直る。
(雪つもったな)
寮前は、もう既に、人や馬車が行き来した跡が多くあり、雪が腐れて溶けていた。だが、人が通らない場所にはこんもりと、分厚く真っ白な雪が積もり、その表面を昼の明かりに輝かせている。
(まだ時間的には余裕がある。色々見て回りたいところだけど………)
「ひとまず部屋に行きましょう」
「わぁ」という、声を潜めた歓声が聞こえたかと思うと、騒めいていた場が一気に静まり返った。
リドは「何事か」と、皆の視線が集まる方へ顔を向けようとした。そこに、ふわりと鼻先を風が仰ぎ、僅かな香水の香りと、ラベンダーと水色の軌跡が目の前を通り過ぎていく。その後に背の高い二人の使用人が続いていったと分かった頃には、辺りはまた騒めき始めていた。
『―――見たか? あの使用人凄い美人だったな』
『―――素敵………。あの黒髪の方、どこかのご令息かしら』
『―――今の方、どこかで見たような………。どちらのお嬢様?』
『―――私知っていてよ。ほら、ディオール公爵の』
『―――凄い迫力だな。おい、お前声かけろよ』
『―――あれが公爵家か。仕えている使用人もレベルが違うな』
今目の前を通り過ぎて行った背中を見て、リドは「ほうっ」と息をつく。
(公爵ご令嬢。また天の上のような人が、同じ学園に………。私、関わることあるのかしら?)
一人部屋の自室。どさりとベッドに腰掛け、アルベラは自分の影を見つめる。それが「ズズズ………」とわずかに蠢いたのを見て、彼女はくすりと笑った。
「久しぶり」
影の中、大きな犬の鼻先が挨拶をするようにアルベラの靴の裏を小突いた。
「おい。晩餐会は夕方だったな」
首元を煩わし気に緩め、ガルカが声を上げる。
「ええ」
「俺はそれまで自由にしてていい。だったな?」
「ええ。けど翼とかは無しね。ディオール家の使用人として恥ずかしくないぶらつき方をなさい」
「はいはい。じゃあ、後は任せたぞ、オカマおと」
「あんたその呼び方、次したら頭蓋握りつぶすわよ」
エリーに後から頭を掴まれ、「暴力的な奴だ」と、ガルカは目を据わらせて軽口で返す。その耳の奥で、早速頭蓋のきしむ音がした。
***
魔術により除雪された快適な道を辿り、ジャスティーアは寮の周辺を散策していた。
説明会までの数時間。落ち着かないので、散歩でもして気持ちを落ち着かせたかった。
(昨日リドと十分歩き回ったし、迷子にはならないはず。部屋には一時間前に戻ってればいいか)
寮周りをぐるりと回り、今向かっているのは学園の聖堂だ。
お祈りという名の休憩を少し取り、また散歩後に部屋に戻れば、丁度いい時間だろう。
(やっぱり、落ち着くならあそこが一番。どこにでもあって、どこも大体同じ。それに―――)
視界の端、小さな光の粒が入り込む。それの動きを追って視線を動かすが、見えたのはわずか一瞬で、それはまた見えなくなってしまった。
(聖堂は、この光が沢山)
ふと、校門の方から聞こえる人の声が耳に入る。馬の嘶きや、ひずめの音、鞭の音なんかも時折聞こえる。
たまに視界に入り込む光の粒たちも、動きが少し慌ただしくなっていた。
(………いよいよ、なんだな)
少し緊張してきた。
聖堂ももう少しという所で、正面から二人の少年が歩いてくるのが見えた。警備や先生ではない。多分学生だ。
彼女はとっさに顔を伏せる。
(あ………、そうか。どうしよう。こういう場合って、何か挨拶した方が良いのかな。全然考えてなかった)
身に着けている衣服で分かる。明らかに貴族。位の高い人たちだ。
自分よりも背の高い影が二つ。着々と距離が縮まっているのを感じ、ジャスティーアはとっさに「ご、ごきげんよう!」と声を上げていた。
やらないよりやった方がマシ。そんな精神から、とりあえず突いて出てしまった挨拶。だが、口にして直ぐに恥ずかしくなる。
両手を口に当て、うつ向いて通り過ぎようとする彼女に、斜め前の二人の片方から、「ごきげんよう」と柔らかい返事が返ってきた。
(かえして、くれた)
その優しい声音と、目に入った光の粒がふわりと舞い上がるのを見て、ジャスティーアは咄嗟に顔をあげる。
(え、あ、………?!)
彼女の踵が、石畳の凹凸に取られてバランスを崩す。
「………は」
倒れそうになったその体は、後ろから誰かに支えられ転倒を免れた。
自分に何が起きたのか一瞬分からず、彼女は暫し呆然としてしまう。
「大丈夫か?」
「………は、は………い。すいません」
(ああ、情けない………)
姿勢を正そうとした彼女の正面。挨拶を返した声の主がくすくすと笑い、軽く前かがみになって彼女の顔を覗き込む。
「ナイスキャッチ。………お怪我はないですか?」と、手を差し出されるも、ジャスティーアはそれに気づかない。
柔らかい金髪に、透き通るような白い肌。綺麗な赤い瞳。
(………天使みたいな人)
その姿にしばし見惚れてしまい、脚に力を入れる事を忘れてしまう。
「足、捻ったか?」と、後ろからの声。
ジャスティーアの視界に、日に焼けた肌と、赤い髪が僅かに入る。
「あ、ごめんなさい! 全然大丈夫です!」
人に寄りかかったままだったのを思い出し、ジャスティーアは急いで姿勢を正した。そこでようやく自分に差し出されていた手に気づき、さらに彼女は謝罪の言葉を告げる。
必要無くなった手をひっこめると金髪の彼は「本当になんともなさそうだね、良かった」と笑った。
「すみません! ご迷惑をおかけして本当にすみません!」
(………お貴族様になんてことを)
「いや、無事ならいい」
恐縮して頭を下げ続けるジャスティーアに、赤髪の少年は困ったように身を引く。彼のその表情が、どこかむっとしているように見えてしまい、ジャスティーアはさらに内心委縮してしまう。
(機嫌を………損ねてしまった………かも)
「あ、あの、本当にすみません………じゃなくて、えっと………あの! 助けて頂いて、本当にありがとうございます!」
「ああ………どういたしまして………」
(もしかして、若干引かれているのでは………)
ジャスティーアは自分の落ち着きなさに気が付き、情けなさと恥ずかしさで駆け出したくなった。だがそんなことをすれば、自分の不審者具合に拍車がかかってしまう。どうしようもなく、火照った顔を伏せて立ち尽くす。
耳まで真っ赤になった彼女へ、もう一人の少年が気遣う様に柔らかく微笑んだ。
「ごめんね、彼少し不愛想なんだ。何も気にする事ないよ? 怖くない怖くない」
「あ、いえ、怖いなんてそんな………」
慌てて首を振る彼女に、金髪の少年は「どうどう」と動物をなだめるかのような言葉を掛ける。
「ふふっ、………君、新入生かな?」
「はい」
「そっか。じゃあ僕らと一緒だね。今日いるって事は寮生だよね。説明会の時間は大丈夫なの?」
「はい。まだ時間があるので」
「そうか………時間あるのか………」
彼は少し考える素振りを見せ、思い出したようにジャスティーアへ笑いかける。
「ごめんごめん。足止めさせちゃったね。僕らも行こうか、ジーン」
「ああ」
「あ、こっちはジーン・ジェイシ。僕の護衛だよ。僕はラツィラス・ワーウォルド。よろしくね」
握手、と手を差し伸ばされる。ジャスティーアは、挙動不審になりそうなのを何とか堪え、自分も手を差し出した。





