140、実戦と地図 3(エリーとエイヴィー族)
エリーの馬にピリを乗せ、アルベラとエリーとティーチは、ツーファミリーのアジトの一つへと向かっていた。
国同士の契約を無視した、個人による他人種の人身売買。これは、この国では重罪だ。その罪は自分達と同族の人種をやり取りした時よりも重い。売った側の死刑は確実。違法と分かった上での購入であれば、買った側も同様。
人種ごとにその契約内容は異なるが、この国とエイヴィー族とは、少なくとも「罪人同士の交換」であれば良しとされている。外交官がそのやり取りを行うのも絶対条件である。
正規のやり取りを踏んで連れてこられた他人種の奴隷には、それを証明する焼き印が押される。特別な魔術の施された焼き印は、完璧な再現は不可能だと言われているが………悪事に情熱を注ぐ者というのはどこにでもいるもので、そう言った焼き印も、見た目だけなら精巧に作れる人間というのが少ないが存在する。
極稀に、焼き印の魔術まで精巧にコピーされている事があるが、そうなると逆に、真偽の確認は簡単になる。焼き印に施された魔術には、いつ、どこからどんな罪で連れてこられたのかという個人情報が入っているため、城の記録に無い情報、ダブっている情報は、違法取引にて連れてこられた者と確認する事が出来るからだ。
そういう事に努力する輩の手により、この国には多くはないが、契約に反して連れてこられた他人種奴隷も紛れ込んでいるのである。
ピリは不運にも、その被害者の一人になってしまった。
まだ焼き印がされていないのは、不幸中の幸いだったろう。偽の焼印は、早い段階であれば治癒の魔法で消せる物が多い。古傷であっても、この世界では金を積めば大体の傷跡は消せるため、跡を心配する必要はないが、何にしても痛い思いをしないに越したことはないだろう。
(他人種を連れてると疑いの目で見られるから、『冒険者組合に報告は必須』か。授業では習っていたけど、当事者になると結構大変なのね………)
倉庫を確認後、ティーチも、周りから変に疑われるのは嫌だからと、ピリを連れて冒険者組合へもう一度立ち寄り「保護証明書」とやらをもらってきた。冒険者組合は役所へ報告を入れ、ピリを故郷へ帰す準備を整える、という流れとなっているそうだ。
その間、ピリは預かり先が無ければ組合の方で保護することもできるが―――
「ピリ坊、私の所に暫く居るかい?」
「坊? ピリ女」
と、首を傾ぐピリだが、
「お世話してくれるならそれは安心」と、いう事で、ティーチが預かることとなった。
「姐さん。預かるって、姐さんの家で?」
「ああ」
ティーチは組合から受け取った、「保護者証明」のバンドを腕に嵌めながら頷く。
「つっても、私は留守にすること多い。かといって連れまわすわけにもいかない。他種族の子供一人で留守番は、攫われる可能性もあって危険だ。っという事で、ファミリーの奴らに面倒みさせようと思う。………護衛になって一石二鳥だろ?」
「けど姐さん、ファミリーに置いて大丈夫なの? 他の人たち何も言わない? あいつ等がピリを売り飛ばしちゃったりとか」
アルベラの言葉に、ピリが若干焦ったように、ティーチやエリーの顔を忙しなく見上げる。
「大丈夫大丈夫」
ティーチがケラケラと笑い、ピリの頭を撫でた。
「幸か不幸か、ウチじゃあ他種族………おっと。『他人種』の売買はしてない。むしろ禁止してるくらいだ。安全だろ? 珍しい物好きは多いし、嬢ちゃんの時と同じノリで受け入れる奴は多いだろうね。………一人『ばらし』たがりそうな旦那もいるが………」
「………最後のはひどく不安だわ。絶対コーニオには見せちゃダメよ、姐さん」
「ははは。そこは自信ないな。まあ、預かりの件の方は、今日の獲物の被害者だって言やあ何とかなるなる!」
「駄目だ」
(何とかならなかった)
アルベラは息をつく。
「ここは託児所じゃねぇ」
ピリを連れたティーチを、偶然その場に居合わせていたリュージが腕を組んで見下ろす。
「………い、一泊お幾らで」
「宿でもねえんだよ!!」
尋ねかけたティーチの言葉に、リュージのイラついた声がかぶさった。突然の怒鳴り声に、ピリの肩がびくりと揺れる。
「何でよ若さん! 良いじゃない少しの間くらい!」
ティーチがピリを抱きながリュージに向ける目は、まるで拾ってきた子犬を飼いたいとねだる子供さながらだ。その横で、アルベラは便乗して声を上げる。
「そうだそうだ! 若さんの意地悪! 極悪面! 鬼! 偏屈! 頭でっかち! へそ曲がり!」
リュージの腕が真っすぐにアルベラの胸倉へと伸びた。
「てめぇはただおちょくりたいだけだろ」
「………」
(そうです)
ぶら下げられたアルベラは、視線を逸らし口を閉じる。
「ピ、ピリここヤダ。こ、怖い………」
ティーチの腕の中、鳥娘は瞬きの少ない真ん丸の目を潤ませ、身を小さく震わせていた。
「こ、怖い。………この人、むり………」
「あ゛あ゛?!」
リュージは遠慮なしにピリを睨みつける。ピリは大きく肩を揺らし、「もう余計なことは言いません」と言うように、嘴を両手で抑え首を振った。
(ミクレーの嬢ちゃんは随分慣れちまったけど………)
(………これが普通の反応だよな)
(俺鳥好きだから良いんだけどな………羽触りてぇ)
同室で静観する者達は、思い思いの言葉を飲み込む。
涙目で見つめられ、リュージは息をついた。
「ちっ、クソガキ」
ようやくアルベラの胸倉を離すと、リュージは乱雑に自分の頭を掻いて奥の部屋へと向かっていく。
(あ。居づらくなって逃げた)
ティーチは苦笑する。
後ろに数歩よろけたアルベラは、後ろからそっとエリーに受け止められた。頭上から、「………お嬢様、羨ましい」と吐息に乗せた小さな言葉が聞こえた。
(おいこら)
アルベラがエリーを見上げると、熱を帯びた青い瞳が、あのチンピラの背へと向けられていた。
(恋する変態め………)
自室のドアノブに手をかけ、リュージが足を止める。
「………うちでそれ飼うのは最終手段にしろ。それより、もっと安全で確実なところがあんだろ」
去り際のリュージの言葉に、室内にいる大人たちの目がアルベラへと集まった。
パタン、と戸の締まる音。
「………え? あ、………え?」
アルベラはきょとんと扉を見つめ、ピリへ向き合う。
(まさか家に連れて行くことになるとは………。まあ確かに、お父様に相談すれば話は早いか………。保護者証明も受け取ってるし)
家路についた馬の上、アルベラは隣のエリーの馬を見る。
「ピリ」
「ん?」
「あなた、なんか私のこと怖がってない?」
エリーの腕越しに、ピリはちらちらと、アルベラへと顔を向けては背けてを繰り返していた。
なぜかエリーはガン見するのに、自分と話す時は視線を直ぐにそらしてしまうのだ。そんな彼女の様子を、アルベラは単純に不思議に思ていった。
「ピリ、アルベラ怖くないよ?」
「そう?」
と、じっと見つめると、ピリの真ん丸な瞳は瞬きもせずに視線を横にそらした。向く方角を変えた嘴が、「カツ、カツ、カツ、」とゆっくり小さく打ち鳴らされている。
(言ってる傍から)
「けどね」
「けど?」
「アルベラはアルベラで、人にしては変わった匂いなの。悪魔の匂い? に、すっごい似てる」
「悪魔?」
「そう。魔族が崇拝してる『神じゃない奴』。エイヴィはそいつを悪魔って呼んでる」
「ああ。なるほど」
(なるほど。エイヴィの間では『アスタッテ』は『悪魔』なのか。その匂いがかぎ分けられるのは、魔族だけじゃないと。………それにしても『悪魔』扱いしてる国があったとは。他人種と会った事なんてないもんな………)
この国には『悪魔』と呼ばれ、命名されている存在が幾つかある。
(けど『アスタッテ』なんて悪魔、聞いたことないんだよな………)
「ピリ、それって臭いの?」
「んーん。臭くはない。けどね、罪を誘う匂いなんだって」
「何それ?」
「ヌーダは知らないの? エイヴィの国では、魔族が崇拝してる悪魔の匂いは、罪人にはすっごい良い匂いなんだって。とろけちゃうような、心を夢中にさせる匂いなんだって」
「ヌーダ」とは、アルベラ達のような、毛や翼や鱗を纏ってない人種の者達の事だ。ピリ達、鳥人間がエンヴィー族だとすれば、アルベラ達、肌がむき出しの人間は「ヌーダ族」なのである。
「だからピリ、アルベラが良い匂いに感じなくて良かったって思ってる。けど、その匂いずっと嗅いでたら、惑わされて罪人になっちゃうかもって、気を付けてるの」
「ああ。だから………」
つまり、さっきからしているのは目を逸らしているのではなく、鼻を逸らしていたのだ。
「アルベラ、この話嫌な気分になった?」
「いいえ。私の匂いがどんなのかは分からないけど、不安ならそうしてて。なんなら鼻を覆ってても気にしないから」
「そお。………ごめんね。ありがとう。ピリを助けてくれたから、二人が良いヌーダって事は分かるの。だから、二人を嫌な気分にしたくはないの」
エンヴィー族は、鳥に似て、顔の筋肉の動きに乏しい種族だ。そんな表情の起伏が少ない彼女からの温かな言葉に、アルベラは胸を打つ。
(いい子!)
ピリへ、先ほどの「匂い」や「悪魔」の話については家では絶対にしないように念をおし、アルベラはわが家へ帰宅する。
他人種の訪問に、迎えた使用人は目を丸くしていた。
「おじょ、う、さま。ついに………やはり、他人種をお買いに………」
「ちがう! ていうか『やはり』って何?! いつか買うと思ってたの?!」
「い、いえ! そう言うわけでは、すみません!」
「良いからこの子綺麗にして。お父様とお母様はいる?」
「レミリアス様でしたら部屋に。旦那様は今日は遅くなるかと」
「わかった。………じゃあまずお母様に説明するか」
(そうか。ならガルカも今日は遅いか)
アルベラはひとまず部屋に戻り、身を整え、母へと今日の出来事を説明しに行った。「町を散歩してたら、偶然エイヴィー族を保護した」と。
夕食を済ませ、お風呂も済ませ、遅くに帰って来た父への説明を済ませ。自室のベッドでゴロゴロしながら、お嬢様は自身が雇った使用人に胡乱な目をやる。
「確か、『魔族の血の混じった部族』じゃなかったっけ?」
「あら、覚えてらしたのね」
エリーは「ふふふ」と笑った。
「そうですよ。魔族の血も交じってます。あと、エイヴィの血も」
エリーはあっさりと答える。ピリと出会ったことで白状する気になったのだ。
アルベラはまじまじとエリーを見つめた。そこにピリと同じような鳥の羽も、ガルカと同じような血色の悪さや、尖った犬歯はない。
「二つの種族? ………ああ。『私達』も合わせれば三つ?」
「ええ。他にも幾つか。私自身は把握してませんが。他人種だけでなく、異種族も」
「他? 異種族? そんなことあるの?」
「ええ、ここに」
アルベラの脳裏に、かなり大座大雑把に「例えば犬と猫」という例が上がる。そしてそのすぐ後、「自然の摂理的には」「人為的な交配なら?」と幾つかの言葉が続いた。
(けど、そんなの可能なの? キメラの研究の実例について聞いたことあるけど、あれは交配によるものじゃない。存在してる個体の体を切り張りする魔術だったり、細胞や胎児レベルの時に、生後の発達に関する『記録』とやらを奪って、それを同じように細胞や胎児の一つの個体に『埋め込む』『書き込む』みたいな。どっちにしたって人が『接合』をしなきゃいけなかったはず。前世での動物を混ぜた例だって、同じイヌ科やネコ科同士の生き物しか見たことないし、シマウマとロバとか、何かの魚と何かの魚とか………。まだエイヴィーと魔族なら、同じ人の形だしあり得るかもだけど、人と他種族? それって人と動物が交配するのと同じくらい無理なんじゃ………。そいういう実験? 魔術? ………聞いたことない)
「ふふふ。ずいぶん考えこんでますね」
エリーは眉を寄せたまま固まったアルベラの頬をつつき、嬉しそうに笑った。





