14、怪しいお薬 2(人攫いの噂)
「え? アルベラ嬢が?」
日が傾き始め、一日のスケジュールがおおむね済んだ頃。
夕食の時間まで自室でお茶を飲んでくつろごうとしていたラツィラスが不思議そうに声を上げた。
「ああ。次の日無事に街には行けたみたいだな。……他人の空似かもしれないけど」
稽古終わりのジーンが、いつものごとく外で聞いた話を王子に伝えている所だった。
ラツィラスはあの日の晩、アルベラが部屋を抜け出していた事をジーンから聞いていた。
何より、ジーンに自分のもとを離れ、庭を見に行くようにと指示したのがラツィラスだった。
もちろん相手が危険そうな人物だったらジーンを行かせたりはしなかった。二人の目があの夜闇でのシルエットを、自分たちと同じ年ごろの子供だと捉えていたから行かせたのだ。
「彼女っぽい誰かが壁を伝ってるのを見た時はびっくりしたけど……ふふふ……君に見に行ってもらって正解だったな」
王子様は楽しそうにくすくす笑う。
「けどなんで人攫いに? ……本当に本人だったのかな?」
「さあ。警備団へ駆けつけた子供の証言とか言ってたけど、名前と特徴が同じだったんだと。けど駆けつけたら人攫いは皆気を失って倒れてるし、子供は一人も残ってないしで、本人かは確認できてないって。人攫いグループのリーダーも、子供の通報の時は居合わせてなかったけどその日の内に別件で捕まったって。間抜けな人攫い集団ってことで話の種になってた」
「へえー。その悪党を全員倒したのがアルベラ嬢だったりして」
「違うみたいだぞ。子供は逃げただけで、悪党を気絶させたのはそいつらの知り合いの仕業だって。裏切りがあったみたいだな」
「ちぇー、違うのか。……けど、捕まった子供の一人がアルベラ嬢だったとしたら大変な事件だね。次会う機会があるとしたら僕の誕生日会か……。会えたらぜひ話を聞きたいなぁ」
悪戯っぽく笑う王子様を横目に、ジーンは「そうだな」と適当に頷き自分のカップにお茶を注ぐ。
「そうそう、今年からは君にも参加してもらう事になったから」
紅茶を口に含みかけていたジーンは「こふ、」と小さく咳込んだ。
「側付きの仕事も大事だけど、そろそろ紳士として人の集まる場にも慣れてもらわないと。僕の護衛ならお嬢様方のエスコートも大事な任務だよ。宜しくね、ジーン」
王子のその言葉にジーンは苦い顔をした。
「あ、ダンスの練習、君の分も早速スケジュール組んでおいたから。明日から少しずつよろしく。一緒に頑張ろう!」
眩しいばかりの無邪気な笑顔に、ジーンは声を荒げる。
『お前、何勝手に!!』
扉の中からジーンの怒りの声と、悪戯が成功した時のラツィラスの笑い声が漏れる。
王子様の部屋の外に控えてた二人の使用人は室内から上がる子供達の楽し気な声に釣られてクスクスと笑みを零していた。
***
エリーと出会って数日後の長閑な午後。
アルベラは自室にて一人の時間を取っていた。
「はぁ~……」
(真面目で善良だった私が悪役かぁ……。神様も気まぐれね。ま、神様じゃないらしいけど)
前世と違う生き方をこれも一興だと思ってる自分もいた。
折角の二度目なのだ。
どうせなら前回と全く異なるものにしたいではないか。
(まぁ……世界観からして全くの別物なんだけど……。ていうか記憶を思い出して早数日。同じ転生者らしき人物からの接触がまったくないなぁ……。そして気になる件がもう一つ……)
アルベラは、机の引き出しから小さな革袋を取り出した。
その中には赤い丸薬。
エリーと出会った日、ちゃっかりとアルベラはドグズという男のポケットからその袋を拝借していたのだ。
現場の証拠を全て持って行ってしまうのもどうかと思った彼女は、一応何粒かは男の周囲に落としてきていた。
アルベラは袋の中から丸薬を一つ摘まみだし、月明かりに照らす。
薬を眺め、彼女は「ふふふ~」と短く鼻歌をこぼした。
(いい収穫ね。魔力の少ない人間が実力以上の魔法を使えるようになる薬か)
この薬の副作用等調べる必要はあるが、これは役に立ちそうだ。
(エリーにあの日、飲むのを断られたし止められたけど……私もそうそう変な物を食べたくは無いし)
薬を取り出した鍵付きの引き出しから、アルベラは一冊のノートを取り出した。
彼女はそこに箇条書きでメモを取る。
特に考えはなく、アルベラは頭にある自分の役目について描きだしていった。
≪仕事≫
・花壇を荒らす
・本を奪う
・水をかける
・ダンスの邪魔
・お守りを燃やす
・髪を切る
(相変わらず、些細な嫌がらせね。燃やすとか髪を切るとかは割と悪質だけど、何でこんな事しなきゃいけないのやら……。――ああそうか、乙女ゲーだっけ。嫌な事をする悪役。初めの頃はやられたい放題で悔しい思いをするけど、最後は強くなってそんな悪役をさっそうと負かすヒロイン。じゃあこの行動の理由もヒロインへの嫉妬だとか単なる嫌がらせだよな。私はそれをどういう心境でこなしたらいいんだ)
転生までの短い間。
「悪役」と聞いて未知の世界に胸躍るものはあったが、落ち着いて蓋を開けてみればこれだ。
スタートでの役をきっかけに、次の人生では「悪役」を全うしてやるのもアリかなと考えもしたのだが……。
(このままの小さな嫌がらせ続けたって、成れの果ては迷惑おばさんだよなぁ……。学生時代にヘイトを集めすぎてその先の人生に影響が出るのも怖い……やり過ぎには注意しないと。けど前の中途半端な人生を思うと……――今回はやるからにはとことんやり切れる人間になりたいという切実な思いも……――ん?)
アルベラは更に下へと箇条書きを続けようと役割を思い浮かべ首をかしげた。
増えている。
そして消えている。
十歳になった瞬間、頭の中に自分のやるべき仕事がはっきりと浮かんで記憶に焼き付けられた。
その時に記載されていなかった仕事が足され、あったはずの項目が無くなっていた。
消えたのは些細な内容。新たに現れたのも些細な内容だ。
意識すれば思い出せる「悪役令嬢」という役の詳細。だが、その内容はずっと頭の中に張り付いて意識内にあるわけではない。
思い出そうとすれば思い出せるが、思い出さない限りは意識の外なのだ。
その内容が、どういうわけか改めて確認してみれば書き変えられているではないか。
いつ、なぜ、変更されたのか。
これは少年が自ら書き換えているのだろうか? それとも自動? 変ったのはなぜ? 気まぐれ? 規則性があっての入れ替え? なにか目的があっての変更?
(過去が変わって未来が変わるとう……噂のバタフライエフェクト……?)
アルベラは手を動かし、ノートに「内容が変わる」と書き足した。
「そうか、変わるのか……」
(ならこの仕事内容、書き留めておく必要なくない? ……うーん、変更の規則性とか見つかるかもしれないし、一応書いておくか)
ペン先がカリカリと紙を引掻く音を立てる。
アルベラの役目の中にはヒロインとヒーローを相手に買ったり負けたりしなければいけない物もあった。どう言った場面、どう言ったタイミングで起こる戦いなのかまでは分からないため、アルベラにとってはそれらのクエストが特に難解に思えた。
(負けるのは兎も角として勝つとなるとなぁ……――よし、今後の対策もこんなもんかな)
≪いざという時の備え≫
・体力付ける、魔法頑張る
→授業で習う + エリーに教えてもらう
・ドーピング(魔力増? 体力強化可能?)
→役をこなす際に外野から妨害があった時、何かの刺客とか?
→又はヒーローやヒロインとの衝突があった時、兎に角勝たなきゃいけない時などに使用
・ヒーロー達との衝突あり?
→数で攻める、手下を増やす(方法未定)(金銭で雇う?)
→美貌、お色気
→財力で解決? (現状父頼り)
→技術で解決? (武器や兵器の所持、財力必須)
その下には余白が続き、次のページには大きめの文字でこう書いた。
『王子達を倒す、とは』 ※神のお気に入りは傷つけられないのでは?
ゲームの中であの王子様は無敵にも近い説明書きがされていたような気がした。
国一番の魔力の保有者。頭も良く学力は常に学園一位。体術や剣術も優れていると。
それをただの令嬢が倒す? 訳の分からない注文だ。
(原作でもそういう流れがあるのかな)
アルベラは大まかに原作キャラ紹介に描かれていたヒロインやヒーロー達を思い浮かべる。
(素直で優しい聖女見習いのヒロイン、天才王子様に不愛想騎士、ヒロイン一筋の魔術研究者見習い、ミステリアス系美男子、少し荒っぽいワイルド公爵令息)
そして彼等が皆揃いも揃って「将来有望」であるのは言うまでもない
(エリーみたいに強い人材がもっと必要かな……。あの薬もいざという時の頼りになればいいけど、今は安全とは言えないし……)
自分の役目への小さな不安を抱えながら、アルベラは以前と変わらない毎日を過ごすようになった。
「時間を守らなかった罰」で、暫く外出はお預けとなってしまったのだ。
授業をし、エリーから町での出来事を聞いたり、裏でこっそり薬についてを調べてもらったり。
そんな穏やか過ぎて退屈な日々を過ごしているうちに早3ヵ月が経っていた。
アルベラ自身の状況は全く変わってはいないが、エリー曰、街では以前よりあの薬の話が大ごとになってきているらしい。
今まで誰もが夢見てきた、魔力を上げてくれるまさに魔法の薬が存在する。
初めの頃はそんな甘い話が出回っていたそうだが、今では危険視する人々の方が多くなっていた。
(エリーも運良く……いや、悪くか。この間暴れている人が取り押さえられるのを見たって言ってたしな……。あの薬、結構危険ね……)
薬は確かに魔力を高めてくれる。そして筋力も上がるときた。だがその効果は一時的な物で、依存性が強く、気が荒れて凶暴性も増す。
手を出せば最後、薬中が凶暴化し暴れまわることになる。
不幸中の幸いはかなり高額な事だろう。
おかげでそこらの人間がこぞって暴れまわることはない。今のところ暴れて捕まっているのはチンピラのような人間か、美味しい言葉に惹かれて手を出してしまった浅はかな貴族や金持ちたちだ。
魔法の下手な子供にこの薬を飲ませていた結果、子供が暴れて手を付けられなくなり騎士達に取り押さえさせ投獄させたという呆れた親の話しもある。
「不審者?」
授業終わりの休憩時、エリーの話を聞いていたアルベラが尋ねた。
「薬で暴れてる人達じゃなくて?」
「いいえ。それとは全く別の『不審者』です」
「あんたじゃなくて?」
「もう、お嬢様ったらいけず♡」
「……」
アルベラは目を据わらせて紅茶を口に運んだ。
お嬢様が反応を返してくれないのでエリーは話を続ける。
「見た目が怪しいってだけで、大人しい不審者らしいですよ。ただ奇抜な格好をしているので他国の人間ではないかと警備団が警戒しているそうです。一度事情聴取が出来れば安心できるそうなんですが、なかなかすばしっこいのか捕まらないらしく……。因みにその人物が起こした事件とかは無いみたいです」
「へぇー」
「そろそろ出られる頃かと思ったのに、って不安に思ってます?」
「そりゃね……。どっから漏れたのかお父様は私が人攫いにあったんじゃないかって疑うし、ドグズとかいうドクズ野郎を倒した赤いドレスの女がエリーなんじゃないかって話までされるし」
「同じ名前同じ特徴で誤魔化すのが大変でしたね」
「エリーがドグズや人攫い共の言ってる『エリー』だとしたら、私が攫われた先でエリーと出会ったと思われるものね。そうなったらあのお父様の事だし、今の薬問題だけでなく町の悪人を一掃するまで私を外出禁止にしかねない」
「まぁ上手く誤魔化せましたし良いじゃないですか」
エリーはお嬢様のカップに紅茶を注ぐ。
「もういいから座ったら」
「ふふふ、では遠慮なく」
お嬢様と話しながら一緒に紅茶を飲み、エリーは「なんて面白い職場かしら」と内心呟いていた。
アルベラが人攫いの件で父に呼び出されたあの日、エリーも事情聴取という事で呼び出された。
そこには「もううんざりだ」という表情のアルベラが居り、エリーが合流するや否や父の目を盗んで耳打ちをしてきた。
その内容はまさかの「父を懐柔しろ」という話だ。
『お父様、私が関わってないって言っても質問の仕方を変えるばかりで全然納得してくれないの。色仕掛けでも意識を落とすでもいいから早く追わらすの手伝って』
その言葉にエリーはつい吹き出してしまう。
自分の父を母以外の他の女に売るなどいい性格をしているなと思った。
エリーは言われた通りラーゼンを懐柔してみせた。
娘の前で女性に鼻の下を伸ばす父。そんな姿をみせるわけにはいかないとラーゼンは思ったのだろう。
エリーが来てすぐにその場はお開きとなった。
結局人攫いの件がバレてもバレなくても、外出はしばらく禁止となってしまったがその事についてはアルベラも仕方がないと呑み込んでいるようだ。
さらにはその後、エリーはレミリアスからも呼び出されていた。
人攫いの件について、「赤いドレスのエリー」は貴女なのかとレミリアスはエリー尋ねた。 勿論アルベラとの約束があるので「NO」と答えたエリーだが、レミリアスは続けた。
『そうですか、分かりました。これは聞き流してもらっても構いませんが、件の“エリー”が貴女なら、私はとても頼もしいと思っているのです。ラーゼンはあの通り過保護です。ですがそれはあの子の成長の妨げにもなり得ます。アルベラももう十になりました。これからはもっと外の世界に目を向けなければならないと私は考えています。そんな彼女の護衛に、人攫い集団を一人で壊滅させた人物が付いているのなら……私はとても安心です。――エリー娘も言っていましたね、“あなたはとても腕がたつ”と』
レミリアスは貴族の婦人らしく心を見せない笑みを浮かべていた。
その言葉の外で「なぜアルベラが貴女の腕を自信をもって推したのか」と問われているようだった。
その他諸々、他の貴族の下で働いて来た経験のあるエリーは、この三か月で確信していた。
――この家は面白い。
庶民の服を買ってくるように頼むお嬢様。
薬についての調査だけでなく自衛の術を教えてくれと頼んでくるお嬢様。
窓からこっそり出て街に出る手をどう思うと尋ねて来たお嬢様。
彼女は他の貴族の元で見たきた令息や令嬢と何かが違った。
まだ十歳になったばかりだという彼女と話していると、同年の友と話しているような感覚になるのも面白い話だった。
しかし年相応に世の中について知らない事もあるようで、知らない言葉などが出てくると興味津々に食い付いてくる。
明るい緑の瞳はまるで人の心の動きを熟知しているようで、その上で使用人達を揶揄っているような場面もあった。
そしてそんな彼女の家庭環境もまた特殊だ。
公爵家だというのに騎士団を持って居らず、執事はとっかえひっかえで今いる人物はここ最近についたばかり。
ではいざという時の護衛はどうしているのかと言うと、公爵は城に頼んで一時的に騎士を借りているようだ。又は信用できる傭兵団を雇ったり、平民たちで構成されている町の警備団から兵を駆り出したりとしているらしい。
今この公爵邸を警備している者達もそうだ。
騎士のような恰好をしているが、どうやら彼等は公爵と付き合いの長い傭兵団であるらしい。そして町の警備兵も何割か。
どうやらディオール公爵には貴族の敵が多いらしい。
準伯の三男坊が公爵となったのはまだ十数年前の事だ。王都の隣のパルフェイムを与えられ、このストーレムの町に居を移したのもその頃。
それまでこの地を治めていた領主は他でもないラーゼンの手により今までの悪事をばらされ中伯と言う爵位を奪われ平民落ちさせられた。
王は報復が無いようにとその元中伯を遠く離れた地へ流したそうだが、彼の下についていた貴族はまだこの地に残っている。
そう言った成り立ちがるため、先ずは信用できる人間とできない人間をふるいにかけ、長期的に基盤を作っている最中のようだ。
(そんな環境に居ると、子供ってああなるのかしら)
苦労をしてきた人間なら幾らでも見て来た。
だが彼女はそれらとは少しずれているような気もするのだが、とエリーは思う。
(まぁ、私としては楽しく働けてお金も稼げるなら大歓迎ね。この子、次は何を言い出すのかしら……)





