137、酒の実の誕生日 3(色欲の魔術2/2) ◆ ※1章から出ていたヒーロー達の変化 イメージ一覧
「………あ、つい」
「―――!?」
少年の顔が赤くほてり、目が潤む。胸元の服を強く握りしめ引っ張っているせいで、ボタンが一つ外れたのか。首回りが緩くなり、先ほどまで出てなかったはずの鎖骨部分までが露出していた。
十五やそこらの歳の少年にしては、それは随分と妖艶な顔だった。
彼の様子に、ざわめき始めていた周囲が、先ほどよりも更に静まり返った。
肩を叩いた救護班の彼女は言葉を失っていたが、我に返ると、急いで周りを見回し、近くの同僚が着ている薄いジャケットをはぎ取って少年に被せる。
「うわっ………」
ジャケットをかぶせられ、中からくぐもって驚いたような声が上がる。その声もやけに色っぽいものだった。
ミーヴァの様子に、誰かが「本物………?」と呟いた。
「え? まさかあれ、本物だったのか?」
「本物の媚薬? え? 伝説だろ?」
「けど今のって」
救護班はそそくさと部屋の隅にフォルゴートを運ぶ。
「おい! その兄ちゃんはどうなったんだ?!」
「なんだ?! まさか本物なのか?!」
「おい、誰かもう一枚食べてみろ!!」
「使用人の兄ちゃんどこ行った!! 箱持って消えたぞ!!」
「使用人の兄ちゃんを探せ!!」
救護班に連れられたミーヴァを、ジーンは憐みの目で見届ける。
(フォルゴート、本当にごめんな)
ジーンは胸の中で手を合わせる。
(………食わなくてよかった。けど、今思えば劇薬が混ぜられてるとか、爆発の魔術が施されてるとか適当な理由言って止められたか? ………だめだよな。ある程度なら解析できる奴いたし)
くだらなく楽しいことに、人は熱を注ぎたくなるものだ。彼らをヒートアップさせずに止める方法というのを、ジーンは今すぐに思いつけそうにはなかった。
(箱を破壊するって手もあったのか。………いや。明日からの訓練でチクチク嫌味言われるのが面倒だし………根に持つんだよな。症状は時間が解決してくれるって言ってたし………フォルゴート、ごめんな)
ミーヴァへの謝罪の言葉も、本日三度だ。
「………で? 何だ、カザリット。あと先輩方」
目の前に、カザリットを先頭に数人の騎士たちが立っていた。皆大真面目な顔で整列し、ジーンを見ていた。
「お前に頼みがある」
カザリットが重々しく口を開いた。
「あ。これか?」
と、ジーンは手に持っていたクッキーを差し出した。
「おお! 流石兄弟! 話しが早、」
「いやだ。あと誰が兄弟だ」
クッキーは火に包まれ、一瞬で灰と化した。
「あ、………ああ………てっめええええ! 何してるんだよ! わかってんのか?! これをエリーさんに食べさせたらどうなった事か、どんな大変な事になった事か! わかってんのかあああ!!!」
「お前の頭がどうなってる。変態」
周りの先輩方は、床に手をついて灰になったクッキーを悲し気に見つめていた。
カザリットはというと、怒りのままにジーンを揺さぶっていた。
「男はなぁ! 生まれながらに皆変態なんだぞおおお!!!!」
***
ガルカが見つからないままに、会はお開きとなった。
平日の夜遅く。街中はまだ賑やかで明るいが、満足した酔いどれたちが家路につき始める時間帯だ。
ラツィラス達と立ち話をしながら、帰っていく騎士たちと挨拶する中、アルベラの耳に数人の話し声が聞こえてくる。
「おい、大丈夫か? あの媚薬、ディオール家の使用人が持ってるんだよな?」
「あの公爵様が本物の媚薬を………。大丈夫か? ただの色欲馬鹿が持っててくれた方が大分安心なんだが」
「そもそもあの媚薬、誰が持ってきたんだよ? もしかしたら、あの使用人は自分の主の物を回収しただけなんじゃ………」
「公爵が持ち込んだ代物だっていうのか?」
「自分の子供に媚薬持たせて色目使わせるなんてよくある事だろ」
「既成事実って? 王族相手にか?」
「まあ確かに。あんな希少な品を手に入れられる人間なんて、かなり限られてくるしな」
「候補者の件と矛盾しないか?」
「わざわざ土俵に上がらずともって事だったとか?」
(見事に勘違いされてる)
アルベラは苦い表情を浮かべる。
(………けど、悪評は歓迎すべきか)
「アルベラが僕に媚薬入りのクッキーを食べさせようとしたって、噂になる日も遠くないかもね」
ラツィラスがクスリと笑った。
「噂は兎も角ですが、………実際に私が殿下相手にあんな薬を盛ることなんて、絶対ないでしょうね。ミーヴァみたいになられた日には地獄絵図になりますよ」
「えー。本物の媚薬、僕は喜んで食べてみたいんだけど。どんな感じか気になるし」
「駄目です」
「絶対やめろ」
エリーは落ち着きなく辺りを見回していた。ガルカは消息不明だが、屋敷には戻ってくるだろう。アルベラは、帰宅後、あの魔族にどう問い質してやろうかと考える。
ミーヴァはと言えば、他に手の施しようがなかったために、魔法で深い眠りにつかされた。そんな彼を、キリエが「いいトレーニングにあるから」とおぶっている。
キリエの背で、ミーヴァは熱に浮かされ、呼吸が少し早くなっており、汗がうっすらと浮かびあがっていた。
(発情の症状ではあるけど、気が荒くなる系じゃなくてよかった)
発情期、気が荒くなり同族のメス以外に攻撃的なる生き物がいる。彼らはどちらかが逃げ出すか死ぬまで衝突を続けるのだ。怪我人が出るような薬でなかったのは不幸中の幸いだ。
(けど、これはこれで問題だよな………)
キリエは背中の友人の様子を見ながら、アルベラへ念を押す。
「アルベラ、ガルカさんがあのクッキー持ってきても、絶対に触らないで! というか、危ないのは箱なんだっけ。とにかく気を付けて!」
(万が一アルベラがこんな薬を口にしたら………!)
キリエの心配する視線に、アルベラは「ありがとう。気を付ける」と感謝を込めて頷く。
「そうだな。あの魔族が箱持ってきても、お前は絶対触るな。絶対余計なことするな」
(こいつの手にあの禁術が渡ったら悪用しかねない。悪戯に被害者が出ないよう阻止しないと)
ジーンの心配する視線に、「どういう意味かしら?」とアルベラは冷ややかに微笑む。
「まあ、あんな薬があるなんて、発覚したのが今日この場所でよかったよね! うちの騎士や軍人は優秀なうえ紳士だから、まさかあの媚薬を、本当に女性に使おうなんて思う輩はいなかったはずだし! そんな奴がいたら、騎士の風上にも置けないもんね!」
ラツィラスがわざとらしく、周りに聞こえる声でそう言うと、辺りの数人の男たちが小さく身を揺らした。「げふんげふん」と咳き込んだり「まったくだ」「いかがわしい」「けしからん」などのセリフがちらほらと聞こえてきた。
「ふふふ」とラツィラスは満足そうな笑みをこぼす。
(遊んでるな………)
(遊ぶな)
(ラツィラス様楽しそう)
アルベラ、ジーン、キリエがそれぞれの感想を抱く。
「アルベラ、ごめんなさい。私、重いでしょ?」
アルベラに寄りかかり、ウトウトしていたスカートンが顔を上げる。
「大丈夫だから気にしないで。もう少しで馬車が来るから。スカートンももう少しの辛抱よ」
「………ごめんなさい。私、折角のジーン様の誕生日なのに、こんなに寝ちゃって」
「いや、それは………スカートンは悪くないから」
(私があのグラスを置きっぱなしにしたせいだから。ごめんね)
「気にしないでよ、スカートン。また来年もここでやるから、ぜひ来て」
ラツィラスが安心させるように微笑む。
「そうですか? ふふ………。また、誘っていただけるなら嬉しいです」
「誘うよ」とジーンが返す。
「こんな騒がしい所で良ければまた来てくれ。次は絶対、眠くなったりしない」
スカートンはくすりと笑う。
「ジーン様がそう言うなら安心ですね」
「………来年。来年か。まだあと五ヶ月もある。待ち遠しいな」と、キリエがぼやく。
「そうね。待ち遠しい。進学まであと五ヵ月。アルベラと一緒に寮生活か。あ、その前にラツィラス様の誕生日も………楽しみね」
首をかしげて見上げてくるスカートンに、アルベラは目を伏せて微笑む。
「そうね。とても楽しみ」
***
帰っていく騎士たちの中、店の前で数組がまだ足を止めて話に花を咲かせていた。
その中の一組。ポニーテールの少女が、友人たちと楽し気に言葉を交わす赤髪の少年へ、熱のこもった視線を向けていた。
話してる途中、突然席を立ち、どこかへ行ってしまった彼を思い出す。きっとラツィラス様に呼ばれたのだろうと割り切り、帰りにまた話せたらいいなと思っていたのだが。どうやら今は、ご学友との話に花が咲いている様だ。
「ジーン先輩………もっと話したかったな………」
「ローサー。心の声漏れてるよー」
隣の友人が揶揄って笑う。
「仕方ないよ。ローサは、『先輩と途中まで一緒に帰れるかも』って期待してたんだもんね?」
「そ、それは、ちょっとした冗談で」
「けど、帰る方向は同じだし、満更でもなかったんでしょ?」
「あーあ。私も殿下と帰れるかもって、少し期待してたのにー」
「もう! やめてよ。あれは本当に冗談だったの! ほら、もう帰りましょう。こんな色気のない恰好のまんまじゃやだって、リサ言ってたじゃない」
「えー。『着飾ってるのより、こっちの方が良い気がする!』ってローサが気合入れてたから、私もあえて訓練終わりの格好で付き合ってきたんでしょー。浮いちゃったら可哀そうかなーって思ったのにさー。まあ、あんまり着飾ってる人なんていなかったから逆に良かったけどさー」
「え? そういう事だったの? 私は単純にこの格好の方が身軽で好きだったから、良いか~って思ってたけど」
「違う! 違うからねギルヴ! 私もこの格好の方が好きだったの! もう、やめてよリサ!」
賑やかな声を上げながら、彼女たちは道を歩く。皆同じ場所に馬を預けていたため、それぞれの馬に乗ると、またも皆同じ方向へと向かって馬を歩かせ始めた。
夜も遅いので、今夜は城にある騎士団用の、宿泊棟を使う予定なのだ。彼女たちは皆、騎士見習いであるが、一端にもご令嬢である。剣を携え、馬にまたがっているとはいえ、一人での夜道が危険なことは重々承知していた。だからこうして、今夜は集団で帰るよう決めていたのだ。
その中の一人が、「そういえば聞いた?」と口を開く。
「今日の媚薬騒動。ディオール嬢が持ち込んだんじゃないかって」
「え、何それ? 誰がそんなこと言ったの?」
「さっき先輩たちが話してた」
「えー。だとして、あんな高価なもの、あっさりじゃんけん大会に差し出す?」
「公爵家ともなれば、あれくらい大したことないとか?」
「ジーン先輩が持ってて、それを誰かが取り上げてじゃんけん始まってた気がしたけど………」
「………え」とローサが小さく呟く。
「それってじゃあ、ジーン先輩に上げたって事?」
「誕生日プレゼント? 『好きな女性に使っごらんなさい?』みたいな、公爵ご令嬢のジョーク?」
「そ・れ・と・も………」と、一人が含むように言葉を弾ませる。
「ご令嬢が、先輩にひと盛りしようとしてバレたとか?」
「………」
「………」
「………」
「ま、まさかー。バレれば犯罪よ。そんな軽率なぁ」
「そ、そうそう。確かにジーン先輩恰好良いけど、ラツィラス様だっていたわけだし」
「そうか。ラツィラス様に食べさせようとして、先輩が止めたって線もあるもんね」
「ああ! それ濃厚! けどどっちにしたって犯罪じゃない」
「うーん。………普通に仲良く御交友されてるみたいだし、珍しい品をお披露目するために持ってきただけじゃ………ローサ?」
友人たちが気づくと、ローサの馬が、少し後ろで脚を止めていた。馬が進まないのかと言いたげに、背中の少女を見上げている。
「ローサ? 今の話、全部お遊びだから、考えすぎちゃだめよ?」
「そうそう。殆ど冗談よ。ね?」
「わ、分かってるわよ! 下に金貨が落ちてるように見えただけ!」
「何それ? 言い訳苦しくない?」
「ほら、強盗出てきちゃうかもよ? 襲われちゃうかもよー? 早く来なー」
「私達で助けられない位強い奴出てきちゃうかもよー」
「もう! そうなったら頑張って助けてよ!」
賑やかな笑い声をあげながら、まだ酒屋の明かりが灯る街中を、少女たちが燥ぎながら馬を走らせていく。





