136、酒の実の誕生日 3(色欲の魔術1/2)
「全然余裕だね」
「―――まあ、もう今更ですよね」
飲み干したグラスを前にアルベラ自身自分にひいていた。
こんなに飲むつもりはなかったのだ。だが「まだいける」「まだいけそう」「もう少しいったって問題ないのでは?」と口に運んでいる間に、いつの間にかグラスの三分の二以……いや、四分の三以上を飲み終えていた。
ジーンは気持ち悪い物でも見る様に、アルベラへ複雑な心境の目を向けていた。
「失礼ね。自分だって大丈夫な癖に」
「そうだけど、ここまで強い薬を目の前で一杯飲み干されればいろいろと引くだろ」
「あらあら、まだ少し残ってるのが見えないのかしら? それに誰のせいでこれを飲むことになったんでしたっけ?」
「勝手に忍び込んだあのお坊ちゃんのせいだ。俺はもう謝らない」
「さっきのしおらしいジーン様はどこに行ったのかしら。寂しいわ」
とアルベラはわざとらしく息をつく。
二人のやり取りにラツィラスは「まあまあ」と笑った。
「今年はいい勉強になったよね。来年はさ、部外者の立ち入りには十分に気を付けよう。あとアルベラには更に毒物には強くなってもらう方向で」
「盛られる事前提にはしないで頂きたいです。………来年ですか。もう次の誕生日のお話だなんて気が早いですね」
「ふふ、そうだね。またここだろうし今回の件に懲りずによろしくね」
ラツィラスはアルベラへ柔らかい笑みを向ける。
「王子様の誕生日もここでやってくれれば楽なんだけどな」
「それは流石に狭すぎるなぁ。僕も『酒の実』は好きだけど。………そうだ、城からお金を出して改築してもらおうか? お城に負けない位立派なホール作って、各地の貴族が集まっても大丈夫なスペースを上の階か地下に設けて。一階はこのままの雰囲気を壊さないように」
「堅苦しい奴らが集まった時点で城でやる会と変わらなくなるだろ」
「ははは。確かに」
二人の会話に耳を傾けながら、「来年か」とアルベラは呟く。
(どうなってるんだろう)
正面を眺めるアルベラの視線の先で、じゃんけん大会に引っ張り出されたキリエが笑っていた。ガルカに押さえつけられたままのミーヴァが、キリエに助けを求めている。カザリットが酔いが回った楽しそうな表情でこちらに歩いて来てるのが見た。
(確かに気軽で楽しいけど)
けど、あまり来年の事は期待してはいけない。ついそう考えてしまう。
覚悟をしなければいけない。自分が自分の役目をやり遂げるための。今ある物がこの先にあると思ってはいけない。持っている物を失う事を恐れたり惜しんではいけない。手放す時を覚悟して、時には自分で壊す覚悟もしなければいけない。
(十分できてるつもりだけど。………結局その時になってみないと分からないよなー)
「アルベラ?」
ラツィラスに呼びかけられ、アルベラは「あ、はい」と何の話をしていたかと、つい先ほどの会話を思い出そうとする。が、思い出す前に「のそり」と自分達を見下ろす影に三人は言葉を切る。
「おい主役! 逃がさねーぞ!」
「は?!」
「ちょおーっとこっち来い! お前で最後だ!」
「え、おい、何が」
カザリットに首根っこを掴まれ引きずられる様にジーンは連れ去られていった。
ジーンがじゃんけん大会の中央へ引っ張り出されると、騎士たちから「うおー!」と楽し気な歓声が上がる。
「来たな! 今日の主役!」
「おい、ジーン! 逃げられると思うなよ! ここで負けたら見習いからの卒業は無いと思え!」
「むしろわざと負けるぐらいの男気は見せてもらえねーとなぁ!!」
「は? 何言って」
「さあさあ! ここまで見事に負け抜いてもう後のない『ミルヴィヴァ・フォルゴート様』対、今日十五歳の誕生日を迎え一つ大人になった我らが可愛い後輩、または同僚、または先輩、の『ジーン・ジェイシ』! この勝負で負けた方が、この王子入手の媚薬だか惚れ薬だか得体のしれないクッキーを食べて更に一足先に大人の階段を上ることになります!! 準備はいいか! お前等!」
「は?! なんで俺が?!」
「……ジーン様」
ジーンと向き合い立つミーヴァは俯き拳を震わせていた。
「すみません。けど、俺……あれは絶対に食べたくないんです」
「フォルゴート? あんなのただの擬き製品だろうし、そんなに思いつめなくても」
「はい。きっと元の薬はそうなんでしょうけど……けど、あの箱」
ミーヴァは声を潜める。
「箱?」
「はい。あれ、じいちゃんが昔『若気の至り』とかで作った魔術印なんです。けど問題あって使用禁止になって。世に広まる前に、それに関する書物とかは回収して廃棄したそうなんですけど完全には抑えられなくて。一応国としても使用を禁止したらしいんですけど………やっぱり完全には撤回する事なんてできないですよね。印を刻んだ品が高値でやり取りされてると随分前に笑い話で聞きました。けどまさかこんなところで………」
「………フォルゴート。その魔術どんな効果があるんだ?」
小声で話し合うミーヴァとジーンに周囲からはヤジが飛んでいた。だが今はそんなものは耳に入ってこない。ジーンはミーヴァの様子から嫌な予感を感じていた。
「あれ、色欲の魔術なんです」
「は?」
「つまり、中に入ったあのクッキー……本当に媚薬の効果が付与されてることになるんです。クッキー自体にもそういう成分が練り込まれてたりかけられてるなら尚更、効果は倍増されてると思います」
そう口にするミーヴァの顔から汗がだらだらと流れていた。
衝撃的な内容に、ジーンは一瞬思考を忘れ言葉を失ってしまった。
「ほう……」
小声のやり取りを一言たりとも漏らさずに聞き取っていたガルカが楽し気に唇をなぞる。
アルベラの隣の席でラツィラスは「始まらないねー。最期の決戦」と暢気な笑みを浮かべていた。
「おーい! どぉーしたぁー!」
「さっさと始めろー! 救急班も待機してるから安心しろー!」
視界を務める青年も「ほらほら、行くぞ?」と二人を急かす。
「ジェイシ様。これ、事情を説明して止めるわけには」
「事情を説明………」
ジーンは小さく呟き、話を聞いて俯いていた顔を持ち上げる。
「すまない、フォルゴート」
「ジーン様?」
「俺、絶対勝つから」
「え?! なんで! え?!」
「おおーっと! ジーンは俄然やる気だぁ!! じゃあ構えろお二人さん! 行くぞー!」
「え? ええ?! ジーン様?! なんで? 俺の話聞いてましたよね?!」
(皆にこの箱とクッキ―の事を説明したら―――)
ジーンにはその先が容易く想像できた。
きっと先輩騎士も同僚も、「今日の主役」という言葉を盾に自分を押さえつけてでもこれを食わそうとするだろう。これが他の者の誕生日なら、きっとこの役はそいつに押し付けられたかもしれない。だが残念なことに今日祝われているのは自分だった。主役、つまり「弄られ役」は自分なのだ。
(この数じゃ……勝ち目がない)
ジーンは固唾をのむ。
―――ここは絶対に、逃げきらなければ。
「よおーし! だっさなっきゃまーけよ!」
「ちょっと待てって!」
「フォルゴート、出さないと負けだ。出しておけ」
「ジーン様!?」
「じゃーんけーん!」
「―――な、ななななんでこんな無意味な」
「ぽん!!!!」
騎士たちの声が重なる。
勝敗を見て、誰かが「おお……」と呟いた。
アルベラとラツィラスは席に座ったまま人垣の向こうが覗けないかと、首を伸ばした。
「敗者は――――――――――――ミルヴィヴァ・フォルゴート!!!!!」
「うおおおおおーーーー!!!!!」という歓声に、空気がビリビリと震えた。酒場の外では行き交う人々が「何だ」「どうした」と店の扉へ視線を向けていた。
ジーンはミーヴァの肩に手を置く。
「すまない。フォルゴート」
「ジーン様、どういう事です。なんで止めないんです。しかもなんで勝つんです」
「止めるって言っても禁術みんなに知られるのは不味いだろ? 俺も食いたくないし」
(禁術なんて聞いたら先輩等更にヒートアップしそうだし。そしたら結局矛先が向くの俺だし……無理やり奪って逃走……それはそれでな……)
「そ、そうですけど! 俺だって食べたくないですよ! あの魔術、解毒剤とか無いんですよ!? 時間が解決してくれるのまつしか」
「ほう。それは余計に面白いな」
「は………?」
―――さくっ
ミーヴァの口の中、上品な甘さのクッキーがほろりと崩れた。
勝敗が決まり魔術研究科の孫が肩を落としジーンがそれを慰めているかのような様子の中、司会の青年はいつの間にか箱が無くなっている事に気付く。
「あっれー? おい、あの箱は?」
「は? テーブルの上に置いてただろ?」
「誰か持ってったか?」
「あ、おい、」
同僚が指さす先、公爵家の使用人がいつの間に中央に立ち少年達の間に割って入ってた。
「おいおい。なんだ? もしかしてもう食べさせちゃった?」
司会の青年が使用人と少年達への方へ向かう。
「お兄さん。見る側にもタイミングってのが………」
「おお? そうだな、すまない」
真っ黒な髪の猫目の使用人はニッと笑って一歩引いた。
クッキーを食べたであろうフォルゴート少年は、口を押えて地面に座り込んでいた。
ジーンは口を両手で抑えて目を据わらせる。
その手にはぎりぎり防いだクッキーが指の間にねじ込まれ刺さっていた。
(こいつ。俺にも食わそうとしたな)
フォルゴートの様子を覗き込むようにしゃがみ込んでいるガルカを、ジーンはイラついた目で見下ろす。その視線に、ガルカが「にっ」と笑って返した。
ジーンは口から手を放し、しゃがみ込んだミーヴァへ視線を送った。
「フォルゴート、大丈夫か?」
救護班が様子を見る様にミーヴァの周りに待機し始める。
皆、じっと静かにクッキーを食べた少年の容態を見守っていた。
急に静まり返った店内、店員のお姉さんが「どうしたんでしょうね?」と店主にぼやく声が聞こえた。
「おい、フォルゴート?」
「………」
「大丈夫か?」「まさか危険物?」「いや。だけど危ない毒でないのは確かだって専門の奴が」「ああ。死んだり大怪我するようなものは入ってないって」「アナリシスの魔術具持ち合わせてたやつがハーブが多めに混ぜられてるくらいって言ってたぞ」
動きを見せない少年に一人の女性の救護班が近づき声をかける。彼女は、手に持った水を進めるように差し出した。
「大丈夫かい? 何処か具合が悪く………」
肩を叩かれたミーヴァが、ゆっくりと顔を上げた。





