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アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~  作者: 物太郎
第3章 エイヴィの翼 (前編)
134/411

134、酒の実の誕生日 2(知らないご令息1/2)

「アルベラ氏、強引でござるよ~。でも拙者、そんなアルベラ氏に結構胸打たれるものが」

「煩い!」

 アルベラ同様転生者であり、転生のために与えられた条件をクリア済みで、既に自由の身の、畑佐はたさ八郎なちろうが恥ずかし気に大きな体をもじもじさせていた。

「………八郎。いつから」

 アルベラは飽きれた口調で尋ねる。

「気づかなかったでござるか? 拙者、アルベラ氏と共に入店し、ずっと今まで店内にいたでござる」

「一緒に、入店って………」

(そんな目立つ姿で………相変わらず謎ステルス機能)

 この世界には馴染みのないオタクコスチューム(瓶底眼鏡、チェック柄のシャツ、ジーパン、バンダナ、リュックサック)フル装備で、更には体重百キログラムを超えているだろう豊満体系。日本でも目立つだろう出で立ちだ。

 八郎は、「オタクコスチュームフル装備でいる限り、身体能力と魔力が人並外れて発揮される」という特質を持つため、この格好である限り、忍びのような俊敏な活動も可能なのだ。この装備でいる限り、素手でドラゴンも倒せ、その強さはエリーよりも遥か上だ。だが、バンダナ一つでも外してしまうと色々と半減してしまう。それでも通常の人間よりそこそこ強いのだから十分だろう。

「アルベラ氏の役目の時も近いでござるしなぁ。主要人物の面々を見ておきたくて、またとないチャンスと思って来てみたでござる」

 


 ―――乙女ゲーム、「終焉のヴァタスロフィ」。

 ある人物(?)の何らかの目的と娯楽を兼ねて、その世界を再現し、反映されたのがここケンデュネル国一帯だ。

 八郎の示す「主要人物」とは、ゲームでのヒロインとヒーロー達の事だ。つまりアルベラが「悪役令嬢」として活動する中で、原作のシナリオ上、近々訪れる学園生活で衝突するかもしれない相手である。



「万能王子、不愛想騎士、デレデレ魔術研究家、人見知り同級生。この場だけで四人のヒーローを拝めるなんて、拙者ウハウハでござる。生の王子、娘に見せてやりたかったでござるよ」

 ―――万能王子、不愛想騎士、デレデレ魔術研究家、人見知り同級生。これらはあくまでヒロイン側の視点だ。

 八郎には前世、美人で優しい妻と、結婚間近の娘がいた。

 この世界の元となった乙女ゲームは、前世でクリア済みであり、ヒーローも全員攻略していた。だからヒロイン視点での彼らを知っているのである。

 それもこれも、可愛い娘との話題作りのため。

 本人曰く、前世は悔いのない充実した人生だったらしい。

 娘の結婚式を拝めなかったのは唯一挙げられる悔いらしいが、彼女なら自分のいなくなった後の人生も、強く前向きにそれなりの幸せを見つけて生きていけると信じているから、余計な心配はいらないだろう、との事だ。

 アルベラは、自分と真逆の「前向きに努力を積み重ねてきた人生」を送っていた八郎を、心の奥の奥の奥のかなり深い部分では尊敬していた。浅い部分では殆ど不審者として認識している。

「そうね。残りはあと二人だっけ? それももう少しで拝める」

「それにしても、でござるな………」

 うーん、と考え、八郎は視線を前に向けたまま腕を組む。

「噂には聞いてござったが、キリエ氏、随分キャラが違うでござるな。髪は肩までの長さのおかっぱキャラのはずでござるし、一人称も『僕』のはずでござる。体格も、なよなよしてるはずが、普通に健康的な少年って感じで………原作通りなのは顔と髪色くらい」

「まあ………それはほら。話した通りで、ね………」

 アルベラは責任から逃れるように目を逸らす。

(なんだかんだ元気だし、本人は充実してそうなのは救いかな。将来エリーみたいにならないかだけが心配………)

「このこの~。アルベラ氏のお茶目さん☆」

 ―――イラッ

 八郎が肘でアルベラを小突く。

 それに対し彼女がどんな感情を抱かれたか、表情から察しているだろうに、彼はさほど気にもせずマイペースに続ける。何とも図太い男である。

「今の時点で、キリエ氏の学園での行動は、原作なんて何の参考にもならなそうでござるな~。あと、他の面々も聞いてた通り、拙者の知る物と違うでござるし………。元設定でアルベラ氏にぞっこんのキリエ氏はともかく、騎士殿とミーヴァ殿は、原作の学園入学時では、アルベラ氏とは反りが合わず、反発しあうような関係でござる。アルベラ氏にとってハッピーエンドと言える、『共闘エンド』に行ったとしても、ヒロインが影響を与えられる範囲で、悪役令嬢と彼らを親しくさせるのは結構な難易度だったからして………なるほど! これが悪役令嬢のヒロイン化でござるか! これからヒロインの座を奪い取って、全員攻略で『ハーレム聖女様エンド』とかどうでござるか?」

 冗談めかして楽しそうに笑う八郎に、アルベラはそのルートは何より無理なことを察していた。

「はぁ………、私達が聖職者になれるはずないでしょ」

 隔てなく幅広い系統の魔法を使いこなせる八郎だが、唯一、神の力を分け与えられて発動させる聖職系の魔法だけは使えない。それが何よりの証拠だった。

 それどころか、八郎はオタクコスチュームである限り、聖なる力の防御は可能で、殆どノーダメージらしいが、アルベラは違う。八郎のように、特別な身体能力や防御力などを授かっていない彼女には、聖職系の魔法は特筆すべき弱点だった。通常の人と比べ倍以上のダメージを受けてしまう事をここ数年で、何度か自覚する機会があったのだ。初めはそういう強力な魔法なのかと思っていたが、どうやら彼女自身がそういう性質だったらしい。

(それもこれも、『アスタッテ様』とやらが転生に関わってるせい………なんだろうな)

「大体、ジーンはともかく、ミーヴァはどう見たって私の事嫌ってるでしょ。………ヒロイン化も何も、ヒロイン虐めは生きる上での義務なんだし、表立ってやろうが裏でこそこそやろうが、ばれる物はばれるんだし、ヒーローからだけじゃなく周りのまともな人間からだって嫌われて当然でしょ。今の関係だって、どうせそのうち壊れるんだから」

 そこまで言って、アルベラの言葉が途切れる。彼女はツンとした表情で、路地の合間から見える細い星空を見上げた。

 (アルベラ氏………もしかして、これからの自らの使命に気落ちして………)

 八郎は、同じ転生者として、この世界を破壊する任務を受けていた身として、彼女を励ますべく自身の胸を叩く。

「………だ、大丈夫でござるよ! アルベラ氏が周りからどう思われようと、エリー殿もガルカ殿も、ちゃんと付いて来てくれるでござる! それに、あくまでもヒロインを慕う学生からは嫌われるってだけで、もれなく『学園の全員から嫌われる』なんてことはないでござる! なにより、拙者も出来る範囲でサポートする故………」

 八郎は、慰めるように隣の少女を見下ろした。そこにあったのは、予想していた気落ちした姿でなく、やる気に満ちた強い瞳だった。

「だから………だったら………―――どうせ壊れるんだったら、開き直ってとことんやってやらなきゃね。自分で選んで決めた転生だもの。踊りだって、恥ずかしがってうじうじやれば、もっとみっともない出来になるなんて常識じゃない。どうせ踊るなら、プライドも羞恥心もかなぐり捨てて、楽しく踊り切ってやらなきゃ損でしょ! ね、八郎!!」

「………お、おう」

 八郎の心配は全くの無用だったようだ。八郎は息をつき、笑みを浮かべる。

「流石悪役令嬢、あっ晴れでござる! まあ、アルベラ氏が楽しめてるなら良かったでござるよ。原作でのアルベラ氏にとってのバッドエンド、『ヒロインとの敵対ルート』を辿ったとしても、最悪死ぬ事は無い筈でござるし。人生の立て直しなら、役目を果たした後でも十分可能でござるしな! 生きてる限り損は無し、でござる! はっはっは!」

「そうね」

(こいつのこの前向きさは心強いなー)

「さて。拙者、見る者も見て、食うものも食ったでござるからな。そろそろ上がらせていただくでござる。アルベラ氏も、そろそろ人の目のある場所に戻るでござるよ。女性の一人外出は危険故」

「はーい。変質者として捕まらないよう、貴方も気を付けなさいよ。またね」

 アルベラが手を振り見送る先、「はっはっは」と笑いながら手を振り返し去っていく八郎。それに早速警備兵が駆けつけ尋問を始めていた。

 アルベラは警備兵たちがしっかり仕事をこなしているのを見て感心し、店の中に戻った。



「アルベラ・ディオール様ですね。お初にお目にかかります。チイーホシ伯爵家の三男、ムーコニと申します」

 店に入って早々、アルベラの前に伯爵家の御令息様が現れる。

(どこかで見たことあるような顔………思い出せない。相手が初めましてって言ってるんだし、気にしないでいいか)

 アルベラは慣れた笑みを浮かべ、公爵家の名に恥じぬよう、堂々とした対応を務める。

「初めまして、チイーホシ様。お目にかかれて光栄です」

「いえ、私こそ、公爵様のご令嬢にご挨拶できるとは光栄です。もしよろしければ、そこの席で少しお話でも」

 年上だろう彼は、片手に持っていたグラスをアルベラへ差し出す。

 アルベラは店内をちらりと見る。友人たちは皆話し相手がおり、暇をもて余してしている様子はなさそうだ。差し出されたグラスを受け取り、微笑む。

「喜んで」

 念のためエリーとガルカのいる場所を確認しておく。流石はエリーで、アルベラが席に着いた時、目が合い手を振っていた。

「お噂はかねがね………」

「あら。婚約候補者の? 随分藪から棒ですね?」

「とても興味深いお話ですので」と 彼は苦笑した。

「興味深い?」

「はい。騎士の間でも噂になってるんですよ。親しい間柄のように見えるのに、なぜ候補をお受けしないのか、と………ああ、すみません。騎士にも噂好きな者はおりまして」

「あら。そうでしたか」

(まあ、最近は殿下も人目気にせず素顔晒して出歩いてるし。普通に、私やスカートン、キリエ誘ってぞろぞろと王都出歩いたりしてるしな。親しい間柄扱いは仕方ないとして………候補お断りの件は、城では我父の愚行とも噂になってるって聞いた気もするんだけど………この人の耳には届いてないのか)

 恒例行事、社交辞令でもある婚約者候補についての城からの手紙は、あれからも幾通か屋敷へ届いていた。それを、懲りもせずに「娘はまだ誰にもあげないんだから!!」と跳ね返す父を、「恐れしらず」「ただの阿呆」と笑う声があると、ラツィラスから聞いていた。

 城も………というよりか王だろか。あちらも暫くは断られるのを悟っているようで、届く手紙の文字数は毎回減ってきていた。最近アルベラが見たものには、紙の中心に「どうだ?」とだけ書かれていた。

 金の装飾が施された高級な便箋。なんと贅沢な使い方だろう。流石王様、と、アルベラはその手紙を見てそっ閉じした。

「それで、今もまだ婚約候補の件は断っておられるんですか? それとも、秘密裏にもう快諾されていたり………?」

「は、ははは。いいえ、実はまだ………。けど、そろそろ潮時かもしれません」

「潮時?」

「ええ。………一部では噂になっているようなんですが、今までは父が頑なに断ってましたので。………その、父はとても心配性でして。………皆さん、私が殿下の気を引きたくて断ってるとお思いの用ですが」

 父の駄々については濁しつつ、アルベラは苦笑する。

「なるほど。そうだったんですね。ではそろそろ、お父様もご決断なさる頃かと? ………あ、ご安心を。そちらは『サブ』ですので」

「あら、流石騎士様。紳士の鑑ですわね」

「いえいえ。当然のマナーにならったまでです」

 チイーホシは爽やかにはにかむ。

 『サブ』とは1%にも満たない、かなり微量のアルコールが入った飲み物だ。香りに重点を置いて作られているので、酒が苦手だが、気分を楽しみたいという者達が愛飲する。

 この国では、男性が女性との会話の席に「サブ」を準備するのは、そこに下心がないという意思の表しだ。

 ちなみにこの世界では飲酒について、年齢を制限する法律はない。一般的には「十五歳位から」と言われているが、本人が興味を持ち、それを止める大人が周りに居なければ、十にも満たない子供も酒を飲むことができてしまう。

(良くも悪くも、お酒への意識がアバウトなんだよなぁ………)

 もらったサブを口にする。アルコール度数がかなり低いシャンパンといった感じで、普通に美味しかった。

(まだどれくらいアルコールに強いのか知らないけど、限界を試すのはもう少し大人になってからにしよう。お父様は強いけど、味があんまり好きじゃないんだっけ。お母様は普通で、人付き合いで嗜む程度。なら、私も弱いはずはないよな………)

 いつかニーニャの家で酒盛りでもしてみたいものだと考えていると、不思議そうな顔をしたチイーホシが視界に入り込んできた。

「ディオール様?」

「あ、すみません。つい別の事を考えてしまって。………ええと、婚約候補のお話でしたよね。私も殿下と同じ学園に入学しますし、ずっと突っぱねているわけにもいかないでしょうから」

(あぶないあぶない。ご令息の前で………しっかりしなきゃ)

 アルベラは内心冷や汗をかく。

「そうでしたか………それで今まで………。あの、ディオール様自身は、やはり王子に好意をお持ちなんでしょうか?」

「普通に、ご友人としてお慕いしておりますよ」

「なる、ほど………………」

 何処か驚くように、考える様に、チイーホシは一点に視点を向けていた。アルベラは首を傾げる。

「あの………なにか?」

「あ、いえ。………失礼ながら、つまりはまだ、アルベラ様の中で王子への気持ちは、恋愛には発展していないという事でしょうか?」

「恐れ多くて、殿下に気安く恋心なんて抱けませんよ」

 謙遜でもなくこの場しのぎでもなく本心だ。くすくすと笑うご令嬢の姿に、チイーホシも同じく笑みをこぼす。

「そうですか。では他には、気になる方や好きな方は?」

「おりません」とアルベラは社交辞令の笑みを浮かべた。



(うっ………! なんだろう。急に胸が) 

「ど、どうなさいました? バスチャラン様?」

 急に胸の辺りを押さえ、くるし気な表情を浮かべたキリエへ、話していた女性騎士が心配そうに声を掛けた。

「いや、なんでもないです。お気にせず」

(なんだろう。今アルベラに異性として意識されてない発言をされた気がした………。いや、気のせい気のせい………。そういえば、今どこにいるんだろう。………アルベラはしっかりしてるし、俺が心配だなんて、余計なお世話なんだろうけど………)

(急に心細くなったのかしら? ………可愛い)

 きょろきょろと辺りを見回し始めた少年へ、騎士のお姉さんの胸がときめく。



(この流れ………気のせい………じゃあないか)

 アルベラは笑みを顔に張り付け、サブを口に運ぶ。

「では、私にもまだチャンスはありそうですね。良かったです」

「あら。あら、あらあらあら………」

 アルベラはニコニコとほほ笑んだまま「あらあら」と小さく繰り返す。繰り返しながら、どういうスタイルで出るべきか考える。

 彼はじっとアルベラの目を見つめた。

(これしき、殿下の誑しに比べたら余裕だけど………少しくらい恥ずかしがらないとご令嬢として良くない気が………くそ。変に鍛えられすぎて、ちっとも恥じらう心が湧いてこない。………え、どうしよう。私の心不感症?)

 顔を赤らめるなり、目を潤ますなり出来ないものかと、アルベラが思考を巡らす中、チイーホシは、テーブルの上でグラスを持つ彼女の手を、そっと包み込んだ。

(ガンガンくるじゃない!!)

 だめだ。顔のやつ、ちっとも赤くならねえ! と、アルベラは冷静な表情を隠すために俯く。

「実は私、前に何度かディオール様とはお会いしてまして。覚えてますでしょうか?」

「え?」

(ああ。通りでどこかで見たことあると)

「………覚えてないのも当然です。王子の誕生日会で、過去に数回踊らさせて頂いた程度なので」

「そ、それは………申し訳ございません。私としたことが………」

「いえ。私もいろんな方と踊りましたし、その全員を覚えられてはいないので、お忘れになってても当然ですよ。ですが、今日あなたを見て驚きました。まさかこんなに美しくなられてるとは」

「まあ。お上手ですね」

「いいえ、本心ですよ」

 彼はニコリとほほ笑み、「あ、失礼! つい、」と、我に返った素振りで手を離す。

 アルベラはひとまず、手が解放されたのでサブを口に運ぶ。

(しまったな………。折角人たらしのプロが身近にいるって言うのに、そっちの訓練は手薄だった。殿下相手じゃ、誑かす、自分誑かされないように、流したりあしらったり跳ね返したり、守る側のスキルばかりが磨かれて………)

「………?」

 目の前の青年が、微笑んだままなにも言わず、じっと自分を見つめていた。

「え、と。すみません。なにか?」

「いえ。ただ、可愛らしい人だなと」

 「まあ」と、とりあえず微笑んでおく。

「ところで、先程から何処かご気分でも?」と、チイーホシ。

「い、いえ。つい緊張してしまって………」

(というより、緊張の一つも抱けない自分に焦ってしまって………はぁ。今さら無理に装っても無駄か………)

「そうでしたか…………。もし何かあれば、遠慮せず言ってください。私も、少し長く引き留めてしまいましたよね。すみません。今日はここら辺で失礼致します」

「い、いえいえ」

「あ、そうだ。最後によろしければ」

 彼はポケットから手のひらサイズの箱を取り出す。

「ディオール様は甘いものはお好きですか?」

「はい。好きです………?」

「良かった。私も好きなんです。これ、良ければおやつにどうぞ。今朝、自分用に持ち出してきた物なんですが」

 可愛らしい化粧箱だ。箱の模様に紛れ、保存の魔術が描かれている。開くと、薄い冷気の煙が少量溢れ出てきた。中に入っていたのは、半分をチョコレートでコーティングされた、長方形の薄いクッキー。

「お気に入りの店の物なんです。無くならないよう常にストックしていて。………人に進めたくなるくらい、美味しいんです」

 そう言って、彼は一枚取り出し、アルベラへ差し出した。

「よろしければ味見してみてください」

(………なんだろう、少し)

「ディオール様?」

 ニコリとほほ笑み、

「はい。では一枚だけ」

 と、アルベラは手を伸ばす。

 ―――少し………

 アルベラの耳元で、髪の毛がさわさわと揺れてこすれ合う音がした。

「………?」

 アルベラの手が届く寸前で、目の前のクッキーがチイーホシの手から消えた。そして箱にも、蓋をするように、褐色がかった手が上に覆いかぶせられた。

「………?!」

 チイーホシが弾かれたように顔を上げる。

「やあ、アルベラ」

 いつの間にか、目の前の青年の後ろで、ラツィラスがひらひらと手を振っていた。こちらもいつ現れたのか、青年の横には、不機嫌な空気を纏い、クッキーの箱を見つめるジーンがいた。

「殿下、ジーン………?」

 ジーンの赤い目が、警戒するようにぎろりと動く。

「おい」

「な、な、な」

「ああ。あんたじゃなくて」

 と言い置き、ジーンはアルベラへ警戒の目を向け直す。

「お前、それやめろ」

 アルベラの視界の端に、僅かに輝いて膨らんだ、自分の毛先が入り込む。ほんの僅かな範囲だ。知らない人が見れば気のせい程度に思うだろう。

 そう。僅かな魔力を発動させただけ。霧吹き程度の、本当に僅かな霧を作れる程度の魔力―――

(………ちぇ。クッキーが安全なものか、ほんのちょっと試そうと思っただけなのに。押し付けてくる感じ………少し怪しかったし)

 指摘され、髪の僅かな光と、本人は気づいていなかった、瞳の僅かな光も収まる。

「失礼。ジーン様に驚いて、つい」

 と、アルベラは拗ねるように両手で自分の髪の毛を掴む。体の前へ、手櫛で整えるように引き寄せた。

 彼女の様子に呆れて目を据わらせるジーンの肩を、ラツィラスがとんとんと叩いた。ジーンは彼にクッキーを渡す。ラツィラスは興味深げに、それを眺め、臭いを嗅いだり光に翳したりとした。

「………」

 チイーホシは呆然と、自分の真横に立つ少年と、背後に立つ少年を強張った表情で見上げていた。



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