125、玉の回収 9(玉の回収)
「もう」
(結構、普通に、………体力的に疲れたかも)
一体この道を何往復するのか。これで最後にしたいものだ、とアルベラは家に入る。
まっすぐにあの扉に向かうが、先ほどの騎士見習い様の言葉が頭に蘇った。
『みんなを、外に………………たすけ、ない、と』
「………もう!」
アルベラは少し悩み、ため息をつく。呆れる様に、片手で額の辺りの髪の毛を、くしゃりと握った。
(玉は逃げない………はず)
扉に伸ばした手を引っ込め、まだ見ていない二階へと脚を向かわせる。
二階には六つの部屋があった。物音はなく、人の気配は多分ない。
一人で歩く家の中は、少し心細く感じた。
(ジーンが居なきゃ、こんな深海みたいな家、じっくり見ようとしなかったかも。入ってすぐ、あの部屋があったわけだし。暗………………深海かぁ。………そういえば苦手だったな………)
勿論、本物の深海になど行ったことはない。苦手というイメージは、過去にやったことのあるゲームの印象から来るものだった。どこから来るか分からない敵。近づいてくる大きな影。地上と異なる反応速度。不自由感。じわじわと減り続ける酸素ゲージ。
(うーん………呼吸ができるし、幸い敵はいなし。………けどやっぱり『陸』が恋しいなぁ)
全部の扉を開いてみたが、人どころか亡骸の一つもなかった。
ほっと息をつき、唯一使っていた形跡のある部屋を、通り過ぎ際に、改めて覗く。
ベットが四つ。三つに使用した形跡があり、その横に荷物も置いてあった。多分、少女が一人と、少年が二人だ。
ホークという少年と、あの少女の姿が頭に浮かんだ。そしてもう一つ。少女と同じ髪色をした、少年の亡骸。
「………ここに、一緒に居たのね」
アルベラは、元から開け放たれていた扉をそのままに、部屋を過ぎて下へ向かう。
階段を降り、右手に曲がる。
我慢して、何度も通り過ぎていた扉の前に着き、そのドアノブを回した。
(これで、全部おしまい)
中から緑の光が溢れ出す。
玉がある。
天井と床に、根を生やすようにし、部屋の奥、中央に固定されていた。
部屋に立ち入ると、体が自然と浮き上がった。
ごぼごぼと、耳に入る水音が外より大きい。
呼吸は普通にできたが、口から吐いた息が全て泡となって昇っていく。その様が視界に入るので、錯覚的に息苦しく感じた。実際に、空気も少し薄いのかもしれない。
緑の光があふれる室内を、アルベラは軽く泳いで前に進む。
床の辺りに、遺体が三っつ漂っていた。なんとなく、この玉をめぐって殺し合ったように見える。
隣りの扉との前に、女の亡骸が背を預ける様に漂っている。隣の部屋から見えた床のシミは、彼女の物だろう。
その体を見て、アルベラは、外にある遺体と少し違う事に気づく。所々、溶けた皮膚や肉の間から骨が見えていた。
(溶け………?)
ぐるりと周囲を見て、この部屋全体が、脈打っているように感じた。まるで、大きな生き物の胃袋の中にいるような気分だ。
部屋を見回した際、一つの男の遺体が目に付く。緑の光に照らされ分かり辛いが、その男の髪は赤かった。
『———オマエノセイデ オマエガコロシタ!!』
ホークが、ジーンに向けて、何度も呪いの言葉を吐き出していたのを思い出す。
三つの遺体の顔にへばりついた、苦悶の表情。最期の最期まで苦しみぬいたのだろう。
「いいざま」
何となく、男の遺体を見て、アルベラはそう言いたくなった。
泳いで玉の元へ近づく。
(どうしよう、触って良い物か………。ていうかこの上下の根みたいなやつ、取れるかな)
根の部分をつついてみるが、何ともないようだ。木の幹のように、かさついた質感をしていた。
玉も、試しに爪の先でつついてみる。
(もしかして、なんともない?)
指の先を触れてみる。ひやりと冷たい石の感覚。皮膚が触れる範囲を、様子を見ながら少しずつ増やしていった。
そうしているうちに、片手の手の平全体が玉に触れていた。
(よし)
両手で掴んでみる。
———主ヨ
(うわあ、喋るんかーい)
アルベラは驚いて手を引っ込めた。
———我ガ主。父デアリ母デアル、偉大ナル主ヨ
(どうしようこれ。引っ張ったら取れる?)
———来マス。憎キ神ノ力。オ気ヲツケクダサイ
(え? 神?)
部屋の水が大きく揺れる。
室内が突然明るくなった。緑の光をかき消してしまうほどの強い光が、カーテンに閉じられた窓の外から差し込んでくる。
(なにが起きて)
「っう、ぐっ、………っ、」
アルベラは胸を抑える。胸が苦しいわけではない。どこを押えたらいいか分からないくらい、全身が苦しかった。
何かが外から聞こえてくる気がする。
どこかで聞いたことのある旋律。
聖歌だ。
スカートンの家で、何度か聞いた歌。だがそれよりも、どこか重く、固い旋律だ。
その歌と共に、何か頭に響く声があった。
『———我らが偉大なる神、暖かなる神よ。悪しき力をお抑え下さい』
女性の、柔らかい音質の声が聞こえる。その言葉に呼応するように、外の光が強くなる。
先ほどの女性の声とは別の声が、『———聞き届けよう———』と、光の中に響き渡る。
「やめて………」
喉の奥から、絞り出されたような声が漏れる。
———神ノ力ガ、我ラヲ閉ジ込メヨウトシテイマス。主ヨ、ドウカ奴ラヲ滅ボシ、コノ地ヲ滅ボシタモウ
『———我らが偉大なる神よ、暖かなる神よ。子たる我らに救いの手をお差し伸べ下さい』
『———叶えよう———』と、女性の声へ、また別の声が答えた。その声はとても優しいのに、何故かとても耳障りに感じた。
「………っ!」
アルベラは大きく仰け反り、頭を押さえる。どちらの声も、もう聴きたくはない。
体の芯が熱い。全身に、痺れるような痛みが走る。
『———我らが偉大なる神よ、暖かなる神よ』
「や、やめ………」
口からごぼごぼと、空気の泡が溢れ出る。
***
外では聖女が準備を終えていた。
布に囲まれた小さな空間で、椅子に座ってその時を待っていた。
後は、今回の指揮官とやらの指示さえあれば、封じの魔術を実行できる。
祓うわけではない。あくまで一時しのぎの封印。それも、この量の魔力となるとどこまでを封じれるかは予想もできなかった。
「………本当、悲しい塊」
聖女は、水を作り出す魔力に意識を向け、そう呟く。
少し離れた場所が、急に騒がしくなった。自分の神輿の右手側か、と聖女はそちらに気を向ける。
(魔獣の気配。一体。随分大きいわね)
耳を澄ませるように目を瞑る。
「魔獣だそうですよ」と、お付きの女性が告げた。
「ええ。そうなのね。………中はどうなってるのかしら。自分で見に行けたら、大分楽なのに」
「だ、駄目ですよ。聖女様は、絶対にここに居て下さらないと」
「まあ。ちゃんと分かってるわよ」
くすくすと笑っていると、お付きの者ではない、男性の声で「聖女様」と呼びかけられた。
第二小隊長の声だ。
「中佐殿からお返事が来ました。これ以上はもう、生存者は居ないだろうと。中は隅々まで見て確認済みで、負傷者も回収済みとのこと。封印儀、よろしくお願いいたします、と」
「………そう。わかりました」
聖女は、ずっと手に載せていた、一輪の花へ視線を落とす。
蓮のような、白く、青みがかった花だ。それを大事そうに、両手で胸の前に寄せる。聖女は、旋律に合わせ、神への祈りの言葉を唱える。この魔術に必要な、最後の魔力を花へと送り込む。
花脈に沿って、聖女の触れてる部分から花弁の先へと、光が走った。光は花弁の先端へと到達すると、花脈からあふれ出て、花全体を光で包み込む。
聖女は布の外へと手だけを出し、真っ白に光り輝く花を、空へと押し上げた。
聖女に送り出されるまま、花が天へと浮いていく。
それはもう、光の塊にしか見えなくなっていた。
聖職者たちが声高らかに、歌詞のない、旋律だけの歌を歌う。その旋律が、花の出現と共に変わった。今までは、明るく、希望に満ちた華やかなものだった。それが、威圧的で重たい物へとなった。
旋律が変わりゆくのを聞きながら、聖女はそれに乗せ、意味のある言葉を発っする。
「我らが偉大なる神、暖かなる神よ。悪しき力をお抑え下さい。子たる我らに救いの手をお差し伸べ下さい。我らが偉大なる神よ、暖かなる神よ———」
空高く浮かび上がった花の光が、村の中を照らし出す。
中を遊泳していた、ナマズのような魔獣が、大きな身を苦し気に悶えさせているのが照らし出される。
兵士たちがその姿にどよめく。
花の近くの水の壁から、腕を伸ばすように、水が花へ惹きつけられていた。そしてそのまま花へ触れ、吸い込まれていく。続くように、水から、沢山の腕が伸ばされていった。
聖職者たちの歌と、聖女の言葉に応じる様に、花は光を強める。それと共に、水が吸い込まれていく、速さや量も増していく。
水と一緒に、ずるりと一匹の魔獣が引っ張り出されてきた。それは水から引っ張り出され、大きな咆哮をあげながら花の中へと吸収されてしまう。
兵士たちの視線は、その様に釘付けとなった。
彼らの足元。陰に潜むコントンが、村の中に戻れずに忌々し気に唸る。
『ドウシヨウ………』
強烈な聖を宿した光は、大地も照らしていた。これでは、水に近づくどころか、影から出ることもできない。
「我らが偉大なる神よ、暖かなる神よ。お救い下さい。その偉大なるお力を、非力なる我らへどうか」
「ストップ」
袖を引かれたことに気づき、聖女は祈りを口にしたまま振り返る。
いつの間にか、布で囲われた狭い空間の中に、自分以外の人間がいた。
「相変わらず、聖女様が居る場所ってのは、試着室みたいだな」
袖を引っ張る少年は、つまらなそうにそう言った。
「あなた、………久しぶりね、ジルドレ」
聖女は祈りを止める。だが、花は変わらず光り続けていた。
「随分若くなったようだけど、まさか彼の息子だなんてことないわよね。その傷が遺伝するとは思えないもの」
そうほほ笑むが、彼女の目は笑ってはいない。警戒するように、五歳前後の幼い少年を見下ろす。
その少年の、顔上半分は、焼けたように皮膚がただれていた。
「そういうお前は、また更に老けたな。聖女様よ」
少年はというと、聖女程警戒はしていなかった。笑いもせず、怯えもせず、ただ目の前の老女を見上げる。
「あら、女性に向かって失礼ね」
「なんでもいいさ。とりあえず、あれ、やめてくれないか?」
「………あら。あなたがそういうって事は、やっぱりドグマラが関わってるのかしら? どういうつもりなの? あなた達のツボというのが、私には全く理解できないわ」
後半の言葉には、怒りがこもったように固くなる。
「違うな。余計な詮索はするな」
少年は一切表情を変えずに返す。
「聞いた方がお前のためだ。中にはまだ、生きてる人間が居る。まあ、たったの三十人前後だけどな。半分以上は今日送り込まれた兵士共だ。あと少しは、村の生き残りだな。そのガキ共全員、お前は殺すのか?」
聖女は少年の瞳を見つめ、深いため息をついた。
「………………もう。これだから軍人は信用ならないわ。すぐ少数を切り捨てようとして。全員を救う気兼ねを見せて欲しい物ね。私はあれ程、念を押したというのに」
「分かっていたくせに。他人のせいか?」
「いいえ。全ての気配なんてわかりはしないわ」
これは事実だった。小さく怒る様に、聖女は空を見上げる。
「そういうことだ。あと、これは確実じゃないが、………お前が何もしなくても、暫くすればこの水は消える。多分な」
「どういうことかしら?」
「中でも動きがあるんだ。お前がそれを邪魔しようとしてる。すぐにでも止めてくれれば、俺らもここの奴らを手にかけなくて済む」
「まぁ。傷つくいい方ね。分かったわ。そんな脅すような事を言わなくても、この水が引いてくれるなら、あなたの話をちゃんと聞き入れますよ」
聖女の瞳は、先ほどよりも警戒を薄める。
「敵としての対面でなくてよかったわ」
穏やかな聖女の声。少年は無言だった。身動きで反応を返すわけでもない。
聖女は息をつき、囲いから両手を出した。
花が空中で光を弱める。水を吸うのを止め、光を明滅させながら聖女の手へと戻って行く。
花を手に納めた聖女が振り向くと、そこにはもう少年の姿はなかった。
「………神出鬼没。相変わらずね」
聖女は椅子に座り、膝に花を乗せる。
「ファーズ、小隊長さんを呼んで」
お付きの女性が「はい!」と返す。
「どうした。光が消えたぞ?」
水を吸っていた光が消え、辺りがざわめき始めていた。
聖職者たちの歌も、はじめの頃に歌っていた物に戻っている。
『———中佐! こちら第二小隊長』
「なんだ?」
『———聖女様から言伝です。術は滞りなく進んでいると。ここから先は術の経過は目視不可ですが、ご心配なさらずにお待ちください。とのことです』
「………そうか。わかった」
中佐は動きがない村を前に、やることもなく煙草をふかし始める。
(聖女様同行の任務か。楽………いやいや、頼もしいものだ)
***
アルベラは荒い呼吸を繰り返し、水の浮力に体を預ける。
外の光は収まり、聖歌も、あの女性の声も、もう一つの声も聞こえなくなった。
(止、まった………? し、死んだかと思った…………。またいつ、あの光が来るとも限らない。早く玉を回収して、ここを出よう……………よし)
アルベラは玉に手を伸ばす。
———主ヨ
「お仕事終わり。呪いとか水とか、全部回収して。私と来なさい」
アルベラがそう言うと、玉から生えた、天井や床に伸びていた根が枯れて千切れる。
玉の重みが、アルベラの手の中へと委ねられた。
周囲でごぼごぼと、泡の立ち上る音が響き始める。
「えぇ、え、………何。………これ、大丈夫?」
アルベラは不安げに辺りを見回す。
玉の上に、小さな竜巻が見え始める。その渦は、玉を中心にどんどん成長し、この家の屋根や二階を、いとも簡単に吹き飛ばしていった。
「———は?」
視界の良くなった囲いの中、渦は村の空に向けて伸び、真っすぐに一本の、渦の柱を作り上げる。お風呂の栓を抜いた時のように、渦から玉へ、村全体の水が吸収されていく。
近くにあった死体が、目の前で溶け切って水と混ざり、骨を残して玉に吸われていった。
驚いたアルベラの口元から、ごぼごぼと泡が漏れる。
遊泳していた魔獣が、洗濯機の中の洗濯物のように、渦に巻き込まれていく。
不思議と、アルベラの体に負荷がかかることはなかった。物につかまる必要も、足を踏ん張る必要もない。髪や服だけが、水の中で揺れていた。
渦の勢いはどんどん増していく。
水の暈が減っていっていき、それと共に、村に日の光が満ちていく。
気づいた時には、三人分の白骨が転がる部屋の中、アルベラは玉を抱えて座り込んでいた。
ぽかんと空を見上げる。
緑の光で満たされていた暗い部屋が、今では青空の元にさらされている。
「………明るい」
その声に、水の音は混ざっていなかった。
水のない、普通の陸地。
アルベラは、呆然と玉を見下ろした。





