119、玉の回収 4(ヂノデュの策)
「チッ。どいつの仕業だ。こんな大掛かりな真似を」
ガルカはイライラしながら、逸れたアルベラの気配を探って、民家の屋根の高さを飛んでいた。
目下には変わらず、争い合ったかのような人々の亡骸。子供のような小さな気配はたまにするが、歩き回る人の姿は見当たらない。きっと、「子供らしき気配」とやらも、歩き回れないほどに衰弱しているのだろう。衰弱しているだろうに、増悪に満ちたような気配を漂わせているのは、この水の仕業か。
(負の気と、魔力や体力を好んで食すか。これは生き物なのか? なんでこんなものが生まれた? ………にしても、随分魔力を乱してくれる。アスタッテの匂いが濃いせいで、あのガキの居場所も判別しずらいっていうのに。誰だか知らんが、余計な手間を増やしやがって)
魔獣がガルカの正面に踊り出て、小魚を待ち受ける様に大口を開ける。ガルカは舌を打ち、片腕を振り上げた。「猫のように爪を出す」どころの話ではなく、肘から下の手の形が大きく変形する。全体的に筋張り、指と爪が伸び鋭くなる。変形した片手だけが、胴体よりも大きくなっていた。
その腕を、前方のアンコウのような形の魔獣へ振り下ろす。黒い衝撃波と共に、魔獣の体は引掻かれた様に深く抉れ、地へと落ちていった。
「ん?! コントン、なぜそちらへ行く!」
そろそろ合流できそうだったというのに、多分アルベラと共にいるであろうコントンが、猛スピードで移動を始めた。北側の「あの場所」へ向かっていたはずが、なぜかコントンは西側へと逸れ、村の外へと向かっているようだ。ガルカはそれを追い、体を西へと方向転換した。
方向を変え、スピードを上げたガルカの前に、「よう」とヂノデュが踊り出る。
「貴様?! ―――を、相手するつもりはない」
ガルカは軽々と、飛び跳ねる様に彼を避ける。
(やかましいのをぶら下げてるから、来ているのは分かっていたが)
「そうは行かないんだ、よっと!」
あっさり背を向けるつれない同族へ、ヂノデュは何かを放り投げる。
「あ゛あ゛あ゛、あ゛づい!! あづい゛い゛い゛!!!」
人間だ。甲冑からしてこの国の兵士。すでに呪いにやられているのか、苦しむように悶えていた。
(人の気配が増えたと思っていたが、やはりあいつ等だったか)
追い越してきた軍勢が、ここを包囲している。そう確信するガルカの目前では、投げられた兵士が空中で掴めるものを求めて、大きく両腕を広げていた。
「じにだくない!! じにだくな゛い!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
抱き着いてくるように、上から迫り降ってくる男を、ガルカは無情にも、あの大きな手で切り捨てる。
兵士の体は甲冑ごと、真っ二つに切り裂かれた。
兵士の体を切り裂いた瞬間、「しまった………」と呟き、ガルカは目を見開く。
———人間の殺生は禁止
縛りの魔術で科せられた条件だ。
だが、自分の体に覚悟した痛みが来ることはない。
『———人の殺生を禁止させていただきました』
これは、偉大な魔術研究科と称されていた、あの老人の言葉だ。
『ですが、全てではありません。誰にだって、自己防衛の権利はあるでしょう? わが身が可愛ければ、どうか快楽や悪意からの殺生はお控えください。お願いいたしますね———』
柔らかく笑む、あのしわがれた口もと。
(———そうか。今回は運が良かっ)
自分の体に気を取られていた一瞬、「パチリ」と弾けるような電気音が聞こえた。何かが兵士の体から舞い散りっている。それが、魔力の籠った、小さな火花を発していた。
「なっ?!」
「お前とコントンが、ここを楽しそうに嗅ぎまわってるのは知ってたからな! 俺も仲間に入れてくれよ!! そいつは精一杯の手土産だ!!」
ヂノデュは、「手土産」から巻き込まれないように飛び退く。
ガルカの体の周りに、魔族封じの札が散っていた。あの兵士の体から落ちたものだ。清めの聖女特製の札。それが十数枚、一瞬でガルカの体に張り付いた。
「ちっ………」
(あの兵士、呪いの匂いに覆われて………札の存在が分からなかった………………この数は面倒だ)
バチバチと放電する音を立て、見えない力で、無理やり抑え込まるように翼が閉じられる。幾らか足掻く動作を見せるも、身動きが取れなくなったガルカは、地上へと落下する。
「くっそ!」
地面に落ちても、札には大した影響はなかった。魔力や自由を奪われたガルカにだけ、地味に落下の衝撃が体に響く。
力ずくで腕を動かし、何とか胸の辺りの一枚を握りつぶす。体からは、紙と、肉が焦げ付くような匂いが立ち上っていた。ガルカの体についた札と、ガルカの体自体が焼かれ始めていた。
「良いな! 良いな!! 無様だ! こんな情けないお前を見れるとは最高だ!!」
ヂノデュが空から降りてくる。巻き添えを食わないようにと距離を開ける。
「いいのか? 貴様、止めを刺したいだろう?」
「あ? ああ。できればそうしたかったさ。けどなぁ、」
「無理だろ?」と、ヂノデュは憎たらしい笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「それに、この水の中は特別だ。俺が何もしなくたって、この水がお前を殺してくれる。知ってるか? この水、神の気を排除しようとするんだぜ」
ヂノデュは、今日までの数日、兵士たちが色々とこの水について調べているのを、盗み見ていた。だからその性質を知り、今回の手を企てた。
「お前には、その札の効力プラス、水の敵意が向けられてるってわけだ」
札に描かれているのは、どれも行動を封じる印のみ。通常なら、肌が焼けるまでの、強力な代物ではない。体が焼かれているのは、札本来の効力ではなく、その札を排除しようとしている水の力なのだ。ガルカは、その巻き添えを食らっているに過ぎない。
「お前が苦痛にのたうち回る姿を見せてくれよ! 楽しもうぜ、なあ!」
ヂノデュは十分に距離を取った場所で、空中で胡坐をかく。
(くそ! この程度の札………なんで破れない!! この水め。札が付いたとたんに、魔力や力を吸収して)
大きな影がかぶさり、ガルカは顔を上げた。そこには大小さまざまな魔獣。まるで撒き餌につられてきたかのように、不自然に自分の上に集まっていた。
「ハハハ。あいつらを避けてここに来るの、面倒だったな」
ヂノデュは独り言のように笑った。札を持たせた兵士を水に入れた途端、水による札の排除は始まっていた。兵士は徐々に錯乱し、暴れだし、魔獣や魔族が反応を示し始めていた。だが、札の効力がもっと下がってからでないと、魔獣や魔族は兵士に手を出せないようで、辺りに来ては、見張る様な目を向けては距離を取っていた。
ガルカの頭上や、離れた民家の影でも、同じことが起こっていた。身を潜めた魔族が、札に悶える同族を観察し、いつ手を出そうかと伺っている。どうしてあの魔族を襲わなければいけないのか、襲いたいと思ってるのか、本人たちは考えようともしなかった。ただそれを、本能のように受け入れ、襲いたいから襲う精神で、ガルカを見張り、目をぎらつかせる。
「ぐう………」
(くそ、頭が)
先ほどから声が煩かった。
ガルカの頭の中で、沢山の声が悲鳴を上げている。
———コロセ、コロセ、シニタクナイ、キライダ、コロセ、オマエラガ アイツラガ ―――ヲ コロシタ シネ、シネ、シネ、コロセ、コロセ、コロセ
締め付けられるような頭痛が、徐々に強くなっていき、頭が割れてしまうかのような激痛になっていた。
(甘く見てたな。札が破壊されつくされるまで、持つと思ったが。………随分と強情な)
札の余白の部分は、もうほとんど焼き尽くされていた。効力を発揮している印部分だけが、しぶとく残り、ガルカを押さえつけていた。
翼を広げる余裕もなくなり、今までバサバサと打ち付け合っていた四枚の翼が、力なく地面に降ろされる。気づけば、頭を抱えて息を荒くしていた。自分の物ではない怒りや悲しみが、自分の中を支配する。頭を締め付けられるような痛みに加え、沢山の声、悲鳴、感情。気が触れてしまいそうだった。
体のあちこちで、札の触れる部分から、皮膚が焼け爛れていた。
———ワオーーーン
犬の遠吠えが水中に響き渡る。民家の壁や窓が、小さく振動する。
(コントンか………有難い)
ヂノデュやその他の魔獣や魔族の視線が、ヂノデュの後方の、民家の屋根の上へと集まる。
ガルカは重々しく肘をつき、上半身を持ち上げた。
コントンの背に、黒い毛並みに埋もれ、あのコートが見える。
「な、んで、」
ガルカは不快気に眉を寄せた。
「ふん。この匂い。隠れてるつもりか? 丁度いい。引きずり出して、お前の目の前で少しずつ食ってやろう」
ヂノデュも、ガルカと同じものを見つけたのだろう。嬉々として翼を広げ、コントンへと飛び立つ。
ガルカはそれを見届け、抵抗を再開する。だが、締め付けられ、脳みそを抉られるような痛みに、両手で頭を抱え、うめき声をあげるしかできなかった。
その視界の端で、子供の足が地面を踏んだ。
「良いざまじゃない」
アルベラがしゃがみ込み、札を剥がしながらガルカの顔を覗き込む。
(やっぱりか………)
あのコートを背に掛けたコントンを見て、何となくこうなるのは予想できていた。この「妙な人間」が、魔族である自分を助けに来ようと企てている、と。
やっとの様子で見上げるガルカに、彼女は不安げに眉を顰めた。声が一転して、困ったように小さくなる。
「言い返してこないなんて重症ね………。ほら」
アルベラは、ガルカの体についた札を、全て取り払った。回復薬を取り出し、差し出してみるも、ガルカがそれに手を伸ばす様子はない。苦し気に地面に額をこすりつけ、呻いている。
そんな彼の姿に、アルベラは思っていたより酷い状態だったのだと悟り、慌てて手を貸した。上体を支え、飲ませようとするが、何か別の物を拒むように、薬を叩き飛ばされる。
「コロ、ス………コロ、セ………アイツラ ヲ………………くそっ」
ガルカの意識が混濁し始めていた。
子供の声と、怒り、憎しみ。自分は死にたくない。殺されたくない。殺さなければ。殺されてしまった。
それらの思いに、意識がとらわれ始めていた。
「あた、ま、が、あぁぁ………」
アルベラはガルカを押さえつける。普段なら簡単に力負けしてしまいそうなところだが、ガルカはろくに力も入れられない状態なのか、何とか仰向けにすることができた。アルベラは、逃げられないよう、抑え込むように、その上に馬乗りになり、額に手を当てた。特に熱くなっている様子はない。むしろ常人の体温より低い位だ。
「ごめん。いつも余裕な感じだから、まさか本当に苦しんでるなんて、」
片手を鞄に突っ込み、手に当たった回復薬を引っ張り出す。
頭の痛みに呻くガルカだったが、アルベラの手が額に当てられるとともに、知らぬ子供の声や衝動、自分の物でも無い感情の波が引いていくのを感じた。
頭を締め付ける痛みも、それらの声と共に消えていく。
ガルカの表情から余計な力が抜ける。その様子を不思議に思いつつ、アルベラは急いで回復薬をガルカの口に流し込んだ。
ぼんやりと目を向けられ、アルベラは安堵の息をつく。
「………酷い気分だ」
参った、と言いだしてもおかしくないような声に、アルベラはクスリと笑う。
「弱ってしおらしくなったあんたを見るのは、なかなかいい気分かも」
茶化してみるも、まだ頭がぼんやりしているのか、ガルカはそれを、黙って見上げていた。
ヂノデュの相手はコントンが請け負ってくれてるせいか、お嬢様の表情は気丈なものだった。今も上空には沢山の魔獣が遊泳し、こちらの気を伺っているというのに。
(単に危機感が薄いだけか、思ってた以上の阿呆なだけか)
アルベラの下に敷かれている事に気にも留めず、ガルカは額に当てられた手の感触に目をつむる。
(………………………この顔を見て安心するとは………不覚だな)
その様子に、アルベラは困ったように首をひねった。
(………やり辛い。いつも食い掛ってくるくせに、)
額に手を押し付けたままだったことを思い出し、「流石にもういいだろう」と退ける。アルベラはガルカの上から退くと、弾き飛ばされた回復薬を拾いに行った。
ガルカは自分で自分の額に手を当て、どこかまだ、ぼんやりとした顔で起き上がる。
(蓋は開いてないからセーフ)
瓶についた砂を払い、あたりを見回す。魔獣は変わらず浮遊していたが、先ほどより明らかに散っていた。
(コントンを待たずに、ガルカの様子次第では玉に向かうべきか。ガルカを休ませて、コントンと向かうべきか。一人で行くのはあり得ないし………)
「頭痛いのはもう平気? どう? 動ける?」
「やめろ、気遣いはいらん。ああ。くそっ………忌々しい呪いめ………」
ガルカはごちりながら口をへの字にし、片手を突き出した。
「回復薬、もう一個よこせ」と言っているのだろう。
「はいはい」
アルベラは今しがた拾った瓶を、ガルカの手へと投げる。弧を描き放られた瓶の中で、珊瑚色の透明な液体が「たぷん」と波打つ。八郎特性の回復薬だ。市販の物より効きが良く、僅かながら魔力も回復してくれる。
それをガルカは一気に飲み干す。
(かすり傷程度ならあっという間なのに、あの火傷は直に治らないか。まあ、意識は回復してるみたいだし、心配はいらないか)
「ふん! 相変わらず不味い」
空になった瓶を、ガルカは苛立たし気に民家の壁に叩きつける。見るからに八つ当たりだ。アルベラが「こら! 壊すな!」と声を上げた。
「おい」
「ん?」
ガルカは上空を見ながら尋ねる。
「貴様、札はまだあるか?」
「………? ええ」
「それを持っていて、何ともないか? 皮膚が焼けたり、頭痛がしたり」
「魔族用でしょ? 人間なんだから、何ともな」
「ならその愚か者に食らわせろ」
「え?」
アルベラの視界から、ガルカの姿が一瞬で消えた。
「———そういう事か」
両手で顔を覆う。足元の家屋の屋根を見て、自分がヂノデュに狩られたのだと理解した。鷲の脚に肩を掴まれた状態で。後ろからコントンが駆けてきているのが見える。よく見ると、その口に大きな木の枝を咥えていた。さらによく見れば、千切れんばかりに尾を振っていた。
(——————あいつ、良いように遊んでもらってたな)
アルベラは怒りのままローブのポケットに手を突っ込み、ボロボロになった札をつかみ取る。それを勢いのままヂノデュの脚に叩きつけた。
「な?! お前、札を、」
ヂノデュがふらりと体制を崩した。そこから事は一瞬で収束する。
ヂノデュが落としたアルベラを、ガルカがキャッチし、追ってきたコントンが、咥えていた棒を離してヂノデュへと大口を開ける。
「——————え、食べたの………札も?」
ガルカの腕の中、その肩にしがみ付いてコントンを振り返ると、コントンの口元から札の張り付いた足だけが、ポロリと落ちていくのが見えた。脚は、肉を焼く匂いと、僅かの煙を立ち昇らせながら落下していった。
(エグい)
隣に駆けてきたコントンへ、アルベラは何とも言い難い視線を向ける。
ガルカが「うまかったか?」と尋ねと、黒い体に真っ赤に映える口元が、嬉しそうな形に開かれた。
『ウン コイツ ケッコウウマカッタ』
「だろうな。芥じゃない魔族が食えたんだ。運が良かったな、コントンよ」
『ウン!』
(魔獣の味覚とは………)
アルベラは、コントンから受けっとていたコートを畳みながら、目を据わらせる。
「ダタ、見ろよ。あの魔族、結構やるぞ」
魔獣の上から村を見下ろし、長い耳で他の音にも気を払いながら、ラーノウィーが楽しそうに手招く。ほら、と指さす先には、先ほど別れたばかりの少女と、コントンと、先ほどにはいなかった魔族が合流していた。
「確かに。………………けど、随分ボロボロだな」
「ああ。さっきまでちょっと押されてたからな。ていうか、先手とられて手も足も出せてなかった。驕って一本取られたのかね、かわいそー」
ラーノウィーはくつくつと笑う。
「んー、にしてもなぁ。なんであんなのが、あんな子供と。魔族の気まぐれって奴かな。ガキが何かに利用されてるとかぁ? ………………ふーむ………………ちょっと気になって来た」
「なあ、なあ!」と、魔獣の額の上、ミノムシのような生物が、蚤の様にピョンピョン跳ねる。
「俺はアッチが気になル。面白そうな奴。強い気! アレ、良いゾ!」
魔獣が長い体をぐるりとうねらせ、方向転換をする。今いる場所が、ミノムシが示した方を見るのに、丁度いい位置へとなる。
ラーノウィーは腰に手を当て、上半身を突き出して下を覗き込んだ。
「へぇー! まだまだガキだけど、面白そうじゃん。なーんか、暇しなくていいな!」
幾つかの手を試し、玉が持ち出せないと分かった後の彼は、文句を撒き散らしながら拗ねていたのだが。
(随分ご機嫌になったもんだな。見た目の年齢に引っ張られて…………いや、もともとああだったか)
うつぶせに寝転がり、キック力のありそうな脚をブラブラと振り始めた仲間を、ダタは黙って見つめた。
***
(………?! おい。ここどこ―――)
「———うっ」
ジーンは、濃い血の匂いに鼻を覆う。
一緒に村に立ち入ったはずの、五名の騎士見習いの姿が無い。
(水の底みたいな視界。村の中なのは確かそうだ)
辺りを見ると、数人の遺体が転がっていた。





