118、玉の回収 3(村の外、村の中) ◆
『——————第三小隊、配置完了———第四小隊、配置完了———第五小隊、配置完了』
「ついたな」
この村は南側が森林と隣接している。それ以外の方位は、平原だ。シズンムの村へ、生存者救出と、原因と状況の調査に遣わされてきた大体は、森林地帯である南側を除いた各方面を包囲し終えていた。
「よし! 進め!」
その声と共に、五人一組となった兵士達が、村の中へと入っていく。
若い戦士達が大隊から離れると共に、それを祝福するかのように、聖職者たちの歌声が上がった。だがそれは、兵士たちに向けての物ではない。中の魔族や魔獣の、戦力を削ぐための歌だ。
その時、司令官が待機する北の小隊から見て左。東に配置した小隊がどよめき、叫び声が響き渡る。どう聞いても断末魔の声。後ろの方から、前の方へと、蜘蛛の子が散る様に列が乱れていった。
「なんだ?」「どうした」と兵士たちから声が上がる。
「魔族だー!」
「隊列を組みなおせ! 頭を低くして応戦しろ!」
その上空を、鳥の翼をもった魔族が、一人の人間をぶら下げて旋回していた。
飛行中の魔族は「結構早く気づかれたな」と呟く。地上の兵士たちから放たれる魔法攻撃を難なくかわす。
「おい!」
「ひぁ、は、はいぃ?!」
魔族の足に掴まれていた兵士は、裏返った声を上げた。
「お前、全部持ったな? いいか、しっかり握っていろ。絶対に離すな」
「は、はい!」
兵士は、その小隊の最も後ろの列に並んでいた。仲間の頭の合間から、若い兵士たちが村へ侵入していく姿を眺めていた。自分の隣の奴が急に、物音もなく倒れたので、視界をそちらに向けた。すると、同じ列にいた者達が皆、喉を切られ、音もなく地面に伏していた。
驚きで声も出せないでいると、後ろから口を塞がれ、こう言われたのだ。
『お前は殺さないでおいてやる。お前ら、魔族封じの札を持ってるな? あれらから全部回収しろ。無くさないよう、甲冑の腹の所に入れておけ。けど良いか? 少しでも怪しい動きをすれば、お前の体を二つに千切るからな。―――お前は俺の指示に従って、できるだけ札を回収しろ』
(なんで、俺………)
歯向かおうにも、全くそんなスキはなかった。剣を向ければ、真っ先にあの翼で払い飛ばされ、鋭い鉤爪のついたあの足で、頭が握り潰されてしまうのではと、恐怖がよぎった。
兵士はガタガタと震え、仲間の亡骸からかき集めた、対魔族用の札を胸の前で握りしめる。
魔族はその人間を掴んだまま、水の壁の中へと突っ込んでいった。
水の中に入っていった、魔族と兵士を見届け、外に残された人々は呆然としていた。
「中佐、どういたしましょう」
「生きてる者の手当てを。他は変わらず、配置について、水から出てきた魔族や魔獣を討伐せよ。外からの侵入者の警戒も怠るな。………………………ったく、役立たずめ」
通信機から、各小隊長の返事が返る。
『———中佐』
「なんだ? 第二小隊長」
『今回、ドクマラについての噂も流れております。まだ噂の域ではありますが、この不可思議な現象は、彼らが全く関わっていないとも言い切れません―――』
「それで」
『———はっ! もし彼らと遭遇した場合、どういたしますか?』
「怪しければ拘束だ。従わなければ殺れ」
『———はい!』
中佐は通信機を切り、目の前の水の塊を見上げた。
「ドグマラか………くだらん」
指揮官である中佐の命を受け、北西に待機する、第二小隊の隊長はため息をつく。
(もしもの時は応戦、か。………撤退を愚考と思うのは当然だな)
隣の副長が前を見たまま、「駄目でしたね」と言った。
「ああ。だがドグラマとの関りも、何の根拠もない噂だしな。考えることではない」
「はい。しかし、そんなに手ごわいのですか? 確かに、他種族が相手だとやり辛いものはありますが………百対一ともなれば、捉えることもできるのでは?」
「そうだな。俺も昔、そう思ってた」
小隊長は、過去に自分の属した小隊が、何の抵抗もできずに壊滅させられた事を思い出す。
(トラウマというのは拭いきれない物だ)
あの時自分は、地面に腰をつき、震えながら「敵」に剣を向けた。「死にたくない」その一心しかなく、剣を向けたのも習慣的なものだった。そして、戦意を失った小隊の残りカスに、彼は興味を示さず立ち去った。
彼らに出会ってしまったことも、生き延びたことも、全てはただの運でしかない。
「結局のところ、神頼みが一番効くのかもな」
「は?」
「気にするな。ここには聖女様も控えてらっしゃる。気を張って、守ることに徹しろ」
***
「あなた、この村の子?」
アルベラの問いに答えず、少年は大きな黒い犬を見上げた。そしてまた、アルベラへと視線を戻す。
「人………人間?」
アルベラは尋ねられ、関りを持っていいものかと思考する。
(玉を優先して、この子を放置するのも手なんだけど………。魔族から助けておいて今更なんだよなぁ。無意味な殺生………………ないない)
「………ええ。人間」
子供の視線に合わせしゃがみ込み、いまだ呆然としている様子の彼の顔を覗き込む。
五歳前後の幼い少年。やけにクマだらけな暗い目。ただれた顔の皮膚。タンクトップ、手足に巻いた包帯。
(にしても寒い恰好ね。この傷は………最近の物じゃなさそう)
「効果あるか分からないけど、一応、はい」
アルベラは子供の様子を見ると、さっきコントンが持ってきたコートを彼に被せ、回復薬の小瓶を一つ飲ませた。
(大した変化は無いか)
回復薬を飲むも、少年の焼けただれた皮膚も、目の下の隈も変わらずだ。
「あなた、なんとも無い? 怪我とか病気とか」
「なんとも」
「そう。………ねえ、試しに『こんにちは』って言ってみて」
「試し?」
「そ。なんでもいいから言ってみなさい」
「………じゃあ、『こんにちは』」
「はい。こんにちは。気にしないで」
少年の話し方や声から、ひどく気だるげな印象は受けるが、単にそういう子なのかもしれない。そう思い、アルベラは「元気ならいいか」と呟いた。
「よし。じゃ、ここから出られる?」
「え、」
「出方分かる?」
「お姉さんは?」
「いいえ」
アルベラは「当然」とでも言いたげな表情を浮かべた。
「あ………うん」と、少年は困ったように頷く。
頭上に、遊泳している大きな魔獣の影がかかり、アルベラは少年を引っ張りコントンの足元に寄る。
(入った時は、村の適当な場所に飛ばされたけど、出るのはどうなの? 普通に村を出れば出られる?)
「コントン、村からって普通に出られそう?」
『………? ウン』
何を当たり前なことを、というように、コントンは首をかしげて頷いた。
(返答があっさり過ぎて、疑わしい………けど、信じて行ってみるしかないか。ずっと連れてらんないし)
「そう」と立ち上がり、アルベラは少年を見下ろす。
「じゃあ、」
『タベル?』
「違う!」
なぜ食べる。アルベラは息をつく。
「ここで一番ちかい出口まで運んでくれる?」
『イイ ケド タマハ?』
「ちゃんと行くから大丈夫。あなたの足ならすぐなんでしょ?」
『ウン。 ケド、ヒト タクサンキタ。 ソト タクサンイルヨ』
「嘘。………でも、」
どうせ飛ばされるんだし、入ってきても鉢合わせることは無いか。と、自分が水の中に入った時の事を思い出す。
「その人たち、まだ入ってきてない?」
『ウン』
「じゃあ、入ってくるまでに村の境目まで行けそう?」
『ウン』
「よし、じゃあ行きましょう」
『ハーイ』
コントンが返事と共に、「ワオーン」と鳴く。
「よし。後はそこから出るだけ。大丈夫?」
「うん」と少年は頷いた。
コントンが道を駆け、民家の屋根を飛び越え、ショートカットをするにして、十分もかからずに「境」まで来ることが出来た。外には森林が見えている。村の中から見た感じでは、そちらに人がいる様子はない。
(森林………そうか。ここ、南側か南寄りの方か)
ここに来るまでに散々眺めた、チヌマズシ周辺の地図を思い出す。
「コントン、人ってどっちから来てるの?」
『アッチ』
コントンの鼻先が、右手を示す。
『アト アッチカラ アッチ』
コントンは、右手側から背後までを、ぐるりと鼻先でなぞって見せた。
アルベラが境目を良く眺めてみると、ここが森林地帯の入り口辺りであることが見て取れた。
(なるほど)
「外に出て、あっち側に行けば平原に出るから。獣や魔族に気を付けなさい」
表情の読み取れない顔で、少年は「うん」と頷く。
「よしよし。気を付けて行ってらっしゃい」
それを見下ろし、アルベラは少年の暗い鼠色の髪をくしゃくしゃと撫でた。ついでに、少年の額を軽くつつき、気になってた火傷のような跡を指先で触れてみる。固くて引っ掛かるところと、ツルツルして指触りの良い箇所があった。見た通り、ずいぶん古い傷のようだ。
(この年で? 産まれて直ぐに、火事にでもあったの?)
少年はされるがまま、アルベラを見上げた。
「気持ち悪い?」
少年が表情を変えず尋ねる。アルベラは首を降った。
「物珍しかっただけ。触られるの嫌だった? ごめんなさい」
「そう。………これ」
「ん?」
「これ、返す。外出たら寒くないだろうから」
「そう」
アルベラはコートを受け取る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
見上げてくるまま、動かない少年の視線。二人の間に沈黙が流れる。ずっと見られてては去り辛いだろうか、とアルベラから視線を反らす。
「じゃあ、これで」
コントンの背によじ登り、水の壁に触れる少年を見下ろし「じゃあね」と手を振る。
「まって」
少年は声をあげた。
「お姉さん、名前 は………………ええ?!」
名前を聞かれた途端、彼女は振り向きもせず、大きな犬を走らせ去ってしまった。少年は不思議そうに、一気に遠のいたその背を眺める。
(うっかり漏らして、父母の耳にでも届いたりしたら!)
―――出禁。
アルベラは今、ストーレムの町を回っている事になっている。以前人攫いの問題に巻き込まれた時は、自分の特徴や名前が漏れてしまっていたことがあり、父にしつこく言及された事もあった。他人の空似で済んだは良いが、また同じように父にチクチクネチネチ探られるのはうんざりだ。
アルベラは振り向きもせず、我が身第一でコントンの背中にしがみつく。
「さて」
巨大な犬が去っていくと同時に、少年は水の外に踏み出した足を引き戻した。
「たく。勝手に移動しやがって」
短い白い体毛。長い耳。ラビッタ族の少年が、近くの民家の屋根から飛び降りる。十五歳前後の外見をした彼は、ニヤリと笑い冗談めかす。
「にしても、『お姉さん、名前は』か。お前が女を口説こうとする所を拝めるとはな。随分と年下だったじゃないか。ああいうのがタイプなのか?」
人間の少年は、ラビッタの彼を言葉もなく見上げる。睨み上げるでもなく、見上げるだけの視線に、ラビッタは「通じない奴だなー」と頭を掻く。
「ダタ、何であの子供に付き合ったタ?」
ラビッタの少年の耳の間、しがみ付いていた小枝と葉っぱの塊のような、ミノムシのような生き物が尋ねる。
「たしか、ズーネが『魔族を連れた子供を見た』って言ってたよな。『紫頭のガキ』。あいつかと思って」
「ちょっと気になったってわけか。はいはい」
ラビッタの少年が呆れた風に片手を振る。
ダタと呼ばれた人の少年は、少女の、幼い子供に対するにしては、やや淡白な口調を思いだす。子供に媚びた様子の無い目。かといって、彼女からは突き放すような、冷たい雰囲気も感じなかった。嫌々助けたわけでもなく、だからといって義務感や正義感に突き動かされた様子でもない。「なんとなく」その一言が一番しっくり来た。
ダタは自分の顔の傷跡を、指でなぞる。
(少し浮世離れしたような、価値観………物事への無頓着さ。………大人………だとしたら、魔力が幼すぎる………。単なる変わり者の類いか……?)
無表情な口元に、小さな笑みがこぼれる。
「人の傷に気安く触って『珍しかっただけ』か。………可愛げの無い子供だ」
「子供なんてそんなもんだろ。突然可愛いって触りだしたり、かと思えば怖いって泣き出したり。手触りとか匂いとか。本能と感覚の中で生きてる生き物だ。まだまだ動物、人未満ってな。それより、魔族とつるんでるって話じゃなかったか? 魔獣といたぞ。しかもコントン。あのワンコロ、俺らが来た時にもずっと、玉の周りを嗅ぎまわってたのだよな」
「玉か。そういえばあの子供、玉が目的みたいだったな」
「はぁ?!」
「なあなあ、所でオマエラ気づいたカ?」
ミノムシがぴょんぴょんと跳ねた。
「アイツ、最近一回死んでるゾ。あの世の残り香があル。アイツの首、特に匂っタ。なのに生きてル。あれ、何かのクグツじゃないカ?」
「傀儡ねえ。話した感じも近くにいた感じも、ただの人間だったけどな。ラーノウィーお前からはどう見えた?」
ウサギの少年は、顎の毛を撫でながら「別になー」と返す。
「普通の人間に見えたけど。コントンは他の誰かの使役か? あの子供に、コントンを使役するだけの力は感じないし。玉を目的って聞いても、見た感じ特別な装備も、寵愛があるわけでもなさそうだしなー」
「だよな」とダダという少年が頷く。
「なーなー、アノ玉どうすル? 惜しいよナ」
「そりゃ惜しいけどよ、あんな物、どうやって持ってきゃいいんだよ。この国の聖女様でさえ、手の届く範囲に入っただけで発狂しちまうって。様子を見て考えよう」
ラーノウィーの意見に、ダタが「そうだな」と頷く。
「残念だったな、ダタ。お前の気になったあの子も、あの玉に近づきゃ、『憎悪製造機』になって『はい、おしまい』だ」
「『憎悪製造機』か、面白いな」
ダタはクスリと笑う。
「あの子供には、なるようになってもらえばいいさ。俺らは俺らで考えるぞ。言い出しっぺの誰かさんには、特に頭をひねって欲しいな」
二人分の視線を感じ、ラーノウィーがぎくりと肩を揺らした。「へーへー、分かってますよ」とやけくそ気味に返す。
『おい、いるな?』
足元から声が聞こえ、三人が視線を落とす。地面には、人の腕程の穴が開いていた。その中に向けてラーノウィーが話しかける。
「ズーネか。どうした」
『この国の軍隊さんがいらっしゃった。空に二百、地上に七百。内二百が、今村に向かってる。生存者の救出だと』
「ふーん。人来たか。人手が増えるなら助かるな。適当に身を隠して、どうなるか見させてもらおう。運が良ければ、漁夫の利にありつけるかもだしな」
『………ああ、おい。なんか変なのがそっち行ったぞ。人をぶら下げた魔族が、村に突っ込んでった』
「ん? また人と魔族か」
「流行ってんのかナー」
『知るか。一応報せたからな』
穴は内側から閉じられる。
———「わあ! どこだよここ!!」
———「はあ? 話しと違うぞ」
ところどころから、転送された兵士達の困惑する声が聞こえ始めていた。
「玉に触れられないって分かった今、入ってきた奴皆、玉の近くに呼び出すのに変えてもいいんじゃないか?」
ラーノウィーがぼやく。
「それは無理って言ったロ! この水のせいで、大雑把なのしかできないんだってノ!」
「もうどうでもいいさ。あの辺りは十分見れた」と、ダタが返す。
「じゃあコレ、もうきるカ?」
ミノムシのような生き物が、「これ」と、村一帯に張り巡らせた、ランダム転送の魔法を示す。
「いや、このままにしよう!」
ラーノウィーは楽し気に拳を振り上げた。
それを見上げ、ダタもどことなく笑んだような表情を浮かべる。
「そうだな。折角だ」
「ああ! 俺はこの国の兵士が、翻弄される姿でも見て憂さ晴らししたいしな! 何よりもまず憂さ晴らしだ!」
ラーノウィーが、小脇にダタを持ち上げる。その様子に、頭の上のミノムシは、察したように耳にしがみ付いた。ラーノウィーはラビッタ族では珍しくもない、赤い瞳を上空に向ける。浮遊する魔獣の中から、目ぼしい一体へと跳躍し、その背に飛び乗った。魔獣の背を何度か跳び移り、大きめの一体の背に乗ったところでダタを落とすように降ろす。
「この辺でいいだろ。そら、高見の見物だ」
村の中からは、少年、青年たちの叫び声と、新鮮な血の匂いが漂い始めていた。





