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114、彼の生活 5(彼らの作戦)

「俺、先週いろいろあって。ここを抜け出そうと思う」

「はあ?!」

 朝。起きて、朝食を食べ終わって、早々の事だった。

 ローウィンが家から出て村のバザールへと買い出しに行き、サトゥールは、昨日から荷物を背負ってどこかに出かけている。リリはまだ眠っており、いつもお昼ごろに起きて活動を始めていた。

 何の用もない時に、彼女がこの部屋を訪れることはない。なので、三人は下の階まで響き渡るような声を出さないようにだけ気を付けた。

「お前、何言ってんの?」

 驚き、やや大きな声を上げてしまったホークは、反省したように落ち着いた声音で尋ねる。

「頼むから、落ち着いて聞いてくれ。二人には、俺等と一緒にここを抜け出してほしいんだ」

「お兄ちゃん?」

「俺等って………」

 レーンは不安げな表情を浮かべる。ホークは、「俺等」という言葉に、窓際の少年の姿を思い出す。

(こいつも、あれを見たのかな………)

「俺、この施設の話を聞いたんだ」

 ―――大人しくしてような。

 この間も思い出した自分の言葉。今その約束を、真っ向から破ろうとしている友人に、ホークは軽くイラついていた。

「話? 誰から?」

「ここの、俺等より先に居た人から」

「それって、あの食事の? それとも、傷害のある人たち?」

 レーンが尋ね、ヴィオンが首を振る。

 それから、ヴィオンは二人へ自分の見聞きした話を説明した。

 来週売られていく少女の話。姿を見たことのない五人の子供の話。この施設が、奴隷商、人売りと同等の事をし、その一方で慈善という言葉のもとに、支援金、補助金を得ているという事。

 そして、村の買取屋で見つけたレーンの髪飾りの事。

「こんな場所に、いてやる必要あるか?」

 ヴィオンの瞳には怒りが宿っていた。

 レーンは兄の話を聞き、下を向き震えていた。恐れているようにも見えるが、違う。

「許せ、ない………」

 静かで低いその言葉には、ヴィオンと同じ怒りがあった。

(お前ら、やっぱ兄妹だわ)

 ホークは、どこかまだ乗り切れない気持ちに、針に刺されるような、小さな寂しさを感じた。

「けど、失敗したら俺等も巻き込まれかねない。分かってるだろ? 俺らは、いつかライラギに戻る。それは決まってることだ。だからあいつらも、ここの実態から遠ざけてくれてたんだ。なら、今は知らない振りをして過ごそう。あっちに戻ってから全部話して、ここの子供を助けてもらえばいいじゃんか」

「………ホーク、頼む」

 ヴィオンはホークの言葉を否定しなった。

 きっと、自分もおなじことを考えたのだろう。

 ここでは目を閉じ、耳をふさぎ、知らぬ間に素材になってるかもしれない命から、目を背けて過ごす。

 ホークは、ここの実態の一部を目にしたとき、そうしようと決めた。だがヴィオンは、そうしたくないと思った。目を背けることを拒んだ。助けられるなら助けたいと、ホークとレーンに打ち明けた。

(そうだよな。だって、『俺』に一番に声を掛けてきた奴なんだもん)

 皆そうだ。自分という差別対象に、自ら友好的にし接してきたり、手を差し伸べたりした時点で、それは根っからのお人よしという証なのだ。

「どうやって抜け出すんだよ」

「閉じ込められてる子達の隣の部屋。あの人、今そこで過ごしてるんだって。窓から出る」

「トラップは?」

「ああ。ベルの事だろ。それならあの人が出るから、その時間だけ解除されるって」

「ベル?」

「子供が施設から出ると鳴るベルだよ。それの事じゃないのか?」

 そうか、そんなものまであったのか。

(知らなかった)

 ホークはため息をつく。

「なんだ? ホーク、トラップってそれの事じゃないのか?」

「庭に、防犯用のトラップが幾つか設置されてる。あれ、踏んだり触ったりすれば終わりだぞ」

「ああ! そいう事か!」

 ヴィオンがポケットから、紙を取り出した。

「これ、あの人に渡されたんだ。窓から出たらこの道を進めって。ローウィンが歩く場所、よく見たら草が踏みつけられて、獣道みたいになってるからって。確かに、何かあるから気をつけろって言ってた」

 この言い方。ヴィオンにこの紙を渡した彼女も、もしかしたら防犯トラップの事は知らなかったのだろう。だが、窓の外を歩く時の、ローウィンの不自然な歩き方に、何か不安を抱いて居たのかもしれない。

「結構念入れてるんだな」

 ホークは感心した。

「それで、逃げたとしてそのあとはどうするんだ? 村の人に助けを求めるのか? 子供だけで生きるのか?」

「村から出る。あの人がそうしろって。村の出口の方が近いから、誰かに助けを求めてたら、見つかって連れ戻されるかもって。あと、大人は信用できないって」

「へぇ。大人は信用できない………」

「こんなところ居たらそう思うよな。それに俺、ここの人たち見てて思った」

 ヴィオンが厳しい表所を浮かべる。

「——————あんな大人なら、いらない。子供だけでいた方が断然マシだ」



『村の外に出た後はどうする? ずっと子供だけで過ごすのか?』

『ライラギの施設長に手紙を出す。ほら、これ』

 ヴィオンは、この間の買い物の日に購入した地図を取り出す。丸が書かれていた。

『村から少し離れた場所で過ごして待つんだ。そこなら川もある。施設長への手紙に、俺らがここにいるってことを書いておく』

『———ホーク、やろう』

 レーンは、決意の眼差しをホークへ向けた。

(あいつら、二対一なんてずるいよな)

 ベッドの上、寝返りを打ち、ホークは窓の方へ体を向ける。窓の外の、さわさわと揺れる木のシルエットを眺める。

(あんな大人ならいらない、子供だけの方がマシ、か)

 正直、あの言葉は結構衝撃だった。「確かに」と思ったのだ。なんでわざわざいてやろうと思ったのか。なんなら、この三人だけですぐにでも抜け出してしまえばいいとも思った。

「みんな、すげーよな………」

 人を助けようとする人間というのは、根拠なく強く、頼もしく思えてしまう。きっと、自分が彼らに救いを求めているのだ。寄っかかり精神というものだろう。そうやって人に求めてばかりだから、自分の環境が人の手にゆだねられてしまう。

 だが、彼らは自分から動いて自分の周りを良くしようと動いている。悪いものからは遠ざかり、救いたいものへは手を伸ばし。改善に改善を重ね、自らの手で身の回りの平和を作っているのだ。

 ヴィオン、そして自分と同じ、赤い瞳の友を思い出してそう感じた。境遇は違うが、あの王子様や、あのお嬢様も。彼らの、人へ手を差し伸べ、行動を促す言動の根本には、そういう姿勢があるのではないかと思えた。

(………かっこいいよな。俺だって、助ける側になりたい)

 ホークは窓際の少年の声と、その部屋の住人たちを思い浮かべる。

 心は決まっていた。だが、あの作戦に、彼らは連れていけない。

 ヴィオンやレーンにも、ホークは彼らの事を話さないでいた。

 ———たすけて、たすけて………

(助ける。絶対助けるから。だからあんた達はもう少し待ってくれ)



「帰ったぜ」

 とある夕刻時。帰宅したサトゥールは、自室のドアを開く。

「あら、予定より早かったじゃない」

 鏡台に向かい髪を梳かしていたリリが、鏡の中の夫に目を向ける。

「おう。案外あっさり終わってな。あ、土産だ」

 そう言い、土産とやらを妻へと放った。片手を伸ばし、それを受け取ったリリは、初めは胡散臭そうな顔をしていたものの、その土産をじっくり観察して表情を和らげた。

「へぇー、結構いい品だね。それにこれからの季節にうてつけだ。あんた、コレどうしたんだい?」

 リリが両手で大きく広げたそれは、子供用のコートだった。

「道中拾ったんだよ。木に引っかかってた」

「こんな時期に? 間抜けな商人が風にでも飛ばされたのかね。………何にしたって有難い話だけど」

 リリは手触りの良い、上質なコートを撫でながらうっとりと目を細める。

 どうせ酒と男の事でも考えてるのだろう、とサトゥールは荷物を掴んで隣の部屋へと向かう。

 本日の収穫と、先ずは一人で存分に向き合いたかった。

 部屋に入り、内側からカギをかけ、ベッドにどすりと腰かける。足元に置いた鞄から、緑色の宝玉を取り出す。

「お前は一体、幾らになるんだろうなぁ」

 両手で持ち上げ、傷一つない曲面を覗き込む。

 不思議な玉だ。不透明にも見えるのに、たまにその内側が淡く輝いているように見えた。

 そしてあの声。

 ———クラッテヤロウ

 ———カナエテヤロウ

「カエセ、カエセ、か」

 美しい玉に見とれた男は、魂が半分抜けているかのような、だらしない表情を浮かべていた。

「何を返せばいいんだろうなぁ。お前は何を叶えてくれるんだ?」



 魔力に敏感なホークは、悪寒に辺りを見回す。

 落ち着きのない彼の様子に、レーンが「どうしたの?」と尋ねた。

「………いや、よくわからない」

「大丈夫か? 頼むから、あんまり思いつめないでくれよ。決行は来週。今から気を張ってたら疲れるぞ」

「ああ。大丈夫だよ。お前こそ、明後日、最後の打ち合わせって言ってたよな。気をつけろよ。さっき施設長帰ってきてたろ」

「ああ。ちゃんと皆が寝静まった時行くから。あの部屋の子達にも、もう一度、ちゃんと話しておかないと」

 三人とも、口でどういおうと緊張と興奮は同じだった。

 一人の少女が売られていく。それを代償にした逃走だ。絶対に失敗するわけにはいかない。

 ヴィオンは自分を落ち着かせるように深呼吸する。

「施設長への手紙も書いた。後は当日———」



 ***



 いつの間にか、この施設にはピリピリとした空気が流れていた。

 それはここだけの話だろうか。それとも、施設の外もだろうか。それとも世の空気など、もとからこんな物だったろうか。

(なんで)

 作戦決行の日。

 絶対に上手くいく。

 そう信じてしかいなかった三人は、理想通りに転ばない現実に絶望することになった。



「おらぁ!!!!!」

 鈍い音が部屋に響く。

(なんで)

 ホークは目の前の光景に、足元が崩れていくのを感じた。

「おら!!! ふざけんなこのクソガキが!!!! 人が優しくしてやってやりゃぁ、調子に乗りやがって!!!!」

 サトゥールは、大人の男の力を一切加減せずに、ヴィオンの腹を蹴り上げた。

 ヴィオンは声も出せずに蹲る。

「おいほら!!! どうだクソガキ!!! てめぇらが楽しみに企ててた作戦が失敗した気分は、よお!!! 余計なことを、くだらない事考えやがってよお!!!!!」

 等間隔に、鈍い音が続いた。ヴィオンは自分を蹴りつける足を避けることもできずに腹を抱えている。

 頭に血が上ったサトゥールは、一向に手を止める気配がない。

「やめろ!」

 ホークは、ヴィオンを蹴り続ける男に掴みかかった。サトゥールの赤い髪が、扉から入り込む光に燃えるような色をしていた。

「うるせぇぞクソガキ!!!!」

 ホークは一瞬で引きはがされ、殴り飛ばされた。頭がぐらぐらし、自力で立ち上がるのに時間がかかった。

 ヴィオンがゲホゲホと咳込み、部屋の外、玄関のある方へと腕を伸ばす。

「クソが!!!!!」

「ぐっぅぅ………」

 ヴィオンの手の甲が、固い靴の裏で踏みつけられた。ねじ込まれた踵。小指や薬指のあたりから、ぽきぽきと小さく音が上がった気がした。

「ばーか」

 サトゥールはヴィオンを見下ろしそう言うと、乱暴に扉を閉じて出て行った。

 苦しそうな息を繰り返すヴィオンへ、レーンが「お兄ちゃん………」と悲痛な声を上げ駆け寄る。ボロボロになった兄は、鼻や口から血を流していた。踏みつけられた手の甲も、傷ができて血がにじんでいる。

 レーンは暗く、臭い室内で、何か手当の無いものはないかと辺りを見回した。

 ホークはおぼつかない足取りで部屋の入口へ行き、何とか扉を開こうと体をぶつけてみる。

 足元に、さきほどここを開けるのに使った合いかぎが転がっていた。内側からでは、このカギは使用できない。

 扉に肩を押し当てた体勢のまま、ホークはボロボロになった友人の姿に顔をゆがめる。

「ヴィオン………。………………………あいつ、何で………」

(あいつ、サトゥール、………クソ)

 ホークは今しがた起きた、何もかも予想外な出来事に混乱していた。



 予定通り、少女を連れて出て行った大人達。階段からそれを覗き、門から出て馬車に乗った彼らを確認し、三人は急いであの部屋へ入った。

 そこに、急にサトゥールが戻って来たのだ。彼は真っすぐにこの部屋に向かってきた。しかも、三人のうちだれよりも早く、ヴィオンに向かって手を上げた。

(どこかで、バレてたんだ)

 その上で泳がされていた。

 いつからだろう。あの男は数日前まで三日ほど出掛けていた。戻ってきてからだろうか。

 あれから何か、この施設の雰囲気はおかしくなっていた。

(………今さら、こんな事かんがえたって。何の意味も) 

「バカだよな、俺等。失敗した時の事、全然考えてなかったじゃん」

 レーンと共に、壁際にヴィオンを移動させた。ホークは壁に寄りかかり、隣のヴィオンへ話し掛ける。ヴィオンはその体勢が楽らしく、腹を抱えて横たわっていた。

 そんなヴィオンの隣では、レーンが膝に顔をうずめていた。声は聞こえないが、何となく泣いているのが分かった。

 ホークの言葉に反応し、ヴィオンは苦笑をもらす。だがそれもきついのか、小さくうめいて表情をこわばらせた。

 他の子どもたちは、サトゥールの訪問からすっかり暗闇へと溶け切っていた。

 先ほどまで、多かれ少なかれ「ここから出られるかも」という期待を抱いていただけに、彼らの反動は大きかった。いっそう心を閉ざし、自分を傷つけないようにと、自分と外部との一切の関りを経っていた。

(………ヴィオン)

 ホークは辺りを見回す。

 ここは衛生的に良くない。こんな怪我をして、こんな汚れた地面に横たわって。

(どうにかしなきゃ)

 ここの実態を知った事、子供を外へ連れ出そうとした事。全てサトゥールにバレた今、自分たちはどうなってしまうのか。

(何かやるなら、早くしないと)

 このまま長期戦に持ち込まれてはいけない。ホークは直感的にそう思い、何かできないかと、膝を抱えてじっと考えた。



 その夜、少女を売り払って戻ってきたサトゥールとリリが返ってくる。二人は奥の部屋に閉じ込めたままの、「預かり組」の様子を見に来た。

 顔を見て、怒りがぶり返したのか、サトゥールはヴィオンに寄り添っていたレーンの髪を掴み投げ飛ばす。そして、無防備になったヴィオンを、「こんのクソガキが!!!」と声を荒げて蹴り上げた。

「止めろ!」

 ホークはヴィオンに覆いかぶさる。だが、無遠慮な力で横から蹴り飛ばされ、簡単に地面に転がされてしまった。

「馬鹿な子」

 リリが興味もなさそうに、冷たく言い放った。

「いいか。今日からここがお前らの部屋だ。今日は飯は抜きだ。明日もな。俺がお前らに餌をあげたくなるよう、せいぜいご機嫌を取ることだ」

 二人に手を上げ、突発的な怒りを発散できたサトゥールは、ひとまず満足して部屋を出ていこうとする。

「良いのかよ?!」

 ホークが声を荒げる。

「預かってる俺らがこんなに傷だらけで、痩せて帰った日には問題になるんじゃないのか?!」

 こんなことで、あの大人たちが怯えるとは思えなかった。そして、その予想通り、サトゥールは子供の言葉に、余裕の笑みを浮かべた。

「はあ? そんなもんこう言や簡単だ。『彼らはうちの子たちととても仲良くなりました。離れるのが辛いようです。ここにいることを望んでいるようですので、このまま私共の施設で家族として受け入れさせて頂きます』」

 サトゥールは笑う。幼いが故の無知を、あざ笑う。

 二人の大人は部屋から出て行き、最後の余韻とばかりに、扉から入り込む光がゆっくりと細く細くなっていった。

 まったく明かりが入らなくなった部屋で、小さな衣擦れの音と、ヴィオンの咳き込む音が聞こえる。

「ぜったい」

 横たわったヴィオンは、扉の方を見つめていた。痛みの中、このままでは彼等だけでなく、自分たちもどうなってしまうのか分かっていた。

「でなきゃ………絶対、みんなで」



 扉の前、少女はガラス玉のような無関心な目で彼らを見ていた。

 抵抗なんかしなきゃいいのに。そうすれば痛くなんかならないのに。

 希望なんか持たなきゃいいのに。そうすれば、絶望することもないのに。

 少女はじっと、苦しそうに蹲る少年に、視線だけを向けていた。



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