111、彼の生活 2(新しい家)
ヴィオンの後にレーンとホークも馬車から降りる。
「こんにちは。よろしくお願いします」と二人が挨拶すると、綺麗に身を整えた女性が「こんにちは。よろしくね」と返す。ウェーブのかかった甘栗色の髪は、ところどころ木漏れ日に照らされ、紫色味のある光を反射していた。
自然な髪よりも湿り気のある輝き方に、「わざわざ俺らのために身支度を?」とホークは大げさに思う。
「こんにちは、よろしく」
女の隣、主人であろう男も挨拶する。
ホークが見たところ、二人ともそこそこの美男美女だった。
背が高く細身の主人は、赤い髪をオールバックにしていた。油でまとめているのか、男の髪も必要以上に輝いて見える。
「お疲れさまでした。この子たちは、私たちが責任もって預からせていただきますのでご安心ください」
主人が御者へとそう告げつと、組合から手配された御者は「はい。伝えさせていただきます」と頭を下げた。
「では、」
御者は子供たちの荷物を手際よく下ろし、あっさりと帰っていった。
馬車を軽く見送り、出迎えの二人は子供たちを家の中へと引き入れる。
「私はサトゥール・ハテキズ。ここの施設長だ。改めまして、よろしく」
「私はリリ・ハテキズ。サトゥールの妻で、この施設のお手伝いをしてます。よろしくね」
「彼はローウィン・ドゥルブネ。ここの従業員だ。どうぞお兄ちゃんとも、兄貴とも、好きに呼んでやってくれ」
「………よろしく」
サトゥールが紹介した青年は、猫背をほんの少し揺らしてお辞儀のような挨拶をする。彼は小さな目でヴィオン、レーン、ホーク、という順で、新たに加わった家族の顔をまじまじと見る。そして、ホークはその視線が、確かに他の二人よりも長く、念入りに観察の時間を要しているのを感じた。
ローウィンの眉が露骨に寄せられる。
「僕はヴィオン・リブペェルです。レーンの実の兄です」
「レーン・リブペェル。ヴィオンの妹です。よろしくお願いします」
「ホーク・ストーバです。よろしくお願いします」
「よろしく。ヴィオン、レーン、ホーク」
施設長が笑顔のままそう言い返し、改めて子供たちの顔を見た。
「じゃあ、今から君らの部屋へ案内するよ。荷物はそのままそこに置いて。後で持っていくから。先ずは中を軽く案内する」
少し大きな一軒家の中を軽く回り、三人は部屋へと通される。主人からは部屋で待っているように言われていたので、三人は大人しく、それぞれのベッドに腰かけていた。
今まで沢山の子供たちが入れ替わり使ってきたのだろうベッドには、傷やいたずら書きがそこかしこに書いたり彫り込まれたりしていた。
ホークは、自分のベッドの頭の方に、「バカ」「ウンコ」といった言葉が、滲んでうっすらと残っているのを見つける。消そうとして消せなかったのか、それは布でこすったように伸びていた。それを眺め、この文字を書いた子が、大人たちに叱られて泣く泣く消そうとしたのか、他の子供たちに悪戯で書かれて、このベッドの持ち主が泣く泣く消そうとしたのか、どちらだろう。とホークは一瞬考える。
(当事者じゃなく、譲り受けた奴が消そうとしたって線もあるか………)
「私、ちょっと怖い」
わざと思考をずらそうとしていたホークだが、レーンは素直な気持ちを二人へ伝える。それは共感を求めているようにも感じた。
「どうした? トイレが少し遠いからか」
ヴィオンが揶揄って返す。
「もう! 違うってば! ………施設長さんも、その奥さんも、私たちを押さえつけてるみたいで怖かったの!」
後の言葉は小声に、レーンはホークとヴィオンの顔を見る。二人はそう感じなかったのか、と不安気に。
ホークは口を閉じるが、案内中、あのリリという女性の体からアルコールの匂いがしたような気がして、嫌な気分になったのを思い出す。ローウィンはと言えば、まるっきしホークを見ようとしなくなった。まるで目の前にいるのは二人だけだというように、その視界からすっかりホークをけしさっているようだった。
「………まだ分からない。けど………」
ヴィオンがホークを見る。その視線に気づき、ホークはヴィオンが何を言おうとしているのか分かった。先ほど自分が感じていた不快な雰囲気を、ヴィオンも感じていたのだ。
「様子見ようぜ」
ホークはヘラヘラとそう言い、ベッドに仰向けになって見せた。
「まだ来たばっかだろ。他の子共を紹介するとか言っていたし、そいつらからここの居心地はどうか聞けばいいさ。ライラギの施設長だって、何かあればいつでも手紙を出して良いって言ってたし。なんかあったらクド達にも相談できるんだ。考えすぎんなって」
「そう、だけど………」
レーンは不安そうに床に視線を落とす。
ヴィオンはホークに習い、「そうだな」と笑ってベッドに転がり込んだ。
ホークが天井を見上げていると、「バカ」と小さく彫り込まれた悪戯書きを見つけた。あんなところにどうやって書いたんだ、とホークからは呆れた笑いが漏れた。
「んなんだぁ、この紙?」
赤から、毛先にかけて黄色くなる髪を撫で付け、サトゥールは胡乱気にそう言った。シズンムの村の、児童養護施設の長であり、施設を「切り盛り」する彼は、今日新たに迎えた三人の子供たちの荷物を確認している最中だ。
「なんだい? 悪戯書きかい?」
リリが夫の手元を覗き込む。
彼女の、ウェーブのかかった長い髪がサトゥールの鼻を掠め、サトゥールは不快そうに顔をゆがめた。手で彼女の髪を払うと、持っていた紙きれを差し出す。
「宝の地図? ふーん。子供らしい代物だね。子供の宝なんざあてにできやしないけど」
「まあな」と話半分で頷くサトゥールだったが、その紙と共に巾着に入れられていた代物を見て動きを止める。
宝石で花をかたどったブローチだ。これは本物か、偽物か。サトゥールはじっと見つめようとし、急いで妻に隠すようにブローチを袋の中に戻す。
「なんだい? なんか目ぼしいもんでもあったかい?」
「い、いや。何も」
サトゥールは慣れた手つきで、ブローチの入った巾着を袖の中へと隠した。その手つきに妻は気づかない。従業員のローウィンは今、夕食の準備でキッチンにいる。人一人の目を盗むぐらいサトゥールには容易いものだった。
「にしても………ふーん。宝の地図か。面白れぇ」
リリが返す紙を受け取り、サトゥールはそれを眺める。
「ニセモノの持ってる宝なんてたかが知れてるさ。どうせ、石やら木の実さ。にしても生意気な顔だったね。あんなのに飯と寝床を提供してやらないとならないなんて。この先数ヶ月、余計なストレスが溜まっちまいそうだ」
リリはレーンの荷物の中を確認し、小ぎれいな子供用の髪飾りを見つけ、懐にしまい込む。
「ない」
ホークは部屋に運ばれてきた荷物を確認し、ブローチがないことに気づく。
自分の荷物を適当にベッドの横に置き、食事を待つだけでいたヴィオンが「どうした?」と尋ねた。
「俺の、その、………人から預かってた大事な物が無くなってて」
「貴重品か?」
「ああ。それなりに。多分、弁償するのに凄い時間かかると思う。俺が何人いても足らないんじゃないかってくらい」
「そんな高価なもの持ってたのか?」
「まあ………ああ。ライラギにあのまま居れたなら、落ち着いたころに返しに行く予定だったんだ」
言葉が返ってこないので顔を上げると、じとりと目を座らせ、ヴィオンとレーンがホークを見ていた。
「な、なんだよ」
ホークはどぎまぎしながら尋ねる。
するとヴィオンは「窃盗品か?」と、さらりと尋ね返してきた。
ホークは「ちげーよ!!」と即答する。自分が盗みをしたことはないと言えば嘘になるが、あのブローチはそんなやましいものではない。自分がこうして生き永らえている一つの有難い縁だ。そんなやましい代物だと思われるのは癪だった。
「ん? 何だ違うのか。別に攻めてるわけじゃないから勘違いするなよ? 生きるためにはどうしても、仕方ないときがあるってのは俺らだって分かってる」
ヴィオンの横で、レーンが「うんうん」と頷いた。
「だから恥ずかしがらずに言っても良かったのに。違うのか? ホントか?」
「だから違うって」
ホークは呆れて息をつく。
「奴隷だったって話したろ? で、そん時会った人が、脱走の背中押すついでに、『金に困ったらこれ売れ』ってくれたんだよ」
「へー。めっちゃいいひとじゃん。なんだ? その人も元奴隷だったのか?」
「貴族だってさ。結構いい家柄のお嬢様」
「ホーク、お嬢様に助けてもらったの? その人どんな人? 奇麗だった?」
「すっっっっっっっっごい美人。今まで見たことないくらい美人。女神」
「ぶわっくしゅ!!!」
「お嬢様、風邪ですか?」
「いいえ」
夕食前の時間帯。アルベラは自室でくしゃみの余韻の残った顔で、ニタニタと笑っていた。
(お嬢様。今まで見てきた中で最高に不細工な顔してる。………可愛い)
エリーはその顔をじっくりと観察する。
「何かしら。誰かが私を最高にほめたたえてる。そんな気がする」
ホークの言葉にヴィオンが笑った。
「お前、高価な品に目がくらんでただけとかじゃないだろうな? 顔はちゃんと見てなかったとか、そんな落ちじゃなく?」
「本当だって! 肌が白くて、いい匂いで、目とかパチッとしてて。………そういやミクレーとか呼ばれてたな。妖精みたいって事か?」
「ミクレーって人を騙す妖精じゃん。ホーク騙されたんじゃないの?」
「違うっての! その有難い品、お前らも見ればわかるって。偽物とかそういうのじゃないから」
「分かったって。じゃあ、見つかったら俺らにそれ見せてくれるんだな」
ははは、と笑うヴィオンは、話半分と言った感じだ。だが、その品の存在自体は疑ってないのか、「それで、その預かりもの、最後に見たのいつだよ」と尋ねる。
「えーと。確か荷物まとめた時にはちゃんとあって。馬車に乗る前もあったな」
「私たちはホークの荷物なんかに触ってないから!」
「わーってるよ!」
それもそうだ。お互いの荷物などたかが知れてる。しかも馬車では、荷物は一番奥の木箱の中にまとめて詰め込まれていたのだ。運ばれている最中に、木箱を開こうとする物がいなかった事など、この三人は自分達で見ていたので知っていた。
そうだ。触ったと言えば御者か、この施設の者達だ。
「………え」
三人は同時に顔を見合わす。
ヴィオンとレーンも、不安になって自分の荷物を確認しようとベッド横を見た。
———コンコン
部屋の戸がノックされる。
「はい!」
ヴィオンが声を上げる。すると、扉が開き、ローウィンがぼそぼそと夕食が出来た旨を伝えた。
三人は礼を言い、ローウィンの後をついていく。
「今日は一階のダイニングで食べるけど、明日の朝からは自分たちの部屋でだ。後はたまに庭の草を抜いたり、家の掃除を当番制でしてもらう」
「はい。………えーと、掃除は毎日でなくて良いんですね」
「ああ。君らは一時的な受け入れだ。できればじっとしてて欲しい」
「は、はい」
「あの、外に自由に出ていいんですか?」
ホークが質問する。が、ローウィンは聞こえてないのか、返答はなかった。
「あの、外には」と、見かねたレーンが遠慮気味にホークの言葉を繰り返す。それに、ローウィンは早口で返答をかぶせる。
「勝手にはだめだ。ちゃんと俺や施設長、リリさんの了承を得ること」
「………は、はい」
ダイニングにはすぐ着いたが、部屋からここまでの短い時間で、三人の気分は随分と暗いものになっていた。
オレンジの明かりに照らされ、料理はおいしそうな匂いと湯気を立てていた。そこに数人の子供たちと、満面の笑みの施設長とリリ。
三人は合わせるように笑みを浮かべ、「わー」や「おいしそう」などの言葉を使い、分かりやすく喜んで見せた。





