108、ジーンの徴集 1(徴集の手紙) ◆
王子の誕生祭から数日。ラーゼンの仕事の都合でストーレム周辺を離れられずにいたガルカは、どうにも落ち着かない感覚に急いていた。
10代の少年の姿の彼は、そんな心情は外には出さず、はた目には微動だにもせず静かに壁際に佇んでいる。
たまに主人の飲みものが切れたら注ぎ、言われた時間が経ったら休憩を報せる。たまに書類を持ち使いに出て、その返事を相手から貰ってくる。今日は朝からその調子だ。
ラーゼンがガルカを遣わせる時というのは、自分に反抗心を持っていると見て取れる貴族相手の時だ。気の置けない相手なら、声や文字のやり取りで済ませている。自分をいつか陥れようと企てそうな相手には、ガルカを遣わせ、その表情や声、空気や魔力の流れなどの様子を見させている。
相手の空気に澱みを感じるようなら、口八丁で持ち上げて、適当に相手の気分を良くするのがガルカの仕事だった。
ガルカがいない時は書面からの判断と、定期的な兵の視察報告で済ませていたが、予想以上に使えるという事で、ラーゼンは危ういと感じる相手へは決まってガルカを遣わせるようになっていた。
だがそんなことはガルカには関係ない。正直暇すぎる一日に、拷問に近い気分を味わっていた。
(………なんなんだ)
表情を変えず、ガルカは頭の中で不機嫌に呟く。
落ち着かない。
心を掻き立てられるような感覚。
早く街を出て、そちらに向かいたいという感覚。
(そう遠くはない。今夜なら行けそうか?)
ストーレムの北の役場から来た報告を確認し、ラーゼンは淡々と印を押していた。
「主殿」
「なんだい、ガルカ」
つまらなそうな顔を書類に向け続けたまま主は答える。
「今日はもう上がっていいか?」
「………そうだな。せめて契約した定時までは働いてもらわないと、とも思ったが。今日はもういいかもしれない。君じゃないといけない仕事もないしな。ここ数日、君はよく付き合ってくれた」
「流石我主様だ。気前がいい。貴様のそういう所は好きだぞ」
「お褒めにあずかり嬉しい限りだ。外出かな? 明日の仕事に支障がない程度で頼むよ」
手元の仕事に注意を向けているラーゼンは淡々と言葉を返す。
「言葉の通り『羽を伸ばそう』かと」
「そうか。町の者達が怯えないように、ここらでは高めに頼むよ」
「おっしゃる通りに」
書面に顔を向けたままのラーゼンへ、ガルカは大げさに恭しく頭を下げた。
ラーゼンに言われたよう、ガルカは屋敷の裏から一気に高度を上げ、人目につかないように飛び立つ。
雲を切るように飛ぶこと一~二時間。
既にあるコントンの気配に、ガルカは「やはり来てたか」と呟いた。大きな水槽にも見える水の塊を足元に、コウモリの翼をばさりと空に打つ。
「奇妙なものだ。魔獣の仕業か? なんて匂いだ」
それは臭いという意味ではなかった。祭りの時に感じるような、頭を浮かれさせるような、感覚というべき香り、気配だ。
(アスタッテの匂いが濃い。あの玉か、別の何かか? だが、どうにも惑わされてる感じが気に食わん。まるでマタタビだな)
ちゃぽん、と水音がし足元を見ると、コントンが水面から顔を出していた。
見たところ水ではないようだが、コントンはあの水もどきの中を犬かきで泳げるらしい。
ガルカはコントンの元に寄り高度を落とす。
「中はどうなってる? 貴様はこれを知ってるか?」
『ナカ、アクイ、ゾウオ、タクサン!』
アオーンと、コントンが嬉しそうに遠吠えする。額に大きな裂け目ができ、そこからぎょろりと縦長の眼が現れる。それはピントを合わせるように瞳孔を動かし、ガルカを捉える。
『ナマエ、シラナイ。ケドシッテル、ニタヤツ』
「ふん。似たやつとはなんだ?」
『クサ。———ネ、アルヨ。ソレ、タドル。タマ、アル』
「ほう。草か」
『ソ。クサ。タマ、ホンタイ』
はっはっは、と舌を出し、コントンの口が笑うような形になる。
「嬉しそうだな」
『ボクノ、トリカエス。テンバツ。ニンゲン、ドロドロ』
「そうか。玉があるなら承知した。あの女に伝えてやるか―――」
ぴちょん、と小さな水音と共に、コントンがまた水もどきの中へと潜っていく。
黒い長毛がゆらゆらと揺れるのを眺めながら、ガルカは顎に手を当てて考える。
***
学業を終え、放課後の訓練、もといラツィラスとの剣の稽古に向かう時間。
自室の扉を開いたジーンは、視界端に白い紙きれが落ちているのを見つける。
「ん? 手紙だね。君宛だよ」
それを拾い上げたラツィラスは、ジーンへと差し出す。
学園へ送られた手紙は、各々の部屋へと届けられる。普通便で朝昼夕と三度の配達され、急ぎの場合は鳥を使ってその人物の元へと送り届けられる。
受け取ったジーンは、手紙の封を見て「騎士団の印」と呟く。
「珍しいね。いつも連絡事は朝練か稽古の時に済ましちゃうのに」
「そうだな」
封を切り、中を確認し、ジーンははじかれた様に時計を見る。
「は? やべ、」
「どうしたの?」
急に急ぎだしたジーンに、ソファーの上仰向けになって体を伸ばしていたラツィラスが尋ねる。
「徴集の命令だ。この手紙いつ来てたんだ?」
朝になかったのは確かなので、届けられたのは多分昼なのだろう。学園の就業は大体十五時で、今は約十五時半だ。手紙に書かれた徴集の時間は十六時。馬を走らせ、城の部屋さえ間違えなければギリギリ間に合う時間だ。
「着替えてる時間ないじゃんか」
学園指定のベージュのブレザーを着たまま、ジーンは訓練時に使用する着替えの類を詰めた鞄を掴み上げる。
「俺終わったら行くから。先生によろしく!」
ラツィラスは、若干バタつきながら部屋を出ていくジーンへ、ひらひらと片手を振って見送った。
「いつ終わるか分からないのに、真面目だなぁ」
(今日はジーンが来れないって事にしたら、ハドルテ早めに切り上げてくれるかな?)
そう考えるも、すぐに「無理だろうな」と呟き苦笑する。
それにしても訓練兵の訓練終了後の時間に徴集されるとは、一体どんな用なのか。土産話が楽しみなものだ、と伸びをして、ラツィラスも訓練に向かうべく「身支度を始める準備」をする。
机の引き出しに入れていたスクロールを取ると、再度ソファーに寝ころびそれを広げる。そこには、信頼する執事の丁寧な字で、「彼」に関する内容が書き加えられていた。
城の一階。
城の敷地内には、訓練場が数か所ある。そのうちの一つを窓の外に見渡せる会議室、若い兵士や訓練兵、そして騎士見習い達が集められていた。
この国の戦力には大まかに二種類ある。騎士爵位の者を集めた騎士団と、爵位のない平民で構成した一般軍隊だ。
―――因みに平民で構成されている一般軍といえど、上の役職は殆どが騎士称号持ちの貴族出身者が占めており、平民上がりの戦闘員は上を目指しても小隊長止まりが大半だ。貴族は平民の上に立って当然、その反対は疎まられ権力により阻止される。古くから受け継がれた価値観というのは根深いものである。
そして騎士志望の訓練生、特に騎士になる事が確実とされている者達は「騎士見習い」、一般軍入団希望の訓練生は「見習い兵」又は「訓練兵」と呼ばれている。騎士希望でもその実力や将来性が認められなければ「見習い兵」に振り分けられるのだ。
騎士になる事が確実とされている者―――つまりは貴族出身者か、その実力が認められた平民だ。
実力が認められた彼等は、皆何かしら特筆するものを持っていた。抜きんでた魔力量であったり身体能力で会ったり、神からの寵愛や加護であったり……、期待されている分それを嫉妬も買いやすく敵が多い。
どうやら今回も何かしらの敵意がありそうだと、ジーンは幾つもの列の中に同じ団の者達を見つけ眉を寄せた。
そこにいたのは数個年上の先輩達。
(皆平民出身だな)
他の団もそうなのだろうか、と周囲を見るが他の団の見習いの事はさっぱりだった。
騎士団員が他の騎士団の敷地に入ってはいけないという決まりはない。騎士も見習も、友人に会いに又はそちらの訓練を見学しに互いの敷地に足を踏み入れる事は気軽に行われている。
しかしジーンはあまり他の団を見に行ったことはなかった。ごくたまにこっそり見に行っても、身を隠し他の団の者に声を掛ける事は控えてきたのだ。
同じ平民出身とはいえ、ジーンは瞳の事もありそちらのグループからも邪険にされる事は珍しくない。貴族からも平民からも目を付けられてもおかしくない立場の彼が他者との接触に慎重になるのは必然だった。
(他の団も平民出の見習いばっかなら……捨て駒前程の話もあり得る。面倒な件あなきゃいいな)
(上層め……また面倒な条件を……。団長の気を無駄に荒げないで頂きたいものだ)
集まった顔ぶれを眺めながらザリアスの下につく騎士団副長、カルム・シリアダルはため息をつく。部屋の前に置かれた席で、出されたお茶を口に着けたりそれの水面を揺らしたりして時間を待っていた。
シズンムの村に入れる若者を募れと命じられたのは昨日。
そしてその会議が終わった後、全ての騎士団に、対策班から内容をまとめた書面が改めて配られていた。
(未成年者、か)
軍に入ることができるのは十六歳からだ。十八歳までは見習い、それ以降は一人前の兵士として扱われる。
騎士見習の場合は別だ。他国との戦のあった時代の名残で、訓練所には十二歳から入所できる。希望があれば更に幼い頃から剣の腕を磨くこともできる。正式な入団は十八歳からで、希望があれば十五歳からも可能だ。(しかし十八歳前の入団を希望する場合は試験を受ける決まりとなっている。)
(何が『未成年者』だ……。書面の方で『貴族出身者を除く』の一文を付け足してくるとは。でなくても騎士見習は訓練兵より数が少ないというのに……。こちらには十二や十三の子供もいるんだぞ、足りなければ彼等も差し出せと言ってるような物だろう)
―――平民の分際で貴族になろうなどとおこがましい。
―――こんな事もできず貴族の仲間入りができると思っているのか。
そんな言葉が浮かび「今も昔も血統贔屓の貴族というのは……」とシリアダルは内心毒づいた。
(後出しとは、なんて子供臭いやり方だ。上層の腰掛け貴族め)
窓から入り込むオレンジの光が反射し、シリアダルは「そろそろ時間だな」と時計を見上げる。
その時部屋の扉が遠慮気味な音を上げた。一人の少年が入室し、集められた騎士見習いや見習い兵達の成す列の後ろに並んだ。
その鮮やかな赤い髪とこの場では浮く王都の中等学園の制服を見てシリアダルは口を小さく開く。
(なぜ……)
人数を確認していた対策班長は時間になり「さて、そろそろ始めるか」と声を上げた。
「すみません、すぐ戻ります」
「え? ええ」
声を潜めたシリアダルの言葉に彼の隣の席にいた別の団の副団長は頷いた。
シリアダルは静かに、速やかに席を立ち部屋の後方へと向かった。





