第七話 この感情の名は
歌は基本聴かない。音楽プレーヤーに入っているのは、アニメやアニメ映画のサウンドトラックだ。しかも、〇〇系とかにフォルダ分けして、気分によって聴くBGMを変えている。
今俺は、雪乃ちゃんと2人で大型商業施設に行き、その中にあるコインランドリーで俺のパジャマや下着を洗濯している。癒し系のフォルダをランダムで流し聴きながら。荷重な黒いリュックサックを左横に置き、和やかな気分で、二度目の2人きりの冒険を満喫していた。
たった4キロしか離れていない場所だが、十分冒険だ。俺にとっては、未知の領域なのだから。
「お昼、どこで食べる?」
雪乃ちゃんは、回る洗濯機をベンチで座りながらボーッと眺めていた俺の右肩をトントンと、指で叩かれ、俺はイヤホンを外し、音楽を停止して、雪乃ちゃんの方を見た。
「…ああ…雪乃ちゃんの好きなので…いいよ」
「…ホントに?」
「うん…」
昼の1時前、洗濯乾燥を終えて、俺と雪乃ちゃんはフードコートにやって来た。
コインランドリーを出て、メインの棟の1階にあるフードコートには、有名なチェーン店が5、6店舗展開され、人々でごった返していた。夏休みだし、家族連れが多いな。
「何食べるの?」
「ラーメン」
チェーン店として全国に展開している、俺でもよく知っている有名なラーメン店、俺と雪乃ちゃんは列に並び、初めて来た店だし、せっかくだから雪乃ちゃんと同じラーメンにしたが、後悔した。
「…これ…めちゃくちゃ辛いやつ?」
「そんなに辛くないけど…」
スープ赤っ!?なんかドロってしてるし!さっき店員さんに「大丈夫?」って聞かれてたけど、ホントにヤバいやつだよねこれ!!
そんな冷や汗のせいで、ガンガン冷房との相乗効果で肌寒くなってきた俺を置き去りに、雪乃ちゃんは少し表情が緩み、美味しそうなものを見る目に変わっていた。
「…うん、最高」
まさか雪乃ちゃんに激辛好きな一面があるとは、そもそも夏限定だからって何でより体が温まる辛いラーメン出しちゃうんだよ、冷やし中華出せよ。
ま、まあ…雪乃ちゃんの味覚が狂ってる訳じゃなさそうだし、見かけ倒しでそこまで辛くは無いはずだ。
覚悟を決めた俺は、箸で麺を掴み、2回息を吹き掛け、一気に口の中にすすった。
「ごふっ!!…ぐふっ…辛!!…」
即座に水を全て飲み干したが、今すぐ舌を取り出して洗濯板で強く擦り、この辛みを取りたいと思うほど、俺には受け付けなかった。元々辛いのが好きではなかった。キムチとかも好みじゃないし…。
「あっはははは!別に無理しなくていいのに~」
「…想像の遙か上を行ってた…」
もうギブアップだ、痛い出費だが他のものを食べよう…安くて腹にたまる、うどんでも食べよう…。
「あれ!雪乃じゃん!久しぶり~!」
聞き覚えのない男の声が、俺の右隣から聞こえた。
半袖半ズボンで、右手首に黒い腕時計を着けている彼は、慣れ親しんだ間柄のような口ぶりで、雪乃ちゃんに話しかけた。
「相変わらず辛いの好きなんだな~」
「…久しぶり」
「何だよ~帰って来てたんなら連絡…は、連絡先知らないから無理か…とにかく、大変だな…あれ?…デート?」
「そうだけど」
「てことは…え?…付き合ってんの?…」
「いやいやいやいや!俺と雪乃ちゃんはそんな蜜月な関係性じゃなくて…友達同士です…はい…」
彼はものすごく驚いた顔で俺を見たが、俺がそう言うと、ホッとした表情を一瞬浮かべた後、雪乃ちゃんの右隣、俺から見て左隣の席に座った。
「あ、ついにスマホ持ったんだ雪乃、じゃあ俺が、再会したら渡そうと1年以上温めていた、俺のIDを受け取ってもらおう」
「…ありがとう」
彼はラーメンを食べ続ける雪乃ちゃんに、無料メッセージのやり取りが出来るアプリの、自身のIDを書いた紙切れを手渡した。
「あ、俺雪乃と小中の幼なじみね」
「へ、へぇ…」
彼の陽気に振る舞う姿は、俺が何度も脳内では繰り返した姿だった。一歩踏み違えたら不登校になっているような俺とは無縁過ぎたその明るさに、俺は戸惑いを隠せなかった。
小中の幼なじみって事は…一緒にお風呂も入った事あるかもしれないし…俺が求めるパンツだって見たことあるかもしれない!!?
いや…だからってそれは俺とは全く関係ない。だが何なんだ?この嫌な気は…別に気にしてないはずなのに…モヤモヤするこの感覚は何なんだ?
「知ってます?雪乃って朝起きたらアホ毛面白いくらいはねるんですよ?」
さすがに今のは無礼極まりない、こんなに人だらけの場所でそういう事は言うべきじゃないと思うな…。
「あの、今のは雪乃ちゃんの気持ちへの配慮を加味した上での発言ですか?プライベートな事ですし、無礼だと思います」
「え、いや…俺は軽いノリで…」
「その安易な発言が、雪乃ちゃんの繊細な心を傷付けていたかもしれません、あなたは初めましての他人に知人のスマホのパスワードとか教えるんですか?」
「…あははは…お邪魔だったみたいだな…じゃあまた、辛いと思ったらいつでも連絡しろよ」
そう雪乃ちゃんに一言言って、彼は席を立ち、フードコートを出た。
「別にそこまで言わなくても…それに、そこまでアホ毛は気にしてないよ、日常生活に支障は来してないし」
「…ご、ごめん…」
今のは俺のモヤモヤした変な感情のままに、頭に浮かんだ事をそのまま吐いてしまった、恥ずべき行為だ。
「…でもありがとね、心配してくれて」
「いや…そういえば、誰なの?」
「北條将人《ほうじょう まさと》、ホントにただの幼なじみ、まあ親同士も幼なじみだったし、成り行きで仲良くなったみたいなもんでさ…いや~、見事なまでに湧かなかったね、恋愛感情」
「…そうなんだ」
おい、今俺は何故安堵した?雪乃ちゃんが彼に対して恋愛感情が無いと聞いただけだろ?よく分からないな…。
「ごちそうさま」
結局雪乃ちゃんはあの辛いラーメンを食べきって、スープも飲み干した…本当に辛くないのか?…。
「…それ、いらないなら、食べてもいい?」
「え、うん…」
何と雪乃ちゃんは、俺のほとんど手をつけてない同じラーメンを食べ始めた。俺は席を立ち、うどん屋で1番安いかけうどんを単品で買い、それで一応腹は満たされた。
そして雪乃ちゃんは、実質二杯目のラーメンもスープを一滴も残さず食べきってしまった。面白いなあ、雪乃ちゃんと一緒にいると、常に新鮮な感じで、一緒にいても飽きる気配は感じない。
「じゃあ俺トイレ行って来る」
「うん」
俺と雪乃ちゃんはフードコートを出て、少し中にある色んな店を見回ろうとしていた。その前に俺はトイレに用を足しに向かった。
さすがにただ泊まるだけじゃ悪いと思い、幸野家の皆さんに、何か手伝える事は無いかと尋ねたが、おばあちゃんには「気にしないで、ゆっくりしていきなさい」とやんわり断られ、おばさんからは「何もしてほしくないし、大人しくしてて」と足払いされ、農作業ならばとおじさんに尋ねたが、「別に1人で出来るし、1人の方がスムーズだろうし」と一蹴された、こうして雪乃ちゃんとデートする事となった。
俺は用を足し終わり、小便器が自動で水が流れたと同時に、扉に洋式と書かれ、イラストも描かれてある個室からも流れる音が聞こえた。俺が手洗い場に向かおうとした瞬間に、その個室から出てきた男と目が合った。
「あ」
「あ…」
北條将人だった、何故このタイミングなんだ…気まずい空気になる…と思ったら…彼は俺に開口一番、こう口にした。
「君って、雪乃の事好きなの?」
「え?」
「てか名前何?」
「…宮代琉希です…」
「そう、琉希はさ、雪乃のことが好きなの?」
そうやってすぐに下の名前で呼べる程の度胸とノリが俺も欲しい。というか、好き?…考えたことなかったな…。
「…ほ、北條君は?」
「将人でいいよ君もいらない、俺は好きだよ、ガチめで」
将人は手を水でさっと流す程度に洗い、手を振ってズボンで拭いた。
「小2の時かな~、夏祭りの時にさ、あいつと花火見ようと思ってたんだけど…俺が迷子になっちゃってさ」
何か突然思い出話が始まったが、雪乃ちゃんの過去を知ることは俺に得があるかもしれないし、一応聞こう。
「で、泣きながら歩いてたら…誰よりも早く、雪乃が俺を見つけてくれて…」
(もう離れないでね!将人は雪乃がいないとホントにダメなんだから~!)
「ってセリフが超胸に刺さって、思い返したら特に胸キュン要素は無いけど…嬉しかったし…その後手を繋いでくれたその時に、あ、好きだ、って感じた訳」
雪乃ちゃん、昔の一人称雪乃だったんだ、可愛げのある子供だったのかな…。
「そっから…何回か告白したんだけど…もれなく撃沈でさ…去年はついに一緒に花火見れなくて、つまんねぇ夏休みだったが、今年はまた一緒に見れそうだし…今回告って振られたら…諦めようと思う」
「え…どうして…」
「だって、ここまで来たら、脈無しは確定な訳じゃん…今のあいつにそんな余裕があるかどうか分かんねぇけど…絶対やってやる…絶対に…」
彼の言葉からは強い意志を感じた。楽しそうに雪乃ちゃんの話をするのを見てると、本気なんだと、信じる事が出来た。
「で、お前は好きなの?そうじゃねぇの?」
「…俺は…」
好き…いや、俺の彼女への執着は、欲望と好奇心だ。そこに恋愛感情があるのか、全く分からないが…一緒にいて楽しいのは、俺も同じだ。
「…俺は…雪乃ちゃんのパンツが見たい」
「…は?」
「もちろん本人との合意の上で、その上で…雪乃ちゃんが履いている状態のパンツが見たい…そのためなら、今持ってるものを全て投げ捨てても構わない…そう思えるくらいに…雪乃ちゃんのパンツに…情熱が迸る」
「…お前、熱く語ってるけど言ってる事ただの変態だぞ?」
「うん…けど、間違いなく雪乃ちゃんは俺の人生を大きく変えた、そのために俺は、雪乃ちゃんを理解し、雪乃ちゃんに俺を理解してほしいと思っている…今ここで、パンツが見られたなら…一生分の運と幸せを使い切っても、惜しくない」
「…そりゃ、未来の自分に対して無責任過ぎやしねぇか?」
「そう思えるくらいにって事、比喩だよ」
「…なるほど…」
俺は石鹸を使い丁寧に手を洗い、ジェットタオルで乾かして、将人と面と向かった。
「…それが好きかは分からないけど…俺は将人の告白が上手くいってほしいと思ってる」
「…は?…いや、そしたらパンツは…」
「いや、それとこれとは別の話だし」
「いや俺がやだよ」
「…なら振られるのを望む」
「最低かよ…」
「冗談だよ、人の幸せを祝福出来ない奴が、どうやって自分の幸せを喜べるんだよ」
「…さらっといい事言うな~お前」
「…そう?」
「…よし、じゃあ絶対振り向かせるから…ID交換しようぜ!」
「え?」
「もう友達でしょ?」
「…あ…ありがとう…」
「何の感謝?」
「…いや、俺ヒドい事言ったのに…」
「いやヒドいのは俺の方だし、コテンパンに言葉のパンチくらっただけだから、俺から雪乃に謝んないとな」
そして俺は、公衆トイレでものすごく話し込んだ末に、将人と友達になれた。4人目の登録者が、出会って数分の人とは思いもしなかった。
「…何故将人とセット?」
「セットってどういうことだよ~!それより上のゲーセン行こうぜ!太鼓やろ太鼓!」
俺は将人に言われるまで、雪乃ちゃんに対して恋愛感情を意識することはなかった。けど、この日から少しずつ、俺の中での雪乃ちゃんが、未開の地、から、同い年の女子、という意識に変わっていった。
それでようやく気が付いた…パンツを見るためには、理解を得るだけでは足りない…理解したところで受け付けなければ意味は無い…その最大のキーとして、好き、という感情なのだろうか…。
う~ん、これまで以上に、パンツへの道は遠のいたかもしれない。いや、道がようやく見えたとポジティブに捉えるべきだ。今は新しい友達と3人での時間を楽しもう。




