第六話 優しさのカタチ
ぐっすり寝た、それはそれはぐっすり寝た。もうぐ~~~~~っすり寝た。ていうくらい寝た。
昨日は3時間近く微睡んだにも関わらず、一度も起きる事無く朝を迎えられた。午前7時、朝だが涼しい事は無く、容赦ない蒸し暑さで体中汗だく、起きた時には布団を剥いでいたため、夜中も暑かっただろうな…。
寝ぼけながら灯りを消し、目を擦り、ふと右隣で寝ている雪乃ちゃんを見ると、俺は目を奪われた。
俺と同じように布団を剥ぎ、体と顔を俺の方に向けて、自分の髪の毛を食べて、へそもしっかり見えるくらいお腹を出して眠っていた。
ダイエットをしているそうだが、俺にはその必要が全く無いのでは?と思うくらい程良い肉付きで、呼吸する度に膨らんだり縮んだりする様子は、砂浜に打ち寄せる波のように、いつまでも見ていられると思えた。
昨日俺は…あのお腹に手を回して…抱きしめて…
いやいや気持ち悪い…とりあえずトイレに行こう、朝の生理現象なんとかしないと誤解を招くし、便意も感じる。戻ってから起こそうかとも思っていたが、恐らく雪乃ちゃんは俺以上に疲れているはずだ…自然に起きるのを待つことにした。
午前8時15分、俺は持ってきていた半袖の制服と夏用のズボンに着替え、雪乃ちゃんが起きる瞬間を目視した。
布団をたたみ、顔を洗い、陽が昇るにつれてジワジワと暑さが増すように感じ、この部屋と障子越しにある縁側に取り付けられた風鈴が、僅かにチリンと鳴る事で涼を感じることは出来るが、暑いことに変わりは無い。
「んん~…」
「かわいい…」
普通このタイミングなら、「おはよう」と言うべきなのだが、起きた後、雪乃ちゃんの寝ぼけたゆるい表情、少しだらしなさのある声、アホ毛みたいにはねた髪の毛、俺が心の中で神格化していたこの生き物の、素の姿を見た時に思わずこぼれた、素直で、欲望に忠実な言葉に、俺自身も一瞬、「え?」となった。
やはり同じ部屋はマズい、寝る直前にそーっとくっついていた布団を離したが、心臓に悪い…だが、あまり歓迎されていない食客の俺があまり言うと、雪乃ちゃんの印象も下げてしまうだろうし、純粋におこがましいと思う。
それに、交際関係という芝居もしなくてはならないし、部屋を変えてと懇願すると、喧嘩したのかな?とか思われ、やはり同じく印象は下がる…諦めよう。
「ん~…汗気持ち悪い…」
「…えっ!!!ちょっ!!!!」
それはさすがに寝ぼけすぎて、俺をからかうのか、はたまた冤罪の濡れ衣を着せるためなのか、パジャマの上のボタンを、俺の目の前で取り始めた。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
俺はたまらず目を閉じ、ふすまを勢いよく開けて廊下に出て、ふすまをまた、ガンッ!と音が響く程強く閉めた。
「…あ…いたんだ…ごめん」
「い、いや…気を付けて…うん…はい…」
本気の素だったの!?どうしよう…ちょっと見えちゃった…水色のブラと…た…谷間…違う…まだそういうのじゃ…今まで散々不意打ちは食らってきたが…この調子だと、合意の上とはいえ、鋼の精神にしないと…パンツは直視出来ないぞ…。
とりあえず…すぐにとちらないように、いつも通りの無気力な感じを常に保てるようにしよう。
「…もしかして、口に合わなかった?」
「え?」
おばあちゃんの手作り朝食、特に卵焼きと自家製と思われるたくあんがべらぼうに美味い。米が止まらない。
だがこのタイミングではなかった、昨日の夜本心で口にしたベタ褒めがこの方達のイメージとして浸透している、つまりこの場合だと、俺が気を遣ってて、気を抜くと本性が現れ今に至る、か、もしくは、本気でこのべらぼうに美味い朝食がマズくてこんな真顔だと思われているか…いや違うんだ。
早速平常心を保つ訓練に入ったらたまたまタイミングが悪かっただけなんだよ、誰か信じてくれないかな…。
「すいません、めちゃくちゃ美味いんですけど、あんまり表情に出さない方が良いと思って」
「そ、そう…」
あれ?俺なんか変な日本語使わなかった?色々言葉足らずで伝わってなくない?俺がとちらずにいられたのは、ぼっちだったからで、人と絡むとここまでヒドいのか?…。
「おばあちゃん、その人朝と夜で性格変わるから」
「…そ、そういうタイプね!なるほど!ご飯のおかわりいる?」
「あ、いただきます」
ありがとう雪乃ちゃん、実際はそこまで変わらないけど、最善の一手を打ってくれた…後でお礼…言うだけ?何かプレゼントとか…雪乃ちゃんの誕生日いつだろう…。
「…このたくあんホントに美味しい…雪乃ちゃん、食べないの?」
「漬け物類はもれなく苦手で…」
しょっぱいのとか、酸っぱいのとかが苦手なのかな…別に1口食べてみたら?と強要はしない、雪乃ちゃんが目の前の小皿に乗っている黄色い大根の漬け物が食べられないように、俺もアボカドが食べられないし。
「まったく、漬け物も食べられないなんて…この子たちでも食べられるのに」
このおばさんはどうしても雪乃ちゃんに悪口が言いたいようだ…そんなに嫌う理由は知らないけど、何かしらがあればいちいち言うのも中々大変だと思うな…食べ物の好き嫌いに年齢は関係ないと思うけど…。
「…食べていいよ、残すのもったいないし」
「え…あ、ありがとう…」
「そう思うんなら自分で食べなさいよ…」
わざわざ聞こえるように言うのも逆に面白いな…自分の意思というか、誰かの影響で雪乃ちゃんが嫌いなのかな…多分この人は、ファンが不祥事を起こすと、手の平を返すタイプだ。
「大丈夫だよ雪乃、おばあちゃんも最初はこのうちのたくあん、あんまり好きじゃなかったから」
「え、そうなの?」
どう考えても一杯目より量が多いな二杯目のご飯、あれか、おばあちゃんは孫は無限に食えると思ってるあれなのか、だとしたら勘弁してくれ…夏だし食欲もそこまで無い…。
結局俺は、雪乃ちゃんから貰ったたくあんや、納豆でなんとかご飯を食べきったが、昨夜同様、しばらく食べ物を見るのも嫌になった。
「琉希君って、結構大食いだったんだね」
「いや…残せないでしょ、せっかく頂いてるし…」
「あははっ、優しいね琉希君は」
食後、歯磨きをして、部屋に戻った俺はスマホでニュースなんかを見たりし、雪乃ちゃんは押し入れに布団を入れた。
「ねぇ、そのリュック重かったけど、何が入ってるの?」
「…着替えと…財布、タオル、水筒、折りたたみの傘、イヤホン、音楽プレーヤー、携帯とか音楽プレーヤーの充電器、あとは…マッチとか、懐中電灯とか、替えの電池…折りたたみのナイフとか」
「いや野宿しないって言ったじゃん…」
「不足の事態に対応出来るように、缶詰めと缶切りとかもあるよ」
俺はリュックサックの中身を取り出し、雪乃ちゃんに荷物を見せた。確かに必要無いかもしれないが、女子と遠出なんて何が必要なのか分からなかったから、色々持ってきてしまった。
「あと小さいポケットには、ハンカチとかティッシュとか…あと…なんだこれ…えっ!!?」
「どうしたの?」
「いや…何でも無い…」
そういえば、父さんがこれをくれた時、高校生になると必要になるであろうものも入れておいたから、的な事を言われた気がする!俺は「あっそう」と軽く流したし、引っ越してから一度も触れてなかったこのリュックサック…まさかこんなものが…。
「気になる、ちょっと見せて」
「え、いや!ちょっ!!」
何故か突然興味を持ち出した雪乃ちゃんは、変な笑顔でリュックサックの小さいポケットを漁りだした。俺は抵抗したが、力の加減が分からず、結局雪乃ちゃんの好奇心の侵攻を許してしまった。俺が隠した代物を、雪乃ちゃんは右手に持った。
「…これって…」
「俺じゃない…父さんだ…」
父さん…高校生を何だと思ってるんだ…俺の何を見て、俺にはコンドームが必要だと思った…使わねぇよ…。
「捨ててくる」
「あ、じゃあ私がもらってもいい?」
「え?」
頭の整理が追い着かない…まだ勘違い親父の真意にも踏み込めてないのに、雪乃ちゃんはどこでそんなの必要になるわけ?…。
「あ、勘違いしないでよ、使うつもりは無いから」
「…じゃあ何のために?」
「…身を守るために」
だったら防犯ブザーとかの方が良くない?それだと妊娠率は低下するけど暴漢に襲われても攻撃力絶望的だよ?眼球にぶち込まない限り威力皆無だよ?
「ま、まあいいや…それより、今日はどこに行くの?」
「え?」
「いや…お母さん、捜すんでしょ?…あては聞けた?」
「…ああ…私、待つ事にしたの」
「待つ?」
昨日俺が寝てる間に何かあったのだろうか…もしかして、ここに戻ってくるのか?…いや、口ぶりからして、戻ってくると分かった訳じゃなさそうだな…。
「うん…もちろん、どうしようもなく不安だし、すごく心配してる…けど…私が騒いだって、見つかる可能性が高くなる訳でもないし…それに、私自身も、あんまりお母さんの事を知らない…何の仕事してたか聞いたことないし」
同じだ…俺は雪乃ちゃんの話を一語一句逃さず聞きながら、ふとそう思った。
「だから待つ、お母さんならきっと、ここに戻ってくるって信じてる」
雪乃ちゃんは俺に目線を向けずにそう話してくれた。きっと、心配が和らいだとか、そんなわけじゃ無い…昨日誰かに、多分おばあちゃんと話したんだろう…そこで自分は無力だって知った、いや、知ってたが、気付かされたというべきだ。
という事は、おばあちゃんも雪乃ちゃんのお母さんがどこにいるか分からないのか…どうして行方不明になったのか、その全貌を知る日は来るのだろうか…。
「…そっか…てか、何で俺を彼氏って偽ったの?」
「喜んでくれると思って…すぐバレたけど」
「え…もうバレたの?」
「ぬか喜びになっちゃったね…悪いことしたな~…」
雪乃ちゃんは足を伸ばし、両手で支えて天井を見た。雪乃ちゃんは今日も俺と同じく、半袖の制服姿だ。
それから俺と雪乃ちゃんはしばらく喋っていた。
「…雪乃ちゃんは、誕生日って…いつ?」
「え?何で?」
「…実は雪乃ちゃんの事を何も知らないって気付いて」
「…7月26日」
「…って、明日じゃん!てっきり冬かと…」
「だよね~、私も何で夏生まれで雪乃?って思ってたけど…お母さんは、女の子なら雪乃に決めてたって、お母さんが辛い時にいつも支えてくれた漫画の主人公なんだって」
雪乃ちゃんは畳の上で仰向けに寝転がった。俺もいつの間にか背筋がゆるみ、楽な状態で雪乃ちゃんと会話が交わせられるようになっていた。
「へぇ~、何の漫画なんだろう」
「分かんない…私は、その雪乃みたいに、お母さんの支えになれてるのかな…雪乃として…お母さんを支えてあげられてるのかな…」
「なってるよ」
「…何で分かるの?」
「雪乃ちゃんが、この世に生まれたから」
「…え?」
「…もちろん俺は親になったことは無い…けど、何となく分かるよ…だって、雪乃ちゃんはお母さんの事が好きなんでしょ?伝わってると思うよ、家族ってね、意外と冗談抜きで、分かり合える事があるんだよ」
「…そう…かな…」
「いや、当然他人同士で、それぞれの考えとか持ってるから、完全に理解はしあえないけど…他人って枠組みの中で…1番信用出来る絆だよ…親子は」
「…」
なんかすごい格好つけて自分の考えをダラダラと喋ってしまった。きれいごとでしか無いだろうか…いや、きっとそういうものだと思う。
なんて自問自答していて、ふと雪乃ちゃんの顔を見ると、雪乃ちゃんは俺を見ながら静かに涙を流していた。今度こそ地雷踏んだのか俺は…。
「…何も知らないくせに」
「ごめん…」
「何も知らないくせに…何も…」
───何も知らないくせに…何で…私が言って欲しかった事が分かるの…。
「ごめん!ホントに、俺…」
「…あ…いや…怒ってる訳じゃなくて…えっと…その…嬉しくて…」
「…そう…なの?…」
「ホント!…だから…謝らないで…」
「…分かった…よかった~、嫌われたかと思った~…」
やっぱり、彼と来て正解だった。
彼は私を見つけてくれた。あの質問にたった1人理解してくれて、家の鍵を拾ってくれて、友達になれた。
彼は私を見てくれていた。バイト帰りのストーカーは驚いたけど、こんな私を、心の底から理解しようとしてくれた。
彼は優しい…お母さんの温かい優しさと、おばあちゃんの勇気づけてくれる優しさとは違う…私を、強くしてくれる優しさ、なんだろうか…。
───この日辺りを境に、私は彼に興味を持ち始めた。
ダメだ…私、このところ泣いてばっかりだ…もっとしゃんとしなきゃ…余計お母さんに心配かけてしまう…早く…強くなりたい…。




