第二話 一歩、また一歩
「おはよ!」
「お、おはよう…」
───あれから、3ヶ月半が経とうとしていた、明日から、いよいよ夏休みだ。
始業式のあの日、彼女のパンツを見たいと決意を固めたあの日から、俺は特に何もしていない、奥手過ぎるあまり行動に移せなかったのだ。
興味を示したものには貪欲に、積極的に取り組んできたが、なにぶん人を相手にというのが初めてだったため、好奇心より不安が先行してしまい、今日に至るまで何も出来なかった。
というか、決意した初日の夜、俺はようやく気が付いたんだ。あれ?これ俺ヤバい奴なんじゃね?と。
だがこの胸の高鳴りが証明するように、ここまで1人の人間に固執したのは初めてで、しかも異性と来た、会話が思いのほか続かない…否、それ以前の段階で足踏みしてしまっているんだ。
しかし鍵を落とし、俺が拾うというきっかけを掴めたおかげで、挨拶を交わす程度の関係にはなれた、俺にとっては人類が火を使えるようになったくらいに思える大きな一歩、快挙だ。
後は、ここからどうやってパンツを見せてもらえる関係にまで至れるかどうかだが…正直な所俺には何のアイデアも浮かばない。
この夏休みの間全く会わずに2学期を迎える…すると彼女との交友度は著しく低下し、挨拶すらも交わされなくなる、それだけはごめんだ…
俺は彼女の席の隣にある自分の席に座り、前にある何も書いていない黒板をひたすら見ながら、彼女の席をチラチラと瞳を動かして見ている。
結局アニメの話とかも、「今はあんまり興味が無くて…」なんてヘマを言わなければもっと近付けたはずなんだ…。
同じ部活に入れば接点も多くなると思っていたが、彼女は俺と同じく帰宅部、母子家庭のためバイトをしていると、女子達の会話を盗み聞いて知った。ちなみにどこで働いているかは明かされなかった。
「それじゃ、今学期はこれで終了だ、夏休みの宿題ちゃんとやれよー」
ついに終業式が終わった…この3ヶ月半彼女の事しか考えなかったせいか、あのそれじゃ先生の名前も忘れてしまった。通知表はいつも通り3が並ぶ、平凡の極みだ。
「すごいね雪乃!!ほとんど5じゃん!!」
「たまたまだよ…」
───心無しか、彼女の表情がいつもと違う感じがする。
いやまあ、いつもと同じく輝く笑顔なんだが…どこか暗い雰囲気というか…笑顔も引きつっているようにも見える…気のせいであることを願おう、俺の勘は外れやすいしな。
「…ねぇ宮代君」
「へ!?あ…何…」
ヤバい、突然声をかけられて変な声出してしまった…彼女の元に集まっていた奴らが教室を出て、今教室には、俺と彼女の2人だけだ。
「…宮代君は、ひとり暮らしだよね」
「…うん…」
声のトーンが低い…だがひとり暮らしであることを再度確認してくるという事はつまり…誘ってる?…いやいやいやいや!!期待すんな俺!!馬鹿野郎!!違うだろ!!…いいか…もっと重苦しい内容のはずなんだ…。
3ヶ月半見てきて俺は傲慢にも理解した、彼女は気軽に話せる人がいないのだと…だからといって俺がその存在になれるかは俺のコミュ力と彼女の心にかかっている。
…願わくば…俺がそういう存在になりたい…
「…1人って、寂しくない?」
深入りは避けよう、俺は鋭くないが、それ故に今の彼女のツボが分からない。慎重に言葉を選ばないと…気を配りつつ、可能な限り俺の本音を言う…。
「元々両親が共働きで、ひとり暮らしみたいなものだったから、そこまで寂しくないかな…もう1年以上経つし、さすがに慣れた」
「…そっか…あ、私、バイト行かないと…」
午前中で終わるから、結構早くにシフトを入れたのか、彼女は慌ててリュックサックを背負い、急いで椅子を机に入れて、教室の扉を開け、閉めずに走って行ってしまった…俺には、逃げるようにも見えた…まさか、思わぬ地雷を踏んでしまったのか?
う~ん…全然分からない…どうしたものか…これで嫌われたら、パンツはおろか、顔すらも見せてもらえないかもしれない…。
───知りたい、俺が一方的に興味を持つだけでは手に入らない…だからか分からないが…俺はますます拝みたくなった。
金では買えない、双方合意の上でという、どれだけ近くても届かない、この思い…まさに神秘だ!!!
「ん?まだいたのか宮代、それじゃ、用が無いなら帰れよー」
待て、いくらそれじゃ先生とはいえ今の使い方は乱用に近い感じでマズい間違え方だったぞ、現代文の教師のくせに。
その夜、俺は街に出た。制服で。
日々の食材は近くに直売所があるし、少し遠出すればスーパーマーケットもある、日用品は近くに大きなドラッグストアがあるから事足りる、むしろそんな理由でわざわざ街には出ない、帰りの荷物重いの嫌だし。
俺はカメラを買いに来た、理由はそう、いつかパンツを拝ませてもらった時に、記録するためだ。
邪な欲望だとは俺も理解している、ただ、カメラは持っていても困らない、もちろんスマホは持っているが、どうせなら味がある方が良い、超高確率で本来の目的(パンツ撮影)のために使われる事は無いだろうが、欲しいという衝動に駆られている今の俺は誰にも止められない、後先考えずに買ってしまうアレだ!!
「ありがとうございましたー」
ふっふっふ…買ってしまった…。
幸い金はある、毎月仕送りと一緒にお小遣いが1万円送られて来るのだが、使い道が無いため、これを機に使わせてもらった。
後悔するんだろうなー、興味という魔力に取り憑かれた俺は、もう既に何度も後悔は味わってきた、今さらだ。
そんなことを思いながら家電量販店を出て、目の前のコンビニに寄った。理由は無いが、せっかくだし、お茶とチョコレートくらい買って行くことにした。
「いらっしゃいませー」
自動ドアを抜け、寒いくらいに冷房の効いている店内をすぐに右折し、意味も無く雑誌の陳列棚を見ながら、店の奥のドリンクの陳列棚に向かい、戸を開けて夏限定の増量650mlの麦茶を手に取り、お菓子の棚に向かい、袋詰めのチョコスナックをひとつ手に取り、レジに向かい、お金を払い、おつりは募金箱に入れ、袋に入れてもらった麦茶とチョコスナックを持ってコンビニを出た。
「ありがとうございましたー」
店を出てすぐ、俺は麦茶を手に取り、キャップを開け、ゴクゴクと半分くらい勢いよく飲んだ。無意識にすごい喉が渇いていた。
「…あ」
右手にコンビニの袋、左手にカメラの入った袋を持つ俺の前に、同じ学校の制服を着た女が俺に背を向けて歩いていた。見覚えしかないこの後ろ姿、間違いない、彼女だ。
「あ…え…」
声をかけようとしたが、なんだか照れくさくなり、なんとなく一定の距離を保って俺は尾行し始めた。自転車ではなく徒歩で来たのが正解だった。
彼女もまた徒歩だった、街を抜け、セミの鳴き声が鬱陶しい道のりを歩き、車が一台通るのがやっとなあぜ道の街灯の下で、彼女は足を止めた。
「誰?」
無理も無い、ここまで来たらもう周りには俺と彼女しかいない、ちかん注意と書かれた看板がもたれ掛かる街灯の下に、観念して俺は入った。
「…宮代君、ストーカーの趣味があったの」
「違う!!断じて違う!!…ただ…買い物しに街に出たら…その…見かけて…つい…」
「言い訳にしては弱いね…けど、宮代君でよかった」
俺はその言葉を聞き間違いだと思った。誰であれストーカーされるのは嫌だろ、いやしてた俺が言うのもあれだけど。
「…ど…どういうこと?…」
昼にやってみせた動揺せずに淡々とした喋りは幻だったのか?俺は今ものすごくとちっている、通報される恐怖に震えている。
「…知らない人とか、他のクラスの人とか…その…見えちゃいけないのとかだと…嫌だったけど…宮代君は、信用出来るというか…草食系っぽいし」
どうしよう、このままだとどれだけ関係が進展しても、「実は君のパンツが見たくて近付いたんだ」ってぶっちゃけたら、間違いなく通報される。ハードル高すぎないかパンツ…。
「で、私に何か用?」
「えっ…と…なんとなく」
来た!本音!…いや待て、本音を言ったからってどうなんだ、向こうがどう取るかに全てがかかってんだろ、この返答、実は最悪のカードだったんじゃないか…。
「なんとなくでストーカーしてきたんだ…へぇ~…」
な、なんだこの彼女の微笑みは…輝く笑顔とは何か違う、企んでる人間の笑みだ…まさか、弱味を握られて、パシりにされたりするのか…それだけは勘弁してほしい、ますます彼女のパンツから遠ざかるじゃないか!!…しかし…俺自身も彼女の本性を理解していない、ここからどういう展開になるのか…読めない…。
「どうしようかなー、警察を呼ぶ前に、先生に言って社会的に死ぬとか?田舎だから、そういう目はキツいかもよ」
あ、詰んだ。
「…どうしたら…許してくれる…くれますか…」
「…私の言うこと、ひとつ聞いてくれる?」
まさか…絶対服従…いや、もう訳が分からなくなってきた…どうしたらこの現状から脱却出来るんだ、汗も尋常じゃなくかきだしたし、喉もすごい渇いてきた、セミがよりうるさく聞こえてくる…俺は唾を飲み込み、覚悟を決めて返答した。
「…か…可能な限、り…であれば…」
「そう…じゃあ…今から言うことに従ってね」
あらかじめ決めていた!?まさか、今まで挨拶を交わす関係であれたのは、全てはこの瞬間のためなのか!?まさか、あんな分かりやすい場所に鍵をわざと落とした風に見せて、落とし物箱で待っていて、届けに来た奴をカモにするために!?
…そういうことだとしたなら、相当自分に自信を持ってないと成功しないが…いや、最初の始業式の挨拶をわざとあんな風(好きなタイプをアニメのキャラクターと言う)にしたのは、俺みたいなキョトンとした奴をあぶり出すために!?俺はその罠にまんまとかかり、俺が下駄箱に来るタイミングで鍵を落とした風にセットし、俺が来てわざと接点を作り出したのか!?そうなのか、あなたは腹の中で、俺の事を弄んでいたのか!?
「───この人を、一緒に捜して欲しいの」
彼女は自身のスマホを操作し、俺に画面を見せた。その写真は、中学校の入学式で、彼女と一緒に、幸せそうな笑顔で写る中年女性の姿があった。
「…お母さん?」
「そう…1週間前に出て以来、帰って来てないの…だから、一緒に捜して?」
「…う、うん…」
「ありがとう…あっ」
彼女が感謝を述べた後、中々大きな腹の虫みたいな音が聞こえた。俺じゃないから、多分彼女だ。
「…もうこんな時間だし、俺も腹減ってるから…」
何とかフォローのつもりで言ったが、恐らく何の意味も無いだろうな…。
「ううん、私…昼から何も食べてなくて…」
「そ、そうなんだ…ダイエット?」
「まあ…そんな感じかな…」
俺の目には十分痩せてるようにも見えるが…女子はそういうことには細かくて敏感らしい、という描写を漫画で見たことがある、リアルでもそうなのか…。
「でも…一日三食食べないと、理想的な摂取カロリーは摂るべきだ…あげる」
俺は純粋な親切心で、コンビニの袋からチョコスナックを取り出し、彼女に手渡した。彼女は驚いた顔で袋に写るチョコスナックの写真を覗いていた。
「…いいの?」
「夏だから、過度にご飯を抜くと熱中症とかになるよ、チョコには疲労回復の効果があるらしいし、これ美味しいから」
「…ありがとう」
「あと、連絡先…交換…なん…だけど…」
「…ぷっ」
彼女はすごく大笑いした、狂ったようにではなく、芸人のネタがツボにはまった時みたいに、大笑いした。何か変な事言ったのかと思うと、急に恥ずかしくなった。
「…ごめんごめん、何で急に照れ出すのか分かんなくて、っふふ…ごめん…」
多分彼女はこの後めちゃくちゃ思い出し笑いするんだろうな…それはそれで彼女の中での俺という存在が確固たるものになりつつあるので嫌な気はしないが、それは何か違うという違和感もある…。
「じゃあ、交換するからID教えて?」
俺はスマホの無料でメッセージのやり取りが出来るアプリを開き、俺と彼女は連絡先を交換した。ちなみに俺のアプリ内で登録されてる人の数はこれで3人目、両親以外では初となる。めちゃくちゃ嬉しい。
「これからの予定とかは後で連絡するね、これありがとう、またね」
そして俺は、付いたり消えたりし出し、虫が集り出した街灯の下で彼女と別れた。これから彼女と連絡を取り合えると考えると、カメラを買う時とは比にならないくらいワクワク感で胸がいっぱいになり、このまま全速力のスキップで家まで帰れるとすら思えるほど喜びが高ぶっていた。けど、俺はあのお母さんの顔をどこかで見たことがある…どこだったっけ…あ、思い出した。
───2日前から、行方不明ってテレビのニュースで報道されていた、あの人だ。




