第十六話 茜色の夏空に、煌めく星は幸せを唄う
翌朝、俺はおばあちゃんの家に戻ると、何故だかより一層ギスギスした緊張感というか、空気が家を漂っていた。何があったんだ…。
晴天、熱と紫外線が容赦なく差し込んでくる今日の日、雪乃ちゃんは今日はあんまり目を合わせてくれない…。
将人への返事が保留って事は、きっと振ると決めていたであろう雪乃ちゃんにそう言わせたのは、やはり不意打ちキスか…将人すごいな、ホントにいじめられっ子なのか?…。
いや、これじゃどうどう巡りだ、ずっとそんなこと考えても、何かが変わったりなかった事になったりしないんだし。
「雪乃ちゃん…病院…行こう」
「うん」
おばあちゃんの家に帰ってきてから、部屋で何かの小説を読んでいた雪乃ちゃんに声をかけ、いつものように、雪乃ちゃんの運転するバイクでおばあちゃんのお見舞いに向かった。
おばあちゃんはだいぶ調子も良くなり、話せるくらいには回復していた。
雪乃ちゃんは病室に入り、おばあちゃんの姿を見ると、一気に表情が緩み、すぐに近くに駆け寄った。
「おばあちゃん、おはよう」
「…沙友理は?…」
「…まだ…おばさんは、もう少しで見つかるんじゃないって言ってたけど…」
「…美由紀がねぇ…」
おばあちゃんは弱々しい姿ではあるものの、笑顔で会話をしていた。お見舞いを持ってくるのを忘れたと思っていたけど、雪乃ちゃんは読んでた本をおばあちゃんに渡した。
本屋で貰える、店名のデザインされたカバーでどんな作品かは分からなかったが、おばあちゃんが開いた時に見て、将棋を中心としたラノベのようだった。
おばあちゃんはビックリ仰天を絵に描いたような表情だったが、老眼ながらも少し読んで、「面白そうね」と一言言い、一緒に雪乃ちゃんが渡した栞を挟んで布団の上に置いた。
雪乃ちゃんが用を足しに行くと、おばあちゃんは俺に話しかけた。俺は椅子に座って話を聞き始めた。
「琉希さんはいつも学生服なんだね」
「え…ああ…まあ好きなんで…」
「もうちょっとオシャレした方がモテるかもねぇ」
「え…どうしてですか?」
「そりゃスタイル良いからよ、どんな服でも着こなせそうだねぇ」
「…僕自身があまり興味無いので」
「…家族は、どんな人達なんだい」
「…そう…ですね…」
自分の家族はどう、と、急に言われても口が走らないほど、俺にとっては当たり前すぎて、目に映らないものだ。
「…中々帰ってきません」
「どういうこと?」
「ずっと仕事してるんです、仕事仕事仕事仕事仕事…運動会も文化祭も、合唱コンクールや参観日すらも来てくれたことはありません」
「…そう…」
「俺はその中で、よくこんなことを考えました…昔の当たり前の方が良いんじゃないか、と」
「昔の当たり前?」
「…男は働いて家を支え、女は家に入って家庭を支える…男は仕事に集中し、女は家庭に集中出来るから、上手く両立が叶い、問題も無くなるんじゃないか…なんて…」
「…今はどう思ってるのさ」
「大して変わりません…今となっては、親が恋しい子供の哀れな妄想かもですね…」
「…まあ、問題は無くなるかもねぇ…けど、そしたら新しい問題が生まれる、当然さ、人間同士なんだから」
「…そうですか…」
「でも考えてみなさい、何故その文化が廃れたのか…それがダメで、人が変化を望んだからさ」
「そう…ですよね…」
「一度死んだ文化は過ちになる、過ちは繰り返さないのが絶対の掟、望んで変えたら間違えてたから戻そう、なんてのは、愚かだよ」
「…」
何も言えない…ちょっとした質問から、こんなに頭を悩ますなんてな…。
「…幸せの大前提は、信頼し合う事…知って、知ろうとして…ぶつけ、ぶつかり合って…笑い、腹を抱え合って…愛し、愛し合って…歩んで、積み重ねて、築き上げて、時に振り返って…その上で、未来を共に生きることそれが、私は幸せだと思う」
「…その先が、不幸だとしてもですか?他がどうなってもですか?」
「他は他自身が勝手に努力するさ、知ったこっちゃないよ」
「…そうですか…」
返す言葉もだんだん適当染みてきたな…思わず納得してしまうから、息を飲んでしまい、リアクションも微妙になってきてしまう…リアルなリアクションだ。
「…心ってのは、努力しないと身に付かないよ…私は努力して考えて、努力して生きた結果、金で欲を満たせる幸せよりも、愛で皆と生きていく幸せを選んだ、まあ滑稽で、上辺しか認められない、バカな幸せだよ」
「…バカって…」
「バカだから…幸せなんじゃないか…賢くバカに生きないとね、人生楽しくないよ、あっはっはっは!」
おばあちゃんの笑う姿に、思わず表情が緩み、俺は少し微笑んだ。俺は病室の扉の右側の壁に背もたれ、話を隠れて聞く雪乃ちゃんの存在を知る由も無く、こう会話を続けた。
「…俺は…雪乃ちゃんが羨ましい…」
「何が?」
「…こんなにも家族に愛されて、嫌われて…どちらも体験したこと無いから…羨ましいんです…不謹慎ですかね」
「いいえ全然」
「…初めは、今思えば小さなきっかけでしたが…そのきっかけが今でも重要で、そのおかげで…雪乃ちゃんに対して抱いていた謎のモヤモヤがようやく晴れた…俺は…雪乃ちゃんが好きです」
雪乃ちゃんは目を見開き、右手で口を押さえ、背中を壁に摩りながら座り込んだ。
「…私に告白しても意味無いじゃない」
「え、あ…いや…」
「告白しないの?青臭い時期はあっという間だよ」
「…ダメですよ…雪乃ちゃんは今大変で、それに…将人からの告白を保留にしてますし…」
「あら、何それ…あんたそこで告白したら、すっごい面白いじゃない!」
おばあちゃんは俺の右肩をバシバシと叩いた。すごい興奮してるな…。
「ええ…それは…」
「将人君もかっこいいからねぇ…こういう三角関係っていうの?」
「いや…まあそうなんですけど…」
「じゃあ、いつ伝えるの?」
「…分かりません…けど…絶対伝えるって心は、決心ついてます」
「…その意気だよ、若気を至れり尽くせ若人男子」
「…はい…」
「退院したら、また将棋、指しましょうね」
「…はい…」
夕方、俺は大型商業施設のコインランドリーで、いつものように着替えを洗濯している。
回している洗濯機の前に座り、音楽プレーヤーでアニメ映画のBGMを聴いている。今回は切ない系のフォルダをランダムに流している。
四次元的なポケットとまでは言わないが、数多の道具が入っている俺のリュックサックだが、依然として中の物は一切取り出さないままだ。
切ない系にした理由は特にない。個人的に最も好きなフォルダだからだ。
今流れている曲は、ピアノだけしか楽器が使用されていない曲だが、聴くだけで心が落ち着く…何度聴いても飽きやしない。
この曲が使われたシーンは、アニメ化された大人気漫画の完全オリジナル映画で、その映画のオリジナルキャラクターが、悲しい過去の出来事を主人公に打ち明ける、これからクライマックスに向かう、120分の映画なので、80分辺りで流れた曲だ。
この映画はすごく好きだ。アニメは主人公が仲間たちと冒険し、失われた世界の歴史と、それを探しに旅に出たっきり行方知れずの父親を探すという、バトルも迫力があり、文句はそれほど無いのだが…。
主人公がそれほど強くない時点から中々の無双、現在原作はあと数巻で完結という所まで来ているが、父親未だ当時せず、仲間2人男で5人女、しかも内4人は主人公好きというハーレム。
微々たる所が鼻につく作品で、アニメも途中から観なくなったが、映画は素晴らしかった。映画オリキャラの子が、ラスボスである母親が改心してくれる事を願って、その母親の目の前で自殺をする、そこがよかった。
無事母親は改心し、償いのために自首した。作中ではなかった、主人公が守れなかった、という結末に、感動した。
ストーリーが原作に直接影響を及ぼす事は無いが、そのオリキャラの絶大人気にあやかり、外伝を出したり、主人公覚醒シーンで、「2度とあんな思いはごめんだ」と言う吹き出しのあるコマの背景が、そのオリキャラの後ろ姿だったりと、映画がどれほど人気だったかが伺える。
この音楽プレーヤーには、この映画の曲がいくつか入っているが、やはり1番はこの曲だ…タイトルは…〝努々〟か…努々叶いやしないとかの努々かな…。
この映画…雪乃ちゃんと一緒に観たいな…ブルーレイは持ってるし、家に招待して…まあいつになるかは不明だけど。
そういえば今日、雪乃ちゃんと少し距離を感じる…俺がおばあちゃんからエールを送られて、病室に入ってきた辺りからずっと…俺何かしたかな?…。
「あ…」
「何聴いてるの?」
突然雪乃ちゃんが俺の右耳のイヤホンを取り、話しかけてきた。
「…サウンドトラック」
「へぇ~」
そのまま雪乃ちゃんは自身の右耳にイヤホンを着け、俺の右隣に、肩がくっつくくらい近く座ってきた…どうなってるんだ?…慣れずに緊張して、鼓動が速くなるこの感じが、すごく久しぶりに思えた。
「…良い曲だね」
「映画の曲なんだ…」
「そうなんだ…」
「…おばあちゃん、元気そうでよかったね」
「うん…」
「…あ、終わった」
俺は洗濯が終わった洗濯機から洗濯物を取り出し、畳んで、リュックサックに入れた。
「…琉希君…もう一回、おばあちゃんに会ってから、晩ごはん食べよ」
「分かった」
今までに無いくらい穏やかな表情だった。
おばあちゃんはいい人だし、話もして、将棋も指して、知り合い以上だから、俺もホッとしているが、雪乃ちゃんはそれ以上に違いない。
嬉しそうな雪乃ちゃんを見てると、こっちも嬉しくなる。当たり前に聞こえるが、今までの俺の生活からは考えられないことだ。
「…え…」
エレベーターを降りると、いつもは走らないナースの人が走っていた…。
おばあちゃんの病室が変に騒がしい…医者やナースが出入りして、よく分からない専門用語が飛び交い、慌ただしくなっていた。
おそるおそる病室に近づくと、おばあちゃんに心臓マッサージを施す医者、ピッ、ピッ、と鳴り続ける機械音、おばあちゃんしかいない病室だから、間違えるはずもない…あの、眠るあの人は…おばあちゃんだ。
「…おばあちゃん…」
「…何で…」
中に入ろうとすると、扉を閉められた。
何がなんなのか全く分からない…今朝、あんなに元気に話していたのに…本も読んで、笑って、優しい言葉をかけてもらって…なのに…なのに…。
「いや…いやだ…おばあちゃん…」
「…雪乃ちゃん…」
雪乃ちゃんは耳を両手で押さえて閉ざし、あまりにも突然な事で気が動転して、その後状況を見て察し、廊下で膝から崩れ落ち、座り込んだ。
「はぁ…はぁ…お母さん!!!」
おばさんがものすごく慌てて病室前に駆けて来た。表情は、雪乃ちゃんと同じだった。
俺はまた、言葉が出なかった。自分が何も出来ない事を、頭の中でしか悔いる事が出来ない…激しい感情の揺れを、困惑の表情でしか表せない。
「おばあちゃん!!!起きておばあちゃん!!!」
「…お母さん…」
そりゃ、人である以上は必ずこうなる…ましておばあちゃんだ…年齢や、入院している事を鑑みても、俺たちよりよっぽど「それ」に近いことは確かなんだ…。
もっと、劇的なのかと思っていた…アニメやドラマでもそうだ…そのシーンは…人々を惹くために、もっと感動的なものだ…そういうものなんだと、思い込んでいた…今でも思いたい…。
実際は、アニメやドラマみたいに、シーンに合ったBGMが流れる訳じゃ無い…ただただ、生きていることが見えなくても確認出来る、あのピッ、ピッだけが、俺の頭の中で響き渡るように聞こえるだけだった。
「お母さん…起きて…」
「あ…ああ…」
「っ…うっ…ぅく…死なないで…死なないでおばあちゃん!!!」
ピーーーーーーーー
───その一筋の音が奏でたのは、残酷か現実と、無情な事実と、確かで不確かな未来を示す、俺たちの涙だった。




