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週末の駅前通りは酷く雑多で賑やかしい。なんでもこの辺りはラーメン激戦区だとかで、時間帯によっては路地裏に至まで人並みでごった返すのだ。けれど今日、僕はラーメンを食べにこの場所へ来た訳ではない。ここから徒歩5分の距離にある映画館が目的地なのだ。
僕は駅前通りに面した広場の一角にある、パリ在住の有名なデザイナーが制作したピーマンの銅像(通称パリピ像)の前で待ち合わせの相手、七尾奈々を待っていた。そして丁度待ち合わせの時間ぴったりになったところで七尾は爽やかな笑顔で走りながら現れる。
「やほ!待った?」
「別に」
僕も2、3分前に来たばかりだから別に待ってはいない。
「おーう、言い方!ここはほら、あれでしょ?全然待ってないよって定番を押さえとくポイントじゃん!」
「ん?それもまさか【青春を謳歌するための25項目】って奴なのか?」
「そんな細かいとこまでピックアップしてたら切りないっての!」
「それもそうだね」
そうそう、休みの日だというのに七尾は制服姿だった。なんでも、制服こそ青春のユニフォームなのだとか。まあ変に凝った服で来られても上手く褒められる自信はないし、僕としても気が楽だった。
「八色君も紺色のパーカー似合ってるよ?」
「……どうも」
親が選んで買ってきた服だという事は墓まで静かに持っていこう。
しかし、ついこの間まで顔も名前も知らなかった相手と二人きりで映画を見に行く事になるとは、なんとも不思議な気分である。正直、この手のイベントは僕の元には死ぬまで訪れないと思っていた。しかも相手は容姿の整った女の子なのだから、なんだか気後れしてしまう。
「ねえ、本当に二人で行くの?」
と尋ねずにはいられなかった。
七尾はそんな僕の顔を見て吹き出す。
「いやいや、もう集ってるじゃん、行くでしょ」
「そうなんだけど。なんだかんだ言っても、最初は騒がしくも愉快な仲間達が何人か集って行くのかとばかり思っててさ」
パリピ像の前に集る人種は、不思議とそういうタイプの人達が多い。だからこそパリピ像等という不名誉な俗称がまかり通っている訳だが。
「確かにそうした方がなんか青春っぽいけどさ。八色君は前に私の友達と会った時に嫌な思いしてるでしょ?だーかーら!前もって二人で行くってメッセ飛ばしたのだよ!」
まあ確かに僕としてもその方が気楽で良い。七尾の気遣いに心の中で感謝した。
「てか他の友達にあのノートの事話すのは恥ずいっす」
「さては、そっちが本音だな?」
七尾が学年でもある意味有名人な僕と遊ぶのなら、当然その理由を聞かれる事だろう。そんな時に堂々と、青春を謳歌し人生を豊にするためです、なんて答えたら彼女の正気を疑われる可能性が高い。それに自身の立場から考えてみても、確かに浜口をここに呼ぶのは気恥ずかしいし、なんだか少し違う気がした。
「あはは、バレたか。でも二人だけの秘密の計画って事にした方が青春的にポイント高くない?これはもう青春ポイント星3つ分くらいゲットだよ!」
謎のポイント制が始まった。どうせ明日には消えてる制度だから深く突っ込むのはやめておこう。
しかし、こうして青春というワードと向き合ってみると、こいつがいまいち何者なのかがわからない。僕からしたら今この状況こそが青春っぽいような気もするけれど、映画を見る事が青春かと問われたらそうでもない気もする。その辺りの事を七尾はどう考えているのだろうか。
「根本的な話しなんだけど、映画を二人で見に行ったらそれは青春を謳歌してる事になるのかな」
「えー、そこマジになって考察しちゃう?」
七尾は少し呆れた表情で僕を見て言った。
「するよ。全力で人生を楽しむって決めたからね。手は抜かないさ」
「抜いていいから。そーゆーのはノリでいいんだってば」
と七尾は言うが、出来る事なら彼女には今日という日を僕と過ごした事に後悔して欲しくはなかった。これは前向きに人生を楽しむ切っ掛けをくれた七尾に対する僕の意地でもある。
「批判したい訳じゃなくてさ。ただ七尾は普通に映画を見ただけで満足するのかなって」
「おーけーおーけー、真面目産業大臣、言い分を聞きましょう」
当たり前だけど上映中はお喋り出来ない。ただ前を向いてスクリーンを眺めているだけ。極論一人で見るのも二人で見るのも変わりない。という前提の話しを、僕は七尾に説明する。
「いやいや、乾き過ぎだから。誰かと一緒に同じ体験をして、あれは楽しかったねーこの時は酷かったねーって気持ちと時間を共有するのがいいんじゃんよー」
「ああ、うん。僕もそう思うよ。でもごめん、そうじゃなくてさ。楽しい時間を共有するための準備が、僕達には足りてないんじゃないかなって話しがしたかったんだ」
一口に映画と言ってもジャンルは様々だ。人によってはそこに好き嫌いも出てくるだろう。お互いの好みを前もってわからずに映画を見ても、一緒にいる時間を楽しめる保証はない。
「要するに好みの擦り合わせをしておこうって言いたかったんだ」
「それは……一理あるかも」
「七尾、今日は何か見たい映画があるのか?」
「ううん、特に決めてないよ。そういうの現地で決めるのも楽しいかなーって」
だと思った。元々七尾は主張の少ないタイプだったと話していた。だからだろうか。彼女は積極的な自分に変わりたいという気持ちが前に出過ぎて、ノリだけで物事を進め過ぎるきらいがある。彼女のそんなところに救われた僕としては、彼女のそんなところが原因で失敗に繋がるような結果は見たくない。
今日という1日は、八色凪の全力を持ってして七尾に楽しんでもらう。きっとそれは僕自身の楽しみにも繋がるはずだ。そのための準備は万端である。
「近くに落ち着けるいい店があるんだ。夜はナイトカフェもやってるから、内装がお洒落でデザートの評判もいいんだって。上映リストはスマホで確認できるし、お茶でも飲みながらお互いの好みを擦り合わせておかないか?」
「おお!流石真面目産業大臣!良きに計らいたまえ」
いつか不真面目税をこいつから毟り取ってやろうか。そんな事を考えていると七尾は顎に手を添えて何かを考える始めた。
「どうした?」
「いや、なんか手慣れてるなーって」
「き、気のせいだよ」
誰かと行く久しぶりの映画が少し楽しみでいろいろ脳内シミュレートしていた、なんて事は気恥ずかしくて言えなかった。