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七尾の案内でやって来たのは、内装がウッド調で落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。アイスコーヒーをすすりながら聞いた情報によると、この喫茶店のたまごサンドと数量限定のプリンは絶品らしい。あと店長がネタにギターを使う某お笑い芸人にそっくりなのだとか。あ、あの人かな。やばい、似てる。その後も暫く興味のない話しを七尾が一方的に話し、それに軽く相づちを打つ形で時間が過ぎていった。
「お会計、別でお願いします」
「私が誘ったんだから、コーヒー1杯分くらい出してもいいんだよ?」
「別で、お願いします」
おごるつもりも、おごられるつもりもなかった。
店を出ると、空は茜色に染まっていた。
誰かの気分に左右される事もなく、世界は今日も美しい。
ぼんやりとそんな事を考えている僕に七尾は言った。
「ねぇね!送ってって。途中まででいいから」
「はぁ。あのなぁ」
僕は七尾との関係に対して、明確な線引きをしていたつもりだった。けれどもそんなものはまったく気にしない様に振る舞う彼女に少し呆れてしまう。
「断る?」
七尾は試す様な口調で僕の顔を覗き込んだ。
「……断らない。どうせ同じ駅だし」
まあ、ここまで付き合ったんだから、一緒に帰るも帰らないも大して違いはないだろう。それに、ほんの少し。ほんの少しだけれど。久々に浜口以外の誰かと、こうして放課後を過ごすのが新鮮で嫌ではなかった。
「ありがと。じゃ行こっか」
「あれ?奈々じゃん」
「おっつー!」
その場を後にしようとした時、背後から声をかけられた。七尾と同じ制服を着た女子が二人、小走りで近づいて来ると、僕と七尾の顔を見比べて固まった。友達のいない僕だ。当然の事ながら二人揃って知らない顔だったが、七尾の友人である事は容易に想像出来た。その内の一人は七尾の手を引いて僕から少し距離を置くと、声を抑えて話し始めた。
「ちょ、奈々やばいって。あいつ赤色じゃん」
「え?違う違う、あれは八色君だよ」
「そうじゃなくって!カードの色だよ、知らないの?」
「えっと、知ってるけど」
「だったらわかるでしょ。あいつと関わったって後が辛いだけじゃん!」
それにしても彼女、元々の声音が高いからか内容が丸聞こえである。しかも途中からヒートアップしたのか、声を抑える事すら忘れているようだ。七尾は眉をハの字にして深く息を吐き出した。
「私だっていつか死ぬよ?それは明日かもしれないし、ずっと先かもしれない。だって私達が持ってるカードには何時何分に事故や災害が起きるかなんて書いてないでしょ?それなのに、そんなもので人との付き合いを全部決めちゃうなんて変だよ」
「うぅ、そうかもだけど。だからって態々……」
正直意外だった。
七尾奈々は陽気で、いつなん時もへらへら笑っている人間なのだと思っていた。あえて悪く言うのなら、軽薄な人間なのだと、そう思っていた。思うようにしていた。普通の人は僕の持つ特定保険カードの色を知れば、腫れ物に触れるような態度で接して来る。けれど彼女は違う。無遠慮で、無配慮で、だからこそ逆に、こちらも変に気を使わなくていい。僕が彼女の誘いにのこのこと乗っかったのも、きっと心のどこかで楽しいと、好ましいと感じたからなのだろう。
そんな彼女が真剣な顔で友人を諭している姿を見て、僕は……。
僕は、気分が悪くなった。
僕が決して手に入れられないモノをたくさん持っていながら、それらを見せつけるかのように僕の眼前に垂らし、あまつさえ僕の寿命を出汁に使い、いかにもな正論を吐き散らかす。
そうして彼女は自身が正しい人間である事を証明するのだ。
喧伝するのだ。
気持ち悪い。
僕はいったい何を見せられているんだ。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
とても気持ち悪い。
けれど違う。
そうじゃない。
本当は理解している。
七尾は何も悪くない。
ただ僕にとって彼女の在り方は、あまりに眩しすぎた。
自分もこんな生き方ができたら、どんなに良かっただろうか。
それはどんなに素晴らしい人生なのだろうか。
そんなことが、ふと頭の隅を過ると、どうしようもなく息苦しくなる。
それだけの話しなのだ。
嗚呼、同じ星の上で生きている、同じ生き物のはずなのに。
どうして僕はこんなにも、汚い人間なのだろう。
「送らなくても大丈夫そうだね。いい友達がたくさんいるみたいで羨ましいよ、ばいばい」
僕は逃げるように、その場を離れた。
「え、ちょっと八色君!?ごめん、私追いかけるから!またね!」
七尾の友人二人と別れた僕達は、商店街を抜けて、河川敷沿いの堤防を下流に向かって歩いた。水辺で水切りをしている子供達の声が、何故か今日はいやに耳に付く。七尾は無言で僕の後ろに付いて来ていたけれど、暫くすると沈黙に耐えかねたのかぽつりと呟いた。
「嫌な気分にさせちゃったね」
「別に。慣れてる。てかなんで付いて来たの?」
「ん。送るって言ったじゃん」
「そうだね。……そうだ。ごめん」
「謝らないでよ。私も謝らないから」
正直、七尾のこの返答に僕は安堵した。今、七尾に謝られたら、きっと僕はもっと惨めな気持ちを抱える事になっていただろう。どうやら彼女は無遠慮ではあるけれど、無配慮ではなかったようだ。少なくとも僕なんかよりずっと、1人の人間として地に足をつけて生きている。だからこそ僕は、質問せずにはいられなかった。
「ねぇ、なんで今日僕を誘ったの?」