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ざっくり前回までのおさらい
・七尾ちゃん、スポーツ対決で青春の思い出作りを画策
・浜口くん、それに乗っかって八色に無茶な要求を宣言
・八色くん、浜口との友情を選ぶか七尾との関係性を維持するかで板挟み
それぞれの思惑は如何に!?で今回に続く。
目の前で向かい合う友人が、遥か遠い存在に感じる。
僕にとってこんな事は初めての経験だった。
「なんだよそれ、これも含めて七尾が準備した設定なのか?」
想像もしていなかった理不尽な展開を前にして、僕は半笑いを浮かべ、いつもの冗談や軽口を遊ばせるような口調で、そう応える事しかできない。
浜口も口角を吊り上げてはいるものの、その眼は真剣その物だったため、僕はそれ以上の言葉が見つからずどうしようもないまま脱力した。
「本気……なんだな」
「こんな事、誰かに言わされて口にしたりするもんかよ。これは俺が決めたルールだ」
「だとしても、尚更わけがわからないよ」
そう、わけがわからない。
浜口は僕にとって唯一の男友達だ。
同じ時間を生きられるのは僅かだったとしても、僕の隣には浜口がいた。
いつだって、いつだってそうだった。
性根が曲がって、他者と自身の線引きを明確にし腐っていた僕に、それでも何も文句を言わずに、気さくに声をかけてくれたのは浜口だけだった。
そんな関係を、辞めるの一言で終わらせられる程、友達という関係は脆いものなのか?だとすれば今僕や七尾がやっている事に何の意味がある?意味なんてないのか?
信じたくはない。
信じるものか。
「どんな理由があったらそうなるんだよ」
僕の零した力の無い言葉に、浜口はさっと眼を伏せて答えた。
「理由は……言えない」
「それで納得できるかよ!」
思わず声を荒げてしまう。
視界が霞み、胸の奥がもやもやする。
七尾と出会ったばかりの頃に抱えていた物とは別のもやもやだ。
なんと言葉にすればいいだろうか。
まるであれだ。
これは……そう、裏切られた気分だ。
浜口にではない。
僕自身が抱いていた希望に、だ。
自身の殻を破り捨て、心を開く事で、世界は広がって、そこには楽しい事がたくさん、たくさん転がっているのだと、期待していた。
それなのにこの現状は何だ。
七尾の思いつきから始まった企画の一つに過ぎなかったはずなのに。
友達を辞める?七尾との縁を切る?
こんな勝負に何の意味がある?
そう、意味だ。
「勝っても僕には何のメリットもない」
勝負を受けなければ浜口との関係は絶たれて、勝負に負ければ七尾との関係が絶たれる。この条件で勝負を受ける事に、僕のメリットなどどこにもない。こんな馬鹿みたいな勝負を受ける奴なんて誰もいないだろう。浜口だってそんな簡単な事は理解できているはずだ。
「2リットルのジュースでも箱のアイスでも何でも奢ってやるよ。後は……そうだな。中学2年生のあの日、お前が赤紙を貰って孤立したあの日から今まで、俺が何で八色と友達でいようと思ったのか、その理由も全部話す」
確かにそれは僕が知り得なかった浜口の一面だ。まあ今となっては浜口が何を考えているのかなんて、まったく理解できないのだけれど。教えてくれるというなら知りたい気持ちは確かにある。けれど勝負を受ける条件としてはまだ弱い。浜口は更に言葉を続ける。
「んでもって、勝っても負けても俺はお前の親友になる。ただの友達じゃない。いつだってどんな時だって八色の事を助けられるような、そんな親友になる。こんな俺を八色が認めてくれるなら、だけどな」
それは……正直、魅力的な提案だった。僕自身、自らの境遇もあって、人との関係に大きく一歩踏み込めないタイプの人間だからだ。
「こんな卑怯な頼み方をしている俺が言えた義理じゃないが、頼む。この勝負を受けてくれ」
そう言って浜口は深く、頭を下げた。
浜口はいつだってクラスのムードメイカーで、それでいて聡く利口な奴だった。何の意味もなくこんな事をする奴じゃない。それは僕が一番良く知っているはずなのだ。けれど……
「ごめん浜口。いきなりこんな事になって気持ちの整理がつかないよ。少し、時間が欲しい」
やはり、理由もわからずにこの状況を受け入れるなんて事は、僕にはとてもできない。頭を上げた浜口の表情は、とても悲しそうなものだった。
「……一週間後の放課後。部室棟の設備増築の下見で学校に工事業者が入る。グラウンドの端にも配管を通すらしい、一部の運動部はその日休みになるんだ。誰にも邪魔されずに勝負する絶好の機会さ。顧問の先生には俺から話しは通してある。片側だけならゴールポストも自由に使っていいってさ」
浜口は自身の勝負への姿勢を崩さない。
「俺はグラウンドで待ってるからな、八色。感を取り戻すなら……早い方がいい」
そう言い残して、僕の友人は教室から出て行った。
僕は暫くの間、ただただ呆然と窓の外を眺めていた。
まるでマネキンのように、その場で立ち尽くしたまま。
ー♪ー
「わーわー!たいへんだー!つらたん星人が襲って来たぁー!」
僕が校門を出たところで、聞き慣れたもう1人の友人の朗らかな声が足を止めた。
「七尾、帰ったんじゃなかったの?」
「ふぉっふぉっふぉ、つらたん星人は構ってもらえないと孤独死してしまうのです」
両指を蟹ばさみのように動かしながら現れた七尾奈々。
彼女はいつもと変わらない、太陽の笑顔で僕を迎えた。
「何それ」
「むふふ、一緒に帰ろって事さ、わかれよぉ」
「難解すぎるっす」
二人の間では最早当たり前となった軽口の応酬が、今日はいつも以上に心地よく感じる。たったそれだけの事で、悶々と昂った感情が安らぐのだから、僕も随分と変わったものだ。少し前はひとりぼっちになる事なんて怖くなかったのに、今になって浜口が何を考えているのか、いたのか、それがわからない事が寂しく思うし、何より悔しかった。
「で、何があったの?」
平静を装っているつもりでも、僕が落ち込んでいる事が七尾にはバレバレのようだ。とは言え僕自身もどうしてこうなったのか理解していないし、男同士の会話の中身をほとんど第三者のような立場である七尾に相談するのもなんだか気が引けた。そう、これは僕と浜口の問題なのだから。
いや、本当にそうなのか?
そもそも今回の事の発端は、七尾の思いつきの企画が原因である可能性が高い。七尾と浜口が僕の居ない所で、なんらかの話しをしていた事は二人の会話を聞いていれば明かだ。それに浜口は僕と七尾を関わらせたくないと、態々真剣勝負まで引っ張り出して宣言したのだ。
七尾に聞けば、浜口の真意が何か、わかるのではないだろうか?
「七尾、相談がある」
僕の友人である二人の間に何があったのか。それを聞く事は少し怖くもあるけれど、知らないふりを続ける事は出来ない。けれど七尾との関係を絶つように言われた、なんて本人に言える程肝が太くもない。
「浜口にさ、勝負を受けないなら友達を辞めるって言われたよ」
「えー。じゃあ、やっぱりやるの?PK勝負」
「でも、勝負に負けたら……あー。一番大切なものを捨てろってさ」
「はぁ!?何それ!!」
「わからない。けどこのままじゃお互い後悔するって」
話しの主軸を暈して伝えたせいか、七尾はその場で跳ねる勢いで驚いた。咄嗟に出た例えが『一番大切なもの』なんて我ながらどうかしていると思うけれど、言ってしまった過去は取り消せない。変につっこまれるのも恥ずかしいので、僕は話しを進める事にした。
「なあ七尾。浜口はなんでこんな条件を出したんだと思う?」
「うーん。たまたま少しだけ話す機会があって、今回のスポーツ対決のお願いをしたんだけど、絡みなんてそれくらいだし。付き合いの長い八色君でもわからないんじゃ、私はお手上げだよ」
心当たりがないと言われた以上、僕から聞ける事は何も無い。僕の方が浜口との付き合いが長いのは事実なのだから、そんな僕がわからない事を彼女に問いつめるのは筋違いというものだ。
「そっか、そうだよね。はぁ、僕もお手上げだよ」
「でもさでもさ、浜口君は後悔がないようにって言ったんだよね?」
「ああ」
「だったら、きっとこの勝負は二人にとって何か意味があるんだよ」
「そりゃあ意味も無くこんな勝負を吹っかけてくる奴はいないだろうよ」
「八色君、この勝負受けよう!」
畜生め。僕の苦悩も知らずに渦中の人物が簡単に言いおるわ、と思わなくもないけれど、当然ながら彼女はこちらの事情など何も知らないのだから文句も言えない。
「いやいや、向こう現役。十中八九負けるって」
「浜口君はそうは思ってないんじゃないかな。勿論私もね」
「よく言うよ。」
そう口では言ったものの、勝ち筋がまったくないとは僕も思っていない。今でこそまったくボールに触れない生活が当たり前になってはいるものの、中学生の頃は誰よりも練習に本気で打ち込んでいたという自信がある。将来医者になる事を見越して、家では勉強しなければならない浜口と違い、僕は自宅の庭で日が落ちてもボールを手放さなかった。いや、手は使っていないけれど。
それに浜口と僕とでは役割が違う。僕のポジションはセンターフォワード。得点の要であり、誰よりもゴールを狙う機会が多くあった。一方浜口のポジションは司令塔と呼ばれる、オフェンシブミッドフィールダー。試合全体の流れをコントロールするチームにとっての心臓であり、ゲームメイクのキーマン。自らシュートを狙う機会はあるものの、本来その役割はフォワードにボールをまわす事や、相手の起点となるパスを潰す事にある。つまり、妨害の入らないPKという手法の戦場においては、僕の方が場慣れしている……と前向きに考える事もできる。
まあ、PKはある程度の球速とコントロールがあれば、実際のところ運の要素も大きい。それにお互いがキーパーとしては未熟者なのだ。勝負の要はシュートの精度。そんな中で土壇場のシュートミスを減らせるのは、どれだけボールと向き合ってきたかに限る。そう考えると浜口が有利だろうし、ある意味では全体的にバランスの取れたイーブンな勝負とも言える。
勝負までの一週間。僕が、本気になれば或は。
「えへへ」
隣から溢れた七尾の笑い声に、熟考していた意識を表に引き上げる。
「何だよ」
「勝つ算段を考えてたんじゃないの?」
エスパーかよ。もしくは、認めたくないけれど、僕は自分で思っている以上に、顔に出やすいタイプなのかもしれない。
「いや。晩ご飯の事考えてた」
「どうだか。でもまあ、得意な事で一方的に相手を負かしたいだけなら、こんな回りくどい真似しないでしょ?浜口君はそんなに意地悪な人には見えないし、仮にもし勝負に負けたって、言う程酷い結果にならないんじゃないかなって、私思うわけっす」
「よくそんな事言えるなぁ」
「だって、八色君の友達だもん!」
七尾のその言葉が、妙に収まりよく胸の隙き間を埋めた。
そうだ、何を考えていようが浜口は僕の友達なのだ。
「そうだな。あいつは友達だ」
僕の胸に押し寄せてきた迷いや不安は、まるで潮が引くかのように静かに消えた。
ー♪ー
家に帰った僕は、自室の押し入れの奥から真新しい紙の箱を取り出し、その中身を手に取った。
「まだ使えるといいけど」
それはサッカー用のトレーニングシューズだった。中学生だった僕が、憧れのサッカー選手と同じモデルという事で親に強請ったまでは良かったものの、人気商品のため自分に合うサイズが残っておらず、それでも絶対に足が大きくなるからと、無理を言って買ってもらったのだった。
その後すぐ赤紙を貰って、レギュラーからも外された僕は、一度もこのシューズを使う事がなかったのだけれど、履いてみるとまるで今この時を待っていたかのようにぴったりと足に馴染んだ。
下駄箱で眠っていた、少し空気の抜けたボールに再び命を吹き込み、近くの公園までランニングする。住宅地から一段下がった坂の下にあるこの場所は大きな壁に囲まれている。球を蹴って遊ぶには都合がいい。
ここに今、自分以外の人は誰もいない。
僕は、11メートル先(PKの体感距離)にある壁面の、一枚だけ色の褪せているブロックに意識を集中させた。
日は傾き、世界が朱色に染まる中、雑念を深く沈める。
飛行機が唸り声を上げながら頭上を横切った。
まだだ、もっと潜れ。
深呼吸をする。
風が凪ぐ。
想像するのは理想的な体運び、あとは成功するビジョン。
それだけでいい。
もう一度深呼吸。
そして、僕は。
懐かしの球友に向けて、足を真っ直ぐ振り抜いた。
心地よい音が反響し、褪せたブロックから白い砂埃が舞い上がる。
「ははっ、なんだ……悪くないじゃん」
どうやら積み重ねて来た努力という奴は、そうそう簡単には消えないらしい。
やってみるものだ。
やってみるものなのだ。




