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P14


 彼との出会いは偶然、或は運命だった。


「ちょっといいですか」


 それは、いつもと同じ憂鬱な月曜日の出来事だった。


「普通に迷惑なのでそこから降りて下さい。遅刻しそうなんです」

「お気持ちはお察しします」


 彼は……八色凪は、幸の薄そうな男の子だった。


「あなたより短い僕の人生じかんを、僕から奪わないで下さい」


 いや、事実として、とても幸せとは呼べない境遇に身を置いていた。

 少なくとも、この日本においては。


(赤い、特定保険カード?)


 だから私は彼を選んだ。


「見てたよ。やるじゃん」


 彼に声を掛けるのは、ちょっぴり勇気が必要だった。高校生になってからは、男の子に話しかけられる事はあっても話しかけた事なんてなかったから。それに、パパとの約束・・もあったし。


「マジすごい勇気だね。なんつーかさ、痺れた。きゅんって!」


 この時の私は必死だった。

 少しでも彼の注意を惹こうと。

 僅かでも私を見てもらおうと。

 自分でも酷く滑稽に思えるくらい、慣れない事をしている自覚はあった。


「電車。来るみたいだよ?列、並び直さないと」


 けれど彼はやっぱり、私の事なんて見てはくれなかった。

 いいや違う。


 いつだって、誰だって、私の事なんて見てはくれない。


 当然だ。

 そうなるように、私は私に呪いを掛けたのだから。

 嘘という呪いを。


 私は自身の意見を強く主張するような真似はしない。

 そんな事をしなくても人間関係に困った事は無いから。

 話しをちゃんと聞いてあげるだけで友人関係は円滑に進む。

 学校の先生は私に気を遣ってくれるので、模範的に行動するだけでいい。

 今までだってそれで何も問題はなかった。


 私、七尾奈々は、ちゃんとしてれば幸せになれるのだ。

 本音ボロを出さなければ、幸せになれるのだ。

 それで周りも幸せなのだから、そうするのが正解なのだ。


 嗚呼、幸せ、幸せ、幸せだ。


 でも幸せとはなんだろう。


 みんなが願っているもの。


 パパが私に願っているもの。


 彼がたぶん諦めているもの。


 あの鉄橋から落ちて死のうと思っていた人は、死ぬという望みを果たせなかったから不幸なのだろうか。テレビで見た義足の少年は、人と違うから幸せになれないのだろうか。離婚したら不幸なのだろうか。戦争がなくなったら幸せなのだろうか。


 私は間違いなく幸せだけれど、その幸せをたまに虚しく感じる事がある。それはたぶん、何一つとして自分で手に入れた幸せなんて持っていないからだと思う。今の私はただ動いているだけの、腐っていないゾンビみたいなものだ。


 何かを変えたかった。

 何かを残したかった。


 みんなが見ている嘘つきで空っぽな私のまま、時間だけが過ぎていくのが怖かったんだ。

 何を言ってるのかわからないよね?

 いいよ、わからなくて。


 ねえ、八色君。


 八色君は、あの男の人が鉄橋から落ちようが、明日から義足になろうが、誰かと誰かが離婚しようが、世界から戦争がなくなろうが、このまま変わらず不幸なままだよね。


 そんな八色君を、ちゃんと幸せに出来たら、こんな私にもこの世界で生きている意味が生まれるんじゃないかな。私にしか出来ない事を見つけた私は、私にしか成せない事をこなした私は、幸せになれるんじゃないかな。


 八色凪。


 私が見つけた私の存在理由。


 パパが願った私じゃなくて。


 先生や友達が理想とする私じゃなくて。


 私は、ちゃんとした私になるために君を──利用するから。




ー♪ー




「僕は君と一緒にいたくない」


 失敗した。


 まずは徐々に仲良くなっていく予定だったけれど、ついつい熱く語ってしまった。というかもう喫茶店からの流れも酷かった。私も慣れないテンションで空回りしている節はあったけれど、あの局面で友達に出会すのは事故すぎる。


 しかし八色君もなかなか手強かった。私よりよっぽど自分の世界に閉じこもっているまである。私は自分が想像できる限りの理想的な女の子として、八色君の背中を必死に押したつもりだったけれど、彼の心は微動だにも揺れなかった。


 私なら彼の事をわかってあげられるという自信はあった──根拠だって。でも、もしかしたら本当にウザがられているだけかもしれない。そう思うとへこんだ。人間関係でへこむなんていつぶりだろうか。


「うーん、これでも駄目か。作戦変えなきゃかなぁ」


 八色君と一旦別れた私は、その足で書店に向かった。【ウーパールーパーでもわかる心理てくにっく】という本を見つけた私は、手に取り何気なく開いたページを斜め読みする。


『押してダメなら、時には引いてみるーぱー』


 ウーパールーパーのキャラクターに吹き出しがついていて、そんな他愛も無い事が書かれていた。が、一理ある。確かに背中から押しただけでは人も心も動かない。その事を私はさっき、身を以て知った。聞こえの良い言葉を掛けるだけじゃなくて、私は彼の気持ちにもっと寄り添うべきだったのだ。押してダメなら引いてみろ。つまり、私がもっと前に立って彼を引っ張っていかなきゃ駄目なのだ。たぶん、そういう事……だよね?


 兎に角作戦を練ろう。

 闇雲に接触しても嫌われるだけだ。

 嫌われるのは、誰であれ辛い。


 本を手にもってレジへ向かう途中、文具コーナーに並ぶ薄桃色のノートが目に留まった。


 私が彼に嫌われないために、私が私の目的を果たすために、作戦を練ろう。


 私はノートを本に重ねるように手に取り、再びレジに向かった。




ー♪ー




 それからはあっという間だった。


 八色君が私の話しを聞いてくれるようになって、私の拙い計画に恥ずかしそうにしながらも乗ってくれて、毎日が嘘のように楽しかった。


 嘘のように楽しかった。


 映画の時なんて浮かれ過ぎて、パパの書斎の引き出しからついついカードを持ち出してしまった。あれは失敗だったな。


 カラオケ。

 下手くそな八色君の歌にお腹の底から笑った。

 けれど一生懸命声を出してる横顔は少しきゅんってきた。


 ボーリング。

 全然やった事ないってのが信じられないくらい上手だったね。

 私は全然ダメダメだったけど、ちゃんと投げられるようになるまで付き合ってくれて嬉しかった。


 屋上でお弁当のおかずを交換したり、図書館で一緒にテスト勉強したり、ハイキングや手持ち花火も楽しかった。


 私が八色君に、楽しい?って何度も聞いて。その度に君は明後日の方向に顔を反らして、楽しいよって言ってくれる。そんな毎日が一ヶ月続いて、ふと気がついた。


 八色君を救う事で、私は私の存在理由を、存在価値を手に入れるつもりだった。真っ赤な真っ赤な嘘までついて。けれど本当に私が望んでいたのは、きっとそんな事じゃなかった。


















 七尾奈々。


 7月7日生まれ。


 特定保険カードに刻まれた数字は

 ────────19。








 その事を知っているのはパパと学校の先生だけ。私にごく普通の青春を送って欲しいと願ったパパが学校に口止めをしてくれた。友達にカードを見せた事なんてない。




「奈々ってカード持ち歩かないの?」

「うち厳しいから。個人情報が詰まってるからカードはパパが管理してるんだ」

「へぇ。奈々お嬢様じゃん!箱入りですかぁ?」

「はーい、箱入りでーす」




 誰にも本当の私を知ってもらえないまま、誰からの記憶にも残らないまま、私は消えていくのだろう。それが怖かった。だから私は、最後の瞬間まで私の事を覚えていてくれる誰かを求めていたのだ。



 私が()()()()生きていた証が、欲しかったんだ。



 そして弱い私は八色君の存在に縋り付いた。

 ありのままの私を受け入れて欲しいという気持ちも確かにある。

 けれどやっぱり無理だった。

 そんな願いはもう叶わない。

 私は存外、八色君の事を気に入ってしまったのだ。


 どんどん前向きになっていく八色君が眩しくって、私のおかげで変われたって言ってくれる八色君が誇らしくって、そんな八色君を悲しませるような事はやっぱり言う気になれないや。


 けどそれでいいんだ。


 八色君は最後の瞬間まで、きっと私の事を忘れない。強くて、破天荒で、元気いっぱいな私を……私が理想とする私をきっと忘れない。




 この真っ赤な呪いがある限り、私はもう何も怖くない。




 だから私は私が終わるその時まで、八色君に楽しんでもらうために作戦を練るんだ。




 放課後、誰もいない教室で、薄桃色のノートに向き合って。




「あっ」




 教室のドアが開く音に注意が逸れて、ペンが手から滑り落ちる。最近、こうやってたまに指先が麻痺するようになった。駄目だなぁ気をつけないと。私が落ちたペンを屈んで拾う前に、教室に入って来た男の子がペンを拾い上げる。



「すまん、驚かせたか?」


「ううん。大丈夫だよ」



 彼は無邪気な笑顔を浮かべて私の落とし物を差し出して来た。



「何か私に用があるのかな…………浜口君?」


「はは、ちょっと話さね?」




 

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