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P12

師走ですね。


 駅前通りに戻ると、来る前には無かった人集りが出来ていた。その最前には声を荒げて何かを主張している女性の姿が見える。


「命の価値は平等だ!党首は不当にも色分けされた我々の怒り、哀しみ、嘆き、それら声に即刻向き合うべきだ!」


「そうだそうだ!」

「誰か何とか言ったらどうだ!」

「出て来い!出せ!出せよ!」


 止む事無しといった剣呑な空気が鼓膜に響く。どうやらラーメンを待つ客の行列、という訳ではなさそうだ。集団の年齢層は全体的に若く、様々な色のプラカードを掲げて灰色の建物に向かい合っていた。その建物は現在の政権を握る与党の拠点の一つだった。


「……デモだな」

「うん。ちょっと通れそうにないね」


 一瞬、七尾が心配そうな視線を僕に送った。この集団の主張を聞くに、どうやら【特定保険カード】の色分けによる短命者への人権問題を主題としているらしい。僕としては、この手の活動にはまったく興味が湧かないし、この状況を前にしても特に思う事は無い。


「道の反対側に渡ろうか」


 僕は七尾の手首をそっと引っぱりこの場を離れようとした。しかし、集団の最後尾に立っていた1人の男性と目が合い、彼に声をかけられてしまう。


「もしかして君は……あの時の」


 彼のその一言に僕と七尾は足を止める。そこに立っていたのは、月曜日の朝に鉄橋から飛び降りようとしていた黄色い【特定保険カード】の男性だった。


「その節は大変迷惑をかけたね。済まなかった」


 男はそう言った後、深く頭を下げる。経緯はどうであれ、年上の男性に深謝させてしまった事に対して、僕はいたたまれない気持ちになった。


「いえ、僕は言いたい事を勝手に言っただけですから」


「いいや、君が俺を止めるのがもう少し遅かったら厳重注意では済まなかっただろう。いや、もしかしたら引くに引けずにそのまま死んでいたかもしれない。自分が今ここに立っていられるのは、君のおかげだ」


「わ、わかりましたから、頭を上げて下さい」


 一向に頭を上げる気配がない男性に、僕は辞めるように懇願する。ただでさえ人通りの多い時間帯なのだ。遠巻きに様子を見ている人達の、痛々しいものを見たという視線が、先程から背中に刺さり続けていた。


「君の話しは胸に刺さったよ。腐っていた自分が恥ずかしいと思った……そして何かを変えたいとも」


 そう言って顔を上げた男の表情は、あの朝と比べるとまるで別人のように優しく、憑き物が落ちたように穏やかだった。


「だから俺はこうして、有志の団体に身を置く事にしたんだ。君のような善良な若者がもう少しだけ居心地が良くなる社会にならないかと、こうして声を出していく事から始めようと思ってね。署名活動もしてるのさ」


 男性の大きな変貌に、僕も七尾も驚きのあまり言葉を見失う。彼は固まったまま反応がない僕達の様子を見て、少し照れくさそうに話しを続ける。


「同じ悩みを抱えている人はたくさんいる。俺は一人じゃなかった。寄り添える誰かがいる、それだけで人は救われた気持ちになるんだ。俺がそうだったようにね。今は同じ悩みを抱えているたくさんの人達に、自分達の声が少しでも伝わればと願っているよ」


「そうですか」


 僕が月並みの言葉を返すと、彼は僕と七尾の顔を交互に見てからこう言った。


「君は……君に寄り添ってくれる彼女がちゃんといるみたいだね。ははは、道理で私よりしっかりしていた訳だ」


 その時になって僕は漸く気がついた。記憶に覚えの無い男からいきなり声をかけらたため、警戒心が働き無意識に体が硬直していたのだ。つまり僕は今、七尾の手首を掴んだままの状態だった。


「あ、ごめん」

「ううん。ちょっと驚いたけど大丈夫だよ」


 七尾が露骨に嫌悪感を浮かべていたらどうしようかと思ったが、そんな事は勿論なく、僕は慌てて手を放して男性の誤解を解く事に意識を切り替えた。


「えーと、彼女は僕の友達なんです」

「ああ、そうなのかい。勘違いしてしまったみたいだね、申し訳ない」

「ぁ、や、お気になさらず!」


 再び頭を下げようとした男性を七尾が慌てて止めたため、なんとか気まずい空気に戻らなくて済んだと、僕は心の内で感謝する。男は、これ以上は迷惑な癖がついてしまいそうだ、と乾いた笑いを浮かべて頭を掻いた。


「じゃあ、そろそろ俺は戻るよ」

「はい、お元気で」

「君もね」


 男性は話したかった事を全て出し切ったのか、満足した様子で集団の最後尾に戻っていった。彼の背中を見送った僕の胸中に、名前のわからない熱い感情が沸々と湧き上がってくる。人は切っ掛けさえ掴む事が出来れば、挫折から生じた絶望を迂回するように、新しい未来へ向かい歩き出せる。絵空事かもしれないけれど、彼は理想へ向かって必死に手を伸ばしていた。勇気を少し、分けてもらったような気がした。


「なあ、七尾。ちゃんと人は変われるんだな」

「何言ってるの。八色君だって前よりずっと取っ付きやすくなってるじゃん」

「そっか。自分じゃよくわからなくてさ。でも僕はちゃんと変われてるんだな」


 どこか空回りしているような、不安な気持ちも正直あった。けれど僕は不格好なりにちゃんと変われていたらしい。


「あの人も、それに私だって。八色君が切っ掛けになって前に進み始めたんだよ。八色君に出来ないはずがないじゃん!七の次は八なんだから、ね?」


 七尾はいつもみたいに、太陽のような笑顔をキラキラと輝かせてそう言った。いつだって彼女の言葉は停滞した僕を前に押し出してくれる。その恩にいつか報いる事が出来ればいいなと、心からそう思った。


「七尾」

「ん?」

「届くと良いな、あの人の思い」




 七尾に投げかけた僕の言葉は、しかし返っては来なかった。いや、返ってきたとも言えるだろうか。隣からではなく、背後から。




「残念ながら彼らの行いが真の意味で報われる事はないだろう」




 代わりに返ってきたのは、低く重い知らない男の声だった。振り返ると、凍てついた金属のように無機質な表情を貼付けた壮年の男性がそこに立っていた。




「……パパ?」




 それが僕と、七尾の父との始めての邂逅だった。



 

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