私、負けたことないので
「なにか……良くないことが起きている気がする」
「矢野先輩、どうしたんですか急に?」
「うーん、なんだろう。私のレーダーがとても良くないことが起きていると教えてくれている気がするんだ」
「えっと、虫の知らせ的なあれですか?」
「うん。具体的に言うと、隣町くらいで文人が同じクラスのおとなし目の女の子と買い物したり、ご飯食べたりして、なんか共通の趣味とかあって、まんざらでもない雰囲気出してる気がする」
「精度高いな!!」
思わず先輩である事を忘れて、キツめのツッコミを二葉が入れてきた。
「いや、たぶん気のせいだと思うけど。それよりさ、二葉。1on1やろーよ」
チーム練習を終えて、他のチームメイトがそれぞれフリーでシューティングやストレッチをしている中、二葉に対戦を申し込む。
「1on1ですか? 構いませんよ。ただ、やるからには負けませんよ」
どうやら二葉は乗り気の様子だ。二葉と1on1はまだやった事がない。
私は弱い方ではないけど、普段の二葉のプレーを見ていると、身長差があるとは言え、余裕で勝てるとはとても思えない。それに、敵として対面した時の二葉は一体どんな感じなんだろうと少し興味があったのだ。
「オッケー。じゃあ、フィールドゴール1点、スリーポイントは2点の5点先取でやろうか」
じゃーんけーんポン!
先行後攻を決めるジャンケンは負けてしまった。選択権は二葉が有する。
「では、私は後攻でお願いします」
ふうむ。私の経験上、後攻を選ぶ人はディフェンスに自信がある子が多い気がするけど、二葉はどうだろう?
「オーケー。じゃあ始めようか」
ゴールの真正面、スリーポイントライン上で一旦ディフェンスの二葉にボールを渡す。二葉からリターンのパスが返ってきて受け取った瞬間から私のオフェンスがスタートだ。
二葉の体勢は、重心は低め、右足を半歩引いている。間合いはかなり詰めてきている。シュートは打てそうにないな。ディフェンスからのリターンパスが宙に浮いている間に状況を判断する。
二葉の狙いは右利きの私に左手でドライブ(ドリブルで切り込む)させる事だろう。スピードには自信がある。乗ってやろうか、その誘いに。
ボールを受け取った瞬間、フェイントも入れずに左手でドリブルをつき、強引に体をねじ込む。
ガッッ!
二葉と体が接触する。ギリギリドライブコースに入っているので、どちらのファールでもない。このままゴールに向かうのは厳しい。下手するとオフェンスファールになってしまう。スピードを緩め、一旦後ろへ体を引いた瞬間……
パシッ!
「あっ! くそう……」
ボールをスティールされてしまった。
「矢野先輩、ひとつ言い忘れてましたけど、私……1on1負けた事無いんで」
「……上等」
「おっ! たよりと二葉の1on1か。アツイねぇ」
「組み合わせ的には面白い。お互いライバル意識あるっぽいし」
三年生のキャプテンと副キャプテンが私たちの対戦に気がついて、見に来たようだ。何か話しをしている様だけど、今はそれどころでは無い。
さて、こちらのオフェンスは失敗に終わってしまったが、ディフェンスで点を許さなければ何の問題もない。
問題は二葉がどんな風に攻めてくるか、だ。二葉は身長が高くなく、体重も軽い。そんな二葉の武器はスリーポイントと、潜り込むような鋭いドライブだろう。
ディフェンスの距離を詰め過ぎればあっさりとドリブルで置き去りにされるが、距離を離し過ぎれば、長距離砲を沈められるリスクがある。
私はオフェンスも好きだが、ディフェンスも決して苦手では無い。どちらかというとディフェンスの方が好きだ。性格が悪いと思われるかもしれないけど、自信満々な対戦相手を完璧に抑えた時ほど楽しいことは無い。私の中でバスケの醍醐味とすら感じている。
「絶対に止める」
少し距離は離し気味にしよう。二葉のドライブを甘く見てはいけない。
二葉は左利き。敢えて、二葉の左手側にややスペースを作る。ほんの少し、誘い込む程度に。そんな風に色々と考えながら二葉にボールをリターンする。
二葉にボールが渡り時が止まる。
キュッ……
二葉の左足のつま先が数センチ、動く。それに反応して、体の重心が一瞬、ほんの一瞬後ろにズレる。
ふわっ。
と、実際には聞こえない効果音を感じた時には、二葉の放ったスリーポイントシュートはリングに当たることなく、
「スパッッ」
と、心地よい音を立てながらネットを揺らしていた。反応できなかった。早すぎる。なんだこれ? クイックシュートなんてレベルじゃ無いよ。
距離を離したらシュートを打たれるとはいえ、約10センチの身長差がある事と、私のジャンプ力を知っている二葉なら、シュートをブロックされる事を恐れて、簡単には打ってこないだろう。と、いう気持ちがあったことは認めよう。
ただ……裏をかかれたとか、意表を突かれたとか、そういう次元じゃない気がする。なにか、得体の知れない、異質なものに触れたような気すらした。
「そういえば先輩」
びくっと体が反応し、我に返る。
「点が入った時は、オフェンスは継続でいいんです?」
「えっ……あ、うん。それでいい」
「分かりました。じゃあ2対0。ではどんどん行きますよ」
「本物……か」
遠くでまたキャプテンが何か言っている気がしたが、私の耳に届くことは無かった。
「キャプテンはどっちが勝つと思う?」
「うーん、どうだろうねえ。たよりが簡単に負けるとは思わないけど、二葉はセンスあるからねえ。てか、正直あれはバケモンだよ。あれで高校一年とか、末恐ろしい」
「ふーん。キャプテンも認めてるんだ」
「うん? あんたは認めてないの?やっぱボジション同じだと負けたくない感じかな?」
「茶化さないで。センスは認めるけどさ。ただ、なんて言うかな。あの一人でバスケしてますって感じ、私は好きじゃない」
「それは否定しないけどさ。たよりとはそう言う意味でも真逆のタイプだね」
「そう言う意味以外では何が逆?」
「たよりって、すごく考えながらバスケするタイプじゃん。相手と自分の位置関係とか体勢とか、スペースとかタイミングとか、戦術とかまあ、諸々。考えすぎて勝手に迷路に迷い込むこともあるんだけど。
二葉はなんか野性的っていうか、頭より体が先に動くタイプって感じ? カンが鋭いっていうのもあるんだろうけど。ちょっと強引なところも含めて、エースとしての素質はあると思うよ」
「野性の勘……ね。確かにマッチアップしてても、それを感じる時はあるかも。でも、だからこそ、私はやっぱり認めたくない」
「ははは。良い良い! ライバルがいる事は幸せな事だ」
「だから茶化さないでってば」
キュッ、キュッ。
小刻みにフェイントを織り交ぜ左右に揺さぶりを掛けてくる。
可能な限り腰を落とし、足を絶え間なく動かす。さっきのスリーポイントシュートが脳裏をよぎり、警戒せざるを得ない。
「くっ……」
シュートを警戒して間合いを詰めている分、フェイントにいちいち反応しなければドリブルで簡単に抜かれてしまう。
いや、違う。このフェイント。ドリブルで突破する気はない…のか? 足を出し入れする角度が深すぎる。こっちに一歩引かせてシュート打つ気かも知れない。
それなら……敢えて右足を一歩引く振りをする。
その動きを見逃さず、すかさず二葉がシュートモーションに入る。
だけど、今度は間に合う!
ブロックに手を伸ばした時、ハッとする。
シュートフェイクだ。
私の足はすでに宙に浮いている。
二葉がドリブルしながら私の横を通過していくのを、ただ見ていることしか出来なかった。そのままランニングシュートを決められてしまった。
「これで、3対0ですね」
二葉は後攻。もし、スリーポイントを決められたら、この1on1では2点相手に入る。つまり、5対0で試合終了だ。
なんとか一本止めないと……でもどうやって? 流石にスリーポイント連続では入らないか?
ここは距離を開けて打たせて……いや、それは[逃げ]じゃないか。
自分で止めれないから、相手のミスを願う? バカか私は。
「まだ、終わりじゃないから」
「いえ、もう終わりですよ」
ごちゃごちゃ考えるのはやめた。フェイクだろうが何だろうが全部反応してやる。右か、左か、それともシュートか。足でついていく。今までどれだけフットワーク練習をやってきたと思ってるんだ。
二葉がドリブルを始め、一度レッグスルーで間を置く。そして軽く私の体に自分の体をぶつけ、その反動でゴールから遠ざかる。
えっ? まさか………
スリーポイントラインから一歩半程度離れた位置から放たれたシュートは美しい弧を描き、再びネットを揺らした。
ガクッと膝から崩れ落ちる。そんな……完封負け?
うそ……
「先輩。有難うございました」
ぺこりと頭を下げて二葉はシューティングに戻っていった。
私は……しばらくその場を動くことが出来なかった。
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詩歌との食事を終え別れた後、僕は自宅へ帰宅した。今日買ったSAOを早く読みたくて自分の部屋へ足早に向かう。
がちゃり、とドアを開け、部屋の電気をつける。
「うおっっ!」
驚いて思わず声が出てしまった。女の子が僕のベットにうつ伏せで横たわっている。
「た、たよりか。驚かすなよ」
「……」
「寝てるのか?」
返事がない。ただのしかばねのようだ。こう言う時に脳内で同じテキストが流れるのは僕だけではないはず。と言うか、母さんもたよりが来てるなら教えてくれてもいいと思うんだけど、何故黙っていたのか。
「なんのイベントだこれ。いつのまに僕はフラグを立てたんだろう」
「相変わらずゲームがお好きなようで」
「なんだよ。起きてたのか。どうしたんだよ急に」
「……別になんでもない」
「全然なんでも無くなさそうなんですけど……なにしょぼくれてんだよ。分かりやすいなお前」
「うるさいなあ。放っておいてよ」
「放ってほいて欲しいなら僕の部屋にくるなよ……まあ、話したくないなら無理には聞かないけどさ」
そう言いながら、何か他の話題はないかと頭を巡らせる。
「あー、ところでたより、SAOの新刊買って来たんだよ。特別に先に読ませてやってもいいぞ?」
「あんたに借りた1巻。まだ1ページも開いてもないから」
「いい加減読めや! 頼むから3巻まで読んでくれ。まじで面白いんだって。それでダメなら無理強いはしないから! お願い!」
必死すぎる。うつ伏せから仰向けに体勢を変えながら笑って話す たよりを見て少し安心した。
何かがあったのは明白なんだけど、この世に存在するおおよそトラブルや悩みといった類で、僕に解決できることなど殆ど無いに等しいのだから、相談されてもそれはそれで困るってのが正直なところだ。
本人が話したくないと言うのなら深追いはしない主義だ。冷たいと思われるかもしれないけれど、ずっとそうしてきた。
「それとさあ、たより。さっきから、と言うか最初から、少し、いやかなり気になってたんだけど……なんでお前寝間着なんだ?」
「今日泊まろうと思って」
「いやいやいや。それはまずいだろ」
「なんで?」
「なんでって……僕達もう高校生だぞ? 年頃の女の子が男の部屋に泊まるもんじゃないだろ?」
僕から誘った訳じゃないのになんで僕がドギマギしなきゃいけないんだ。
「あれあれ? もしかして文人……エッチな事とか考えてる?」
胸を両手で隠すように抑えながら、わざとらしく怪訝な顔をする。
「か、考えてないよ!」
「ふふ。冗談だよ。昔はよくお泊まり会してたじゃん。『会』って言っても二人だけど」
「それは小学校低学年の時の話だろ。あの時以来部屋に来ることも随分減ったのに、いきなり泊まってくのかよ。あと、母さんにはなんて言えばいいんだよ? 流石にダメだって言うだろ」
「おばさんの許可はすでに取り付けた。あと、うちの親もね」
そうですか。うーん、なんだろう。この外堀を埋められて行ってる感。もしかしてこいつ、意外と策士なのか? 気付いたら逃げ場が無くなってましたってオチが待ってるのか?
「お前がそこまで言うならいいか。泊まっていけよ。というか、お前わざわざ靴まで隠して、電気まで消して……うちの母さんも完全にグルだな」
「そうそう。驚かそうと思ってさ。びっくりした?」
「ま、まぁ少しは驚いてけど、大したことはなかったな。まったく、たよりはいつまでたっても子供だなあ。ははは」
「……うぉっっ!! って言ってたけど」
すみませんでして、勘弁してくださいと深々と頭を下げた。
「冗談はさておき、僕はお風呂に入ってくるから、適当にくつろいでろよ」
そう言い残し、浴室に向かう僕に、たよりは顔もこちらに向けずに親指を立てた[グッド]の合図をだしていた。
「ふー、今日は結構歩いたから足が疲れたな。この熱めのお湯が疲れに効くぜ。ちゃぷちゃぷ」
さり気なく、かつ慎重に僕がすでに湯船に浸かっていることを読者へ示唆する。サービスカットだ。
「しかし、たよりのやつ、一体何がしたいんだか……最初は元気無いのかと思ったけど、思ったより普通だったな。部活でなんかあったのかな。今度、月見里さんに会ったら聞いてみるか」
なんて事を考えていたその時、がちゃりと更衣場のドアが開く音がした。
ま、まさか……俗に言うお背中流しますイベントがついに僕にも発生したのか?! しつこいようだが僕はフラグを立てた覚えはないぞ。
「あんた、たよりちゃんに変なことするんじゃないよ」
母さんだった。そんなことだろうと思ったよ。
風呂から上がって部屋へ戻ると、たよりは漫画を読んでいた。ゲームでもするか? と、声をかけようと思ったが、ゲームでの対戦はあの時の告白を連想してしまうのでやめておいた方が良いだろう。
たよりにはベットて寝てもらうとして、僕は自分が寝る用の布団を床へ敷く。
「文人。」
読んでいた漫画をとじて本棚にしまいながら、たよりが声をかけてきた。
「明日さ、どこか遊びに行かない?」
「別にいいけど、練習は無いのか?」
「明日と明後日は何かの行事があるみたいで、体育館が使えないらしい。だから練習はやすみ」
「二日間練習が無いなんて、珍しいな。って、まさかお前、明日も泊まる気じゃあ無いだろうな?」
「あはは。明日は文人が私の部屋に泊まりなきなよ」
「それはそれで余計に問題ある気がするけどな。取り敢えず明日は出かけるとして、どこか行きたいところでもあるのか?」
「ううん。文人にお任せ」
「そうか。明日までには何か考えておくよ。それじゃあ今日はもう寝ろよ」
「うん。わかった。おやすみなさい」
部屋の電気を消してしばらくしてスー、スーとたよりの寝息が聞こえてきた。今日も練習だっただろうからきっと疲れているんだろう。
コチコチと一定のリズムを刻む目覚まし時計の秒針の音が、普段は気にならないのに今日はやけに耳につく。
ああ、もう。ドキドキして眠れねぇ!! いや、普通そうだろ。
健全な男子高校生の部屋に幼馴染とはいえ、美人で人気者の女の子が泊まりにきているこの状況。しかも少し前に自分のことを好きだと言ってくれた子のことを、意識するなと言う方が難しい。
むくっと布団から起き上がり、たよりの顔を覗き込む。長いまつ毛にスッとのびた鼻。唇は小さくて柔らかそうだ。近くにくるとシャンプーの良い香りがふわっと僕の鼻孔を刺激する。自然とたよりの頭に僕の右手が伸びる。
ぽんっと頭に手を乗せ、そのまま撫でる形で手前へと手を滑らせる。
「髪、さらさらだな」
たよりの細くて柔らかい髪の感触と、Tシャツに短パンと言う、見方によっては際どい格好で横たわるたよりの姿を見ていると、なんだかエロい気分に……なったりはしなかった。
「腕も、足にも、こんなに沢山アザを作って……バスケって結構激しいスポーツだもんな。頑張ってるんだな」
僕はどうしようもなく、たよりの体を抱きしめたい衝動に駆られていた。努力が刻まれたその体を見て、[愛おしい]と、素直に感じた。
不意にパチッと開いた、たよりの目と覗き込んでいた僕の目が合う。
あまりに驚いて早くなっていた心臓の鼓動が一瞬止まったかと思ったくらいだ。
「ご、ごめん起こしちゃったか?」
たどたどしく、気まづそうに話しかける。
「うん。別に良いよ。どうしたの?」
目を擦りながら、子供のような表情で問いかけて来る。
「いやー、特に何って訳でも無いんだけどさ! あの、あれだ。クーラー効いてるから、寒いかもしれないと思って布団をかけ直してやろうと思ってさ」
く、苦しいか? 言い訳になってるかこれ? てかこいつ、寝てたよな? 狸寝入りだったらかなり、やばいぞ……
「そうなんだ。ありがと。文人も夏風邪ひかないようにね」
そう言ってたよりは再び目を閉じた。その純粋な反応と寝顔を見て、なんだか罪悪感やらホッとしたやら複雑な気分になった。
兎にも角にも、なんとか誤魔化せたみたいだ。告白され、意識して、つい顔を覗き込んでました、なんて絶対言えないしな。
自分の布団に戻り、なんだか今日は色々あったなと、そんな事を考えながら僕も静かに目を瞑った。こうして僕の長いような、短いような1日が終わった。