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高橋桜の決意3

「あ、桜ちゃん! 早かったね!」



「いえ……はぁはぁ……そんなに急いで来たわけではないんですけどね……ふぅ」



「めっちゃ息、切れてるけど!?」



 息が切れているのは、トレーニングを兼ねて、少しスピードを上げていたからです、と白々しい言い訳をしながら、弓月の横へ腰を落とす。

 弓月と私の間には、若干の距離をあけておく。これは卑怯で臆病な私の、保険のようなものだ。



「いつもこんな時間まで練習をしているのですか?」



「うーん、その日にもよるかな? 夜だけに! あはは!」



「……バスケを続けると言っていたのは、本気だったのですね」



「え、スルー!? バスケは続けるってのは、もちろん本気だよ!」



 ぷくーっと膨れるような表情を作りながら、軽く肩を叩かれる。

 たったそれだけの事で、ドギマギしてしまう。軽く、本当に軽く、体が触れただけ。それだけのことなのに。



「そうですね。ごめんなさい」



「いやいや、謝ることはないんだけど! それより桜ちゃん、今は何を悩んでいるの?」



「そうですね……まあ、色々ですよ」



 本当は弓月に相談したい気持ちはある。話を聞いてもらうだけでも、気持ちが楽になるだろうし、今の私の悩みについて、すでに部活を引退した弓月なら、より的確なアドバイスをもらえそうな気もする。


 だけど、自分が抱いている悩み事が、最低であり、人としてどうなの? と、思われても仕方がない内容だと自覚している以上、誰かに話すことは出来ない。

 もし、こんな事を話して、嫌われでもしたら……嫌だから。



「えー! ここまで来て話してくれないの!?」



「いえ……別に悩み相談に来たわけではないですから」



「そうなの?」



 ただ、貴方に会いたくて……と、喉まで出かかったセリフをギリギリのところで飲み込む。あまり、積極的になりすぎるのも良くない。

 相手の気持ちが正確にわからない以上、攻めすぎるのは危険だ。それはバスケも日常生活も同じ。思わぬカウンターをもらってしまったら、今の私は、立ち上がれないだろう。試合前に、そんな事になっては目も当てられない。



「ふーん……話してくれないんだぁ……」



 そう言うと、弓月はそっぽを向いたしまった。この瞬間、なぜ弓月がそんな態度をとっているのか、私は気にしてさえいなかった。



「その時が来れば、話しますよ」



「……」



「……?」



 弓月は向こうを向いたまま口を閉ざしている。


「……あ、あの?」



「……」



「弓月……?」



 あれ? ど、どうしよう。弓月、もしかして怒っている? 全然こちらを見てくれない。

 相談をしなかったから? 悩みを打ち明けなかったから?

 それって、私のウジウジとした悩み事を聞くのが嫌じゃないってこと? 普通、聞いていて楽しいものでもないし、厄介ごとに首を突っ込みたくないものじゃないの? え、なんでどうしよう……?


 私がどうすれば良いか変わらず、キョロキョロと目線を動かしていると、ゆっくりと弓月がこちらを向く。いつもの底抜けに明るい表情では無い。



「桜ちゃん」



「は、はい……」


 まるで怯えた子犬の様に俯きながら、恐る恐る返事をする。



「私、桜ちゃんを支えたいって本気で思ってる」



 真剣で、それでいて優しい光が宿っている弓月の目が、私をまっすぐと見つめている。その目を見ただけですぐに分かった。弓月は怒っているわけではない。真摯に、ただ真摯に私と向き合ってくれているだけだ。

 それなのに私は、拒絶されたらどうしようとか、嫌われたらどうしようと、そんなことばかり考えていた。相手を信用できていないのは、やっぱり私の方だった。


 私は最低だ。自分を信じる事ができず、一緒に頑張ってきた部活の仲間を信頼する事ができず、目の前にいる大好きな人にさえ、心を開けていなかった。

 どうしてこんな風に育ってしまったのだろう。


「ごめんなさい……私、最低で……あっ……」


 言い終わる前に、弓月の冷たくなった両腕が私を抱きしめる。ぎゅっと強く。

 自分から距離を詰めるのが怖いからと、開けておいたスペースも、弓月はあっという間に無かったものにしてくれる。


 驚きのあまり、言葉が出てこない。その代わりに、私の両目からポロポロと大粒の涙が流れ落ちる。色々な感情が入り混じって、今、自分がどんな顔をしているのか想像もつかない。だけど、ひどい顔をしている事だけは、予想に難くない。


「う……うぅ……ぐす……弓月……」



「桜ちゃん、私の前では強がらなくていいんだよ」



「弓月……好き……大好きです……ぐす……好き」



「うん」



 弓月は頷きながら、私の頭を撫でてくれる。そして私は堰を切ったように、涙と弱音と不安を吐き出し尽くした。子供みたいに泣いた。

 全てを吐き出した分だけ、押しつぶされそうな重圧が軽くなった気がした。



「桜ちゃん、落ち着いた?」



「はい……取り乱してすみませんでした。もう大丈夫です」



「桜ちゃん、あのね。前にも言ったかもだけどね、私には桜ちゃん達みたいなレベルの高いチームの悩みや葛藤を、100パーセント理解してあげる事はできないと思うんだ。もし、私が桜ちゃんの立場だったら、やっぱり簡単に『分かるよ』なんて言って欲しくないと思う」



「私は……そんな事は思いませんよ」



「桜ちゃんは優しいからね。それでね、私が桜ちゃんに言ってあげれることって、何かあるのかなって、考えたんだけどね。結局、これしか思いつかなかった」



 私が優しい? そんなことは絶対にない。優しいのは、弓月だ。

 そんな弓月から貰える言葉。聞きたいが半分、聞くのが怖いが半分。苦言を呈されるのか、見捨てられるか……それとも励ましの言葉をもらえるのか。

 土壇場になって耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。だけど、それは心を閉ざすのと同義。それじゃあ今までと何も変わらない。


「……なんでしょう」



「桜ちゃん、私にかっこいいところを見せて。コートの上でキラキラ輝く桜ちゃんを、もう一度私に見せて。だって、桜ちゃんは私の憧れなんだから」



 枯れ果てたと思っていた涙が、再び頬を伝う。冷え切っていた所為か、零れ落ちた涙が、凄く熱く感じた。

 私のぐちゃぐちゃになった心の荷物を、一手に引き受ける。だから、ごちゃごちゃ言わずに、全力でぶつかってこい! そう言ってくれている様に聞こえた。



「弓月……それで……本当に、それでいいんでしょうか?」



「いいんだよ」



「……ありがとうございます。私、頑張ります。これまでやってきたことを全て出し切ると誓います」



「うん! それでこそ桜ちゃんだ!」



「弓月、本当にありがとう」



「いいって事よ! あ、あと桜ちゃん、ひとつ言い忘れてた」



「はい?」



「もし、最後の大会で、かっこいいところを私に見せてくれたら……」



「見せてくれたら……?」










「キスしてあげる」

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