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この老人が月に来てから、七十年が経った。来たばかりの頃の若々しさはとうの昔に失われ、今彼が持つのは、皺がれた身体に、地球から唯一持ってきた古いカメラ、そして、ささやかな家族だけだ。
生まれ育った懐かしい港町、種子島へ向かう船、潮の匂い、宇宙へ飛び立つ機体、置いてきてしまった家族……。二度と戻れない地球のことを考えるときは、いつも彼は愛用のカメラの写真を眺め、青い地球を撮っている。決して月が嫌いなわけではない。ただ、失ったものがあまりに多かったのだ。
「結月……」
二度と会うはずのない妹の声の代わりに聞こえたのは、少年の声だった。
「おじいちゃん」
「おぉ、今日も来たか」
彼は手に持っていたカメラを傍らに置き、明日で十二歳になる孫を抱きしめて歓迎した。
「お話の続きを聞きに来たよ。今日こそ、おじいちゃんがどうして月に来たのか、教えてくれるよね?」
「そうさなぁ、坊も明日で十二歳だし、そろそろ話しても良いだろうな。つらいつらい話だよ。それでも聞くかい?」
「うん!」
孫は大きくうなずき、カメラを挟んで縁側に座った。
「儂は指宿という港町の生まれでな。港っていうのは、地球の青い部分、海に出る船が多く集まる場所で、そこから種子島へ行く船も出ていたよ。観光客でにぎわう良い町だったが、ゾンビが見つかってからは、状況が一変してしまった。種子島から月へ行きたい人で、たちまち町が溢れ返ったんだ。そうすると物はなくなって、盗難が後を絶たず、あちこちで暴動が起きた。地獄のようだったよ。暴れているのが心のないゾンビじゃなく、意思を持った人間だったんだから。暴動の波は儂の家にも押し寄せて……。儂の両親は、巻き込まれ、死んでしまった。儂に残されたのは、四歳下の妹だけになった。そして儂は、月へ行く決心をしたんだ――」