1 幼き村
お題「幼い村」
少女は考える。
年をとるってどういうことだろう。賢くなることだろうか。
分別がつくということだろうか。寛大であることか。
どうにもわからない。なぜなら彼女は少女だから。
女は生まれた時から「女」だと言われているが、年をとることがわからないうちは子供ではないか。そういうことも考える。
小さな村は山間深くに存在し、他者の侵入を阻む。
子供の足で外部にでることは実際不可能だ。
孤立し、限定された地域に少女は在る。
独立した仕事をするにはあまりに幼く、かといって手持ち無沙汰であるのは勿体無い。
だから少女は考える。
水屋を開けると用意されている食事。どこの家でもそうだ。
子供たちは腹をすくと水屋を開く。
屋敷が汚れるといつのまにか「ネズミ」が片付けてくれる。
汗をかけば「風呂」場に行く。
子供たちがすべきことは考えることしか残されていなかった。
幼いとはいえ、遊んでいるうちに日が暮れた、など幼稚なことは誰も望まない。
桃源郷とはそういうもの。
だから少女は考える。
年をとるとは、年を経るとはどういうことか。
子供しかおらず、書籍もなく、ただ四季のない自然のみが存在するこの村で、年を重ねるとはいかなることか、彼女にはわからない。
わかったところでいつのまにやら村から消えるだけなのだが。
この村もまだ子供なのだろうか。
少女は考える。
幼き村だからこそ子供しか存在し得ないのだろうか。
ではもし成長なるものが出来たとすれば、他の村へ移るのだろうか。
稀に起こる、子の消失はそれ故か。
小さくふんわりとした手を頬にあて、木陰に座して少女は思案する。
いつか自分もこの村を出ることがあるのだろうか。
その後はどうなるのだろう。自分は自分でなくなるのだろうか。
桃源郷から消えた後のことを彼女はまだ知らない。
物心ついた時にはここにいた。
子供には親がいるものだが、彼女の記憶には存在しない。
村のだれもが親の存在を知らない。
なぜならここは孤立した村だから。
子供だけで構成された空間だから。
生きるには事欠かぬ。あとは子供たちの自由だ。
大人がいるから子供が存在しうる。相対的なものともいえよう。
では子供のみの世界ではどうだろう。大人・子供という区分けは必要であろうか。
思考する彼女はどの位置にあろうか。
桃源郷の望みは何であろうか。
少女は水屋を開ける。饅頭がある。
それが「饅頭」だというものと、誰に教えられたわけでもないが彼女は知っている。
言葉を、知識を、生きるすべを知っている。
しかし年をとることを知らない。大人を知らない。
だから考える。
桃源郷は酷である。
閉鎖区間で彼女はただ考える。
自分が少女である意義。
この手、この足の役割。
瞳に映る景色。
決して超えられぬ山。
空から迫る青。
草いきれ。
世界の全てを、少女は考える。
桃源郷から消える日まで。