プロローグ
視界ゼロ。
この町は山に囲まれ、そして海から近いことから時折、霧に覆われることがある。こんな時は全員が緊張に肩を怒らせていた。
「敵の襲撃は、来ると思うか?」
小声で声をかけてきたのは、藤堂仁志の右側で銃を構える青年だった。まだ年のころにして17歳。彼はつい一か月前まで高校生だった。どこにでもいる、あどけない笑顔ができる、青春真っ盛りの高校生だったのだ。
だが、今は鉄のヘルメットをかぶり、重い銃を構えている。
そして顔は煤や泥、そして固まった血に塗れている。
「しゃべるな。目の前にだけ集中していろ。来るぜ?」
耳に入ってきたのは、何かが空気を切り裂いて飛んでくる飛翔音。
重々しく、恐怖と死をまき散らすそれは地面にぶつかった後、巨大な火柱と衝撃波をもたらした。仁志はとっさに塹壕の中で身をかがめる。巻き上げられた泥と石、そして長い間地面を舗装していたコンクリートの塊が空から降ってくる。
そして爆発音に交って、怒号が交る。
それは日本語ではなかった。
「砲撃の最中に突撃だと!? どういうことだよ? 奴ら死ぬ気か」
狂気の始まりだった。
敵は味方の砲撃が着弾する中を突撃してきた。所々で砲撃に巻き込まれる敵兵の姿が見受けられた。
ここには狂気しかない。
ここには死しかない。
ここには恐怖と怒りしかない。
時は2024年。
日本国。
今、仁志たちは日本で戦争に巻き込まれていた。彼らは戦場で、狂気の中に取り残されていたのである。
「応戦開始!! 絶対に退くなよ!! もう後退する場所なんかないんだからな」
仁志の声に応じて、味方が砲撃と銃撃を始める。
彼はこんな状況に陥ったことが一度や二度ではない。彼はバグダッド、シリア、ウクライナ、そしてフィリピンやアフリカ諸国など多くの戦地を転戦してきた経験を持つ。
最初はアフリカでチャイルドソルジャーとして。
そして傭兵団に買い取られてからは中東を中心に。
独立してからは欧州を含めた地域を転々としてきた。といっても、彼の年齢は未だに17歳である。
「おい! ぼーっとしてるな!! 応戦しろ!!」
先ほど声をかけてきた青年に檄を飛ばす。
しかし彼は動かなかった。
それどころか、上半身がなくなっていた。転がっているのは下半身だけだ。
彼は仁志が日本にやってきてから、初めて友人になってくれた男だった。名は、富田卓郎。古風な名前だと本人は笑っていたが、その笑顔が忘れられない。
首に下げていた十字架を持って、それにキスした。
「天国か地獄かはわからねぇ。ただ今はゆっくり眠れ」
砲撃が止んだ。
敵兵は眼前に迫ってきている。
「銃剣をつけろ! 白兵戦だ!!」
この近代戦の時代に白兵戦が起きる。この戦争は後の歴史教科書に『ファニーウォー(馬鹿な戦争)』と表記されることになるほど、本当に馬鹿らしい戦争だった。
しかし、その戦争で多くの人々が命を落とす。
世界は混沌の中に引きずり込まれつつあった。
2023年、8月―――。
とても暑い夏だった。地球温暖化の影響が叫ばれ始めて、幾数年。それは多くの場合現実として人々に襲い掛かってきた。
満潮の水位は飛躍的に上がり、日本をはじめとした諸外国でも様々な問題が浮上している。
居住区への冠水問題。
塩害の問題。
そして農業における作物の問題。
そんな細部にいたるまで影響を及ぼしつつあった。地球は新たに大変革の時代を迎え、その変革に乗って世界の情勢も大きく変わりつつあった。
日本はアメリカとの相互防衛関係を守りつつ、専守防衛の基本体制を崩すことはなかった。
しかし、ここに一つ大きな問題が生じることとなる。
事の発端は隣国、「韓国」が発端だった。
遡ること5年前の2019年。
韓国軍が北朝鮮を併合。さらにその後北朝鮮からの難民が合いついだ影響により、中国が政情不安定に陥る。温暖化の影響で長年作物が不足し、多くの人が飢えていた中国ではこれを機に地方での反乱、独立が相次ぐ。
当然、首都北京は混乱し、これに乗じた韓国軍が香港や上海を支援して中国の一部を占領した。この時の情報は世界的にもテレビを通じて放映されたが、そこに映り込んだのは韓国軍による略奪や虐殺などの凄惨な光景だった。無論、韓国軍だけがそれをやったわけではなく、反乱軍側の兵士たちも同様の行為を行った。
しかし、その光景は世界を震撼させるには十分だった。
国連は事態の収集をはかるべく、アメリカを中心とした国連軍を派遣。ロシアもそれに協力したが、彼らはそれを名目として中国の北半分を占領してしまった。アメリカもイギリスも、我先にと自らが自治を行う地域を決定し、その中に韓国が入り込む。
まるで、日清戦争以降の清国を連想させるような状態が出現し、いったんは事態が収まったものと思われた。
ところが、事態はそれだけで終わらない。
翌2020年。
韓国政府は国名を「大韓民国」から「大韓帝国」に改名。
国力の増強に乗り出す。
そして竹島を起点にした日本への示威行動を開始した。これに対して、日本国は専守防衛の概念を捨て、韓国軍が海上より侵攻してきた場合は領空、領海を侵犯した場合に現場の判断で攻撃を開始できるように閣議決定。
日本海の緊張は一気に高まることとなった。
アメリカをはじめ、多くの国々がこの事態を憂慮。間に入ることで、2024年現在は、まだ戦争状態には陥っていない。
傭兵隊から独立し、日本で単独行動を始めた藤堂仁志に依頼がやって来たのは、そんな折のことだった。彼は今、日本の自衛軍と行動を共にすることも多く、一つのプロジェクトに参加している。しかし主な仕事は、海外や日本からの依頼主から依頼を受け取り、それをこなすことである。
綺麗な仕事があるか分からないが、俗にいう汚い仕事もやる。
そんな使いやすい傭兵、仁志のメールに依頼が飛び込んできたのは、まさに自衛軍との仕事を終えた直後のことだった。
彼はまだ、その内容が何なのかを、今は知らない。