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色恋沙汰

青い硝子

作者: 弥塚泉

 初恋は幼稚園のときだった。それも先生とかじゃなくて、同い年の男の子。恋の意味も知らなかったけど、ずっと一緒にいたかったあの気持ちは間違いなく恋だったと思う。子どもなりに好きと伝えて初恋は成就したように思えたものの、小学校に上がって学校が別れると呆気なく忘れ去られて終わることになる。それからの恋の相手はもうあまり定かじゃない。とても記憶していられないほど、失恋の繰り返しだった。

「え、あんたまた好きな人ができたの?」

「またなんて言い方はやめてよ。私が節操無しみたいじゃない」

「フラれては惚れてを繰り返してたらそう言いたくもなるわよ。こないだは何でフラれたんだっけ?」

「わかんない。一応私に悪いとこはなくて、好きな人がいるからって話だった」

「うわあ、もう何回目よその言い訳。絶対他の理由があるね」

「やっぱりそう思う?」

 中学二年生になったあたりから、告白した相手はまるで台本でも用意しているみたいにみんな同じ台詞で断ってくるようになった。「好きな人がいるから」なんて、体の良い「お前タイプじゃない」って聞くけど、こうも同じことを言われ続けると逆に不自然さを感じる。

 容姿には人一倍気を使っているし、クラスで苦手な人に対しても嫌な感じは出さないし、一度好きになったら一途に尽くすタイプだというのは過去の経験から客観的に言える。少な目に見積もっても、そんなに断られ続けるような女子じゃない、はず。と思ってはいたけれど。

 私にはどこか、決定的な欠点がある。

 そう思えてならなかった。

「水島さん?」

「あっ、はい。えっと、なに?」

「いや、特に何ってわけじゃないけど、ずっと同じ姿勢で疲れてないかと思って」

「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」

 そう、と言って瀬戸君はまたキャンバスに視線を戻した。

 放課後に彼とこうして二人きりで過ごすようになったのは二週間くらい前のこと。私が好きになった人がたった一人で美術部の活動をしていることを知って、ちょっと勇気を出してみたのだ。そのとき、ちょうど彼はモデルを探していて、その話を聞かされたときはもちろん二つ返事で了解した。それからはこうしてキャンバス越しに彼と会話しながら、ゆっくりとした時間を過ごしている。

「あ、でももうこんな時間だね」

 私がぼんやり考え事をしているうちに腕時計に目をやったらしい彼は、またすぐにこちらを見た。

「夏になると日が遅いから気づかなかったよ。そろそろ帰ろうか」

 そう言ってキャンバスに布を掛ける。今日はもう終わりということだ。いつもなら彼がキャンバスを美術倉庫に運んでいる間に私が道具を片付けるのに、なぜか不意に心臓が鼓動を速めた。

「あの」

 どういう考えで至ったのか分からないけど、今しかない、と思った。この瞬間を逃したら、これから一生私の恋が成就することは無いという漠然とした不安が、もう背中にぴったり張りついていた。

「なに?」

「私っ……瀬戸君のことが、好き、なの」

 振り向いた格好のまま、中途半端な笑顔を浮かべて動きが止まる。時間が止まったような気がした。このまま夕陽がいつまでも沈まないような、そんな気さえした長い沈黙の後、彼の口から出たのは、

「冗談、だよね?」

 疑いの言葉だった。

「違うよっ! 私は本当に、真剣だよ!」

 思ったほどキツい目になっていなければいいと思う。でも自分で分かるほど強い思いを込めたから、それが失敗しているのも分かっていた。できるならこの瞳から、私の気持ちが零れて欲しい。

「どうして……」

 そんな悲しいことを言うのか、までは言葉にならなかった。今までのどこかの振る舞いで彼にそう思われた自分が悔しくて、酷い誤解をした彼が恨めしくて、私の喉は悪戯に空気を震わせるだけに終わった。

「水島さんはきっと、僕に恋してるんじゃなくて、恋に恋してるだけだよ」

「ちが……」

「君が今までどれだけの男の人と付き合ったかは知らないけど、高校に入ってから数えても僕で何人目?」

「それは……」

 咄嗟に答えることは出来なかった。正直に言うか、少な目に言うか、どちらが好印象かを頭のどこかで無意識に計算してしまっている。

「しばらく距離を置くと目が覚めるよ。夢みたいに」

 彼はこんなときでも慌てることはしないで、丁寧に道具を片付けて部屋から去っていった。

 待って、とも言えなかった。そこから先は全部言い訳になりそうだったから。

 どんなことをしてでも証明できたのに、いざというときにそうして見せなかった私は覚悟が無かったんだろうか。青春の熱に浮かされていただけだったんだろうか。

「でも、ちがうよ……」

 私が恋に恋する女子高生なら、どうして胸が痛いほど悲しい思いをしているの。

「ちがう……」

 失恋には慣れたはずで、痛みの癒し方は知ってるはずで、この後はどうしたらいいか分かってるはずで、なのにどうして動けないの。

「ちがうんだってばぁ……」

 分からない。もう何も、分かる気がしなかった。




 がらがら、と聞きなれた音がする。ここの引き戸は他のところより建てつけが悪くて、二つ隣の科学部はしょっちゅう苦情を言いに来る、という話をしたことを思い出す。

「あ……」

 こんなときでなければ笑ってしまうくらい、瀬戸君はぽかんと口を開けていた。

「なんで」

「それは……絵、まだ出来上がってないし」

 ちら、と瀬戸君と目を合わせる。まだ訝しむような顔だったけど、彼はその意味を察して扉を閉めてくれた。

「それと、言いたいことがあったから」

「……なに?」

「昨日ね、ずっと瀬戸君に言われたことを考えてた。あのね、こういうこと言うとまた嫌われるかもしれないけど、私今までもおんなじことをフラれるたびに言われてたの。みんな口では好きな人がいるからって言ってたけど、たぶんホントは瀬戸君とおんなじことを思ってたんだ。ううん、もっと悪いことかもしれない。でもね、これが私のやり方なんだ。節操がなく見えるかもしれないけど、いつも私なりにちゃんと考えて、この人ならって人に告白をしてるんだ。昨日の夜考えてて、みんなにはそれが伝わってなかったんだって思った。それが伝わってたら告白がうまくいってたかも。だけどね、だったら誰に伝えようって考えたとき、私には一人しか考えられなかった」

 瀬戸君は黙ってじっと話を聞いてくれている。

「瀬戸君は最初から私のことを誤解しないで、ちゃんと私を振ったのかもしれないけど、もう一度だけ告白させてください」

 すっと吸い込む空気は、どこか清々しかった。

「私は瀬戸君のことが好きです。お付き合いしてください」

 私が言いたいことは、全部言えた。これでフラれてしまったら、もうどうしようもない。

 彼はしばらく動かなかった。私の瞳を一直線に見つめて、何かを考えているようだった。

「僕は今でも、君に抱いている印象が間違っていたとは思わない。昨日言ったことは高校に入ってからの君を根拠として言ったことだし、それも噂じゃなくてちゃんと確かめた事実によるものだから。……だけど」

 ふと、違和感に気づく。瀬戸君の頬は、夕陽とは違う色の赤に染まっていた。

「その……友達から、お願いします」

 はにかんだような笑顔は私が大好きな笑顔で、でもどこか記憶にあるよりもずっと輝いて見えた。

 どうも、弥塚泉です。

 『女の子は誰かのお姫様になりたがってる』をテーマにして書いてみました。

 こんなこと現実であるわけない……こともない?

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