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輪-アンワープ:平穏-  作者: Cro.w
3/5

:藍色の天才と苦悩2

私はどうも、周りからちやほやされすぎではないか。今時の女性が喜びそうな、『総受け』になどなりたくはないが、私の現実はそうである。

「………」

駄目だ。菅野原葵のことが過る。思い出すだけで顔の血色がよくなってしまう。

「ニャー…」

あぁ、そうだ。ナナに餌をやらなければならないのだった。





「藤九郎君」

「…あぁ、おはよう」

もう挨拶する気も失せかけている。

あれから暫く経ち、様々な部活に参加したが、これといってしっくりくるものがない。真に申し訳ない限りだが、これが私の感想だ。

もちろん、奏と肆揮の管弦楽にも顔を出した。ホルンで三年副部長の、小野寺梓さんには、かなり私の才能を推されたが、考えさせてくれと返した。

「最近、疲れぎみだね……」

「あぁ、定期検診に行ったら、休息をと、担当医に言われた…」

「やっぱり、部活動はやめた方がいいって……?」

「運動部は避けろとは言われた。管弦は、弦楽器ならやってもいいとは言われたが、コンクールとかの活動範囲が広いうえ、私はストレスにも弱いから、人数が多いのも、負担になるだろうって。…文化部を薦められたな」

「文化部、か……。あ…」

奏は人差し指を立てた。

「文芸部はどうかな? ほら、藤九郎君、読書好きでしょ?」

「…………」





顔が広い瀬能ツインズが幼馴染みで、本当にありがたい。情けない話、光の速さで肆揮が文芸部の部長に話を通してくれた。奏にも薦められたので、顔を出しに行くことにした。

肆揮によると、文芸部は毎年部員が少なく、廃部の危機に晒されているらしい。確かに、中学生や高校生になると、本離れが発生する。今時の、「趣味は読書です」は、蓋を開ければ携帯小説か、漫画の小説版というオチが多い。確かにそれらも書物であり、否定はしないが、昔からの名作や芥川賞作品を見て、「やはりあの作家は素晴らしい」「×××の台詞がいい」などの好評もあれば、「大したことない。苦手」「文体と物語性が好きじゃない」などの批評を言えて、語り合えてこそ、本を愛せるのではと、私は考える。短く言えば、世間が良いと評価を受けた作品を見てどう思うか、だ。

文芸部なら、そういう論争をしてみたいものだ。

「………」

文芸部の活動場所についた。しかし、扉の向こうはやけに静かだ。私は中指の第二関節でドアを数回ノックし、失礼しますと中へお邪魔させていただいた。

一人いた。

癖のない黒髪に、落ち着いた横顔。前髪が長いのか、目元が伺えない。細い腕の先には一冊の本があり、ページをめくっている男子生徒だ。何故だろうか、静まり返ったこの空間が、この男子生徒の全テリトリーのように感じ、その横顔に気圧されるように私の足が少し後ろに下がる。

−−−ガタッ。

「……!」

しまった。肩がドアにあたり、その静寂な場を壊すには充分な音を立ててしまった。

「………」

男子生徒がゆっくりこちらを確認した。

「…あ、あの……」

「……"どうせ悲しい人の世ならば、せめて楽しいふりをしよう"」

「…………」

「…君は、いつもそういう顔をしているよね。千影藤九郎君…」

男子生徒が立ち上がった。遠目から見てもかなりの長身だ。目元は黒斑の眼鏡をかけていて、奥の瞳は綺麗な碧眼だった。

「……おっとっと、いや失礼。率直な感想だ。気を悪くしないでいただきたい…」

「いえ、シェイクスピアの名言に例えられるのは、光栄です」

男子生徒は少し驚いた顔をし、私との距離を更に縮める。

「瀬能から話は聞いてるよ。…僕は三年で部長の、八重祇遠(ヤエ シオン)。よろしく」

「紹介にあずかっています。千影藤九郎です…」

「いや驚いた。いままでこの名言を当てた人はいなかったから。よく知っていたね」

「…先輩の言ったように、私も自分の事を、その名言通り思っていたもので」

「奇遇だね。僕も自分の事をそう思っているんだ」

八重先輩が笑った。私と違って表情筋は正常に動くらしい。

「こっち座って」

案内される。私は先輩の向かいに腰掛けた。

「他の部員は欠席ですか?」

「いや、部員は僕だけ」

なんと。肆揮め、少ないどころか、廃部寸前どころか、瀕死ではないか。

「…千影君」

「はい?」

「"灰が火を消すように、嫉妬が愛を消す"…解る?」

「ベンジャミン・フランクリン」

先輩の顔が生き生きしてきた。

「"人とは何か? 寝て食うだけが取り柄なら、獣と同じその一生"」

「"王者は安眠なし"」

「「…シェイクスピア」」

気は合うようだ。私は暇な時間を読書でしか潰せない人間なのだが、逆にそれでよかったらしい。

「時に千影君。君は、この世をどう思う?」

「唐突ですね」

「いやなに、いつもこの世は平凡だと考えていそうな、そういう顔もしているから」

「…そうですよ。その答えで合っていますよ…」

「だが少し考えると、天才藤九郎君」

「千影です」

「おっと失礼」

頬杖をつく、八重先輩。

「君はポーカーフェイスでありながら、いや、あって、悩み事を増やしているように見える」

なんだ、なんなんだこの違和感は。

「おっと失礼。あぁ、失礼ながら、人間観察、特に人の表情を見るのが楽しみで。名を馳せらせた君のことは気になっていてね? 遠目ではあるけれど、勝手ながら部活勧誘の目に混ざらせてもらった。見る前から解っていたけど、君は本当に眉一つ動かさないんだね。動かせないのかな? …故に、悩む事が増える一方で……? 表情を表せば、皆、調子に乗るから」

私は小さく吹き出してしまった。

「否定はしません。…むしろ大人しいぐらい……」

第一印象でここまで私を言葉に表した人間が果たしていただろうか。

「むしろそのせいで、本を読んでも泣くこともなくなりました。それで悩んでいるのも、また事実です。しかし、私は悩みますが、この世は平凡です」

「……気が合いそうだ」

「………」

「…じゃ、芥川龍之介の『地獄変』なんて、我々の考えと逸脱していて、面白いんじゃない…?」

そのあと、私が帰宅したのは、九時前であった。





「藤九郎君、手の甲どうしたの?」

「気性の荒い猫に、飯を出せとの念がこもった一撃をくらった」

「え、なにその子、殺していいの?」

「兄貴の飼い猫だから駄目だ」

「え〜……」

奏が抱き着いてきた。人が少ない早朝で助かった。膝に乗ってくる始末であるから。幼少期はよく、瀬能ツインズに挟まれながら、絵本を読み聞かせたものだ。その際、どっちが私の膝に乗るかで揉めていたことも思い出す。

「八重先輩、どうだった?」

首に手を回してくる。これもいつも通りだ。

「いい先輩だったよ。本の話もいっぱい出来て、気分がよかった」

「そっか。肆揮が言ってたんだけどね、文芸部は昔からの伝統らしくてね、生徒会が潰したくないっていうんだ。八重先輩が卒業したらアウトでしょ? だから出来れば誰か入ってくれないかってさ」

「一年も?」

「勧誘のビラが校内に一枚もないし、活動場所が日の当たらない校舎の一番端だから、存在すら知らないっていうのが一番かな」

確かに、私も肆揮に教えられて行ったが、あの場所は好き好んで行くような所ではない。詳しく聞くと、勧誘のビラも、数年前までは存在していたらしいが、ボロボロになって捨てたとか。

「八重先輩自体、自ら声かけに行くような性格じゃないしね」

昨日話していてそれは解る。私が行かなければ、彼はあの教室の、あの席から、あのテリトリー内から動かなかっただろう。自動的に、私が行く前から、あの自分の居場所に留まり続けていたという考えにも至る。

「……八重先輩って、どんな人か解る?」

「う〜ん。この学校で、知ってる人は知ってる有名人だよ。文芸部だからね、学校一の本の虫って言われてて、学校の蔵書を読みきったなんて話もあるよ。…確実な話は、読書感想文コンクールでは不動の一位ってことと、漢検とマイナーな文検どっちも一級を持ってるってことかな。…まぁ、開いてみれば才能は本物だし、すごい先輩だけど、周りからの先輩の印象は、見た目あの通りでね。根暗そう、近寄りがたい、なに考えてるか解らない、変人をはじめ、傾向はマイナス的なものが主かな。人の第一印象は、見た目九割って言われてるし。でも僕、先輩と話したけど、そんな人には見えなかったなぁ…。お菓子くれたし…。藤九郎君もそう思わない…?」

確かに、最初見たときは、あの空間は来る者を完全に拒む空気を漂わせていた。しかし、その空間の主である、八重祇遠という人物は、逆にその空間とミスマッチなそれであった。

「…会ったばかりでなんとも言えないが、悪い人ではない、とは思う」

「うん。嫌いな奴は包み隠さず嫌う、肆揮がなついてる時点で、悪い人ではないよ」

それは安心できる情報だ。肆揮の人に対する察知能力のそれは、野生の感、俗にいう第六感が働いていて、常にぶれることがない。その肆揮がなついているというのは、少しでも安心できる。

「藤九郎君…」

「ん? ……ぅ…」

キスされた。抜かった。兄さんもそうだが、この兄弟もどうして私にこうも接吻を迫ってくるのだ。

「アオちゃんばっかりズルいから…」

「ア、オ?」

「菅野原葵のことだよ。あーんな濃厚なキスされたのに、もう忘れちゃったの?」

思い出した。思い出して顔を下に下げる。感覚を消そうと唇を舐めた。

「恨めしいなぁ…。藤九郎君にこんな顔させられるんだもん。…僕も藤九郎君を求めれば、そんな顔してくれる…?」

「か、なで……」

更に私に密着し、私の髪を撫でる。

「藤九郎君の、髪も、輪郭も、睫毛も、瞳も、鼻も、頬も、唇も、顎も、首も、うなじも、声も、鎖骨も、肩も、腕も、胸も、背中も、手も、爪も、腹も、性器も、尻も、太股も、膝も、踝も、爪先も、脳も肺も胃も肝臓も舌も歯も喉仏も膵臓も筋肉も膀胱も前立腺も肋骨も肩甲骨も腕の骨も背骨も骨盤も足の骨も関節も心臓も血も神経も、心も。全部、一つ一つ、怯え泣くぐらい愛すれば、僕にもそういう顔をしてくれるのかなぁ…?」

「………っ!!?」

不気味な白い光が、奏の異質な赤い瞳に浮かび、揺れた。

実際、瀬能肆揮以上にひねくれている、兄、瀬能奏。奏には悪いが、例を挙げれば、悠長に話し掛けてくる幽霊ほど、理性がイカれている悪霊。本当に悪い奴は、悪そうな顔をしていない。奏は間違いなくそれだ。周りに温厚な印象を与えている奴ほど、考えがブッ飛んでいる。

「藤九郎君……。僕の思い、受け取ってくれる…?」

「奏…」

「そして怯えて。その仏頂面を崩して、感情を晒して、頬を染めて、よがって、乱れて、僕に愛されてよ…っ!」

「奏っ!!」

ひねくれて、狂う前に止めなければならない。これは私の役目だ。

奏は瞬きをして、瞳を揺らした。

「藤九郎、くん…。僕……僕…」

正気に戻ったみたいだ。私は頭を撫でてやる。

「大丈夫。私は、もしお前が望む『好き』でないとしても、奏のことが大好きだよ」

「…本当に? 嫌いにならない?」

「本当だし、嫌いになんかならないよ」

奏の目が潤んだと思うと、更にきつく抱き締められ、首が締まる。

「藤九郎君、ありがとうっ! 愛してる!! 死ぬほど愛してる!!」

死なれてはそれはそれで困るが、しかし。

「…………」

菅野原にも、果たして同じことを私は言えるのか。

「…………」

主体である八重先輩のことも聞けたことだし、今日行く前に少し、体育館へ顔を出してみるとしよう。





文芸部の活動内容は、これといって無い。が、初代から数年前までは、一次創作物を作り、ワンコイン百円で学祭に売り出していたようだ。過去には、部員全員でリレー小説をやったりしたものが、部室に残されている。

私は学祭の準備こそはするが、学祭は人が溢れストレスにやられてしまう危険性があり、放送室でバイトをしていたので、よく知らない。八重先輩に去年の文芸部のことを聞くと、やはりその代の三年生はじめ、当時二年だった先輩を交え、短編をそれぞれ作り、それを一括した文集と、それぞれが創作した小説を売り出していたらしい。はて、今年はどうなるのかと、八重先輩は焦る素振りなく読書を続けていた。

そんな事を思い出していると、体育館に着いた。バレー部が他校と合同練習で、今日はバスケ部が貸切状態らしい。

「千影!」

入り口に立った途端、待ってましたと言わんばかりに菅野原が私に即気付いた。

「どうした? 部活は回り終えたのか?」

「一段落はした、かな」

「……決めた…?」

一つ間を置く。

「その事で話がしたい。終わるまで、北校舎の入り口で待ってるよ…」





缶コーヒーが身に染み渡る。体育館からボールの音が止んだと耳を澄ますと、部員が体育館から出ていくのが見えた。その中に菅野原の姿はない。しかし、話が始める前に、缶コーヒーを飲んでおかなければ邪魔になると、一気飲みした。

「…つ……っ!!?」

しまった火傷した。珍しく涙腺が緩む。

「おい千影ー。待……った…っ!!?」

「な……」

菅野原。なんとタイミングがいい奴なのだ。

「いや、菅野原。これは……」

「どうしたんだ、千影!? 何かされたのか!?」

すぐに距離を詰めて、私の肩を揺らしてきた。

「コーヒーで火傷して……」

「火傷って、大丈夫なのか!? ほら、水飲んで」

ペットボトルを差し出してきた。私はおずおずとそれを受け取り、冷たい水を喉に流した。治ったわけではないが、少し痛みが引いた気がした。一息つくと、菅野原が袖で私の目尻に溜まった涙を拭ってくれた。

「大丈夫か?」

「あぁ、うん。…ありがとう」

悉く、菅野原の前では気が緩むというか、隙を見せてしまう。

「…で、話って?」

あぁ、そうであった。

「部活への勧誘の件なんだが……ごめん」

私は頭を下げた。

「私には少し、バスケ部のマネージャーであっても身体の負担に成りかねなくて……」

「いいよ、気にするな。…それに俺、後々よく考えたら、お前に入られたら入られたで、絶対練習に集中出来ない自信がある…」

「何故だ?」

すると菅野原は、きょとんと目を丸くした。その反応に私は首を傾げると、いきなり小さく吹き出して、頭をくしゃりと撫でられる。

「いや、ごめん。変な意味じゃないから、気にすんな」

私がいると集中出来ない。それは菅野原の私に対する気持ちが何か関係しているのだろうか。いやしかし、なんだろうか、菅野原の手はどこか安心する。

「でも、そっか……。あれ? だけど、バスケ部に入らないっていうことは、何処か入ることにしたのか?」

「目星としては文芸部だな……」

「文芸部……へぇ、すごいな千影! 小説とか書けるのか!?」

「あ、いや……読んだことしか、ない…」

「でも入るってんなら、やっぱ書くんだろ? すごいな。出来たら読者第一号にしてくれよ!」

菅野原はすっかりその気で、私の手をきつく握ってきた。だが菅野原のいうとおりだ。入るとなれば、八重先輩とずっと芥川龍之介の世界観の在り方や、中原中也の表現技法、太宰治のしょうもない人生、小泉八雲の生い立ちを話しているわけにもいかない。自分が書かなくてはならないのだ。もし出来たら、そうだな、それがいいのかもしれない。

「あぁ、上手く出来るか解らないが、完成したら見てくれ」

「あぁ、約束な」

…約束。

「………」

菅野原も察した。握っていた手が、ぴくりと動いて、距離が縮まる。

「菅野原……っ!」

咄嗟に距離を取り、菅野原も止まる。

「…ごめん、つい……」

「いや、いい…」

多分赤くなりかけているであろう頬を見せまいと、上目で菅野原を伺った。するとどうだ、菅野原の顔がおそらく私より赤くなっているではないか。菅野原の気持ちに答えたいが、情けないことに、私はまだ解らない。いや、解らないフリをしているのか。それも解らない。しかし、先ほどの行動から見ても、菅野原は私を求めている。反射的に、いつの間にか手も離れていたが、菅野原は何かうずうずしている。前も言っていた、「我慢できる自信がない」と。私は質問をすることにした。

「……菅野原、その、変な質問、なんだが……。菅野原、は、えっと……私に、触れたい、のか……?」

「………っ!?」

生唾を飲み込んだのか、菅野原の喉仏が上下する。すると、やりきれない溜め息が菅野原の口から漏れた。

「触れたいに決まってるだろ……。今どれだけ我慢してると思ってんだよ……。禁断症状寸前だって……。ただでさえこの前はあんなことしちまったし…今だってそうだ……あぁー…くそぉ……」

自己嫌悪に浸っているようだ。

「……それで、菅野原…。私は、その……菅野原に頭を撫でられたとき、すごく落ち着いたんだ」

頭を抱えていた彼がこっちを向いた。

「私は、菅野原の、手、好きだよ…?」

「〜〜〜〜〜〜っっ!!!?」

菅野原の顔が小爆発を起こしたかと思えば、いきなり両肩を掴まれた。

「おま…え……。ほ…んと……あぁ……。くそぉ…ガチで襲いそうだって……」

ゆっくりと背中に手が回り、私の顔が菅野原の肩に落ちる。首から汗と、制服から香る柔軟剤が私の鼻を擽る。

菅野原と身体が密着しているせいか、菅野原の鼓動が私の身体に響く。それも速い。

「……ん…」

意識したせいか、私の鼓動まで速くなってしまう。血液の循環もよくなってしまったせいで、頬が熱い。

「千影…?」

耳元で囁かれ、私の肩が菅野原の腕の中で派手に跳ねた。耳から背中にかけて、一気に痺れる。羞恥にかられ、顔を更に埋めた。

「…どきどきしてる……?」

「…あ……っ」

漏れた吐息が熱い。

「…菅野原、人…、来るって……」

咄嗟に言い訳をしたが、菅野原に耳を甘噛みされた。

「来ないって。…つーかごめん、もう我慢できない……」

「……ん…っ!? んぅ……」

唇を奪われた。あの時と同じだ。歯列を舐められ、唾液を舌ですくわれる。

「は、ぁ……。お前が煽ったんだからな…。責任、取れよ…」

「「取るのはお前だぁぁ!!」」

菅野原の身体が私の視界の横へ消えた。そう、一瞬で。目で確認すると、菅野原は頭を押さえていた。

「げっ、瀬能ツインズ!?」

私の後ろで仁王立ちする瀬能ツインズ。いや、見なくても解る。

「一度ならず二度までも、藤九郎君の唇を奪う気かおどれはぁぁ!!」

「僕達の藤九郎君の上唇と下唇に何さらしてくれとんのじゃぁぁ!!」

あぁ、すまない、菅野原。すまない。

「アオちゃん、死ぬ覚悟は出来てるよね?」

「楽に死ねると思うなよ…?」

まずい。指揮棒もヴァイオリンの弓も、ここでは凶器にしか見えない。

「待て、奏、肆揮。私が悪いんだ。私が菅野原を煽ったから…」

「千影…っ!」

菅野原の反応が、言うなといわんばかりの声で私の発言を遮る。

「煽った……ねぇ…」

「僕達でさえも、そんな藤九郎君は見たことないのに、羨ましいなぁ…」

あぁ、すまない、菅野原。すまない。

「ま、待てよ瀬能ツインズ! 話せば解る! つーかしょうがねぇだろ! 俺は千影が好きなんだよ!」

「……菅野原…っ!?」

「僕だって藤九郎君が大好きだもの!」

「僕だって愛してるもの! 死ぬほど!」

「ていうかすまん、そういう話は私のいないところでやってくれないか」

こうも、好きだ好きだと言われると、どうも胸が絞まる。なんだ、瀬能ツインズにしても菅野原にしても、兄さんにしても、私のどこを好いたというのだ。

私は仏頂面で、放任主義で、中立主義で、肝心な事を知らない、どんな場面でも第三者を望む、ただ平凡に世の中が回ってくれる事を望む、しかし、他者に比べたら本当にただの化物でしかないのに。私は頭を抱えて、壁に寄り掛かった。

力が抜けそうだ。こうも求めるのは何故だというのだ。奴の時もそうだ。私が相手の望む返事を返せるはずがないのに。

「……どうしてなんだ…」



−−−…君は本当に、綺麗な瞳をしているね……。千影君…。



−−−じゃ、××ゥ…××、ァ…?



「………っ!!?」

突如頭に流れる、記憶。まずい、やめろ、思い出すな。言い聞かせるが聞かない。私の頭はいつも通り、理解しようと回り始める。

「…千影?」

「触るなっっ!!」

私は咄嗟に伸びてきた菅野原の手を勢いよく払った。それは、菅野原が顔を歪めて痛みに耐えるほどだ。

「……あ…」

やってしまったことに私は、菅野原をただ見つめるしか出来ず、何も言えなかった。

「ち、かげ……?」

「藤九郎君?」

菅野原と奏が問い掛けてくる。何故だろうか、二人の目線が怖い。

「…藤九郎君……」

肆揮が控え目に吠えて、私の肩に手を置いた。私は肆揮と目を合わせると、肆揮は小さく頷いてきた。肆揮は理解してくれたらしく、私は思わず彼の腕を掴んだ。

「体調が悪いって。だから今日はここまで。…行こう…」

肆揮が私の手を引いて、その場に菅野原と奏を置いて、北校舎の入り口から離れた。





「藤九郎君……」

足を止めたのは、渡り廊下の前だ。もう人通りが少なく、学校としては不気味なぐらい静かだった。

「大丈夫…?」

「あぁ、なん、とか…。ありがとう、肆揮……」

「仕方ないよ。…あの時のことは、僕しか知らないし……」

「…………」

「藤九郎君…?」

「…悪いことをした、だろうか……。菅野原に…」

いきなり拒絶の態度を示してしまった。きっと胸を痛めているだろう。私としても、罪悪感が残る。

「アオちゃんなら解ってくれるよ。藤九郎君のことを好きだっていうんだもの、だから、そんな顔しないで」

暫しの沈黙。肆揮は大丈夫だと言ってくれたが、私の手は無意識にも、まだ拳のまま、硬い。

「…ごめん、肆揮。帰る……」

「うん、ゆっくり休んで…」





材料がないことに気が付いた。学校帰りにスーパーの野菜売り場に寄り、とある緑黄色野菜を篭に入れた。

「あとは……」

思考を巡らせる。あぁ、肉がない。私は足を運ぶ。

「…わ…っ」

ぶつかってしまった。しかも相手が後ろに倒れそうで、咄嗟に腕を掴んだ。相手は女性だったが、無論、平手打ちされる覚悟は出来ている。

「あ、ありがとう、ございます…って、先生…!!?」

は?

「あ、…って違う!?」

初対面である。長い黒髪に、すらっとしたボディライン。いろいろとまずいと思わせる丈のミニスカートに、俗にいう絶対領域を作るニーハイ。黒地に白のユニオンジャックがプリントされた丈の長いTシャツに、ファー付きの薄手のコートを着ている。

「……大丈夫ですか?」

「あ、うん…。大丈夫……」

彼女が立ったので、私は失礼と言って、手を離した。

「…君、もしかして、千影藤九郎君…?」

やはりバレるか。

ていうか、待て。この人、私を見て先生と言ったよな。見たところ私より年上で、大学生に見える。ということは、ということは、だ。

「もしかして、千影誠十郎の…兄の生徒、さん?」

「あぁ! やっぱり、先生の弟さん!? すごいよく似てるねぇ! 目元と二枚目なんて瓜二つ!」

やけにテンションが高いな。きらきらと目を輝かせている。

「あ、いえ、そんな…。兄がいつもお世話になっています…」

「ううん、私の方こそお世話になって。この間、維咲が会いに行ったらしいね。あの子、先生とお付き合いするなんて思わなかったから、びっくりして」

兄と彼女さんの事情もご存じのようだ。

「あぁ、ごめんね。いきなりベラベラ喋っちゃって。私は、菅野原摩季(スガノハラ マキ)。改めまして、千影先生にはお世話になってます」

…菅野原?

「……どうしたの…?」







おやおや、好意を寄せられている相手の身内とのご対面とは。熟、藤九郎君は面白い運命をお持ちのようだ。

はてさて、どうなることやら。


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