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輪-アンワープ:平穏-  作者: Cro.w
2/5

:藍色の天才と苦悩

藤九郎中心です。

腐っているうえ、本編ネタバレが含まれるので、気を付けて下さい。

「千影。約束、覚えてる?」

思い出は、一年の初夏になる。


これは、私の、平凡な日常の、そのほんの一部である。





私はただの高校生である。

千影(チカゲ)、もう解けたのか? こんな三本指に入る一流大学の入試問題みたいなの」

いや、ただの高校生というのは間違いだ。訂正しよう、異常な高校生である。

私の本名は、千影藤九郎(トウクロウ)。名前を知ってもらったところで、私の異常について話をさせていただこう。

私の異常とは、私自身を指す。まず頭。関数計算も暗算で解けることをはじめ、私は習っていないものでも、全て解くことが出来る。勉強などしない、したことがない。だが、入試はじめ、定期テストはフルスコア。受けた全国模試の結果は全国一だ。そして、運動面。私は昔から気管が弱く、全力疾走でもしようものなら、過呼吸と貧血を起こし倒れる。そんな私が、だ。野球部の四番打者、エース、サッカー部のストライカー、バスケ部のスコアラー、バレーボール部のアタッカーを、倒したことだ。これには私も驚いた。いや、本当に驚いているのは、倒された本人達だろう。こんな虚弱で病弱なド素人に破れるとは、思いもしなかっただろうに。また、楽器や絵画に至るまで、私は習ったその日にプロ並みの技術が付いてしまう。

私の人生は実につまらない。何をしようにも、努力という楽しみがないのだ。いや、本当に、非凡だと世間は私を見るだろうが、私にとっては毎日が平凡だ。交友関係などには別に困っていない。

「…………」

やはり、もとに戻そう。

私は、ただの、一介の高校生である。





また、新入生が胸を弾ませながら校内を行き交う季節がやってきた。春である。

「千影! サッカー部来ないか!?」

「いや、陸上部の短距離に!」

「何言ってんだ! バスケ部が予約済みだ!」

無論、私は新入生ではない。が、一度経験済みのこの季節は、昇降口を遠く感じる。

「はいはい、退いて退いて!」

私の前に、二人の男子生徒が現れた。二人とも、黒髪に珍しい赤い瞳を持っていて、顔は瓜二つだ。現れた彼等に、勧誘に来ていた連中が怯む。

「藤九郎君が困ってるでしょ!?」

「それに藤九郎君は、気管が弱いんだよ!? 無理に動いて更に身体壊したらどうする気!? 責任とれるの!?」

やけに私の事に詳しく、親身に真剣に怒っている彼らは、高校始まって以来のひねくれツインズ、瀬能奏(セノウ カナデ)と、瀬能肆揮(セノウ シキ)である。幼馴染みであり、私と同等に、彼らも音楽界ではかなり有名である。兄、奏はヴァイオリニスト、弟、肆揮はコンダクター。また、ひねくれツインズと呼ばれる彼らは、その名の通り、ひねくれている事で高校では有名だ。実際に怒ると、私でも手がつけられない。勧誘に来た連中が怯むのも無理はないだろう。

「うぐ…。瀬能ツインズが相手じゃ…」

「お前らそれで管弦楽に勧誘する気じゃないだろうな!?」

「勧誘はするよ、一応」

奏が言い、肆揮が続ける。

「そう、僕達は声をかけるだけ。そこに行くかどうか決めるのは藤九郎君だよ。そこまで強いるのはおかしいとは思わないの? …解ったら早く退いて」

瀬能ツインズの助けがあり、昇降口までの道が開けた。





瀬能奏、瀬能肆揮がいくらひねくれているとはいえ、人望が無いわけでない。肆揮は風紀委員会副委員長であるし、奏はよく他の部活や、生徒会の代理人を勤めたりと、悪い評判だけではない。むしろ、不等号は良い評判の方に向いているだろう。

情けないことに、私は二人によく助けられている。

「「藤九郎君が大好きだから!!」」

との理由である。ありがとうとしか言いようがない。助けてくれたら、私は頭を撫でるだけでいいらしい。安過ぎやしないかと言ったら、ぶっ飛んでキスをねだられたので、撫でるのに至った。

「藤九郎君、良かったら管弦楽来てみない?」

そう言ってきたのは、同じクラスの奏だ。私は教科書を取り出す手を止めて考えた。音楽は好きな方だ。歌詞がついている曲が少しばかり苦手な私は、クラシックしか聴かないが。弾く側となっては、私はリコーダーぐらいしか吹いたことがない。

だが、私は物理的な経験がないといっても、それは物理的に嘘になる。

私は断る理由もなく、圧しが強い運動部の方々よりは大丈夫だろうと、私は奏を見た。

「じゃぁ、少しお邪魔させてもらうよ」

「本当に!?」

教室に響き渡るぐらいの声で、奏は私の右手を両手で固く握った。その笑顔はなんとも輝かしく、見るに眩しく思えた。

「嬉しいよ! いつでも来てね! 待ってるから!」

「あ、あぁ……」

とどめというように、奏はきつく抱き締めてきた。





管弦楽だけではない。暇を見つければ、声が掛かった部活には顔を出す。これは礼儀だ。幸い、奏はいつでもいいと言ってくれたので、最初に運動部に顔を出すことにした。

「千影!」

私はバスケ部に足を運ぶと、中学からの知り合い、菅野原葵(スガノハラ アオイ)が寄ってきた。数少ない友達である。バスケも出来て、顔も整っていて、性格も明るく頼れるその三大ステータスから、女子生徒はじめ、多くの生徒からの支持が熱い。私から言えば、雲の上のような存在だ。

「来てくれたのか、嬉しいよ。見学だけでもしていってくれ」

「そうさせてもらうよ」

「…な、なんか、話すの久し振りだな」

菅野原がよそよそしい。確かに、菅野原と話すのは久し振りだ。思えば一年の夏から話していない。

「…あぁ、なんかごめんな。久し振りで何言っていいか解らなくて、だな……」

菅野原は頬を赤くし、目をそらした。私もあることを思い出すと、菅野原の行動をさとった。私は菅野原の肩を叩く。

「…ほら、バスケ部の良いところ見せてよ」

笑えているだろうか。菅野原は私を見て、暫し固まる。やはり、私の表情筋は上手く働いていないのだろうか。

「おぅ、任せとけ!」

くしゃりと髪を掻き回してきて、私は内心驚く。目を開けたとき、菅野原は仲間の元へ向かって行った。

「………?」





「…………」

私は学校敷地内の自販機から缶コーヒーを購入し、喉に流した。そして横のベンチに腰掛け、呼吸を整えると、汗を拭う。

結局動かされたのだ。菅野原の配慮があり、気管は悲鳴こそ上げなかったが、それでも苦しい。足音が聞こえ、そちらに瞳を向けると、菅野原がこちらに歩いてくるのが見えた。

「…ごめんな、先輩が無理言って……」

「いや、体育以外で久々に動けて良かった……」

菅野原が私の横に腰を下ろす。

「で、どうかな? マネージャーだけでも」

「……ごめん、もう少し考えさせて」

まだ声掛けがあった所を、回りきれていない。全て回り終えてから決めることにするということを菅野原に言うと、妥当だと返してきた。

夕日に染まった、冷たいコンクリートの天井を見ていると、頬に冷たい何かが触れた。

「…ひゃ…っ! ん……っ」

情けない声が出たが、なんとか小声に抑えた。しかし不覚。目をそちらに向けると、まだ少量入った、汗をかいた缶コーヒーがあった。犯人は菅野原だ。菅野原がそれを揺らすと、中で缶コーヒーが音を立てる。

「…な、に……?」

「へぇ、そういう顔もするんだ。千影…」

声の事には触れなくて安心したが、私がどんな顔をしているというのだ。すると、ベンチに置いていた私の手に、菅野原の手が重なる。

「……なぁ、千影。約束、覚えてる?」

ピクリと私の指が、菅野原の手の中で動く。

約束。お気付きの方もいるだろうが、菅野原は、私に好意を寄せている。

そう告白されたのは、一年の初夏だ。しかし、家族から愛情という愛情をまともに受けた事がない私にとって、恋愛感情など皆無に等しく、私は菅野原にちゃんとした返事をしていない。

菅野原だけに限らない。様々な人物に、何度も迫られた事があった。曖昧な返答をして傷つかれても困る。私だって罪悪感が残る。故に解らない。なんでも解る私が、これだけは頭がイカれるぐらい考えても、解らない。諦めたと同時に思った。菅野原もまた、私の被害者になってしまう。

その時言われたのだ。


『俺が振り返させる。約束する。だから、待っていてくれ』


そう言われたのだ。

瞬時に蘇った記憶に、私は目を伏せ、唇を結ぶ。

「千影…。俺、やっぱり…」

菅野原が迫ってきた。私は唇にかかる吐息に血圧が一気に上がる。

「ま、待て、菅野は……っ!」

呼吸が鼻にかかり、私は言葉を飲み込み、迫る菅野原の瞳に見とれかけ、目を伏せた。目を閉じていても距離感が掴める。私は肩を竦めた。

「………」

柔らかい何か、基、菅野原の唇が落とされた。

私の右頬に。向かって菅野原から見ると、左頬に。

私はそっと目を開き、胸に溜まった熱い息を鼓動の速さに逆らって、ゆっくり吐いた。それと同時に、焦りから出てきた汗が顎につたう。

「…すが、の、はら……」

まだ緊張しているせいか、舌がうまく回らない。菅野原の手が頬に添えられ、冷たいと感じるということは、私の頬は火照っていたらしい。手は頬を滑り、人差し指が私の唇の中心に触れた。菅野原を見ると、彼は不適に笑っていた。

「ココにされると思った…?」

「………っ!?」

あの流れではそう思う以外ないだろう。だが、思った事を言われ、唇が自然に結ばれ、動くと、菅野原の指がそこにあるということを再確認させた。逆らってでも喋って否定を述べたいが、菅野原の指がそうはさせないと、拘束されているような感覚であった。

「ごめん、やっぱ俺……」

「え、あ……」

それは人差し指が離れて、すぐの出来事であった。菅野原に、今度こそ口を塞がれたのだ。子供のような浅いものかと最初は思ったが、息を吸おうと口を開いたその隙に、菅野原の舌が入り込んできた。私の腰が派手に跳ねると、菅野原の手がすかさず背中に回り、身体を寄せられた。

「……は、ぁ、すが、…ぅん…」

唾液が口の端を流れ、口内で菅野原のそれと混ざる。菅野原のテクニックに、私もいつしか酔いしれて、強張っていた筋肉が徐々に解れていき、脳の中心が痺れ、手の力が抜ける。その時、さすがの菅野原も酸欠になったのか、ようやく解放された。

「ごめん、千影……。俺、相当ヤバい…」

言動からも解る。菅野原は何かを抑えているように、しかし抑えられなくて呆れ、笑っているように聞こえた。

「約束まで、俺、耐えられる自信ない…」

「…菅野原……?」

小さくて聞こえなかった。私がもう一度聞こうとすると、菅野原は肩を力強く掴まれ、私は小さく情けない声をあげた。

「千影……」

「…は、はい……」

何故か改まってしまった。菅野原の顔には、どこか不安が見られ、それは、見学中に見た生き生きとした菅野原の顔を忘れるほどだ。

そんな事を考えていると、手が首から髪に触れ、顎を優しく持ち上げられた。あぁ、また重なるか。そう覚悟した。

「アオー!」

「「………っ!!?」」

これは私の心臓にも悪い。菅野原に至っては素早く声の方向に立ち上がったほどだ。背中を見ても、焦りが伺える。声の主は、バスケ部のキャプテンだ。

「ど、どうしたんすか、キャプテン…」

「帰りが遅いから迎えに来たんだよ。バレー部が試合近いって、コート貸してくれって頼まれてさ。今日はもう、バスケ部上がりってことで。自主練したい奴は、二階で出来る事やってもらうって形かな。お前どうする…? 今んところ、一年二人と三年一人が用事があるってんで帰ったが」

「あ、はい、やっていきます!」

「そうか、じゃぁ、早く来いよ。…千影も今日はありがとな。バスケ部、少しでも考えといてくれ」

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」

私が小さく頭を下げると、部長は踵を返して帰っていった。そして再び、菅野原がこちらを向く。夕日に混じり、頬が赤い。私との距離を詰めると、屈んで頬に唇を落としてきた。

「………っ!」

すぐに目線を合わせてきた。

「…今は、これで我慢する」

照れくさそうに、そう言って、また離れる。

「戻って自主練してくるよ。またな、千影」

「……あ、あぁ、また、な…」

私のその、なんとか絞り出した、ぎこちない返事を受け取った菅野原は、綺麗に笑うと、急ぎ足で体育館へ戻って行った。

私は頬を押さえた。じんと熱いうえ、心臓が痛い。否、胸が痛い。ゆっくり息を吐くと、口を手で覆った。

「…………」

頬が熱い。

「…どうしたんだ、私は……」

「「藤九郎君っ!!!」」

瞬時に顔を上げると、四つの腕に抱かれた。正体は割れている。

「奏、肆揮……っ」

すると二人は不自然にもすぐに離れる。その顔を見ると、何かいけないオーラを背後に漂わせながら、その手に、指揮棒とヴァイオリンの弓を掌でゆっくりと音を立てて弄ぶ。

「とりあえず、弟よ」

「うん、アオにちょっと、二、三回程度死んでもらうしかないね、お兄ちゃん」

「待て、一旦落ち着け」

菅野原が確実に死んでしまう。これはそういうフラグだ。

「落ち着いてられないよ! あんなことされて、藤九郎君はなんとも思わないの!?」

「え、いや、私、は……」

そう切り出し、言葉に詰まる。無論、唇と頬、菅野原に触れられた部分に感覚が蘇り、顔を伏せてしまう。

「「コロス……」」

「だから待て」

立ち上がり、二人の胴に腕を回して止める。

「確かに、菅野原にはその…。き、キスされたが……ん、ていうか待て、何故知っているんだ…?」

「「見てた」」

「詳しく聞かせてもらおうか」

一部始終を見ていたのであれば、ただでは帰さない。私と瀬能ツインズとの今後の交流に関わる。

「でもさ、藤九郎君。実際はどうなの?」

「は……?」

「そうだよ、アオちゃんのことどう思ってるの?」

菅野原葵のことをどう思っているのか。それは私が、一番解らないことである。きっと、この解らないということも、徐々に菅野原を傷付けることになっていくことは目に見えている。はっきりしなければならないのは解っている。だが、やはり、解らないのだ。

「アオのこと、好き?」

「〜〜〜〜〜っ!!」

「「……コro蘓…」」

まずい、二人の舌までも正常に働かないほど、思考回路もやられているようだ。

加え私もまずい。好きと聞かれ、こんなにも心臓が過剰に反応するとは思っていなかった。

「…私は、菅野原、が……」

頭が沸騰しそうだ。

「ごめん、先に帰る…」

とにかく、落ち着きたかった。私は二人に許しをもらうと、学校を後にした。





「…………」

私がマンションに帰ると、部屋の前に誰かいた。

「やぁ、藤九郎……」

兄、千影誠十郎だった。私の足が少し後ろに下がり、顔を伏せる。

「何しに来たんですか…?」

「様子を見に来ただけだ」

「私は良好です」

「何よりだ。私もだよ」

今更だが、兄弟の会話とは思えない。手を下ろすと、ベルトに下げていた、鍵を付けたチェーンに触れた。

「…入る?」

兄さんは小さく頷いた。私は扉の前に移動すると、鍵を開けて、中に入った。

しかし、一人で落ち着きたかったのに、兄さんが来るとは思わなかった。リビングに続く廊下を行くと、目の前から鈴の音を奏でながら、黒猫が甘えた声を出した。

「おぉ、ナナ。元気にしてたか?」

ナナと名付けたのは兄であり、また元々兄の飼い猫なのだが、鼠と仲良しな小公女、千影誠十郎は、鼠が食われてしまうと、私のところに、ナナを連れてきた。いきなりである。幸い、ナナは私にすぐになついてくれた。私はナナの頭を撫でる。

「とりあえず、座って。…コーヒーでいいですか……?」

「あぁ」

荷物をカウンターに置くと、コーヒーメーカーを動かす。

「……懐かしいな」

「…ホームシック…?」

背中を向け合いながらの会話。私はコポコポと音を立てるコーヒーメーカーを見つめる。

「…私は、もう父さん母さんが恋しい歳じゃないけど、お前と話せなくてっていうのは、寂しいよ」

香りのいい煙を吹き出してきた。

兄は、私を愛していた。弟として、狂おしく愛情を注いでくれた。それが私にとっては重すぎたのだ。その愛情は、当時十四だった私のファーストキスを奪うほど。

「藤九郎…?」

いつの間にか私の背後に立ったのか、後ろから私の身体を抱いた。こうだ。こういうところが、私にとっては重すぎる。

「…まだ、怒ってる……?」

「もう過ぎたことです。私は気にしていません…」

そう言うと、兄さんは私のうなじに唇を落としてきた。

「いつまで私に敬語を使う気だ…?」

「そんなの私の勝手です」

舐められた。喉から変に裏返った声が出て、よろけると、更にきつく抱かれ、手が裾から入り込み、腹に指が触れた。

私の背筋に一気に悪寒が走り、気付いた時にはその場を軸に踵を返していた。しかし、振り返るのが解っていたのか、兄さんは私の両手をカウンターに押し付けた。暫しの沈黙の中、兄さんと目が合う。私と同じ、異質な藍色の瞳。私はその瞳を睨みつけると、兄さんは押し付ける力を僅かに強める。黒に濁りかけた私の瞳を、兄さんの澄んだ藍色の瞳が捉えた。真っ直ぐ、私を見据えたその瞳に、私は何をされるか怯える半面、勇気を出して口を動かした。

「……兄さん、やめてくれ。俺は、これ以上のことを望むつもりはない」

兄さんが望む、口調さえ崩せば、兄さんはこの手を離してくれる。本当は嫌だが、こうでもしないと、兄さんは私のいう、これ以上の事をしてしまう。どこまでも自由で、一途な兄さんなら、確実に。

「………」

離してくれた。私の膝が安心したのか、少し曲がる。

「…まだ俺に気があるのか?」

「…ないと言えば嘘になるな……」

「………っ」

「でも、心配しなくていい。あんな事はしないから」

兄さんは出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、入れ終わると私の目の前で飲み始めた。

「彼女も出来たし、裏切ることはしたくないからな……」

…………。

待て、今なんと言った…?

「……藤九郎…?」

「…兄さん。今なんて言った?」

「……藤九郎…?」

「その前だ」

「彼女も出来たし、裏切ることはしたくないからな……?」

なんということだ。これは事件である。

「兄さん、好きな人、出来たの?」

「あぁ、今度連れてくる」

「そんな勝手な…! 俺にも事情ってモンが……!?」

人差し指で口を塞がれた。

「私もそこまで非常識じゃない。今日はその日にちを決めにきただけだ。…いつ頃が好ましい…?」

「電話で済ませてくれ」

「お兄ちゃんは、お前が恋しいんだよ」

仏頂面が緩んだ。綺麗だと思う半面、どこまでも自由な兄さんだと改めて思った。

「…次の指定休なら、都合がつくが」

「じゃぁ、土曜の昼で」

決めるのが早いな。兄さんはコーヒーを飲み干すと、私の頭を撫でた。

「また近々連絡入れる。またな」

荷物を持ち、カップを流し台に入れると、兄さんはそのまま帰っていった。

「………」

私はその場に座り込んだ。今日はいろんな事がありすぎる。

部活勧誘の嵐にまみれ、菅野原にキスされ、兄の彼女が来週の土曜に来る。たかが三つほどの出来事だが、一つ一つが重すぎる。

「ニャー」

ナナが私の足に頭を擦り付けてくる。まだ飯をあげていないから、急かしているのか。私は重く息を吐くと、立ち上がって乱暴にコーヒーをカップに注ぎ、一気に口に含んだ。

「……っつ…!!」

抜かった。私は猫舌だった。喉と食道が焼けそうだ。あぁ、しまった、涙まで出てきた。

「〜〜〜〜〜〜っ」

しかし困った。

まったく、どうして私の周りは、私をこうも悩ませるのだ。

「…これも運命(さだめ)か……」

冗談も過ぎる。





おやおや、藤九郎君はなかなか面白い運命を辿っているようだね。

ハハッ、悩め悩め。やっと、らしい学園生活の中で、青春謳歌出来るんだから。

俺の弟らしく、存分に周りと接して、悩み、楽しむといいよ。






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