うたたねに
夢を見た。
なんでもない日常の風景で、特にトクベツなことをしていたわけではない。ただ教室で級友達と他愛もない話をしているというなんでもない夢だ。
そんななんでもない夢を見ていただけなのに、私は幸福感に包まれて目を覚ました。…どうしてなのかな。だんだん頭が覚醒してくると同時に、なんでもない日常の風景だと思っていた夢の中に、一つ日常から失われてしまったものを見つけた。
――ああ…。幸福感の原因は、これか。
私の日常から失われてしまったもの――彼は私の同級生だった。そう、過去形なのだ。三日前、転校してしまった。彼が転校するという話は一ヶ月ほど前から知っていた。知っていたと言っても、本人から聞かされたわけではなく、人づてに聞いた。…彼と私は親しい友人という訳ではなかったから。出席番号が近かったから、授業などで班を組むとき一緒の班になることは多かった。そういうときに少し会話をした程度の関わりしかなかった。だから転校するという話を聞いたときにも、「へえ…。大変だな。」という他人事でしかない感想しか持たなかった。なのに。
彼が転校していった翌日、小さな違和感を感じた。もちろんクラスから一人減ったわけだから違和感を覚えてもそうおかしいことではない。しかしそうクラスの人の動向に頓着していない私が違和感をもったのは自分的には意外なことだった。首を傾げつつも、そのうち慣れるだろうと思ったいた。けれど、最初は小さな違和感だったのに、少しずつ違和感が大きくなっていく。他の級友達はいつも通りの表情で、いつも通り生活している。おかしい。何かがおかしい。
その違和感は次の日になっても消えることはなく、どんどん降り積もっていった。
そして、今日――…
本当はいけないのだろうけど、自習中、うつらうつらと転寝してしまった。つまるところ浅い眠りだったわけで、夢を見てしまったのである。そう、彼がいる日常の夢を。
日常が日常であることがすばらしいと感じられるほど、私は達観した人間ではない。ということは“彼がいる”ということが、私の幸福感の原因であるはすだ。他は今でも身近にあるのだから。
自分ではまったく無自覚だったが、私にとって彼という存在は特別なものであったようだ。その“特別”である理由が友情なのか恋なのかは初恋もまだの私にはよくわからない。だが、彼がいない日常に違和感があるのも、彼が出てくる夢に幸福感を覚えるのも、彼が特別だったからだということくらい、わかる。――いや、彼が転校した翌日からうすうすとは感じていた。なんとなく認めたくはなかっただけで。夢にまで見るようになってしまっては認めざるを得ない。
私にとって彼は特別だ。
これからも、彼がいない席に目をやってしまうだろう。クラスのざわめきの中に君の声が聞こえないか耳を澄ましてしまうだろう。もしかしたら初恋かもしれないこの想いがいつか思い出に変わるまで。
それまで、夢の中でくらい、彼と会えますように。
お読みくださりありがとうございました。
モチーフとさせてもらった和歌は小野小町の「うたたねに こいしきひとをみてしより ゆめてふものは たのみそめてき」です。
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