白川
「あっ、これ、レット・イット・ビーだ。」
あたしはやっと曲の題名を思い出した。たった二小節しか書いてないから最初、何の曲だか分からなかったのだ。しかし、なかなか粋なことをしてくれる。これを描いたのは、たぶん「あの子」ではないだろう。
一昨日の放課後、「あの子」は虹を描いた。でも「あの子」が来る前に、すでに一本青い線が引かれていた。その時は、昼休みに学校に来て描いたのかな~なんて思ってたけど、昨日の放課後、絵を見ると音符が描きこまれてて、「あの子」はそれを黙って眺めてた。それでその後、背景に夕暮れの空と海を描いてた。
朝と放課後は、あたしはいつも屋上にいるから、たぶん青い線も音符も、昼休みに他の誰かが来て描いたんだろう。レット・イット・ビーを書いたその子がビートルズ好きだったら、たぶんあたしと気が合う。まあ合ったってどうしようもないんだけど。
今日はずっとここでその子が来るのを待っていようかな。どうせ暇だし。
あたしはパレットに赤い絵の具を出して、少しだけ水につけて薄めた。そしてキャンバスの右下に赤い傘を描きこんだ。雨上がりに傘を放り出したら、風が吹いて飛んで行ったというイメージだ。
最後に赤い傘の上に、青いリンゴを描きこんだ。少し現実味に欠けるが、楽しげで良いだろう。それに音符を描いた子がビートルズ好きだったら、分かってくれるはずだ。
朝の風が海から潮の匂いを運んでくる。気持ちが良い。寝転んで風に当たってみる。
この場所に居座り始めて、もう八年も経つ。
あたしの時間は八年前のあの時から止まったままだった。
だけど最近絵を描き始め、人と間接的に関わるようになったことで、少しずつ、本当にゆっくりだけど、あたしの時間は動き始めたような気がする。
そんなことを考えていると、始業のベルが鳴った。みんな今頃は席に着いているんだろう。やっぱりあの頃に戻りたい…………と、少しブルーな気分に戻ってしまった。