06:王子様に出会いました
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クルーエル子爵邸を出て一週間後。
私は、まばゆい金色の魔法結界に包まれた城塞都市――リベルタの門をくぐった。
「わあ……凄い人……」
憧れの王都リベルタは、クルーエル子爵邸があった村とは人口の桁が違った。
見渡すかぎり、人、人、人。
渦巻く熱気と喧騒に呑まれてしまいそう。
私はワクワクしながら通りに立ち、大都会の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
煉瓦造りの瀟洒な建物が軒を連ねた通りの向こう。
茜色に変わりつつある空の下では、巨大な城が聳え立っている。
――あれが、この国の王様たちが住むお城なのね……。
そういえば、もうすぐ王家主催の舞踏会が開かれるはずだ。
ルネが部屋に飾っていたドレスも、その舞踏会に参加するために婚約者が贈ったのだと聞いた。
王城で開かれる舞踏会は、さぞ華やかなのだろう。
――下級貴族とはいえ、仮にも貴族令嬢として生まれたからには、一度くらいは舞踏会に参加してみたかったな。
なんて言ったら、またグランに「ないものねだり」って言われてしまうわね。
「フィー。検問は終わったのだろう。そろそろ出てもいいか?」
物思いを断ち切って歩き出したとき、肩に下げた鞄の中からグランの声がした。
今日は朝からずっと鞄の中に潜んでいるため、並々ならぬ不満が溜まっているのだろう。
私としても、一刻も早く出してあげたいところだけれど。
「ごめんね、宿に着くまでは隠れていて。卵殻を売るだけでも大騒ぎになったのよ。グラン自身が現れてしまったら、それこそ、どうなることか……」
一週間前、私は冒険者ギルドに登録してグランの卵殻を売った。
ギルドの受付嬢に呼ばれた鑑定士は、卵殻を見るなり目を剥いて叫んだ。
――こ、これは……六竜の卵殻!? しかも、光竜だと!? 絶滅したのではなかったのか!?
彼の叫びを聞いて、ギルドは蜂の巣をつついたような大騒ぎ。
一体どこで手に入れた、手に入れたのは卵殻だけか、竜は見なかったのか。
質問攻めに遭った私は大金を抱えて逃げ出した。
あのときは、グランを街の外で待たせていて大正解だった。
もしもギルドに連れ込んでいたら、目の色を変えた人々に捕獲されていたことだろう。
「私はこのままグランと一緒に居たいの。どうかもう少しだけ我慢して。お願い」
「……仕方ないな。ならば、早く宿を探せ。窮屈でかなわぬ。我を鞄に閉じ込めるなど、不敬にも程があるぞ」
声に苛立ちが含まれているのを感じ取り、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「……グラン。やっぱり私たち、別れたほうが良いのかしら。人間の都合で振り回されるよりも、野で自由に生きたほうが、グランのためになるわよね……」
「勝手に決めつけるな、馬鹿者。そもそも自由を望むなら、初めからお前に同行したりせぬわ。心配せずとも、本気で嫌になるようなことがあれば去る。わかったら、せいぜい努力しろ。我を失望させるなよ」
嫌になったり、失望しない限りという条件付きだけど。
どんな不便を強いられることになっても、グランはこれからも私の傍にいてくれるつもりらしい。
「はい。頑張ります!」
嘘のように軽くなった足取りで通りを進み、やがて私は一軒の宿を見つけた。
翌日の朝――というか、時刻は既に昼近い。
長旅の疲れを取るべく熟睡した私は、グランを宿に残して外に出た。
正午の鐘が鳴り響く頃、私は賑やかな大通りを歩いていた。
パン屋の前の花壇の縁には親子が並んで座り、具材がたっぷり詰まったサンドイッチを頬張っている。
――今日の昼食はサンドイッチにしましょう。
食欲を刺激された私はパン屋に入り、サンドイッチを抱えて再び歩き出した。
通りの中央には、布を広げた行商人が腰を下ろしている。
鮮やかな染物、真鍮の飾り、手織りの絨毯などを並べ、客との駆け引きを楽しんでいるようだ。
男たちは肩で風を切るように行き交い、女たちは井戸端で世間話に花を咲かせている。
街角の酒場からは早くも酒の匂いが漏れ、奥では吟遊詩人がリュートを爪弾いていた。
空には鳩が飛び、通りの脇では猫が日向ぼっこをしている。
私はその光景に目を細めつつ、露店で果実水を買った。
露店の近くにあった噴水の縁に座り、甘酸っぱい果実水で喉を潤してから、サンドイッチを頬張る。
一口噛んだ瞬間、レタスの軽やかな歯ざわりと、トマトの瑞々しさが鮮烈に広がった。
野菜の中心に鎮座するローストチキンは、香草の香りが効いた肉厚な一枚。
外はこんがり、中はしっとり。
噛むたびに肉汁があふれ、濃厚なソースと絡み合い、絶妙なハーモニーを奏でる。
――こんなに美味しいものが食べられるなんて……。
私は心の中で感動の涙を流した。
クルーエル子爵邸での粗末な食事が嘘のようだ。
卵殻を売ることを許してくれたグランには、感謝してもしきれない。
「ああ、美味しかった。これは是非、グランにも買って帰らなくては」
サンドイッチの包み紙をゴミ箱に入れ、私は果実水の入っていたコップを露店に返した。
――さて。腹ごしらえも終わったことだし、職業斡旋所を探しましょう。お金に余裕はあるけれど、あれはグランのおかげで手に入ったお金だもの。甘えることなく、自分自身の力で稼がなくては!
就職が決まったら、今度は不動産屋に行って家を探す。
やるべことは山積みだ。
「フィオレット・クルーエル嬢!」
突然名前を呼ばれたのは、職業斡旋所に向かう道中のことだった。
「えっ?」
驚いて振り返れば、華やかな顔立ちの美青年が歩いてくる。
緩く波打つ艶やかな金髪に、エメラルドグリーンの瞳。
細身の長身に、白いシャツと紺色の脚衣。
ありふれた地味な服装をもってしても、全身から溢れる気品は隠せない。
察するに、お忍び中の貴族といったところだろうか。
彼の後ろには護衛らしき男性がいるし、その可能性は高い。
辺りを行きかっていた人々も興味を引かれたらしく、遠巻きにこちらを眺めていた。
「驚かせてすまない。私はセルジュ・クォーレ・ダルモニア。この国の第三王子だ」
美青年は懐から絹のハンカチを取り出し、私に見せた。
ハンカチには王家の紋章が刺繍されている。
「…………?」
貴族どころか、王子様、ですって?
ただただ呆然としている私に、セルジュ様は大真面目な調子で言った。
「昨日からずっと、私は君を探していたんだ。どうか光竜に会わせてほしい。頼みたいことがあるんだ」