8. お茶に込めた想い
「今年の夏に売りたいお茶で悩んでいてね」
アーネストとの婚約破棄から半年が過ぎて、今は年を越して二月の頃。
気の早い商人たちは昨年の茶摘みを終えた時点で何を売り出すか決めるそうなのだが、目の前の彼は少しだけ値段の張る目玉商品だけは自分で素材を選別して、何を売り出すべきかを考えるのだそうだ。
「これが茶葉に白桃と薔薇の砂糖漬けとマリーゴールドを合わせたもの、そちらは発酵させていない茶葉にマスカットとサンフラワーの組み合わせ、そして茶葉は無くて夏の果実をドライフルーツにしてレモングラスや矢車菊を加えただけのもの。
どれも冷やして飲むと美味しくなるように調整してある」
温かいお茶とは別に、この時期には寒々しさすら覚える細いグラスが三つ並び、色も濃淡も違うお茶が注がれていた。
商談に来たのかと思うような光景に、近くで控えた侍女達からも呆れた視線が向けられている。
それでも会話は弾むのだから問題ないし、父に付いて小麦の卸し先へと商談に向かうようになったからか、こういった会話は刺激にもなる。
「今年は例年よりも暑さが増すと聞いております。
見た目から涼やかなものが好まれるかと。
後はそうですね、南の方では暑い時ほど甘いお茶を飲まれるそうですから、蜂蜜とミルクを入れることを前提にしてもよいかもしれません」
「なるほど、お嬢さんが博識で助かるな」
「ご商売をされているオブライエン伯爵令息様ならば、簡単に思いつくだろう浅い考えですわ」
そう返して、お茶の入ったカップへと手を伸ばす。
窓の外では雪が積もることなく雨へと変わっていた。
キーアン・オブライエン。
新しい婚約者にと父が連れてきたのは、フレデリカの住む国からは西へと船で向かう、海で囲まれた島国の貴族の三男坊とのことだ。
彼の父親が拝領している土地の特産が茶葉ということもあり、家から紹介してもらった茶園の茶葉に手を加えて販売する商会を立ち上げて五年。
貴族向けの茶葉は同様に商会を立ち上げた弟に任せ、平民向けの量産できる茶を専門で扱っているのだと教えてくれた。
去年にお店で頂いたお茶も、彼が自ら考案して売り出したものらしい。
あの時はフードで姿を隠していたが、婚約者候補として向かい合って座る彼はお店で見せた雰囲気はそのままに、貴族の青年らしく少し線の細い姿を見せていた。
黒檀の髪色と猫を思わせる琥珀の瞳は照明を反射して明るく、商売であちこち行くせいなのか日焼けしていて、線が細くはあっても健康的な印象を与える。
最初に会った時と同じようにフレデリカを「お嬢さん」と呼ぶのは、貴族というよりは商人寄りな気質なせいだろう。もしくはわざとなのか。
顔立ちはフレデリカの国の人々と差異があるわけではないが、キーアンが強い印象を周囲に与えるのは、彼が持つ独特の雰囲気のせいだろうか。
商いをする人間としては良いことだと思う。
「オブライエン伯爵令息様」
「さっきからその呼び方をするけれど、商売の関係上呼び捨てが多いものでね。なんというか慣れない。
キーアンと呼んでもらえたら」
キーアン様と呼べば、浮かべた笑みは貴族らしいものに変わる。
「この度は婿入りのお話をお受け頂いて、ありがとうございます。
いくつか質問させて頂いてもよろしいでしょうか?」
既に婚約の話は進められている。
家が決めるものである以上、フレデリカは異を唱えるつもりはないが、相手のことを少しでも知っておきたいと思うのは昨年のことがあったせいかもしれない。
少しだけ失敗することを怖がるようになったのかもしれないが、それでも受け入れる覚悟だってあるつもりだけれども。
「キーアン様はこの婚約に何を求め、そして何を以て当家に貢献頂けるのでしょうか。
釣書を拝見させて頂いたのですが、キーアン様のご商売は順調な様子ですし、平民の方向けのご商売では我が家の伝手が必要だとは思えませんでした。
我が家に婿入りするにあたり、これから商売をどうされるのかも聞かせて頂きたいのです。
勿論、伯爵領に付きっきりである必要はありませんが、商売であちこちへと向かわれまして領には戻らないということでしたら考えなければならないこともありますから」
キーアンがフレデリカを見つめ、それから小さく笑った。
まるで威嚇する子猫のようだと言われ、思わず口を開き、そうしてから冷静にと口を閉じる。
フレデリカはまだ相手の意見を聞いていないのだから。
「確かにフォスター伯爵家の特産を考えると、あまり私にメリットはない。お嬢さんの言う通り、なにせ商売相手はお貴族様ではなく平民だ。
とはいえ、選択肢としてないわけでもない。
消去法で他がなければ十分に良い婿入り先だし、私のこの性分を見れば、大抵のお嬢さん方はいい顔をしないからね」
「消去法ですか」
「政略結婚だ。限られた選択肢の中でより良いものを選ぶのは、君も私も変わらない」
そうだ、政略結婚なのだ。
一度会っただけの人間をどのような物差しで測れるのかといえば、相手の印象や立場、評判といったものぐらいでしかない。
以前ならば愛し愛される関係は婚姻してからでも構築できるのだと思っていたが、今はそう言い切る自信がフレデリカの中にはなかった。
そうなりたいとは思うだけだ。
「少し話が逸れてしまうのだが、フォスター伯爵領には名物料理があるとか」
「ええ、フォスターシュですね」
フォスターシュはベーキングパウダーを入れずに焼く、パンケーキのような食べ物だ。
小麦が特産なことから、フォスター領の民ならばどこの家でも食べている。
「甘味も塩気も無い状態のものを朝一番にまとめて焼いて、パン代わりに食べるのですわ。
スープやお茶に浸して食べたり、パンのようにハムや野菜を挟んだり、季節の行事に合わせてハーブとチーズを練り込んで焼いたりする家もあります」
「何にでも合う料理ね。
ならば、私から君への気持ちとして、これを差し出そう」
キーアンが手を上げれば、後ろに控えていた彼の従者が手にしていた小さな茶缶をテーブルに置いた。
ブリキの缶に、美しい蔓文様の描かれた紙が巻かれている。
「こちらは?」
「この茶園の茶葉は安くて量産してくれるのだが、良く言えばあっさりとした風味でね。
父の領では水代わりに飲まれるものだ。あまり味のしっかりした果実やハーブを加えると味が消えるので、そのまま飲むのが一番だけれど、合わせるものが香りと味がきつくなければ何とかなる」
缶の蓋を開けば、仄かに香る程度の茶葉と何かの甘い香り。
よく見れば、発酵された茶葉だけではなく、光の加減で紫にも見える黒い何かが混ぜられている。
「これは、」
「ワイナリーで譲ってもらった葡萄の皮を乾燥させたものだよ。
思ったよりも濃い色になるので驚くかもしれないが、なに、飲んでみたら何にでも合う素直な味をしている」
キーアンが手掛けているのならば、平民向けの茶葉だろう。
ワイナリーから安価で購入するルートを見つけてきたに違いない。そういえば祖母の生家は一部でワイナリーを所持していたはずだ。
その伝手だろうか。そこまで考えが至らなかった。
「このお茶に付けた名前はキーアン。これからフォスター領の民が安価に購入できて普段使いで飲むお茶になり、そして婿入りする男が自分の身代わりにと未練たらしく置いていくものだ」
なんてこと。
思わず息を呑んで見つめる。貴族らしい笑みが少し意地の悪そうにも見えるのは、きっと彼の唇の端が先程よりも上がったせい。
どうしよう、淑女の笑みは浮かべているだろうか。
「今の仕事はこれまで通り変わらず続けていく。
伯爵領から割り当てられる婿の費用を必要としないから、予算削減に貢献できるだろう。
お嬢さんを支えるという話だが、それは精神的に?それとも知識や人員として?
後者ならば商会の人間を何人か手伝わせてもいいし、仕事の先々で良い人材を探して連れ帰ろう」
身を乗り出す彼は貴族でありながら商人であるのだ。
商談にされてしまっては、フレデリカに勝てるわけがない。
「お嬢さんを支えることについては、夫婦だから当たり前だ。
私が君を支え、君だって私を支える。
どこにいたって君と伯爵領のことを考えるし、手紙を書く。君が何を好きなのか考えながらお土産を購入するだろう。
当然だが、国の行事や夫妻で出席する必要があるもの、お嬢さんの出産の際には国から離れることもしない。
それ以上を求められたら、とりあえず相談となるが。
考えてごらん?今だって伯爵領に君の父君はいて、そして君は亡き母君に代わって王都にいる。
家族は常に一緒にいる必要もないことを、お嬢さんが一番知っているはずだ」
キーアンが立ち上がってテーブルの横を通ると、フレデリカの横に座って手を掬い上げた。
「前にも言ったけれど、お嬢さんはいつだって自分の気持ちと向き合って整理しながら、そうやって前に進んでいくことができる。
私がお嬢さんに惹かれるのは、君の持つ強さなのだから。
そして、これからも私と私のお茶が君の背を押すと約束しよう」
坊ちゃん、という侍従からの非難の声に片方の眉を上げたけれど、フレデリカから視線を外さない。
「これで答えになるだろうか?」
「キーアン様は、私と愛し愛される関係になって頂けるのですか?」
「そこはまあ、これからの二人の努力次第だけど。
けど、努力を惜しむつもりはないし、今日会えるのを楽しみにしていたのは間違いないさ」
君は、と聞かれて少し考える。
「私もキーアン様を愛せるようになりたいと思いますし、もう一度会えるのを楽しみにしていました」
「それは僥倖」
掬われたままの手に寄せられたのは唇で、その唇が触れた指先から熱を持つ。
悲鳴を上げた侍女達と侍従が、フレデリカからキーアンを引き剥がすのは数秒遅れてのことだった。
翌年、王都では平民向けに流行ったお茶が、貴族達の話題となった。
それはフレデリカと名付けられたフレーバーティー。
フォスター家の婿が最愛の妻を想って作ったのだと言われている。