7. 小賢しい者達の末路
アーネスト・コリンズが退学になったと聞いた時、同じクラスの生徒達の大半が驚かなかったし、ジョージ・オットーも勿論その一人だった。
フォスター伯爵令嬢にあれだけ嫌がらせをしたのだ。当然のことである。
「これでフレデリカ様の婚約者の座は空席になったんだろ?
このタイミングで他を探さないといけないってなると、多少家格が低くても妥協するんじゃないか」
「かもしれないな。男爵の息子じゃ難しいかなって思っていたけど、今なら釣書を出したら選んでくれる可能性もあるってことか」
「うわ~。こうなるんだったら、仕立屋のとこのジェシカと婚約なんてするんじゃなかったよ!
今からでもどうにかならないかな」
急に現れた手が届きそうな幸運に、男子生徒の誰もが興奮した口振りで話している。
それをジョージは冷めた目で見ていた。
別に彼らの話が夢物語で馬鹿々々しいと思っているわけではない。
こうなるとわかっていたのに、何の手も打っていないで口ばかりの彼らが愚かだとしか思えなかったからである。
ジョージはただ指を咥えて見ているだけのつもりはない。
アーネストが馬鹿なことを言い始めたときから、冗談のつもりで真逆の助言を始めたクラスメイト達に便乗して、本来ならば許されないような態度を取るように吹き込んでやった。
アーネストが勝ち誇った顔で結果を報告し始めてからは、男爵である父に頼んでアーネストの態度を告げ口する手紙と釣書を送ってもらっている。
フォスター伯爵からは礼と釣書は受け取った旨の返事はきていたので、先ずは婿として選ばれるための盤上に上がることはできたはずだ。
勿論そんなことを他のクラスメイトに言うつもりもなければ、アーネストに教えるつもりもない。
こうなると身綺麗であるほうがいいとして、今は妹のようにしか見られないという理由で幼馴染であるアンナとの婚約話は保留にしてもらった。
あちらは三つ下で平民だから婚約を急ぐことはないだろうし、フォスター伯爵からの返事を待って、改めて婚約の話を進めても十分間に合うだろう。
念の為、周辺の年頃の子息を抱えている家には、アンナがジョージとの婚約を望んで日々押しかけているという噂を流している。
実際、少し前まではよく遊びに来ていたぐらいに交流もあったので、誰もが嘘だとは思わないはずだ。
確認すれば新しい縁に恵まれないと愚痴をこぼしているらしいので、ジョージの思惑はそれなりに上手くいっているようだった。
上手くいけば伯爵家に入り込め、失敗しても他がある。
思いがけず、今週末にはフォスター伯爵が訪れることになっている。
想定していたよりも早い行動に、もしかしたら本当に選ばれるのかもしれないと、僅かにあった期待が膨らんでいく。
これが本当に賢い人間のやることだとジョージはほくそ笑みながら、他のクラスメイトの会話を聞いているふりに戻った。
「単刀直入に申し上げて、ご子息を婿に迎え入れるつもりはありませんよ」
一張羅を着た父であるオットー男爵の向かいで、それよりも遥かに立派な仕立ての服を着こなしたフォスター伯爵が笑顔のままに言い切った。
「そうでしたか。わざわざお越し頂いたので是非とも息子自慢をしたかったのですが、非常に残念です。
コリンズ子爵令息の行動を息子から聞いて心を痛めていたのですが、すぐにはご令嬢もお気持ちがついていかないでしょう」
わかりますよと鷹揚に頷いたジョージの父は、笑みを絶やさぬままに横に座るジョージの方を見る。
ここで縁を途絶えさせるつもりはない。
婚約破棄の話を聞いてからまだ数日、アーネスト曰く大人しいご令嬢だったと聞いているから、暫くは婚約者を探すことはしないのかもしれない。
それならば、まだ狙えるはずだ。
「フレデリカ嬢は塞ぎ込まれていたりはしないでしょうか。
アーネスト、いえ、コリンズ子爵令息からご令嬢の話を聞いていたので……
よろしければ、一度お慰めの手紙を差し上げても?」
手紙を、フォスター伯爵が言葉を反芻してジョージを見つめる。
言葉を続けようとして口を開いた瞬間、
「コリンズ子爵子息に要らぬことを散々吹き込んだ君が?私の娘に手紙を?」
向けられた視線を含む空気は、まるで冬のように凍り付いていた。
「娘を精神的に追い込むような言葉を吹聴していた者の一人の君が、どんなことを書き連ねるのだろうね。
陥れたコリンズ子爵令息より自分の方が上手く立ち回れるから認めるようにと?それとも、悠々自適な生活がしたいだけなのは黙っておくから騙されてくれないかと?」
どうして。
吐く息と一緒に思わず出た言葉。
「ははは。まさか、君はクラスにいるのが男子生徒だけだと思っているのかい?
それともクラスにいる女生徒は誰もが男子生徒に従順で、クラスで起きていることを秘密にするとでも?」
男子生徒を遠巻きに眺めてはヒソヒソと話していた、ジョージ達のお眼鏡に適わなかった少女達が最近では休憩時にクラスにいることが少ないと思っていたが。
「私が君であったらね、コリンズ子爵子息を陥れる行為はクラスメイトに任せて、女子生徒の扱いに注意しただろうね。
なにせ婿入りする相手も女性なのだから」
思わず握りしめたこぶしが、ズボンに皺を寄せる。
無意識に睨みつけていたのか、反抗期かな、と冷え切った視線のままに鼻で笑われた。
「彼女達からの聴き取りは、公的な第三者に依頼して記録されている。
嘘偽りない誓いまで立てて証言してくれた、お嬢さん達の気持ちがわかるかい?」
組み替えられる足。
そこで組まれる手先まで、ジョージや父親と違って優雅だ。
「君達、下位クラスの男子生徒とは死んでも婚約などしたくないとね。
既に婚約者のいる令嬢は安堵していたし、そうでない令嬢も証言の代わりとして、私から親御さんへの口添えを頼むくらいに君達は嫌われているんだよ」
そうしてから、少し違うな、と顎を擦る。
「言い直そう。
君達が気持ち悪いのだそうだ」
「ああ、君のことは一通り調べさせてもらったよ。
長い付き合いの相手との婚約話を保留にしているのだって?
どうせ我が家が断った時のためだろうが、保身のために他の男を追い払おうとするなんて酷い手口じゃないか」
細めた目はジョージを射抜くよう。
「確かアンナ嬢と言ったっけ?
君を好きだという誤解が吹聴されて困っているようだから、素敵なお相手を紹介してあげたよ」
微笑みは酷薄であり、ジョージの言い訳を一切聞く気がないのだと目が語っている。
今朝までは確かにアーネストを盤上で踊らせて、自分は外で嗤う傍観者であると思っていたのに。
誰よりも上手く立ち回っているはずだったのに。
「コリンズ子爵子息もそうだったが、どうにも今年の下位貴族のクラスは立場を理解できていない者が多すぎるようだね。
君達のしたことは学園のみならず社交界で既に噂が回り始めているし、君達のしたことを知っている家は婚約なんて断るだろう。
見合った婿候補のいない、不作の年だと嘆いていたよ。婚約者のいる他の子息達のお相手の家にも今回の件を知らせてあげたから、どこも婚約を破棄するか、お情けで解消にはするだろうとも」
フォスター伯爵が立ち上がる。
「随分と話し込んでしまった。
用件も済んだし失礼するよ。これでも娘の新しい婚約者を見極めるのに忙しくてね」
探す、ではない。見極める。
ジョージが釣書を送るよりも早く、目の前の人物はこうなることを予測できていたというのか。
こちらを見下ろすフォスター伯爵の笑みが恐ろしい。
「ジョージ・オットー。君は上手くやったつもりだろうが、大人から見たら実にくだらない児戯だったよ。
いくら愚か者を相手にしていたとはいえ、卑劣な手口で他人を陥れてまで私の娘を手に入れようとした、その代償の大きさに後悔するといい」
フォスター伯爵が帰った後、我に返った父が隣に駆け込むも既に手遅れで、アンナには既に新しい婚約者がいると冷たい返事が突き付けられた。
実に親切な方が仕事の依頼がてらに色々教えてくれたのだと、これ見よがしにあった手の中の封書はフォスター伯爵家の家紋が押されていた。
貴族ではないが、アンナの家は実直な仕事ぶりが評価される富裕層向けの代筆屋だ。
この仕事で生業を立てるには、美しい文字を書き、美しい物を見、高い教養、何より信用が必要となる。
主な依頼元は成り上がった教養の足りない平民からが多く、次いで男爵家や子爵家、時折悪筆を嘆く伯爵家からの依頼もあって、跡継ぎであるアンナも平民でありながらも貴族並みの教養を身に付けている。
貴族ではないが、貴族の血を入れる特別な平民の家系。
フォスター伯爵家が駄目でも、彼女の家ならば今と同じだけの贅沢は可能だと思っていたのに。
確かにあったはずの、幸せな未来へと辿る道がガラガラと崩れていく。
きっともう婿入りは難しいだろう。
家の役に立たないジョージに出す授業料などないだろうから、学園は退学してどこかの店に奉公に出される可能性が高い。
まだ商会の経理などに雇用されれば運がいい方で、学園を途中退学したジョージの場合だと平民に交じって汗を流して働く可能性だってある。
一体どこで間違えたのだろう。
アンナで我慢しなかったことか。
それともアーネストを陥れたことか。
けれど、どんな回答を誰が返してくれたとしても、ジョージの時間が巻き戻ることはない。
きっと、このことを後悔しながら思い描いていなかった人生を暗く生きていくことになるのだ。