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6. コリンズ子爵家の後始末

翌朝一番にアン男爵への手紙を持たせた使者を送り、筋肉隆々とした男爵と、母に似て良かったと言われているメアリのもとに訪れたのは昼のこと。

こんな状況で仕事に行けないと、上司には事情を伝えて数日の休暇は取得した。

あのボンクラ二人は絶対に部屋から出さないようにと使用人に言い含めている。母の生家からも屈強な使用人を数人借りたので、これで表に出ることなど出来ないだろう。

「それは災難だったね、バーナード」

「いえ、父と弟を諫められなかった私にも責任はあります」

美しい蔓植物が描かれたグラスに、淡い色味の果実水が入れられ、氷が軽やかな音を立てている。

「いやいや、仕事に出ている君では彼らを止めることなどできないのだからね。

しかも一人はいい年をした子爵であり、もう一人は学生ながらも貴族としての教育を受けているはずの者だ。

彼らに非があるだろう」

話をしている限りでは、バーナードにお怒りといった様子では無さそうだ。

隣に座るメアリにも特別いつもと違う様子は見えないことから、婚約は継続できそうだと安堵する。

「婚約は継続で問題ないが、代わりに条件が一つあるんだ」

「条件、ですか?」

持参金の引き下げなら受け入れるし、今回の原因となった二人の罰を重くしてほしいということならば、命に関わらなければ応じるつもりである。

「ほらアーネスト君がタウンハウスにいれば別のトラブルが起きるかもしれないし、子爵とどこか小さな家でも与えて暮らせても、自分に甘い父親を出し抜いて逃げ出すかもしれない。

親としてはメアリに何かあったらと心配でね」

男爵の言葉はあり得そうで頭が痛い。

「なので私の妻の実家で預かってもらうというのはどうだろうか?」

「夫人のご実家というと、確か国境付近の小さな領でしたでしょうか」

土地は痩せているが、険しい山と森に囲まれていることから猟と牧畜を生業とする者が多く、美しい毛皮と山羊のチーズの特産地のはずだ。

狐の尻尾で作られた首巻を貰ったことがあるが、数年経った今でも寒い季節に役立つ逸品である。

代わりに他には一切何もない田舎だと聞いているが。

そんな中にアーネスト。

「あれに何ができるでしょうか?」

「何もできないだろうねえ」

からからと笑いながら返した男爵は、それでいいんだよと言葉を続ける。

「本人がどう思うかは一旦横に置いて、子爵家から追い出しても好き勝手できるようなら罰にもならないだろう?

コリンズ子爵家に必要なのはフォスター伯爵に対する誠意だからね。優秀であるアーネスト君が本来の実力を思い知る、いや失礼、才能を発揮できないくらいの方が相手への心証がいい」

それに妻の溜飲も下がるだろうから、と続けられた言葉に、母親似のメアリを馬鹿にしていたツケがここで回ってきたのかと、つくづく弟の愚かさを嘆きそうになりながらお茶を口にする。

スッキリとした清涼感のあるお茶は、そこそこ裕福な平民の間で流行っているフレーバーティーだ。

ミントと柑橘類の果皮を乾燥させたものが混ぜられていて、夏場にピッタリだとコリンズ子爵家でもよく購入している。

「それでしたら、甘えさせて頂きたいと思います。

メアリもこんなことになって申し訳ない」

アン男爵の横に座る婚約者へと目を向けたら、父親と同じ笑みを浮かべて首を横に振った。

「いいのよ、バーナード。

こんなことになるのはわかっていたのに、愛情深い貴方がもしかしたら悲しむかもしれないと、早々に始末しないで後手に回った私にも問題はあるのだから」

「……君がアーネストを嫌っているのはよくわかったよ」

「ええ、死ぬほど嫌い」

淑女らしからぬ笑みが嫁いでくるのは半年後。

それでもできるだけ早くアーネストは追い出そうと、バーナードは強く誓った。


既に男爵家では受け入れる準備を進めているらしく、アーネストの身柄は三週間後という異例の早さで送り出すこととなった。

学園の退学手続きなどを急ぎ進める必要もある。

バーナードも子爵を継ぐことになるので、出仕先には色々と相談もしなくてはならない。

併せて婚姻の準備を進める必要もあって、そちらについてはある程度メアリと母を頼ることになるが、それでも目の回る忙しさだ。

そんな慌ただしい日々を過ごす中で、自室で謹慎しているアーネストがヒステリーを爆発させ、使用人に殴りかかろうとしたという報告を受けた。

運良く使用人に怪我などはなかったが、一体どういうつもりだとアーネストを叱責したら、自分よりも劣った人間に指図されたくないと反抗的な目つきで睨んでくる。

早く学園に戻って勉強しないと成績が下がってしまう、婿入り先だって自分で探したほうが都合の良い相手を見つけられると捲し立てられ、熱に浮かされたような弟の姿が全く違う生物のように見えてきてゾッとした。

面倒な事になるだろうからというメアリの提案で、アーネストの処遇については本人に伝えていなかったが、変わらず言わないままがいいだろう。荷物も後で送ればいい。

当日に馬車に放り込む際に伝えてお別れだ。

馬車は窓が小さくて、外から扉に鍵をかけられるものを借りる手筈は整えている。

男娼として売り飛ばしたら良かったのではと物騒なことを言い出す母に、早めにアン男爵との話を進めて良かったと胸を撫で下ろした。

この夫婦は本当に。二人を足して二で割れば丁度よかっただろうに。

別にアーネストのことは好きでもないが、率先して恨みを買いたいわけでもない。

そもそも婚姻を控えたバーナードに娼館なんかで遊ぶ金も無ければ、行かない場所に伝手もない。

こうやって他家からの手を借りて、やっとのことで成り立っているのだ。

自身に求められるのは誠実さであることは理解できていた。

ここ数日でインク壺の中身が無くなったことを思い出して、家令のブルックに補充を依頼しながら、全てが終わったらフォスター伯爵に改めて手紙を送らなければと考える。

きっと我が家のことは調べさせていると思うが、本人から知らせるのが大事なのだ。


とにもかくにも当主交代の書類は二週間で届き、言い訳を重ねる父にもはや脅迫に近い形で署名を迫り、先ずは最初にと王都の外れ、中流家庭の平民たちが暮らす住宅街のアパートへと送り出した。

戻ってこないよう、当分の間はあちらに数人の使用人を采配したので懐が痛い。

その生活も暫定処置でしかなく、他に程良い大きさの空き家を見つけたら移動してもらう予定となっている。

母は全ての引継ぎが終わったら、父の所に向かわずに兄妹仲の良い生家に帰るらしい。

「旦那様のことは好きでも嫌いでもないですからね」

人はそれを無関心と呼ぶのだが、さすがにちょっと可哀想なので父には言わないでおくつもりだ。

アーネストの退学届も恙無く受理され、この頃になると頻繁に怒鳴り声を上げては扉を叩き続ける弟は、アン男爵が寄越してくれた猟師上がりの使用人達によって簀巻きにされ、予定より二日早く見知らぬ土地への旅立ちを見送ることとなった。

猿轡をした弟が唸り声を上げるのを聞き流しながら、事務的に処分の話をし、態度を改めるまでは戻ることを許さないと言えば、さすがに顔を蒼白にしてバーナードを見上げてきたが後の祭りだ。

「心を入れ替えて戻ったとしても、もうお前を子爵家に置くことはない。

成人するまでは除籍することはないが、お前の婿入り先を探すことなどしない。というか、できない。

住み込みで働くなり、どこかで部屋でも借りて働けないのであれば、あちらの地で自分にできることを探すことだ」

アーネストの婿入りの際に持たせるつもりだった資産は、父の蟄居の費用とアーネストを預かってくれる先へのお礼に使い切っている。

アーネストが溢す涙の理由はわからない。

せめて反省であればいいが、上手くやれなかった自身への後悔だけだとしたら、ここに戻ってくるのに何年もかかるだろう。

荷物のように馬車の中へと放り込まれたアーネストが窓を叩く。

許さない、と微かに届いた言葉を耳にしながら、動き出した馬車が消えるまで横のメアリと見送った。


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