5. 誠意の在り方
コリンズ子爵が嫡男であるバーナードは今、頭を抱えていた。
いつものように王宮への出仕を終え、帰宅した家の様子がおかしいのに気づいたのは食事の時だ。
何か言いたそうにしながらも、食事と共に言いたいことを喉へ押し込める父親と、怒りを隠そうともせずに無言のまま食べ続ける弟のアーネスト。そしてアーネストを睨みつけるたびに食事の手が止まる母親。
これは何かあったのだと家令のブルックを見れば、申し訳なさそうな顔をされたので確定だろう。
父上、と声をかければ、大袈裟なまでに肩が跳ねた。
「食事の後、執務室で話を致しましょう」
と言えば、ガクガクと縦に振られる首に溜息をつきたくなる。
ただただ食事を口に運ぶだけの父と弟。途中で放棄し席を立った母。
バーナードが口にする食事すらも味を失ってしまいそうだ。
だからといって料理人が作ってくれた食事を残すなんて選択肢はない。
胃に詰め込むように流し入れて、いつものように美味しかったと言いながら席を立ち、家令に食後の珈琲は執務室に運ぶように伝えてから食堂を出る。
そうして執務室で待つこと30分、ようやく姿を見せた父から吐き出される言い訳をバッサリ切り捨てるのに20分。
途中で参加した母の罵る言葉を諫めるのに15分。
ようやくアーネストの婚約破棄が判明したバーナードは、冒頭に戻ることとなったのだ。
「父上はアーネストをどうするつもりなんです?」
眉間の皺を揉み解しながら正面の父を見れば、あからさまに目を逸らされた。
「父上の話が布でくるんだように曖昧なのを考慮しても、伯爵が大層お怒りだということはわかりました。
そしてアーネストの有責で当然だということも」
バーナードの横に座る母も頷く。
「だから、アーネストを甘やかしてはいけないと散々言いましたのに」
「そうですよ。優秀な息子だからと散々甘やかした結果がこれなのを自覚してください」
と、話が逸れたことに気がついて咳払いをする。
「それで、どうするのですか?」
請求された慰謝料は一括で払うとなると多少の借金をすることになるが、払えないことはないし返済にもそこまで困らないだろう。
伯爵もよく理解しているのか、支払えるだけの金額になるようにはしてくれたようだった。だからといって配慮してくれたわけではなく、単に我が家の収支を適当に算出して払える金額を提示したに過ぎないことも理解している。
アーネストの態度から破産するような額を請求されても当然だというのに、フォスター伯爵はそれをしなかった。
つまり、そういうことだろう。
我が家はフォスター伯爵家に対して、自ら誠意を見せなければならないのだ。
目の前の父親が気づいていないようならば、すぐさま当主も交代だ。
気づいた上で甘っちょろいことを言っても同様だ。
それをわかっているからこそ、母もバーナードの隣に座っているのだ。
「アーネストならば少し家格を落としさえすれば、良い婿入り先が見つかるだろう。
今回の事で反省もするだろうし、新しい縁を探してやろうと思っている」
これは駄目だ。
もう隠す気もなくなった溜息を盛大に落とし、父上、と出た声は限りなく低い。
「色々と言いたいことはありますが、先ずは先に伝えておきます」
すっかり縮こまってしまった父が上目遣いで見てくるが、中年男性の上目遣いなど気持ち悪いとしか言いようがない。
「父上、貴方は事の大きさをよく理解できていないようだ。
アーネストの監督不行き届きの責任を取って、父上はすぐに蟄居願います」
は、という言葉が父のだらしなく開いた口から落ちた。
「何をそんなに驚くのです。
下位である子爵家のたかが次男坊が、上位に当たる伯爵家に無礼を、それも家の乗っ取りと思われても仕方がない行為をしていたのですよ。
先ず当主である父上が責任を取らなくて、どうするのですか」
「け、けれど、そんなことをしたらアーネストのしたことを明るみにしなければならず、子爵家の評判だって、」
「既になっているでしょうし、評判も地の底に決まっているでしょう」
母がピシャリと遮る。
「フォスター伯爵が公式に記録官に依頼し、さらには周囲に聞き回っていたのだと仰っていたのでしょう?
大体アーネストのしていたことは、学園にいる同級生たちからの受け売りということじゃないの。
そんな中で、どうして旦那様はアーネストの愚行を知らない人間がいるのだという楽観的な思考になるのかしら」
「そんな、アーネストはお前に似ているのに、どうしてそんな冷たいことを言うんだ」
とうとう母まで溜息を隠すことをしなくなった。
「本当に旦那様ときたら。今の言葉、そっくりそのままお返ししますわ。
バーナードは旦那様に似たコリンズ家らしい容姿を持ち、そのうえでしっかりした子に育ったというのに、どうしてアーネストばかり贔屓にするのやら」
未だ言葉にならない言葉を口の中で転がす父を見ていられず、そっと視線を外す。
どうにも父は自分が子爵に向いていないと自覚する余りに、自分に外見が似たバーナードも同一視しがちだ。
だから貴族らしい外見には見えるアーネストを可愛がるのだろうが、結局それが劣等感で成り立つものであって、貴族であるという意識ではないことに気づかないまま。
「こんな醜態、我が家に嫁いでくれるメアリに申し訳ないわ」
メアリ・アンは半年後に婚姻を控えた、バーナードの婚約者だ。
男爵家の三女で、母の生家であるパリス伯爵家の外戚に当たる。
令嬢としての淑やかさは少々評価しにくいものの、学園で10位内の成績を保持しながら卒業して職業婦人として働くことを厭わず、アーネストをやり込めることのできる才女でもある。
後、騎士である兄の影響からか、一時期は騎士科に交ざって鍛錬していたので腕も立つ。
ソバカスを散らした健康的な彼女のことをアーネストが馬鹿にする度に、売り物である顔を外してボコボコにしてやっていたが、これはメアリと一緒に再度叩きのめす必要があるだろう。
彼女が婚約解消を言い出さなければだが。
「明日にでも急ぎ伺いを立てて、私だけでアン男爵とお会いしようと思います」
「そうね、旦那様を連れて行くと話が進まないので、バーナードだけの方がいいでしょう。
私は今夜中にでも実家に後ろ盾のお願いと、当主交代の手続きの処理を手伝ってもらえるよう手紙を認めるわ」
旦那様、と淑女の笑みで母が正面を見据える。
既に父は虫の息だ。
「バーナードが嫡男らしく育ってくれたのだけが唯一の救いです。
早々に書類を整えてもらいますから、アーネストと同様に暫くは自室で謹慎なさいませ。
ええ、大丈夫。旦那様がいなくともバーナードの補佐は母たる私とブルックがいれば十分です。
どこか静かに過ごせる小さな家でも用意してもらいますから、署名をされたら引っ込んでくださいな」
暗に父が邪魔だという母は、政略結婚ゆえの潔さで父を切り捨てていく。
暗愚である父では子爵家を没落させそうだと、祖父が泣きついて婚姻が成立したのだと聞いてはいるが、よくもまあ断らなかったものだ。
そんな母に散々に言われる父を置いて、向かう先はアーネストの部屋である。
父よりある意味手ごわい相手だ。
父は劣等感の塊だが、アーネストは自信の塊だろう。
思い込みが強く、父に言われ続けたせいで自身を優秀だと信じて疑わない。
子爵の次男坊なんて婿入りできなかったら平民になるしかないのに矜持だけが高く、その癖ご自慢の勉強以外には努力を一切行わず、狭い見識の中でしか生きていない。
何を言ったところで見下している相手の言葉など受け入れないだろうが、バーナードは次の当主として向き合わなければいけない。
ブルックに後で珈琲を用意してもらうように頼んで、二階に続く階段へと足を踏み出した。