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1. 愛は必要のないもの

「私は貴女からの愛を特に必要としていない」

無表情のまま、婚約者の口から吐き出される言葉はいつだって否定的だ。

「アーネスト様にはどなたか想われている方がいらっしゃるのでしょうか?」

声が震えぬように、心の中で冷静にと自身を叱咤しながらフレデリカはアーネストへと問いかける。

淑女らしくあるようにと意識している微笑みを浮かべているつもりだが、アーネストの眉間に皺が寄せられたのを見てしまうと甚だ怪しくなってきた。

「よもや愛人を持つとでも?

婿入りする身の私が非常識な人間だと言われたいのか?」

「けれど、私を愛さないと宣言されるのですから、誰か他の方がいらっしゃるのかと……」

フレデリカの語尾がか細く消えていく。

「別に愛人を持つ気はないが、だからと言って貴女と愛を育む気もない」

「そんな、政略結婚だとしても、そこから愛を育むことはできますわ」

「それは双方に好意があればの話だろう。

あいにく私にとってフレデリカ嬢は、婚姻の相手として条件の合う家の令嬢なだけに過ぎず、ゆえに愛はいらないのだ」

婚約を結んで一年半。

婚約前と婚約して少しばかりの間は、こうも無表情ではなかったし、月に一度で約束されたお茶会には花や土産を持って訪れてくれていたのに。

今では手ぶらで訪れてはお茶が不味いと言い放ち、他家で美味しかった茶葉やお菓子の話をしたかと思えば、逆に手土産を用意しないことを叱りつけて早々に去って行く。

「毎月のお茶会も義務だから訪れているだけだ。

それなのに好意も無い相手から向けられる感情など、はっきり言って迷惑でしかない。

来月のお茶会までに夢見がちな考えを改めないと、婚約の解消も視野に入れておくことになる」

私の婿入りを望む家は他にもあるのだからと言って、アーネストが席を立つ。

「恋愛ごっこがしたいなど下らない考えを持つ前に、この伯爵家に私が婿入りするという幸運にどう報いるかを考えた方がいい。

私は自分に釣り合うだけの女性と婚姻したいとは思っているが、フレデリカ嬢がそうかと聞かれれば否となる。

せめて慎み深く、私を立てて生活をするというのならば考えてやらないこともないが。

これは助言だ。貴女が私と婚約解消に至らないようにするための」

訪れて僅か1時間にも満たぬ交流すら早々に打ち切り、暇の言葉掛けも無く、足早に立ち去る背を見送るフレデリカの視界がぼやけていった。


「あの方は本当に顔だけの最低な人間ですわ」

「そう言わないで。アーネスト様は学園での成績が優秀でいらっしゃるそうなのよ」

「ええ、ええ、言い間違えました。

学園での成績しか取り柄のない屑野郎でした」

フレデリカ付きの侍女であるネロリーのいる方から鈍い音が聞こえたが、あいにく目を覆うタオルで何があったかは確認することができなかった。

「優秀な頭だろうと、むしろ優秀だと言うのならば、もう少し気の利いたことも言えるでしょうに。

悪態ばかりがご立派なばかり。きっと心根が腐っているのです」

断言したネロリーに思わず笑い、そうしてからギュッと目を瞑る。

お茶会の席でひとしきり泣いた後に部屋に戻れば、ネロリーが氷水に浸したタオルを強く絞り、泣き腫らした目を冷やしてくれていたのだ。

「言い返せば、いいのでしょうけど」

フレデリカが言葉を溢せば、最近侍女になったばかりのジェナが違いますと声を上げた。

「いいえ、いいえ、お嬢様が言い返す必要はありません。

そもそも、アーネスト様は本来あのようなことを口にするべきではないのです」

「そうね」

少なくとも婿入りする気があるのならば、どんなに考えに相違があるのだとしても攻撃的な態度で否定するべきではない。


「アーネスト様は私のこと、きっと嫌いなのね」

ぽつりと落とした言葉が空気を重くし、それを変えようとするかのようにジェナが大袈裟なくらいの明るい声で喋り出した。

「そういえばお嬢様、侍女の間で流れている噂をご存知ですか?」

噂、とぼんやりする頭のままに反芻し、タオルを目から外した。

ネロリーが悪戯心一杯の笑みを浮かべている。

「ええ、なんでも不思議な魔法を売っているお店でございます。

誰かを誰かに惚れさせたり、逆に嫌いにさせたり、そういった人の心を操る類の魔法だそうですよ」

そんな魔法があるのだろうか。

確かに魔法を使える人はいるものの、それは目に見えるものばかりだ。

火を熾したり、水を凍らせたり、今は不在の聖女様は傷や病を癒されることができると聞いたことがあるぐらい。

フレデリカの身にも魔法は宿っているが、ほんの少しだけ植物の成長を促す程度のものだ。

フォスター伯爵領は小麦の特産地であり、特に虫や水に強い品種への改良を行っているので、領に住まう研究者からは重宝されているが。

魔女が人を魅了する魔法を知っていると言われているが、実際に使われた話を聞いたことはなかった。

だから人の心を操ると言っても、俄かには信じがたい。


「それが本当だとしても、人の心を操るなんて危険だし、なにより相手を蔑ろにしているのではないかしら?」

「仰る通りです。ですから店主はやって来た客の話をよく聞いて、そこに疚しい気持ちがあるようでしたらお断りするのだそうですよ」

胡散臭いですよね、とジェナがあっけらかんと笑う。

「きっと魔法ではなくて、その店主と話をすることによって気持ちに踏ん切りをつけているんじゃないかって私は思いますけどね。

噂には尾ひれが付くものですから」

「それなら確かに納得できるわね」

まったく自分とは関係ない人に話をするだけで、煮詰まった考えも、感情も整理がつけやすくなるのかもしれない。

「私もそのお店に行けば、アーネスト様への気持ちを無くすことができるかしら」

あそこまで言われたのだ。

想う女性が今はいないのだとしても、フレデリカのことを好きになることなどないのだろう。

ベッドから起き上がって、机の二番目の引き出しを開ける。

入っているのは封筒が三通と季節の挨拶のカードが2枚、それから誕生日に贈られた万年筆。

もう一本ある万年筆は年明けの祝いに贈られたもので、誕生日の万年筆とまったく同じものだ。フレデリカの誕生日は年の明ける三ヵ月前で、婚約者の贈り物を忘れる程に日が過ぎているわけではない。

こういった贈り物は誰かと相談して買うものなのだが、誰にも相談することなくアーネストが無頓着にも同じ物を購入したのか。

フレデリカのことを本当に嫌っているのかもしれない。


アーネストとの交流は、全て父である伯爵へと報告が上がっているはず。

幸い、父は領地に戻っていることから、今日のことが伝わるのは少し後になる。

常々父は、女伯爵となるフレデリカのためになる相手を見つけるのだと言っていた。

今日あったお茶会の会話が報告されれば、良くてアーネストとの婚約解消か、最悪な場合はアーネストの家に婚約破棄を言い渡すことになるはずだ。

アーネストの父親であるコリンズ子爵が何と言い縋ろうとも、婚約継続はありえないだろう。

フレデリカだってアーネストの態度を見れば見る程に、結婚する相手として望ましくないとわかっている。

ただ、頭で整理できたとしても感情が伴わないのだ。

出会った時のアーネストは自信家ではあったけれど、今のような態度ではなかったのに。

以前は話が弾まなかったら一緒に話題を探そうとしてくれていたり、花言葉の意味を配慮しなかったが喜んでもらえたならと花を買ってくれたりした。

一体何が切っ掛けで変貌したのかはわからないが、フレデリカではどうにもできそうにない。

ならば婚約は続けられない。

明日、そのお店に行ってみよう。

本当は魔法がなくてもいい。噂は噂でしかなくてもいい。

アーネストから離れようと動き出すのが大事なのだから。


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