匿名&インタホン
駅近くのとある安アパート。
そ子に住む1人の男は、ここの所ピンポンダッシュの被害に遭っていた。
インターホンが鳴るのは決まって早朝。午前5時頃。
男はけたたましい電子音に叩き起こされるも、覗き窓から外の様子を窺った時には、既に、玄関前には誰の姿も映っていない。
男とて、何の対策もしなかった訳ではない。
犯人を自分の手で捕まえようと、アパートの外から監視していた事もあった。
しかし、その際は犯人のシルエット一つ見つける事すら叶わず、それどころか後日、男が自分のアパートを遠巻きに監視している様子を、更に遠方から撮影していたビデオテープが、匿名で送られてきた。
最初は、単なる子供のイタズラ程度に思っていた。
けれど、近隣の学校に相談しても、警察にいくら通報しようとも、犯人の痕跡一つ定かにはならなかった。
インターホンの故障ではないのかと、10回以上は調べた。
ダミーカメラを設置した事もあった。
数十万もの金をつぎ込んで、お祓いもした。
それらの努力も全て、意味はなかった。
ただの一度も、犯人は見つからなかったためである。
周囲からしてみれば、男は狂人扱い。全て男の自作自演だと思われている有様だった。
外を出れば他者からの視線に怯え、アパートに帰っても、得体の知れないチャイムに怯えて。
その内、男は眠れなくなった。
一晩中、布団の中で横になっていると、考える時間だけはたっぷりあった。
眠れなくなってから数週間の月日が経ち、思いついた。
ダミーカメラを本物にすり替えようと。
何故こんな簡単な事を今の今まで考え付かなかったのか、男は天井を見上げながら、低く笑った。
その翌日、男はカメラを取り付けた。
カメラを取り付け、数日が経った頃、男の元にある小包が届いた。
小さなダンボール箱に入ったその小包は、ボロボロに破壊された機械の残骸であり、それは数日前、男が玄関先に設置した監視カメラの部品だった。
男は慌てて外に飛び出し、カメラの設置場所を確認したが、そこにはもう、綺麗さっぱり何もなかった。
※※※
不思議な事に、小包が届いた翌日からピンポンダッシュは無くなった。
結局、犯人の素性は何一つ分かりやしなかったが、もう終わったものと、男は忘れようとしていた。
かれこれ数カ月後、男は仕事の都合で引っ越す事になった。関西方面に異動となったのだ。
男にとっては渡りに船の状況だった。
これで完全にピンポンダッシュの件とは無関係になれる、そう思った男が浮足立つのは、栓ない事だった。
やがて、引っ越し準備やら退室の立ち合い等、諸々の用事を済ませた男は、あっという間に部屋を引き払った。
僅かに残った生活用品を持ち帰り、そのアパートを最後にしかけた時の事だ。
男は背後から声をかけられた。
「あのう、これ……」
小学生くらいの年齢の女児だった。
1人の女児が、可愛らしくラッピングされた小包を、男に差し出していた。
男が「これは何だい? 君、どこの子だい」と尋ねると、女児は首を横に振り。
「ううん、違うの。私からじゃなくて、これは、その……受け取ったの。代わりに渡しといて、って」
「? 受け取ったって、誰から……」
男の質問に、女児はやや間をおいて、ためらう様に言った。
「……毎朝5時のチャイム。そう言えば分かるって」
「な──」
男はさっと血相を変えて、女児から小包をひったくると、夢中でそれを破き出した。
何かに掻き立てられるように、あっという間に包みを破き、男は絶句した。
中に入ってたのは、1台のスマホ。
そのスマホは電源が入っていて、画面にはある映像が映っていた。
それは、つい数分前、男が後にしたばかりの一室を、天井から見下ろす様に撮影している映像だった。
片づけが終わり、空っぽになった室内が、スマホの画面上には確かに映っていた。
暫く映像を凝視していた男は、カラカラに渇いた喉を震わせると──
「あぁ、そうか……そうだったのか…………」
──そう言って、ゆっくりと崩れ落ちた。
「ねぇ、おじさん。大丈夫?」
女児の心配するような声に、やがて顔を上げた男は、縋るように聞き返した。
「なぁ、これで本当に終わりだよな? そうだろ? そうだと言ってくれ……」
目に涙を滲ませた大の男を前に、女児はぱちぱちと瞬きすると、呆気取られたように呟いた。
「……知らないよ、私は」