第16章
十六
時間は無情にも刻々と過ぎていった。競羅は険しい顔をして坂梨をにらんでいた。
しかし、坂梨はその様子が楽しいのか、手錠をかけられ、腰縄をうたれ、猿ぐつわをかまされているにもかかわらず、目が笑っていた。目標を達せる喜びか。
鈴木警部補が声をかけてきた。
「あなたも変わってますなあ。自分の身がかわいくないですか」
「もう、こっちのことはいいよ。それより、鈴木さんこそ家族がいるのだろ。このままでは、奥さんや子供が悲しむよ」
競羅は気づかうような口調でそう声を出した。
「仕方がありません。私は警部のお世話になりましたし、職務としても絶対に、警部を守り、警部一人だけを死なせるわけにはいかないのです」
「あんたも浪花節だね。今どき、殉死は、はやらないよ」
「いえ、女房子供も、わかってくれると思います。警察官の家族ですから、私が逃げ出したら、その警察官として、誰もこの坂梨を捕まえている人物はいなくなるのです」
鈴木警部補はリンとした口調で答えた。
「なるほどね、警察官としてか。確かに重い言葉だね」
「あなたこそ、本当に、こんなことで将来を閉ざすなんて」
「だから、こっちのことは、もう、かまわないでおくれよ。命を捨てるつもりで、ここまで来たからね。この子は身内みたいなものだし、その覚悟はできてるよ。それより、そこで一生懸命に落盤を崩しているおじさん。あの人はどうなのだい?」
「大黒さんですか。実は、あの方は身寄りがいないのです。今から、かれこれ、二十年ほど前ですかね。巡査時代に爆破事件で、一家全員を失いましてね」
鈴木警部補は沈痛な表情をしていた。
「そうだったのかよ!」
「ええ。この坂梨の事件とは別でしたけど、悲惨なものだったらしいです。それ以来、処理班を志願しまして、現在にいたっているのです。あのときは、まだ爆弾処理は、今ほど、技術が進んでいませんでしたから」
その説明をしている、鈴木警部補の声が聞こえているのかいないのか、大黒主任は、我を忘れたように掘削を続けていた。
〈ところで、爆発まで、あと、どれくらいだろう?〉
競羅はそう思うと、赤いデジタルタイマーをのぞいた。
「ついに、一分を切ったか。いよいよかね」
彼女は悟りを得たような表情をしてつぶやいた。
落盤の向こうでは、天美と十条警部が必死になって瓦礫を運んでいた。
時はさかのぼり、その十数分前のことである。
警部は、暗闇の中をじっと見つめて、何かを考えていた。そして、ある考えが浮かんだのか、天美に向かって声をかけてきた。
「一つ思うのだけど、今日のあの通報、ひょっとして、君だったのではないかな」
「えっ! どういう意味ー」
天美は思わぬ質問に反応した。
「実は、この通報、マスコミには隠しているのだが、若い女性の声だったんだ。あらためて考えると、どうも、君のような感じがするのだな。僕は長い捜査経験で、あまり、偶然を信じなくてね。どんな事件の裏にも、たいてい、必然性があるという主義なのだよ」
「それで、わったしだと?」
「そういうことだね、以前からの君の行動に当てはめてみると、色々と見えてくるのだよ。まず君は、今回もまた、持ち前の好奇心で、爆弾犯人を捕まえようとしていた。そして、この今、僕たちが閉じこめられている、エレクトロ何とかビルなのだが、この場所に目をつけた。 その理由は、これも今から思うと、前の爆発が不自然だったからではないのかな。僕も、もう少し早く気がつけばよかったよ」
警部は話しながら、のぞき込むように天美を見つめた。
その天美は無言であった。警部は想像が正しかったとばかり、言葉を続けた。
「ともかく、君は、このビルが次の爆破現場だと思ったわけだ。カンのいい君のことだから、このビルに到着をすると、犯人がまたも裏をかいて、同じ場所に爆弾を仕掛けるのではないかと推理して、地下に降りてきた。その結果、爆弾を見つけて通報をしたんだ。そのあと、解体を最後まで見届けたいと思って、この建物の中に隠れていたのだろ」
実際、天美は、再びこのビルに侵入をしたのだが、警部の推理はここまでであった。
「でも、それだけでは、わったしが通報者と決めつけるの無理でしょ」
天美は、警部が、すべてを知ったわけではないとわかり、余裕を持った態度で反論した。
「しかしな、君の今までの行動パターンを思うと、そう思うしかないのだなあ。 まず、この場所だが、【危険!・・】とかいう看板が立っていたはずだ。普通の子なら、危険という言葉を聞くと、たいていは怯えるのだが、君は危険という行動を、いつも、好んでする傾向があるからな。今回も、その口だと思うが、どうかな?」
「なるほど、あくまで、警部さんは、わったしが、爆弾、見つけた少女で、その爆弾の行方が心配で、ここに残った、と推理するのね」
天美は挑戦的な目をして言い返した。彼女は、警部の発言を認めるわけにはいかなかった。なぜなら、それを認めることによって、ある点をつかれることになるからだ。
今の状況の警部なら、まだ、そこまで頭が回らないかもしれないが、事件が解決し冷静な状態になったら、必ず、その点が追求されるからである。そして、反論は続いた。
「だとするとおかしいよね。どうして、わったしが、今日、爆発することまで推理できたの? さすがにそこまでは、推理だけでは無理だし、見つかったのも、今日の今日なんて、まさに偶然じゃない。確か、偶然という言葉、警部さん、信じないと言ってたけど」
天美は、偶然という言葉を強調して答えた。先ほど、警部が、偶然を信じないと言った言葉に対する、あてつけである。
「えーと、それは・・」
警部の言葉が詰まった。
「でしょ。だから、偶然ってあるの。わったしは、本当に、たまたま、あそこに遊びに来てただけで、『爆弾、仕掛けてある』っていう放送聞いて、興味わいて、居残ることにしたの。よく考えたら、他にもいくらでもいるでしょ、冒険好きな女の子なんて。その子が、音に敏感な子で、爆弾、見つけたのだと思うけど」
「確かに、君の言うとおり、今日の今日という問題が出てくるな。しかし、ここ一両日中に事件は急展開をしたし、君は、それら一連のニュースから、事件の次の展開を予想し、この経緯にたどりついた、ということも考えられないことではないが、さすがに、そんな乱暴な推論では、これ以上は追求はできないな」
警部は引き下がった。その口調からは、彼女の弁解を信用してない様子である。
「そういうこと、それより今は、これ以上、議論してる場合じゃないでしょ」
そして、天美は、崩れている瓦礫の方に向かい、手探りで破片の一つに手をかけようとした。議論を終わらすという意味でもあるが、今、最も必要な用件があるからだ。
その行動を見て、十条警部が慌てて声をかけた。
「何をやろうとするんだ! 危ないじゃないか!」
「危ないって、この固まり、どかすこと?」
「そうだ、真っ暗だろう。怪我をしたら、どうするんだ!」
「大丈夫、だいぶ、目、慣れたし」
実際、天美は、セラスタでの過酷な環境で育ったため、普通の人間より、闇に目が慣れるのが早いのである。
「そういう問題ではないだろう。瓦礫なのだぞ、こんな、重いコンクリートの破片を君にさわらせて、怪我をさせては大変だ」
「そっちこそ、今は、そんな場合じゃないでしょ。あと何分たらずで、ここは大爆発するの! 死ぬか生きるかの問題なのに、怪我なんて」
「怪我だけではない。このような暗闇では、むやみに、瓦礫に触れるのは危険だ! 場合によっては、再び、落盤を誘発させるかもしれないからな」
「もう、起きてるでしょ。本当にさっきから、何言ってるの!」
「いや、僕は・・」
十条警部は沈黙した。次に返す言葉が見つからないのだ。そして、天美は、
「とにかく、それでも、やらないと。爆発したら、あとから後悔すらできないのよ」
「人の力だけでは無理だ! できても、ほんの少し、崩れる程度だよ。だから、無駄なことはやめて、救出されるのを、じっと待っていなさい」
「無駄だって!」
その言葉に、急に天美の目つきが厳しくなった。彼女は、急に声のトーンを低くすると、見下すような態度で言葉を続けた。
「十条さん、いい加減に、そんな、負け犬的な考え方、やめれば!」
「ぼ、ぼくが負け犬だって!」
「そう、余計なことばかり考えて、全然、前に進もうとしないんだから。待ってたら、間違いなく助かるっていうの? 少しでも崩した方が前進するでしょ。たとえ、わずかでも」
天美は反論しながらも、瓦礫を持ち上げていた。
「とにかく、わったし、こういうとき、あきらめること、大嫌いなの! たとえ死ぬとわかってても、もし、何万分かの一、助かる望みあるなら、絶対絶対、最後まであきらめないで、その方法に向かってくから」
「くすっ。なんか、その言葉、ますます、あの人と、そっくりだなあ」
警部は、突然、苦笑をしだした。
「あの人って?」
「ぼくが間違えた、あの人だよ。君は、さっき前にも同じ間違いをした、とか、笑って言っていただろう」
「そうだったけど。あれは、確か十条さんの初恋の人の話で」
「本当に、その言い方考え方。あの人にそっくりだよ。たとえ、どんな、逆境に陥っても、ねばり強く、最後まで、あきらめないところなんてね。思わず、若いときのこと思い出したよ。まったく、さっきの突き放すような言い方、うり二つだったよ」
「では、わかってくれたのね」
「確かに、君の言うとおりだよ。二次災害なんかに、怯えている場合じゃないからね。とにかく、人生を投げ出さずに、前向きに生きることだよ。さあ、ぼくも手伝おう。生きぬくためにね。そうだな、最初は、この固まりからな。よーし、がんばるぞ」
警部は精気を取り戻し、二人は運びやすい瓦礫を見つけて、順番に崩し始めた。
ETLSを見下ろせる高台では、数人の新聞記者たちが、大声を出しながら、それぞれの本社と連絡を取っていた。
この場所は、万が一、ビルが爆発しても、巻き込まれないところである。
大きな中継カメラが陣取り、不幸にして、歴史の一ページを飾ろうとするビル崩壊の瞬間を、いまかいまかと待ちかまえていた。
数弥も、そこで、記者たちに混じりながら、腕時計とにらめっこをしながら、現場のビルを見つめていた。そして、悲痛な声をだした。
「もう八時まで、三十秒ないす。ついに、間に合わなかったんすか。姐さん、天ちゃん!」
天美たちは必死になって瓦礫を動かしていた。
「くそ! あと少しで八時だぞ」
警部が口惜しそうに声を出した。
「でも、がんばらないと」
そう言う天美の口調も、元気がなかった。
彼女も、心中では、はっきりわかっていた。まだ、落盤から抜け出せないこの状況では、どんなに都合よく考えても、爆発前に脱出なんて、とうてい、かなわないことを。
彼女は、それでも必死になって、瓦礫を取り除く作業を続けていた。だが、それらの行動こそ、次の奇跡を引き起こしたのだ。
天美は、突然、ハッとすると、その作業を止めた。蛍光灯のわずかな光が、岩盤から、差し込んできたのだ。そして、ドリルの先端が、その視界に映った。
天美たちが、何度も何度も、あきらめることなく瓦礫を運び、薄くなった、その岩盤をドリルが突き破ったのである。と同時に、
「やったー、あいたぞ! あいたぞ!」
異常に興奮じみた男の声がした。大黒主任の声である。
彼は、この非現実的で異質な状況、岩盤を砕くことだけが、精神の支えだったのか、穴があいたことによって、抑えていた緊張の糸が切れたのだ。
鈴木警部補は、何を今更と思っているのか、その絶望的な表情は変わらなかった。
「主任さん、もういいから、すぐに、ドリルを抜いて!」
競羅は、その大黒に向かって声をかけた。だが、大黒は機械人形のように、掘削作業を続けようとしていた。
競羅は非常手段に出た。彼女は力任せに、大黒ごとドリルを引っ張ったのだ。ドリルは穴から抜け、大黒は、それをつかんだまま、もんどり打った。
そこには、直径五センチ弱の小さな穴だけが中に残った。五センチでは、とても抜けられないが、今の天美には、それで充分であった。
競羅は、その、あいた穴に向かって大きな声で叫んだ。
「あんた、聞こえているなら。その場所に、すぐに指を入れて」
そして、天美は競羅の言葉に従い、穴に人差し指と中指の二本を入れた。
〈くっ、ま、間に合うか!〉
デジタルタイマーを横目で見ながら、競羅は次の行動を開始した。
彼女は、あらかじめ目をつけていたのか、道具箱に近づいた。そして、リード線切り用のはさみを取り出すと、坂梨に結わえられている腰ひもを、そのはさみで切ったのだ。
状態が状態だけに、鈴木警部補は、その行為を止めることができなかった。
次に競羅は、坂梨の口からハンカチをもぎとった。
そして、そのまま、坂梨の襟首をつかんで引きずり、その天美の指が出ている、瓦礫の方に向かっていった。