第一章 1
一
その日、田野田天美は、港区の高輪にある、ファミリーレストランで食事をとっていた。
名の売れた大きなチェーン店で客入りもまあまあである。
時間にして、午後六時少し前か、子供連れを含めた若い夫婦等、大勢の客たちで店内はにぎわっていた。
天美は食事をとりながら、ウインドウ越しにある方角を見ていた。どうしても気になる人物がレストランの外に立っていたからだ。襟までたてたコートを着込んだ、さえない風貌の男である。だが、その目は暗く、怪しげな雰囲気をただよわせていた
男は、しきりに自分の腕時計を見つめていた。
一方、天美の隣のテーブルでは、OL風の二人組が、その男を話題にして、面白おかしそうに会話をしていた。
「見て見てよ。あの男、まだ、外で腕時計なんか見ているよ。さっき、店に入ってきたと思ったら、店内を見回しただけで出ていって」
「そうね。きっとすでに、彼女が先に店の中で待っていると思ったのよ」
「でも、結局、彼女は店の中にはいなくて、さっきから、あの調子で時間を気にしながら、店の外で待っているのね」
「あたしの見たところ、これはもう、間違いなく、その彼女にふられたんだわ。あーあ、可哀想に待ちぼうけか」
「まあ、あんな辛気くさい顔をした人、嫌われても当然ね。それに、今時、往来の真ん中で、腕時計をながめていること自身、ださいったらありゃしない」
「ふふふ、そうね」
二人の女性たちの会話中、時刻は午後六時五十九分になった。
外に立っていた男が不気味な笑みを浮かべた。
そのとき、天美はとてつもない戦慄を感じた。これは、彼女が南米の一国、セラスタに住んでいたとき、何度も経験した感覚である。
〈ここは、戦場じゃなく日本のはずよね〉
彼女は急いでレジに向かった。そして、レジの店員に食事代の千円札二枚を出し、
「何かとんでもないこと、起こりそうだから、みんな、避難させないと!」
大きな声で言った。助詞が言葉足らずなのは、日本に来てから、一年もたっておらず、完全に日本語をマスターしていないからである。
「はっ! どういう意味でしょうか?」
目をくりくりさせた女性の店員は首を傾げて返事をした。
「だから、避難しないと、怖ろしいこと起きるのよ!」
会話中、時計の秒針は五十五秒をまわった。
「もう、間に合わない!」
天美は悲鳴を上げるように叫ぶと、けげんな顔をした店員をしり目に外に飛び出した。
「お客様、おつりはよろしい・・・」
顔色を真っ青にした天美が駆け出し、建物の外に出るやいなや、背後から、あたりをとどろかすような、とてつもない大爆音がした。
突然、砕けたコンクリートや割れたガラスの破片が、雨あられのように降りそそぎ、歩行者たちに次々と襲いかかってきた。彼女は、うまくかわしたのか、細かい破片を受けるだけですんだ。だが、避けることができなかった人たちは血を流して路上でうめいていた。
彼女は恐る恐る振り返ると、レストラン内は完全に火の海であった。
天美は呆然としていた。そして、思わず涙が出てきた。それはそうであろう。さっきまで隣の席にいた女の子たちを含め大勢の客は全員、爆破の犠牲になったからだ。
〈油断してた。何で、もっと早く気づかなかったの! あの男、あからさまに怪しかったのに、もっと早く行動してたら、みんな助かったかも知れないのに、爆破事件だって、続いて起きてることわかってたのに、もう! バカバカバカ!〉
激しい後悔が頭の中を駆け巡った。だが、やがて我に返ると、
「そう言えば、あの男は?」
とつぶやき、爆弾を仕掛けた男を捜した。
だが、男は現場から立ち去っていた。
「あの犯人、許すわけにいかない!」
天美は怒りに燃えた眼をしていた。