オチャコとフィレと豚ヒレカツ定食
オチャコは英語が得意で、推理することも大好きな中学三年生です。お母さんと一緒に、駅前広場で開催される「サタデーおはフリマ」というフリーマーケットに参加しました。
売り物としてオチャコが出品するのは、もう遊ばなくなっているドールハウス、ぬいぐるみの仔豚、および練習で編んだ赤い毛糸のマフラーです。
マーケットが始まってすぐ、オチャコたちのお店に、幼い女の子を連れた老婆がやってきます。
老婆はドールハウスに目をつけて、いわゆる「値下げ交渉」をします。対するオチャコは、一歩も譲ることなく、値札の価格でしか売らないという態度を粘り強く貫きます。それで老婆が音を上げ、値を下げないままの価格で買うのです。
うまくドールハウスを売ることができて、オチャコは気分がよくなります。ぬいぐるみとマフラーも売れるように、「いらっしゃいませ」と大きな声を出して、お客さんを呼ぼうとしました。これが功を奏し、二十歳くらいの男と女が、お店の前で立ち止まります。
オチャコはマフラーを掲げて、「いかがですか」と勧めます。すると男が、「いくらかな」と尋ねました。オチャコは、値札を見せて価格を伝えます。
男は、赤いマフラーを買ってくれました。オチャコは、「この人、一緒にいる女にプレゼントするのだわ」というように推理します。
でも男がマフラーを自分の首に巻いて、女に「どうかな」と尋ねています。女は「うん、いい感じかも」と答えました。こうして二人が立ち去ります。
推理は外れてしまったけれど、オチャコはまったく気にすることなく、「この調子で、フィレも売っちゃおう」と思うのでした。フィレというのは、ぬいぐるみにつけた名前です。
それからは、また「いらっしゃいませ」と繰り返し叫ぶけれど、お店にやってくるお客さんは皆、お母さんが出品している売り物を買うばかりで、フィレには、目もくれません。
とうとう午前十一時五十五分になりました。あと五分で、今週の「サタデーおはフリマ」は終わってしまうのです。
オチャコは元気を失い、「フィレだけ売れ残っちゃうね」とつぶやきます。
この時、人の気配がありました。オチャコが顔を上げると、目の前に、ドールハウスを買ってくれた老婆が立っているのです。今は女の子を連れていません。
老婆から「ぬいぐるみだけ、売れ残ったのかい」と尋ねられたので、オチャコが「そうです」と答えます。
すると老婆は、「買いたいけれど、ドールハウスに使ったから、今月の生活費が底を突いたのでねえ」と話します。これを聞いたオチャコは、「さっき、値下げしてあげればよかったなあ」と少しばかり反省しました。それで決断して、「このぬいぐるみ、お婆さんにあげるわ」と、フィレを差し出すのです。
老婆は「本当にくれるのかい」と驚きました。オチャコは、「この仔豚ちゃん、フィレという名前なの。可愛がって」とお願いして、ぬいぐるみを渡します。老婆が受け取って立ち去りました。
オチャコは胸の内で、「これでよかったのよ。フィレ、幸せに暮らしてね」とつぶやくのでした。
☆ ☆ ☆
日曜を迎えたオチャコは、お父さんとお母さんに連れられ、ピクニックを楽しめる臨海公園にきています。十二月だから寒いけれど、よく晴れています。
そろそろお昼時なので、レジャーシートを広げて、お弁当を食べようとしているところです。
突如、もの凄い風が吹き荒れました。これは、いわゆる「竜巻」と呼ばれる現象です。小柄で体重の軽いオチャコは、なす術もなく、ずっと高くへ飛ばされるのでした。
とても強力な上昇気流のせいで、オチャコはすぐに気を失います。そして、とうとう雲の上に到達しました。
しばらく眠っていたオチャコが目を醒ますと、近くに鬼のような顔をした異形の者がいるのです。木の葉を集めて作ったような衣服を、身体に纏っています。オチャコが「あなた誰なの」と尋ねます。その者は大きな口を開き、「おれさまは風の精霊だ」と低い声で答えます。
オチャコは、想像していたイメージと違う見た目に驚き、「風の精霊というと、スリムで綺麗なお姉さんの姿かと思っていたわ」と言ってしまうのです。それで異形の者は、「こんなに太った男子で悪かったな」と機嫌を損ねました。
突如、虎の毛皮を着た雷さまのような小母さんが現れ、「こらポーク、また人に悪さしているのかい」と怒鳴ります。するとポークと呼ばれた者は、「違うよ母ちゃん、こいつが勝手に飛んできたんだ」と弁解します。
ポークのお母さんは、オチャコに向かって「本当なのかい」と尋ねます。それでオチャコは、両親とピクニックを楽しんでいたら竜巻が発生して飛ばされてきたという経緯を話します。ポークのお母さんは、「ほら、やっぱりポークの仕業じゃないか。いつも突風を起こして、人を苦しめてばかり。本当に困った子だよ、まったく」と嘆きます。
この時、オチャコのお腹が「ぐう」と鳴るのでした。それに気づいたポークのお母さんが、「おや、あんた空腹なのかい」と尋ねます。オチャコは、素直に「そうです」と答えます。ポークが、「おれの腹だって、もの凄く減っているぜ」と口を挟みます。
ポークのお母さんは、「お昼時だからね。出前でも取るとしようか」と言って、虎の毛皮についているポケットからスマホを取り出し、豚ヒレカツ定食を、三つ注文するのでした。
オチャコは、スマホを借りてお父さんに連絡しようと考えます。
でもポークのお母さんが、「このスマホ、雲の上だけで通話という料金プランで契約したから、地面にいる人に電話できないのだよ」と説明したので、オチャコはがっかりします。
☆ ☆ ☆
十五分ばかり待ったところ、カラスが飛んできました。口に紐を咥え、荷物を運んできたのです。その者は「毎度、カークーイーツです」と話します。オチャコが「わあ、カラスがしゃべった」と驚きます。
するとポークが、「こいつは本物のカラスじゃない。出前をする機械だよ」と説明します。それでオチャコは、「つまり、カラスの姿をしたドローンが、注文の品を配達してくれたのだわ」と推理するのです。
ポークのお母さんがスマホを使って、オンライン決済で支払いをしました。
カークーイーツのカラスは飛び去り、ポークが食卓に、豚ヒレカツ定食の容器を三つ並べました。ポークのお母さんは、熱いお茶を用意してくれています。
オチャコは心細く、とても心配だったので、「あたし、この先どうなっちゃうのかしら」とつぶやきます。
ポークのお母さんが、申し訳なさそうな顔で、「あんたは、ずっとここで暮さないといけないよ。なぜなら、地面まで戻る術がないのだからね」と言いました。これを聞いたオチャコは、「お家に帰りたい」と泣き出します。
横からポークが、「きみは、おれさまのお嫁さんになればいいと思う。これからずっと仲よくしようぜ」と求婚するのです。オチャコは、「十五歳で結婚だなんて早過ぎるよ」と嘆きました。
するとポークが気取った口調で、「Your life goes on.」とささやきます。その声には、人を惑わす魔力があるようです。
英語の得意なオチャコは、これを「きみの人生は続くから、前向きに考えるべきだよ」というように解釈しました。ずっと雲の上で暮らすとなると、ポークたちに逆らう訳にいきません。それでオチャコは、やむを得ず「分かったわ」と求婚に応じるのです。
ポークのお母さんが豚ヒレカツ定食を食べ始めていて、「あんたらも、冷めないうちに早くお食べ」と勧めます。オチャコは、「せっかくだから、ご馳走になろう」と思いました。
突如、仔豚が現れます。オチャコが「あっ、フィレ」と声を上げます。奇跡のようなことだけれど、手放したはずのぬいぐるみが、雲の上にやってきたのです。
ポークが驚いて、「そいつもカークーイーツの機械なのか」と尋ねます。それでオチャコが、「この仔豚ちゃんは、昨日フリーマーケットで売れ残って、ドールハウスを買ってくれたお婆さんにあげたフィレなの」と説明します。
フィレがオチャコに向かって、「助けにきたよ」と呼び掛けます。オチャコは、「ああ、よかった」と胸を撫で下ろし、「さっきの話、なかったことにするわ」とポークに伝えます。
するとポークは愕然とします。婚約が一分もしないうちに取り消しになったのだから、無理もありません。
この時、フィレが背中を向けて、「オチャコさん、ぼくの身体にしがみついて」と言うので、オチャコは指示に従います。
ポークのお母さんが、「これを持ってお帰り」と、豚ヒレカツ定食の容器を、お弁当用のコンビニ袋に入れてくれました。オチャコは、「小母さん、ありがとう。ポークさんもね」とお礼を述べます。そして、受け取った袋を手に提げて、フィレとともに飛び立つのです。
ポークが「また遊びにこいよなーっ」と叫びます。オチャコは、「竜巻で飛ばされるのは困るなあ」と思うけれど、笑顔を向けてお別れしました。こうしてオチャコが、ピクニックをしていた臨海公園まで戻ることができるのです。
怪我一つすることなく、無事に帰り着いたので、オチャコのお父さんとお母さんは、大粒の涙を流して喜びます。オチャコも嬉しくて泣きました。
残念なことが一つありました。オチャコの凄く気に入っているお弁当箱が、中身と一緒に飛ばされて見つからないのです。それでお母さんが、「新しいのを買ってあげるからね」と慰めてくれました。
この臨海公園には、フリーマーケットにきていた老婆の姿もあります。ぬいぐるみのお礼ということで、オチャコを救ってくれたのです。でも老婆は、あえて自分の正体を明かすことなく、フィレとともに去ります。
老婆の後ろ姿を眺めながら、オチャコは胸の内で、「あの人、きっと心の優しい魔女なのだわ」とつぶやくのです。そしてレジャーシートに腰を下ろし、貰ってきた豚ヒレカツ定食を、おいしそうに食べます。